Urineに試験紙を浸す。色変すると トイレ内の明かりのせいだとか 夕刻ゆえに正確な色がわからなかった

とか さまざまな自己理由ををつけて 何度も検尿を繰り返す。

しかし 現実は 酷である。試験紙には感情がない。

有りのままを呈する。

私の場合 強陽性に色変したとき 一過性だったためしはない。

受診 即ステロイド開始であった。


私たち 腎臓病の人間にとって黄色は安定色である。


自宅の検尿でトイレから出てきたとき 人生闇色ににならないためにも 日ごろからの自己節制が大切なところである。




PS 朝 トップからの呼び出し。

   婉曲な 退職促しであった。

  ピンチをチャンスにと思っている。

  気持ちは 比較的 安定している。

腎臓といわず人間の体は我慢づよく創られていると思う。それゆえ 自覚症状が出たときは かなり病状が進んでいるともいえる。

瞼へのむくみ、健常者ならいいが 腎臓病の人の場合だと 様子は異なってくる。すでに蛋白尿は陽性になっているかもしれない。


経験上 自覚症状が出てからの安静保持では遅いときもあるのだ。

ネフローゼ再発経験者なら 病状悪化は早いが 快復には その何倍もの月日がかかる。心も折れる。

そんなことを 骨の髄から知らしめられている筈だ。


私のように自己管理・治療で やっと正常範囲に近い者もいれば 高脂血症・蛋白尿陽性のまま

きつい就労状況にある人もいよう。

今 座って 疲れを抜きたいが 嫁という立場ゆえそれが出ない人もいよう。可哀想である。

また整った 家庭・生活環境の中 治療に専念できている人もいよう。


昔日 お互いの環境を交換できる部分があったらと思った記憶があるが・・・。 それは出来ない。

同病であっても それぞれの人生 共有できうる部分は限られているのだ。

甘えは 通らないのである。


ただ 自己努力で 自分の生活環境を少々整えることは出来うる。それぐらいだったようにも記憶しているのだが・・・。



19歳短大の再発時に医師から釘を刺された。「細く 長く生きることを考えろ。」

強く反発した自分だった。

しかし 50台半ばあたりから その言葉のような生き方が自分にとって適した生き方だと感じ始めた。

否!。本当はわかっていたのだが このころから 本当に受容でき始めたのだ。


飛行機が離陸滑走をし 上空へ機首を上げる。高度を稼ぎ 青空を力強く飛翔する。そんな生き方は

私には適さなかった。体力・持久力に欠いた。


自分の病気の質をわきまえ それに見合ったささやかな生き方。未練は残っているが それが自分に適した生き方だったのだ。


環境も病状も人それぞれ 自分に適した 背伸びしない生き方がいいと思う。

時折り ネフローゼを介して 自分探し。人生においての 正しさ探しをしているように感じるときがある。


外は雨。台風12号の被害 これ以上広がらないことを願う。


それにしても 心穏やかに生きて生きたいものである。