橋本遊郭 再訪⓶ ∼宝春楼と水嫌地蔵 トンネル跡∼ | 京都はんなりロマンチカ

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橋本遊郭の歴史は古く、平安時代にこの辺りから淀川に

『山崎橋』という橋が架けられていたのが

橋本という地名の由来です

 

橋を渡ってくる客を相手に茶店が建ち

茶汲み女がやがて遊女へと変わっていったことで遊里ができました

後に橋は流されてしまいますが

江戸時代には京都と大阪を結ぶ京街道が通り

対岸に渡る舟の渡し場もできたことで、宿場町として賑わい続けます

 

1868年、幕末の『鳥羽伏見の戦い』の最中

新政府軍の砲撃で橋本の街は一度焼失しています

 

それでもなんとか持ち堪えてきたみたいですが

明治10年に東海道線が開通したことで

旅客を対岸に持っていかれ、橋本遊郭は衰退の一途を辿ります

 

その僅か10年後に再び遊郭再興が計画され、営業開始

今度はこちら側に京阪電車が開通したことで、一気に盛り返していきます

 

今残っている橋本遊郭は

明治~大正にかけて再興された街並みということになります

 

前回のブログで歩いたのが赤線

①の京阪 橋本駅~②天寿荘~③四区公会堂~④宝春楼

 

今回は宝春楼跡と、水嫌地蔵

建物の一階部分を通路にしたトンネル跡から

目抜き通りに出るまでの100メートル間ほどの記事を書いていきます

 

昭和12年に橋本遊郭貸座敷組合から発行された

橋本遊郭沿革史の地図によると

この妓楼跡の建物は宝春楼という名前になってます

 

左手の空き地には線路側にピンクの壁の理髪店があって

その隣に吉元楼跡がありました

 

木村聡さんの色街百景という本に出ていた理髪店の写真は

私が知ってる理髪店よりずっとモダンです

 

3年前はこんなだった

 

このトタン壁の家は『繁の家』と記されてます

 

道幅が狭いので床屋があったころは全体像を写せなかったんやけど

空き地からこんな写真が撮れました

 

壁の色がだいぶ剥がれてるけど

昔は赤壁の美しい妓楼だったんでしょうね

 

透かし彫りもこうやって大きくしてみると

 

大海原に宝船のような舟が浮かんでいるのが見えてきました

 

ここの壁のタイルがまた美しいんです

この色、もしかしたら泰山タイルかもしれません

 

営業してた頃、提灯を吊るしていたのでしょうか

橋本遊郭には紋がなかったと聞いたことがあるけど

どんな提灯やったのか気になります

 

宝春楼の側面

 

だいぶ朽ちてきてますが、内部はどうなっているのでしょう・・・

 

屋根裏に当たる部分は本来ならお客さんには見せない部屋だと思うけど

屋根の形に沿ってこんなにたくさん窓が作られてて、凝ってますよね

 

この屋根、後日反対側から見たら大きな穴が開いてたんです

一昨年の台風21号と大阪府北部地震、去年の19号と

立て続けに起こった災害に、古い橋本遊郭は大打撃を受けていたようです

 

阪神淡路大震災の時もかなりのダメージを負った橋本遊郭

たった3年でも、ここまで風景が変わってしまう悲しい現実

 

在りし日の吉元楼

 

多津美旅館の元の妓楼場所に残るタイル

屋号は『多津美』

 

多津美の間に辻安楼を挟んで、嶋辻楼

松竹梅の透かし彫りが施された折りたたみ式扉が美しい妓楼跡

 

その先にお地蔵さんの祠

 

手前の空き地には路地の跡が残ってます

 

小金川地蔵尊

 

井戸の底から出てきたお地蔵様らしくて

お祀りするようになってから水害がなくなったそうで

 

以来、水嫌地蔵として信仰されています

 

お地蔵さんの先のこの部分に

いつまで存在してたのか

 

ステンドグラスの窓が美しい

こんなトンネルがあったようです

(写真・竹栖譚 洛南橋本遊郭写真・小説集より)

 

建物の一階部分を道にして次の道まで通り抜けできる辻子(づし)

 

上の写真に見えてるガレージが当時のままですね

 

目抜き通り側から見たイラストが

1976年の遊廓を行くという本に載ってました

 

ガレージを正面に見て右側の建物が一階部分を通路にしている萬喜楼』

左がこのイラストで飲み屋さんに当たる『ます家』

 

後に、やをりき食堂で教えてもらった

竹栖譚に掲載されてた写真の場所とイラストが合致しました

下の女の子が立ってる場所がトンネルですね

ひょっとすると、阪神大震災までは残ってたのかもしれません

 

夜のトンネル

 

ガレージの下にもタイルを見つけました

 

目抜き通りに出て左側

この先に橋本湯があります

 

右側の先には多津美旅館

 

10年前のグーグルビュー画像とだいぶ変わってるのがわかります

2009年 左側

 

2009年 右側

 

 

 

①・・・宝春楼

②・・・取り壊された吉元楼

③・・・多津美があった場所

④・・・嶋辻楼

⑤・・・水嫌地蔵

⑥・・・辻子のあった萬喜楼(萬㐂楼)があった場所

⑦・・・ガレージ ひさぶ楼(ひさご楼?)

 

 

続く

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