POLITE an EARTHLING

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次元コーディネイター
ぽらの軌跡

3連休(今日まで)は概ね雨の予報だったので(たまに豪雨)
特に予定は立てず、家で本を読んだり、サイトを見たりして過ごしました。
 
職場の人間関係や、兄弟関係、親子関係等にまつわる、自分の「怒り」に向き合う日々が続いています(・_・;)
 

 

発端はやはり新しいパートさんとの関係性なのでしょうが

このパートさん、明らかにASDの症状を発現しているにも関わらず、2児のママであり、何と2児を我が園に預けている保護者なのです。保育士の間でも「難在り」とされていたお母さんを、いわば給食室(常時人手不足)に押し付けられた感じではあります。

普通、自分が子供を預けている保育園にパートで勤める、なんてあり得ないのですが、最近のちまたではそういうあり得ないことが溢れかえっていて。それに、本来ならば仕事で仕方なく小さい子供(0才から3才)を預けるというのが保育園なのではないか?と思うのですが、最近は保育園に預けるために仕事を探す、というお母さんが多数。本末転倒なわけです。

どうしてそうなったのか?というのが、まぁ国の母子分離政策の結果とも言えるのでしょうが。

というわけで、子育てはほぼ保育園任せ、休みの日はおむつも変えられない、というお母さんが大量発生しているのが、今の現状だそう。どうしてそうなったのか。実に嘆かわしい状況です。

 

それで、仕事の出来なさはもちろんのこと、そのような新米お母さんの日々のとんでもない言動に、周りの我々の方が憔悴してしまう、というのが現状。「あなたが産んだ子供でしょ?可愛くないの?」と思うのですが、子供に対する愛情は感じられず、自分のことで精一杯なのはASDならではの在り方なのかもしれないけれど、ほんとにこれでは子供が可哀そう・・・と深刻にならざるを得ない現状ではありますね。

とはいえ、私やもう一人のパートさんのような先輩ママが親身になってアドバイスしたところで本人には全く響かないのが現状。感情の共有ができない彼女にはただの「音」としか聞こえないようで、現状が改善されるということは無さそうです。今のところ、協力的な旦那さんや身近にいる親御さんのおかげで何とかなっている感じではあるようですが、子供が生まれる以前はどのように過ごしていたのか謎でもありますが、ネグレクトまではいかなくてもややそれに近い状況。

実際、他の保護者についてもネグレクトの報告というものはちらほら聞くので、この園だけでもそうなので、どれほど多発しているのか、日常茶飯事なのか、と思うと、本当にどうしようも無く怒りが湧いてくるのは仕方がありません・・・

 

あまりにも個人の自由、多様性を重んじ過ぎた結果なのかなとも思う。

どこかで大切なものを見失って壊れて行ってしまっている世界を見せつけられている気がします・・・

 

さて、今日のタイトルの「カサンドラ症候群」なのですが、これはASDについて調べて行くうちに出会った言葉で

ギリシャ神話に登場するトロイの王女カサンドラにちなんでつけられた症名なのだそう。

 

これはASDの周囲の人(パートナーや家族、同僚)が心因的な不調に悩む状態を示しているのだそう。

 

なんでもかんでも症名をつけりゃいいってもんじゃねぇよ!と思ったりしますが

心療内科的には、実際症状が表れて苦しんでいる人たちを救済するために、何かしらの対策(カウンセリングとか薬物治療とか)を行うことで、自分達が利益を得られればよいのだろうな、とひねくれた見方をしてしまいますが

毎度気になるのはASDにしろ何にしろ、必ず薬物治療の項目が出てくること。「薬飲んだら終わりだぜ!」と自分的には思っているので、ああ、やっぱり患者を囲って生活の足しにしたいのだな、もちろん彼らにも生活があるから仕方ないかと思ってしまったり。

 

とにかくいかなる精神的な病についても医者や薬に頼るのは辞めた方がいい、というのが私の自論ではあります。

医療関係者にしろ保育関係者にしろ・・・何より行政をやってる人達が自分たちの目先の利益だけを考えて、社会を壊してきた結果が今の現状なのだろうと思います(注射然り)

なので、目の前の個人に対するやるせなさ、怒り、だけではなくて、もっと大きな権力だとか圧力に対する怒り、というものが自分の中にずっとあって、そこから逃れるためには出家して仏門にでも入らないかんのかな、いや、出家は若い頃にやったからもうええわ・・・とか思ったり。

 

出家したところでいつかは人間社会に舞い戻って来ないといけないし、そうでなければ意味がない、と自分的には感じたりしています。

 

それよりは、もっと現実と向き合い、今は自分自身の怒りの衝動も含めてですが

まずは世の中にはびこっている精神障害という名の課題について理解を深めて行くこと

自分を守りながら積極的に関わって行くということが自分のこれからの課題でもあるのかもしれないと思います。

 

恐らく私の母も、兄も、弟の嫁も(何なら姪も)自閉症スペクトラムのスペクトラムに属しているのだろうし

実際診断を受けている我が娘が、実はその中でも一番軽いだろうという認識と、その理由についても考察のしがいがあると思うし

そして恐らく私自身にもそのスペクトラムの一端があるのだろう。だからこそ、完全に除外するのではなく

積極的に取り組むことが可能だし、そこに意義を見いだすことができるのかもしれないと思います。

 

(ある意味、私自身のこういう言葉の使い方が、自閉スペクトラムっぽいんですがね(;・∀・))

 

そしてそこに、何かしらの興味(ワクワク?)を見出していることも否定はできないのです。

せっせと怒りながら(;´∀`)

 

自分自身については共感力が全く無いというわけは全く無い、と思ってます(;´∀`)

何より、とりあえず人の分まで仕事が担えているので、空間察知能力等については比較的優れている、とは言える。

それも恐らく年齢だったり経験だったりというものの成果が大きいということを考えると

恐らくですが、自閉スペクトラムは治る、改善する、ということに確信があったりするのです。

(医療関係者に叩かれそうですが(;´∀`))

 

それはもちろん、生死をさ迷うような地獄のような精神状態を通過してこそ得られるものでもあるかもしれません。

ただ、今そのようなところから逃げている人が多い、逃げることを推奨されている、という点で

いろいろと疑問を感じるところもあり。

 

そのような必要悪、というようなもの無しに、自閉スペクトラムを始めとする精神疾患が改善し得るのか?

というのは、これから模索していかなければいけない部分でもあるのかなと思います。

 

苦あれば楽あり、苦労なくして幸福は得られない、ってことなんですけどね。

人間が魂の成長のために生まれてきたのならば

それなりの試練無くしては、試練を避けていては、魂の成長なんかあり得ないと思うし

そんなの絵空事だと思うし・・・

ただそういう考えが古い、と言われるのが現代の多様性の時代、ってことなんでしょうね・・・

 

ある意味、時代を逆行していると言えるのかもしれませんが

自分ほどの苦しみを感じずとも、ある程度の苦しみは人生で感じていくべきだと思うし

それがある意味、ガメが社会に適応できている理由でもあるのではないかなと思う・・・

私を選んで娘として生まれてきた理由でもあるかもしれませんしね。ある意味ガメは我が家の希望?でもあるわけです。

 

兄については、只今断固拒絶されているので、今度いつ会うのか分かりませんけどね・・・

自分にとっては我が家の家系的な(遺伝的な)課題に向き合うことが、同時に社会的な課題と向き合うことでもあるようです。

 

こんな人生だけど嫌じゃない、愛おしいと思えるから良かったです(*´▽`*)9

4月から入って来たパートさんの件で、自分自身の課題(怒り)について内観させられている日々だったのですが

そうこうして試行錯誤している中で、またもや天から降ってきた言葉が「高機能自閉症」というものだったのです。

例のごとく「え?何これ?」だったのですが

これは調べる価値あり、と思い、飛び起きてPCに向かい、あくせく調べてみたところ、

高機能自閉症というものは、事故や病気などによって生じる後天的なもの、ということが書いてあって、

そのような事象を伴わない先天的なものと言われるのが自閉スペクトラム症といわれるものなのだそうです👀

 

ちょっとさわりだけ引用してみます↓

 

『自閉スペクトラム症とは、“広汎性発達障害”とほぼ同じ概念を指すものであり、自閉症やアスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害などを含む概念です。自閉症やアスペルガー症候群などには互いの境界線を引くのは極めて厳しいこともあるので、病気の一連の続きとして“スペクトラム”として捉えられています。

自閉スペクトラム症では、“臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと”を特徴とする発達障害です。ただし、置かれた環境によっては自分の関心を押し通すことがポジティブに捉えられ、「ちょっと変わった人」とは思われながらもコツコツと仕事に従事する人とも認識されることがあります。しかし、不適切な環境では人間関係に支障をきたすことも出てきてしまい、自閉スペクトラム症が明らかになることもあります。』

 

まずは既視感のある言葉、「広汎性発達障害」というものが、そういえばガメの診断名だった!ということを思い出して。

ガメの場合は限りなくグレーだと言われていたのですが、うちが母子家庭だというのもあって、診断がついていた方が経済面においても援助を受けやすいという理由で「診断つけときますね!」と言われて内心「そんなんでいいんかい👀」と驚いた部分もあるにはあったのですが。

 

というわけでうちのパートさんは、ガメよりはるかに程度の重い、発達障害、自閉スペクトラム症だ、ということが判明したのです👀(基本的に医師しか診断できないということなのであくまでも私の中での判断ですが。彼女が診断を受けているかどうかは不明です)

ただ、知的障害を伴わない(もしくは普通以上の知的レベル)ので、周りも判断しにくい、ということはあるらしいのですが、それで「高機能」という言葉が思い浮かんだのか・・・と思いつつも、決してそれが作業的なレベルが高いというわけではないということは明白で。

本人が困難さを感じているか?自覚があるかどうか?というのも疑問で。

ただの職場の同僚としてそこまで踏み込むのはどうか・・・という気もするのではありますが。

 

ちなみに多大な迷惑をこうむっているうちのリーダーさんとも、そういう話をするのですが、それ以外にも気になる部分(神オタとして)についても話してみたのですが、リーダーも同じことを思っていたそうで。

「絶対ここの霊に憑依されてますよね!」という部分。

ちなみにうちキリスト教系の保育園なのですが、ここにイタズラ好きな霊がいる、というのは職員周知の事実、ということで、クリスチャンの園長自身が「いるからねぇ」と断言している面白いところではあるのですが・・・

神官さんか僧侶を呼んでお祓いしてもらった方がいいのでは?何ならお札をはるとか?と言いつつも

「あ、うちミッション系やった」と笑ったりするのですが、一応園の最上階に牧師一家が住んではいるのですが、職業牧師なのでほとんどパワーはなさそうです(・_・;)

それでもまぁ大事には至らずに済んでいるのはギリギリで守られているのかな、という気がしないでもなく。

 

そういう意味で、そういう人がここに入って来るというのもそうだし、自閉スペクトラムに該当する人は憑依されやすいという話もあるし、実際肌身で感じる部分もあり。

目に見えない部分ではあるけれど、何が面白いのか分からないけど、そういう人を使って場を乱そうとする、要はここにいる人々の内心を乱そうとする、存在(霊)がいることは常々感じる次第ではありますね。

 

ということは、自分に除霊の能力は無かったとしても、そのような実態を把握して私自身の対策を取ることで

除霊以上の根本的な解決も望めるのではないか?というのは、自分の勝手な理想ではありますが。

 

今回の件でいろいろと学びながら、実際そのような精神障害(障害とは言えないかもしれない)に関する研究、報告の中で、どんどん増えている診断例に関しても、その人個人における構造、そしてそのような人々が形作る社会というものの構造が、次第に明らかになっている、視覚化、体系化されている、という感じもします。

とはいえ、どんなに定義付け、診断付けをやってみたとしても、謎は残り続けるのだろうという気はするので

それが人生の醍醐味というか、楽しみなのかもしれないと思ったりも。

 

ともかく、ぽらの人生探求はまだまだ続きそうです(≧▽≦)

7月5日、ガメと共に福岡空港から飛び立ち、成田へ。

案の定、姪っ子からは前日にキャンセルされたので、姪っ子と会うのは今回は見送り(なんかそんな気がしていた)

千葉駅でカノジョちゃんと合流し、遅めのお昼ごはん。

さすが千葉駅は首都圏近くで広大で人も多く、駅ナカをうろうろしながら、結局2人がゲーセンに行くというので

別れて駅近の神社へ。

もう閉門近くて社務所も開いていなかったのですが、都会の中心部にあって荘厳な神社でした。

 

<妙見宮千葉神社>

 

旧社殿には天神様が祀られています。

 
境内にはご神水が湧いていて、水を汲みに来る人も多いよう。
とても清らかな波動でした。神池前の亀さん!

 
そうこうしていたら閉門してしまいました。
ちょっと異国的な?楼門。
妙見様なだけあって、そこはかとなく漂う宇宙感。

 

晩御飯はカノジョちゃんの希望で焼肉きんぐへ。

初のレーン式焼肉、とても楽しくて美味しかった!!

メニューも豊富でなかなかリーズナブル(*^▽^*)

焼肉きんぐが人気なのが分かりました!

 

2日目、いろいろトラブルもあって、カノジョちゃんのご機嫌を損ねてしまい(;・∀・)

まぁ旅にハプニングはつきもの。結局、予定変更して、八千代台駅前のショッピングモールで、時間までぶらぶら。

なかなかに広いモール内には本格的な大水槽があって、多種多様な魚が泳いでいて、思わず見入ってしまいました👀

カメさんもいた🐢(≧▽≦)

凄く見どころもあって楽しかったので、結果オーライ!

 

とりあえずお昼までの間、2人と別れてまた周辺の神社へ。

検索すると諏訪神社がある、ということで行ってみると、これも駅近にも関わらずいきなり現れる壮大な森の中に佇むとても素敵なお社!

 

このようにして呼んで頂きとても感謝でした。

 

数羽の烏さんが出迎えてくれたのですが、なんと烏のご神事があるのですね👀

 

 

境内には子安観音様や、木花開耶姫様の碑が。

とても母性愛に満ちた穏やかなお社でした。お参りできて良かった!!

 

ガメに同行したにも関わらず、今回はずっと晴天に恵まれて、すごく意外な感じ。

最強雨女の運勢も少し変わって来たのでしょうか?

 

今回も、いろいろと感じさせられること、考えさせられることがしこたま多かったのですが

なぜに今、千葉なのだろう?という気もするし。

何よりほんとに首都圏内で成田空港もすっごいデカくて(初)

何かいろいろ圧倒されて。自分としては九州大好き、関東苦手( ̄ー ̄)だったけど、自分の観念を打ち砕いて行く必要性が

まだまだあるのだろうと思ったり。

 

とにかく最近は、自分というもの、自分の観念というものが打ち砕かれて行く感覚があって

途方に暮れるような感じもあるのですが

かといって嫌な感じではなく・・・

何はともあれ、新時代に向けて自分の世界も崩れて行って、再構築されて行っているのだろうという気がします。

 

今はこうして、流れに乗っていくしかないのかなぁという気も。

それでもこうしてアメブロに向かっていると、懐かしい旧友に会っているようで、ちょっとほっとする気もします。

さて、もう少し自分の内面を深堀したいところもありますが、また機会があればということで、本日はこの辺で。

私の「怒り」は恐らく、私一人では背負いきれないもので、もちろん私一人のものでもなくて

代々背負ってきたものでもあるかもしれないし、そこと向き合う、というのは一人の人間としてはものすごい負担に感じたりもするけれど。まさに人生を棒に振ってしまいかねないような。そこをギリギリで耐えている、ずっと耐えて来ているのが、私たちの世代なのかもしれないと思ったりします。

 

まさにCHIEちゃんのこちらの記事状態なのかもしれませんが(;´∀`)

 

怒りっぽい人、嫌な人に遭遇してしまうワケ | CHIEオフィシャルブログ「スピリチュアル観察日記」Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

 

昭和人としてはこの怒りマダムに同情はするものの、やっちまったねぇ・・・という感が否めず(´;ω;`)

これやったら終わりなんですよ、うちらの世代。それは分かってる。だからその方向性を間違えちゃいけない。

もちろん、老いて行くことへの焦り、というのは大きいと思います。

でもそれ以外にもその人自身の過去、そして世代的に担っている怒り(要は悲しみ)もあるのでしょうねぇ・・・

 

和布刈さん参り(両親のお墓参り)から一夜明けた昨日は

ガメと一緒に保育園に出勤でした。

4月から来ている新しいパートさんに関する件で、ずっと自分自身の「怒り」と向き合うことになっているのですが

いつもは栄養士のリーダー、パートさん、私、の3人が定番なのですが、昨日のように、栄養士さんがお休みの時に入るのが代替要員のガメか、もう一人のパートさん(こちらはもう長い)

何しろ、ガメは月に1,2度しか入らないので、状況についていくのが大変な部分もあるのですがそれでもよくやってくれているなぁという感じ。

問題は新しいパートさんで、ガメより少し年上の、いわゆるゆとり世代ど真ん中、というタイプ。

昨日は栄養士さんの代わりにガメが入っていたのですが、パートさんに対する日ごろの怒りをガメにぶつけてしまっている状態。

 

要は、昭和世代と平成ゆとり世代の対決、みたいな構図になってはいるのですが、ガメもどちらかと言えばゆとり世代に近く、それ故に発達障害という名目で仕分けられた、とでも言えるのかなと思います。(そういう考え自体が昭和の古い考え方なのでしょうが)

 

アンガーマネジメントというもの自体が、今パワハラ何ハラだとかですぐ上司がゆとり世代から訴えられる、そんな昭和世代を守るための苦肉の策、とも言えるもので、企業にも積極的に取り入れられているようなのですが。

本当に、当たり前(昭和世代にとって)のことを当たり前に言えないのが今の社会、だと感じていて

要はパワハラセクハラ全開だった昭和を生き抜いてきた我々が、自分の生きて来た時代を反映させることで糾弾される。干される、といったような感じ?ものすごく損な世代に生まれて来てしまったなぁ・・・というのが実感でもあります(´;ω;`)

だがしかし、昭和世代が干されて生きていけなくなると、社会が回らないのは事実でしょう。

もちろん昭和世代にもいろいろいるとは思いますが、そのすべてを一括りにして新時代の感性に合わないから「用無し」と決めつけてしまうのは甚だ危険・・・のような気がする。

 

要は平成以降、令和の新人類との共存、ということが重要な課題になってくるわけです(;´Д`)

 

新入りパートさんは13時までなので、その後ガメに平謝り、言い訳、ということになるのですが、ガメ本人も真に理解してくれているのかは不明。ただ、怒りを巻き散らす母に対して同情はしてくれている模様(;´∀`)

 

私が何で怒っているのか?ということはゆとり世代、新世代には恐らく理解できないのでしょう・・・

休みの日にアンガーマネジメントを学習してみても、最終的には諦める、棲み分ける、ということにつながり。

推し活等の気分転換というのも、一時しのぎには聞こえるのですが、今のところそれしか方法はないのかも(;´・ω・)

 

それなら、私以前の親世代、祖父母世代はもっとそうなんじゃないか・・・なんて思いを感じながら

子供世代とは相入れない中で、親を含む先祖に助け(?)を求めている状態でもあります(;´・ω・)

 

俺には分からん、と弟がさじを投げた(?)ミレニアムベビー新時代ど真ん中の姪っ子ちゃんに関しても

どう関わっていくか?どう共存して行くか?ということが課題ではあるのだけれど

めちゃめちゃ気が重いけど、もうここは同じ血族として(?)親やご先祖様に頼るしかないわけですね。

 

というわけで、現代のごく小さな範囲ではありますが、これを自分の血族として見れば壮大な課題なわけで

これは真摯に取り組むべきだな・・・と感じたりしています。

 

たぶん、そういうのも含めての豊活、ゆた活、なのではないかな?(;´∀`)

ひらがなにしたのはそこに「ゆったり」という自分にとって一番必要な!ワードを込めたかったというのと、

ユタという言葉が沖縄の霊能者さんのことを指すというのもあり

そこにスピ的な意味も込めたかった、というのもあるかもしれません(*´ω`)

 

スピ用語で言ったら、ブルーレイから始まって、インディゴ、クリスタル、レインボーとつながっていく宇宙的な魂の関係性において、その格差(?)を克服して繋がって行く、協力して行くこと、の重要性を感じたりしますね・・・

 

もちろん、それは単に年齢や世代で分けられるものではなくて、同じ年代でも、育った環境や与えられた使命等で分類される部分もあるかもしれないし、それこそいろいろ混ざっていることもあるかもしれないし(◎_◎;)

 

なので今自分は縦の関係を重要視して、取り組んでいく時期でもあるのかな、という気もしていて。

それだけの器が自分にあるのかどうかも分かりませんが(気が重い)

でもそれも含めてのゆた活なのだと思っております。

より豊かな人生に(*´ω`*)ノ

念願の、満珠・干珠島!
 
実際に行くことはできないようですが、豊功(とよこと)神社から遥拝することができます。
神功皇后の伝説に残る、満珠干珠島。和布刈様への参拝も兼ねて行ってきました。
 
豊功神社さんのご神紋がとてもかわいい、というか変わってますね(≧▽≦)
古くから龍神様を祀る神社でもあるようです。
 
そもそも、ガメから「父の日だからおじいちゃんのお参りに行こう!」と言われて、父の日はおろか父の命日(6/17)さえも意識していなかったので、ガメ自身の様々な思いもあるとは思いつつ(父親に関する)
それでも、会ったことも無いお祖父ちゃんに思いを馳せている姿を見ながら、ありがたい思いと、どこか申し訳ない思いでした。
それで、関門トンネルを車で潜ってみたい!とのことだったので、ついでに(?)念願の満珠・干珠島へ連れて行ってもらうことにしました(*´ω`)
知ってはいたけど、関門トンネルの前の長蛇の列!!
車で通るのはそれこそ父の運転以来なので(弟と行ったことがあったかな?(;´∀`))
ものすごく久しぶり、もちろんガメは初めてで、一緒にワクワクしながら。かわいいふくちゃんの顔(だいぶ薄くなっている)のトンネルに入りましたが、こんなに暗くて狭かったのか!!と驚き。そりゃあ長蛇の列になるわな~
料金所も現金払いで長い列の後おじちゃんに110円を渡して「やっすっ!」とか言いながら。
 
車で並ぶこともあまり経験が無かったので待ちくたびれて疲れたようなので、ひとまずカモンワーフの食堂で少し早めのお昼ごはん。ふくのたたき(丼)というのを初めて食べましたが(ガメのを味見)絶品でした(≧▽≦)
瓦蕎麦は少量ですが、かなりしっかり油がまわっていたので、けっこうお腹いっぱい(・∀・)ふくのからあげも美味しかった(*´▽`*)
 
 
豊功神社にほど近い、串崎城跡も散策。
その昔この辺りが下関水族館だったころの鯨館のモニュメントが残っていて感激!
家族で良く行っていた頃の思い出に浸りました。
なるほど、ここは城跡だったんですね~
 
 
とうわけで、関門トンネルの長い列に辟易したガメ、帰りは関門橋で帰る!というので、橋へのルートをあれこれ探すも、ナビに頼るとどうしてもトンネルの方へ(;´∀`)
関門橋への案内板もどこにも見当たらないので、一体どうしたものかとウロウロ迷っていると
どうもそのまま高速に乗ればよいらしい(;´∀`)
2人で「なーんだ、そういうことかー!」とやっと理解して九州道へ向かい、無事に関門橋を通過(あっという間)
関門橋が高速道路だということを初めて知りました(;・∀・)
 
てなわけで、だいぶ時間が押してしまったので、バタバタと和布刈参拝をすませ、帰路へ。
お天気も良かったせいか、カモンワーフ、門司港ともに、人と車でごった返してました(;´∀`)
それでも、ちょうど1台分駐車場が空いてたり、なかなかの良いタイミングで参拝できたのは、おじいちゃんのおかげかな?とガメ。これからも私共々、孫娘たちを見守ってやって欲しいと願いつつ。
 
良い参拝となりました(*^-^*)