POLITE an EARTHLING

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次元コーディネイター
ぽらの軌跡

私の「怒り」は恐らく、私一人では背負いきれないもので、もちろん私一人のものでもなくて

代々背負ってきたものでもあるかもしれないし、そこと向き合う、というのは一人の人間としてはものすごい負担に感じたりもするけれど。まさに人生を棒に振ってしまいかねないような。そこをギリギリで耐えている、ずっと耐えて来ているのが、私たちの世代なのかもしれないと思ったりします。

 

まさにCHIEちゃんのこちらの記事状態なのかもしれませんが(;´∀`)

 

怒りっぽい人、嫌な人に遭遇してしまうワケ | CHIEオフィシャルブログ「スピリチュアル観察日記」Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

 

昭和人としてはこの怒りマダムに同情はするものの、やっちまったねぇ・・・という感が否めず(´;ω;`)

これやったら終わりなんですよ、うちらの世代。それは分かってる。だからその方向性を間違えちゃいけない。

もちろん、老いて行くことへの焦り、というのは大きいと思います。

でもそれ以外にもその人自身の過去、そして世代的に担っている怒り(要は悲しみ)もあるのでしょうねぇ・・・

 

和布刈さん参り(両親のお墓参り)から一夜明けた昨日は

ガメと一緒に保育園に出勤でした。

4月から来ている新しいパートさんに関する件で、ずっと自分自身の「怒り」と向き合うことになっているのですが

いつもは栄養士のリーダー、パートさん、私、の3人が定番なのですが、昨日のように、栄養士さんがお休みの時に入るのが代替要員のガメか、もう一人のパートさん(こちらはもう長い)

何しろ、ガメは月に1,2度しか入らないので、状況についていくのが大変な部分もあるのですがそれでもよくやってくれているなぁという感じ。

問題は新しいパートさんで、ガメより少し年上の、いわゆるゆとり世代ど真ん中、というタイプ。

昨日は栄養士さんの代わりにガメが入っていたのですが、パートさんに対する日ごろの怒りをガメにぶつけてしまっている状態。

 

要は、昭和世代と平成ゆとり世代の対決、みたいな構図になってはいるのですが、ガメもどちらかと言えばゆとり世代に近く、それ故に発達障害という名目で仕分けられた、とでも言えるのかなと思います。(そういう考え自体が昭和の古い考え方なのでしょうが)

 

アンガーマネジメントというもの自体が、今パワハラ何ハラだとかですぐ上司がゆとり世代から訴えられる、そんな昭和世代を守るための苦肉の策、とも言えるもので、企業にも積極的に取り入れられているようなのですが。

本当に、当たり前(昭和世代にとって)のことを当たり前に言えないのが今の社会、だと感じていて

要はパワハラセクハラ全開だった昭和を生き抜いてきた我々が、自分の生きて来た時代を反映させることで糾弾される。干される、といったような感じ?ものすごく損な世代に生まれて来てしまったなぁ・・・というのが実感でもあります(´;ω;`)

だがしかし、昭和世代が干されて生きていけなくなると、社会が回らないのは事実でしょう。

もちろん昭和世代にもいろいろいるとは思いますが、そのすべてを一括りにして新時代の感性に合わないから「用無し」と決めつけてしまうのは甚だ危険・・・のような気がする。

 

要は平成以降、令和の新人類との共存、ということが重要な課題になってくるわけです(;´Д`)

 

新入りパートさんは13時までなので、その後ガメに平謝り、言い訳、ということになるのですが、ガメ本人も真に理解してくれているのかは不明。ただ、怒りを巻き散らす母に対して同情はしてくれている模様(;´∀`)

 

私が何で怒っているのか?ということはゆとり世代、新世代には恐らく理解できないのでしょう・・・

休みの日にアンガーマネジメントを学習してみても、最終的には諦める、棲み分ける、ということにつながり。

推し活等の気分転換というのも、一時しのぎには聞こえるのですが、今のところそれしか方法はないのかも(;´・ω・)

 

それなら、私以前の親世代、祖父母世代はもっとそうなんじゃないか・・・なんて思いを感じながら

子供世代とは相入れない中で、親を含む先祖に助け(?)を求めている状態でもあります(;´・ω・)

 

俺には分からん、と弟がさじを投げた(?)ミレニアムベビー新時代ど真ん中の姪っ子ちゃんに関しても

どう関わっていくか?どう共存して行くか?ということが課題ではあるのだけれど

めちゃめちゃ気が重いけど、もうここは同じ血族として(?)親やご先祖様に頼るしかないわけですね。

 

というわけで、現代のごく小さな範囲ではありますが、これを自分の血族として見れば壮大な課題なわけで

これは真摯に取り組むべきだな・・・と感じたりしています。

 

たぶん、そういうのも含めての豊活、ゆた活、なのではないかな?(;´∀`)

ひらがなにしたのはそこに「ゆったり」という自分にとって一番必要な!ワードを込めたかったというのと、

ユタという言葉が沖縄の霊能者さんのことを指すというのもあり

そこにスピ的な意味も込めたかった、というのもあるかもしれません(*´ω`)

 

スピ用語で言ったら、ブルーレイから始まって、インディゴ、クリスタル、レインボーとつながっていく宇宙的な魂の関係性において、その格差(?)を克服して繋がって行く、協力して行くこと、の重要性を感じたりしますね・・・

 

もちろん、それは単に年齢や世代で分けられるものではなくて、同じ年代でも、育った環境や与えられた使命等で分類される部分もあるかもしれないし、それこそいろいろ混ざっていることもあるかもしれないし(◎_◎;)

 

なので今自分は縦の関係を重要視して、取り組んでいく時期でもあるのかな、という気もしていて。

それだけの器が自分にあるのかどうかも分かりませんが(気が重い)

でもそれも含めてのゆた活なのだと思っております。

より豊かな人生に(*´ω`*)ノ

念願の、満珠・干珠島!
 
実際に行くことはできないようですが、豊功(とよこと)神社から遥拝することができます。
神功皇后の伝説に残る、満珠干珠島。和布刈様への参拝も兼ねて行ってきました。
 
豊功神社さんのご神紋がとてもかわいい、というか変わってますね(≧▽≦)
古くから龍神様を祀る神社でもあるようです。
 
そもそも、ガメから「父の日だからおじいちゃんのお参りに行こう!」と言われて、父の日はおろか父の命日(6/17)さえも意識していなかったので、ガメ自身の様々な思いもあるとは思いつつ(父親に関する)
それでも、会ったことも無いお祖父ちゃんに思いを馳せている姿を見ながら、ありがたい思いと、どこか申し訳ない思いでした。
それで、関門トンネルを車で潜ってみたい!とのことだったので、ついでに(?)念願の満珠・干珠島へ連れて行ってもらうことにしました(*´ω`)
知ってはいたけど、関門トンネルの前の長蛇の列!!
車で通るのはそれこそ父の運転以来なので(弟と行ったことがあったかな?(;´∀`))
ものすごく久しぶり、もちろんガメは初めてで、一緒にワクワクしながら。かわいいふくちゃんの顔(だいぶ薄くなっている)のトンネルに入りましたが、こんなに暗くて狭かったのか!!と驚き。そりゃあ長蛇の列になるわな~
料金所も現金払いで長い列の後おじちゃんに110円を渡して「やっすっ!」とか言いながら。
 
車で並ぶこともあまり経験が無かったので待ちくたびれて疲れたようなので、ひとまずカモンワーフの食堂で少し早めのお昼ごはん。ふくのたたき(丼)というのを初めて食べましたが(ガメのを味見)絶品でした(≧▽≦)
瓦蕎麦は少量ですが、かなりしっかり油がまわっていたので、けっこうお腹いっぱい(・∀・)ふくのからあげも美味しかった(*´▽`*)
 
 
豊功神社にほど近い、串崎城跡も散策。
その昔この辺りが下関水族館だったころの鯨館のモニュメントが残っていて感激!
家族で良く行っていた頃の思い出に浸りました。
なるほど、ここは城跡だったんですね~
 
 
とうわけで、関門トンネルの長い列に辟易したガメ、帰りは関門橋で帰る!というので、橋へのルートをあれこれ探すも、ナビに頼るとどうしてもトンネルの方へ(;´∀`)
関門橋への案内板もどこにも見当たらないので、一体どうしたものかとウロウロ迷っていると
どうもそのまま高速に乗ればよいらしい(;´∀`)
2人で「なーんだ、そういうことかー!」とやっと理解して九州道へ向かい、無事に関門橋を通過(あっという間)
関門橋が高速道路だということを初めて知りました(;・∀・)
 
てなわけで、だいぶ時間が押してしまったので、バタバタと和布刈参拝をすませ、帰路へ。
お天気も良かったせいか、カモンワーフ、門司港ともに、人と車でごった返してました(;´∀`)
それでも、ちょうど1台分駐車場が空いてたり、なかなかの良いタイミングで参拝できたのは、おじいちゃんのおかげかな?とガメ。これからも私共々、孫娘たちを見守ってやって欲しいと願いつつ。
 
良い参拝となりました(*^-^*)

 

キラリさんの生活は、自分とはかけ離れた部分が多くて、だからこそすごく気になるのかも!

どこかでミニマリスト生活に憧れていながらも、どうしようも無い現実に妥協して浪費(?)に逃げているのかなという気もしながら(;・∀・)

 

ほんとうにほんとうに、丁寧な暮らしに憧れて、尊敬しつつも、自分にはやっぱり無理だとか、合わないかもとか、思ってしまうんですね。

とはいえ、こうして独り暮らしに踏み切ったのも、やはり昔からの憧れ(?)に向かって行ってる気はします。

でも、もちろんそれは単なる節約ではなくて、自分の本心が納得する、心豊かな生活がしたいからなんだと思う・・・

今は毎日仕事と、その反動でもある趣味に追われて(?)時間が無い、体力が無い、とぼやいていて(´;ω;`)

でもたぶん、定年も見えてきている今(定年だからといって辞められるわけもないですが(;´・ω・))

次の段階の自分へ行く準備、というものを意識せざるを得ないでいる今日この頃(・ω・)

 

少しずつスローダウン、ペースダウンしていく必要性、というものを感じています。

消費社会の歯車に組み込まれて、本来の人間らしくないもの、に大半を侵食されてしまってきたかもしれない人生を

本来の在り方に戻すべく。それはお金や物を消費しない、ということではなくて、浪費せず大切にする、ということ。

だから使うべきことに使うことが必要だし、大切に使う、使うことを大切に思う、という感覚なのかなぁと思います。

 

だから他人から見たら浪費でも、自分にとっては大切な創造なのかもしれないし。それが自分の人生を創造する、というところにつながるのかなぁとも。

 

というわけで、相変わらずダンシャリは上手く行って無い自分が言うのも差し出がましいので

ここでこそこそとつぶやいているわけなんですが

○○活という言い方が流行ってますが(推し活然り)

割と言い得て妙、把握しやすい気がして、

まさに心豊かな生活、豊活(ゆたかつ)なんて勝手に思って悦に入っております(≧▽≦)

 

お金をため込むと、病気や事故、家電の故障等で結局お金が出てしまうということはよく聞くし

自分や周りにもそういう例が顕著なので

不安を前提にお金を貯めるのは辞めよう、何なら保険もいらないかも、というのは以前から思っていることではありますが、そういうものが今現在社会を回しているという部分はあって(;´Д`)

徐々に減らす方向性で行くしかないのかなと思ってはいますが。お金との付き合い方はやっぱり難しい・・・試行錯誤は絶えません。

 

ただ生活の中心を自分の心的な豊かさ、に置くことは何よりも大事なことだと思うので

寝食も仕事も、神活や推し活も、すべてを自分の精神的な豊かさにつなげていく、貢献させていくことが大事だなぁ~

と思って、お金は貯めなくてもいいから(貯まらない(;´∀`))心の豊かさ、精神的な貯金をしていこう。

そのためのツールの一つがブログだったりもするのかなと思うし

もっとアナログな自分なりのコレクション(日記とかアートだとか)だったりするのかななんてことを、今思ったりしています。

 

将来(?)少し落ち着いて時間ができたらそういう部分に取り組むのも楽しみです(*´ω`*)

さて、限られた時間でどこまで書けるか疑問ですが(;´∀`)
6月12、13日は予期せぬ連休。特に何も予定はなかったので、12日は家でゆっくり過ごし
(家でアンガーマネージメントに精を出し(;・∀・)この件もいずれ)
 
13日は宗像大社からの鎮国寺へ。
先日の国東半島での寺社巡りからの流れですが、宗像大社にも神仏習合の社寺が存在すると。
それも弘法大師空海によるとのこと👀
なんで今まで知らなかったのだろう?行かなかったのだろう?と謎でもありますが、やはりこのタイミングなのか。
たぶん、名前は一度や二度聞いたことあっただろうし、やはり時期というものもあったのだろうと思いますが。
何しろ神仏習合の名の元に、宗像様の最寄り駅でもある東郷駅が「統合」に聞こえてきてしまい。
今までの自分だったら興味も無く足も向かなかったと思いますが、まずは宗像様へお参りした後
(順番も直前まで迷っていたのですが結局先に)
歩いても15分ほどという超絶近場の鎮国寺へ初参拝です!
ナビの通りに歩いていたら、どうもこちらは車ルートだったらしく、かなり大回りしました(;・∀・)
 
 
こちらが徒歩参拝ルートですね(・∀・)
 
登り切ったところ。見晴らしが最高!
 
別名花寺と言われる鎮国寺はいついってもお花が綺麗なのだそうです(*^-^*)
 
こちらの護摩堂に上がらせて頂いた時の圧(?)が凄くて。
誰もいらっしゃらなかったのですが、手を合わせているとジンジンしました。その後大師堂での不思議体験も。
お堂内や仏像は基本写真NGのようです。
 
こちらでは四国八十八か所巡りを凝縮して行えます。奥の院をぐるりと巡る参拝ルートには、八十八体の仏像(札所)がぎっしり!!
途中にある空海様による梵字岩。宇佐八幡宮との関連を指摘する説も!👀
空海様が修行されたとされる奥の院(岩窟)に到着!
八十八か所巡りを終えて、一休庵にて休憩。持参した弁当を食べ、おみやげを購入(・∀・)
 
菩提樹の花!
 
お寺に慣れない自分には、拝殿(?)に上がってもどうしていいか分からず(;・∀・)
とりあえずあちこちで備え付けのろうそくやお線香を上げてみました。
大師堂にお参りした時に、空海様の両脇のロウソクの片方が高く上がり、トントンと勢いよく揺れたので
あ、もしかしたら歓迎して頂いたのかも!と気を良くして(?)そこにあった光明真言土砂加持御守を授かってきました。いろんなお堂の立ち並ぶ中、お守りの数も種類もすごく多くて、何を頂いたらいいのか見当もつかず、何となく眺めていたのですが、護摩堂でも気になった御守でもありました。
 
帰りはバスの時間まで、むなかた茶愉でまったり。
紫陽花がチラホラしている程度でしたが、またお花の綺麗な時期に参拝してみたいです(*^-^*)
 
というわけで、次回は日曜の和布刈様参拝、結局弟は用事で来れず。お天気に恵まれるといいな~
 

結局、昨日もやっぱり帰宅後ブログを開くことができずグダグダしてしまいました(´;ω;`)

というわけで、また朝起きて書いてます(・ω・)

 

タイトルを何にしようか?と思い、決めたところ、そういえば同じお題で書いた気がする・・・と思い、第2弾ということになりました(・ω・)

父との対話 | POLITE an EARTHLING (ameblo.jp)

 

今回の中津行きは、兄の件で、きょうだい児に関することも含めて、弟にプレゼンするために事前に資料なども準備して行ったわけなのですが。

相変わらず弟からは「姉ちゃんに任せる。カネは俺が何とかする」とのことで、いやいやそうじゃない(カネはまだもらったことないし)と思ったけれど「やれやれ、仕方ねぇなぁ」という感じに( ̄ー ̄)

 

でもって、父の夢の話をして、お守りを渡して。

弟は、自分は霊感はないけど、そういうのは信じるとのことで、きちんと受け止めてくれたのはありがたいのですが、私自身にとっては霊感云々という話でもなく、至って現実的な話なもので(;・∀・)

 

というわけで、お守りを渡し、父や家系の話に花が咲いたところでお開きとなり、ホテルに帰って休んだわけなのですが、案の定(?)夜中に目が覚め、時計を見ると3時ちょっと前。

 

おお、いい感じ!と思い、ここぞとばかり、父に弟と話した内容を聞いてみるべく、通信を開始してみました。

(単に寝転がって暗闇を見つめながら心で会話するというもの)

5才年下の弟は、本当に父親との記憶というものが薄くてかわいそうなのですが、その中でもわずかに一、二度、一緒に飲んだ時の話の内容が姉ちゃんのことだったと(;´∀`)

父ちゃんは俺が呼んでも夢にも出てくれん、もっと話したかった、みたいなことを言っていたので、

「なんで○○の夢に出んと?」と聞いたら「お前が話しちゃれ」と。

またそう来たか、という感じで、「なんでいっつも私なん(自分で言えや)」みたいな答えをしたら

相変わらずのだんまりなのですが、父の息子に対する「気恥ずかしい」「照れくさい」というような思いが感じられて

「何じゃそりゃ?」と、私にとっては全く不可解極まりないのですが、まぁ男同士、なんかそういう部分もあるんかなという気もしまして。

 

そこでまぁ、本題は兄貴のことだったのですがそんな話はどっかに飛んでしまっていたので

(弟から一任されてしまったので)(元々そうだけど(;´∀`))

突然、「たつ(父の兄呼び)は分かっとる」と言われたので、あー本当にとーちゃんやな、という気がしたのですが

そう言えば兄が言ってたことを弟に言い忘れていた(というか完全にスルーしてしまっていた)

「なんで言わんのか」と言うので「えー言わないけんかったんかい、めんどくさいな」と思いはしたのですが

結局弟にはまだ言ってません。

まー父としては、兄弟関係の改善のため?それは父の願う、父の理想とする兄弟関係(息子娘の関係)でもあるのでしょうが、ただ、自分や弟の気持ちが追いついていない部分はありますね(弟は極力兄の話はしたがらないし)(避けては通れないのは分かりつつも)

なかなか難しいな・・・と思いつつ、とりあえず、恐らく父が兄にも言ったであろう(働きかけたであろう)内容を弟にも伝えなければならないようです。とはいえ、こちら側(きょうだい児として)の言い分もあり、向こう(親側)だけの言い分を通すというわけにもいかない部分もあるのですが、ただ、父が私や弟に対しても平等に接してくれているのは感じるので、兄だけを疎外する(ように見えているのかもしれない)のは父的には切ないのかも、と思ったり。

 

とにかく、弟は一番父の愛を受けていない(と思っている)もっと長生きしてほしかったと切なく思っている、というのを伝えるべく、「どうしてそんなに早く逝ってしまったのか?もっと長生きすれば良かったのに」と言うと

「お前が苦労するのを見るのが耐えられなかった」というので、思わず「それは嘘やろ!」と突っ込んでしまったのですが、

一瞬父が悲しい顔を(したような気が)しました。

「お前は俺が何を言うても聞かんのは分かっていたし、あの男と一緒になって苦労するのも分かっていた」

それは生前の父の様子を思い出して、ああ、あの時のことを言っているのだなぁ・・・と思えたりもしますが。

そうは言っても、父が発病したのは私が入教する前だったので、どうもそれは言い訳っぽく聞こえもするのですが、父が亡くなるタイミングというのが、父の言い分にかなっている気がしないでもないですね(;´・ω・)

もしかしたら父の寿命を縮めてしまったのかもしれないと思うと大変申し訳ないのですが

それは恐らく自分の力ではどうしようも無かっただろうし。

 

だから要は、父と私に通じるハイヤーセルフが、生きていて娘との関係が悪化する、もしくは父が精神に異常をきたす(?!)くらいのことが起こる前に、父が霊界から私のことを見守れるようにしたのだろうな、というのは韓国時代よく父の夢を見ていたことにも通じますね(・ω・)

 

そうそう、私がどれほど弟に「自分が親父だと思え。そのまんまやから」と口を酸っぱくして言っても、どうにもピンと来ないみたいですが、

弟が娘たちに「自分は〇んでも、ずっとお前たちのそばにおって見守るから」みたいなことを言ったというのを聞いて

それは現実に私に起こっていることでもあるので「何で知っとるん?」という感じではあるのだけど

聞くと「え?俺そんなこと言ったっけ?」と言うので、私の覚え違いなのか、次元がどこかでねじれているのか分からないのですが。

弟の関係については多少次元のねじれを感じる部分は正直あります(パラレルワールド)なので、もしかしたら自分も気づかずに違う次元の自分や、違う次元の弟とが出会うことを繰り返しているような部分もあるのかも、と思ったりしますね。

(単に忙し過ぎて忘れているだけの可能性もある( ̄▽ ̄))

 

というとで、今回の急な展開といえば、来月、ガメと一緒に千葉のカノジョに会いに行く、という運びの中で

なぜかすでに宇美八幡宮を辞めて(爆)4月から千葉に住んで東京に仕事に通っているという上の姪っ子と会う(かもしれない)という運びになりまして。

 

上の姪っ子に関してはとにかくスパンが短すぎるよね・・・ということを感じつつも

ぽこ田家において、何とも似通った運命を感じずにはいられないという・・・

それで、先日ほぼ初めてと言っていいくらい、姪っ子から突然電話がきて1時間くらいサシで話したんですが

それがKポドルの推しの話で(;・∀・)

あーーーそう来たか・・・という思いがすると同時に

「〇子おばちゃんと絶対韓国に行く!!」と言い張るので、こりゃ近いうちに連れて行ってやらにゃいかんな・・・と。

 

彼女が韓国に「呼ばれる」理由も、恐らく自分と同じなのかもしれない、とは思いますが。

一体我が家はどこに帰着したいのであろうか・・・という家族親族的なパターン、シナリオに思いを馳せたりしています。

 

そこに我が父方の家系、韓国(朝鮮)系が大きく関与しているのは間違いないのですが

それに反する母方(反朝鮮系)との関係性や課題というようなものもぶつかってきている気がして。

それをどう打開して、統合していくか、というのが

まさに終末の時代、新しい時代に向けての必要なステップである、ということも言えるような気がします。

 

それは今の時代に生きる全ての人に言えることなのだろうけど

そこを意識するのとしないのと、そして理解度の深さによっては、またいろいろと変わって来ることも多いのだろうけど

恐らく、意識すること、理解を深めることで、その「速度」は速くなる、という気はします。それがいいか悪いかは置いといて。

 

ともかく・・・今のところ直近では来週の父の命日に弟と再び対談できるか?

そして7月に千葉で姪っ子ちゃんと対談できるか?

 

私の久々の韓国行きがいつになるのか?その同行メンバーは?

っていうのが、気になるところです(・ω・)

 

とりあえず、これからの展開も楽しみです(*´ω`*)