レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -541ページ目

人はそれを我田引水という?

先日、Facebookを特集したニュースが、賑やかに流れていた。

「ふ~ん」と言いながらも、僕も去年、Facebookアカウントをとり、

ほんの希にくだらないことを書き込んだりなんかしている。

懐かしい顔を見つける事が出来ればいいなあ、

といった程度の動機で始めたので、未だにその域を出ない。

ニュースでは、あっという間に二桁の知人が見つかりました!

なんて言っていたが、僕がみつけた知人は数人だけだった。

それでも、「おお~」なんてひとりで歓声をあげていた。

昨日は、どうもサラリーマン時代の後輩ではなかろうか?という人物が見つかった。

プロフ詳細が殆どなく、画像もない。

辛うじて、勤務先の出版社名と見覚えのあるロゴマークがあった。

90%本人に違いない。

残り10%は何?と、言われてもちょっと困ってしまう。

暫らく「んん~」なんて言っていたが、

僕は決意して、メッセージを送ってみる事にした。

「ぶしつけな質問ですが…」と、いう感じだ。

すぐに「○○のKENさんですか?」と、いう返信がきた。


(僕のプロフ画像を見て分からぬか・・・

それだけ僕は、若々しいままだという事だな、きっと)


「そう、おいらだ。元気かえ?大阪にきた時にまた会おう」

そんな返事をしながら

チラッと「あらしのよるに」という本が頭をかすめた。

出版社にとって古本屋という存在は

決して有難いものではないかも知れない。

図書館もそういう存在かも知れない。

でも、それは考えようで、プラスの面だってある。

作家業をしている知人もそう言っている。

例えば古本屋は、概してお値段的には手を出しやすい本が多い。

読んだ本が面白ければ、

それがきっかけで新刊本屋に足を運ぶことだってある。

絶版本だって大切に棚に並べてある。

出版・書店業界にあって、古本屋だけは相反する立場のように映るが、

きっと目に見えないバランスの上に

それぞれの存在価値があるのだと思う。

みなさん、新刊屋と古本屋をどう使い分けていらっしゃるのか?

とても興味があるところだ。


読み返していくと、Facebookから古本屋の存在意義へと

どうも我田引水のようなきらいもある。

ここらで筆を置く方が懸命のようだ。

ではおやすみなさい。


ペタしてね