橋本遊郭 再訪⓹ ∼淀川堤防からの情景と加島楼のガラス戸∼ | 京都はんなりロマンチカ

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栄橋の上から大谷川右側(京都方面)

 

手前が第二高瀬楼

その奥は過去地図に表記がないので屋号がわかりませんが

窓の造りからして、ここも妓楼跡だと思います

 

左手(大阪方面)

 

橋を渡って階段を上がり、淀川堤防に出ました

 

草が茂ってるので川の流れは見えませんが

橋本は木津川、宇治川、桂川の合流地点

ここから一気に川幅が広くなります

 

対岸の大山崎

あの山の向こうくらいに、花手水舎で有名な柳谷観音

 

振り返って橋本遊郭側の風景

 

淀川堤防と橋本遊郭の間を流れる大谷川は

人工的に造られた運河なので、廓を囲むドブ川という感じは全くないです

 

戦前の昭和5年に書かれた『全国遊廓案内』では

当時の橋本の情景を、このように書かれています

 

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淀川、桂川、宇治川の三川の合流に沿って居るので

風景もよく、夏は涼しく

多数の網船が出漁して、夜間の不夜城

川岸に絃歌のさんざめく辺りは実に別世界の感じがある

 

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この風情とロマンあふれる橋本遊郭の様子を

戦後、売防法施行直前辺りに書かれた某書籍では

こういう風に書かれていました

 

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今は京阪電車の橋本駅を降りたところがすぐ遊郭の入り口といった具合で

あくどい化粧をした女がまちかまえていたように袖をひきます

さんざん女に引っ張られたり抱きつかれたりして

やっと百五十軒あまりの遊廓町を通り抜けてすぐの淀川堤防に出ました

堤の上からはここの遊廓の素顔ともいうべきもの

たとえばものほしにひろげられた赤い腰巻きやふとん

縁側にもちだされた鏡台

たてひざをして煙草をふかしている半裸の女たちなどが

どす黒くよどんだ疎水と共に

ネオンでかざられた表とはがらりと変わった遊郭の裏側の表情として

一眼でみおろせます

 

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単に色街に対して理解がある人と偏見がある人との違いなんでしょうけれど

手に取った書籍で読む側に定着するイメージも変わってしまいそうな差ですよね

 

多津美旅館裏

 

上の多津美旅館の左の路地跡が

竹栖譚のこの写真です

目抜き通り側には木戸のようなものが見えます

 

裏から見ると全部3階建てに見えますが

一階に見える部分は地下に当たる部分です

(手前から第二友栄楼加島楼幸福楼三枡楼

 

大小4つのステンドグラスの丸窓が可愛い加島楼

 

今はアルミサッシのドアが付いてますが

竹栖譚に載ってた写真では、こんな素敵な色ガラスのついた引き戸でした

木枠の戸に真ん中だけ白と緑の色ガラス

 

夜のとばりが下りる中

ステンドグラスを通して漏れる灯りでうっすらと彩られたこの場所で

お店のお姐さんが立膝姿で煙草ふかしてたら

それはそれで絵になりそう

 

窓に貼られた養生テープは台風対策なんだろうな

 

向こうの方に渡ってきた栄橋

 

こっちは鬼龍院花子のロケ地になった小金橋が架かってた橋桁

 

大谷川だったり、音無瀬川だったり、小金川だったり

色んな名前を持つ川

 

夏目雅子も、かつてここに架かっていた木造の小さな橋を渡って

この堤防まで上がってきたのかな

 

在りし日の小金川橋と、この土手にあった石段

 

石原楼跡の地下階段

 

平山楼

 

橋本湯の煙突

 

浴場跡

 

蔦に覆われまくって、ラピュタ状態・・・

 

大谷川橋を渡ったところで一旦終わります

 

歩いてきた道

 

①・・・加島楼

②・・・小金川橋跡

③・・・橋本湯跡

 

続く