橋本遊郭跡をゆく ∼その4 堤防からの遊郭跡・橋本湯・鬼龍院花子の生涯ロケ地∼ | 京都はんなりロマンチカ

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私の好きな映画の一つ
『鬼龍院花子の生涯』
最初と最後のシーンに
橋本遊郭がロケ地として使われています

映画自体は1982年公開なので
昭和56~7年に撮影されたものだと思いますが
冒頭で昭和10年橋本遊郭と字幕が出ます

売春防止法施行が昭和33年なので
遊郭として思いっきり機能していた頃が時代背景です

冒頭、松恵が淀川の堤防から
遊郭に入ってくるシーンに出てくる橋と
画面では見えませんが、石段と建物の間に
大谷川という運河があり、橋がかけられています


ラストシーンで花子が父鬼政に出したハガキを
松恵が破り捨てたこの橋は
ひとつ前のブログの最後の写真の
栄橋ではないかというブログを見たのですが
どうやら違ったようです
(現在残されている橋は栄橋のみ)

アスファルトで石柱が埋まってしまってて
わかりにくいんだけど
『柳谷わたし場』と書かれているそうです
左側には『山さき あたご わたし場』
この先に渡船場があったんでしょうね


裏側には明治二年と書かれています

『鬼龍院花子の生涯

土佐の侠客鬼政と、その娘 花子の生涯を
12歳の時に男の子と間違えられて
鬼龍院家に養子にもらわれてしまった
松恵(夏目雅子)の目線から描かれた作品

義妹に当たる花子が鬼政の死後
京都の橋本遊郭で女郎をしていて
亡くなったと連絡を受け
遺体の確認にやってくるシーンから
映画は始まります

遺体が発見された妓楼に入る松恵
壁には在籍している遊女達の写真

 
 
 
運び出される花子の遺体
色ガラスがしつらえられた窓


本物の妓楼で撮影が行われたのかな

この後ハガキを破り捨てた橋へと向かい
橋本遊郭に背を向けて
松恵が歩き出したシーンで映画は終わります

橋の手前に設置されていた町内案内図


橋の上から多津美旅館方向(南)


石段をのぼって淀川の堤防に出ると


対岸は大山崎
大山崎山荘の屋根が見えます


橋から堤防に出て少し北から撮った写真
右が歯医者で、左の建物も妓楼跡っぽいですね


旧京阪国道

 
堤防から見る遊郭


奥の方に見えている住宅地は
橋本駅の東側になるわけですが
元々は獣道があるだけの男山の一部だったらしく
ニュータウンとして昭和30年代に開発が進み
希望ヶ丘と名付けられています


ピンクの壁に丸いステンドグラス


どんな模様なのか、どんな色をしているのか
裸眼では全く確認できません
 
ズームレンズじゃないので
めいっぱい大きくしてもこれが限界

 
こういう時に、RAWで撮っておうちで現像すると
見えてくるんですね~

 
わかる範囲でめいっぱい大きくしてみたら
鳥、花、鳥 だった
一部破損してたけど室内からも見てみたいなぁ





そこから更に少し歩くと
川に橋の脚だけが残されていました
 




旧京阪国道と京阪電車の線路が交わるところで
Vの字に戻ってくると
橋本遊郭のメインストリートの入口に出ます

すごいわかりにくいんだけど
道の前方左側に石柱が確認できると思います

これが、遊郭時代のゲートがあった石柱跡らしく
右側の工事看板の奥にも同じものがあるのですが
当時はこの二つの石柱の上に
ネオン付きのゲートがあったらしいです


ゲートの手前にあるのが
数年前廃業したばかりの銭湯
『橋本湯』


  遊郭時代からこの地で営んでこられたそうで
遊女達もここのお湯で
疲れを癒していたみたいです
 
一度入ってみたかった


妓楼跡のビューティーサロン跡


タイルと


ビューティーサロン二階部分

 
更にそのお隣


お隣の二階部分 黄色と薄緑の豆タイルが可愛い


モッコウバラが綺麗に咲いていました





モッコウバラのおうちの先を左に曲がると


路地があります

この先に、堤防から見た橋脚があるのですが
建物の雰囲気とか道幅、川幅からして
以前ここに掛けられていたであろう橋が
映画のシーンで使われたのではないかと
推測できます





二階窓


この家の玄関照明も素敵だった


目抜き通りに戻って向かい側の家
これで、ぐるっと一周してきたことになります





次に続きます
 
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~追記~
 
橋本遊郭2020年編もUPしてます
(それぞれ画像クリックで記事に飛べます)