解雇規制の緩和
自民党や「みんなの党」(注1)が、雇用の流動化、すなわち解雇規制の緩和を打ち出している。雇用を流動化して、新しい産業に人が移動するようになれば、経済も活性化するというわけである。また、正社員と非正規の格差が問題になっているが、正社員の解雇規制を緩和すれば、(企業が人を容易に雇用しやすくなって)非正規社員にも雇用のチャンスが広がって格差の縮小につながる、と、まあこういうことである。民主党の中には、このような考えの持ち主もかなりの割合でいることだろう。
「格差」を取り上げている論者には、「正社員ですら雇用不安と長時間労働に苦しんでいるのであるから、なおさら非正規社員の待遇を向上させることを考えるべきだ」と主張するまっとうな思考の人と、城繁幸氏のように、「正社員の待遇を引き下げて相対的な格差を縮小しよう」と主張する、いかがわしい連中がいるので要注意である。しかも後者のほう見解は、非正規社員の間で高まっている「正社員・正規公務員憎し」という感情に支えられることもあるので、なおさらタチが悪い。フリーターが小泉元首相を応援していた構図に似ている。
これまで何度も書いてきたことだが、雇用の流動化というのは表看板であり、実態は労働者を解雇しやすくして、経営者や株主の短期的な利益を図ろうという意図が隠れているから、私は雇用を流動化させる政策には反対である。わざわざ流動化を推し進める政策をとらなくても、衰退産業は衰退していくものであるし、新興産業は芽生えていくものである。むしろ、過去の炭鉱労働者のように、市場の変化や政策変更によってこぼれ落ちた労働者を救済する雇用政策が採られなければならない。政府が気を遣うべきは、そっちのほうである。
私が解雇規制の緩和に反対するのは、もちろん、労働者の継続雇用の期待を保護し、労働意欲を高め、ひいては生活保障を与えるためであるが、そればかりではない。解雇規制を緩和して、企業を甘えさせ、いつでも首切りできる社会にすることは、日本の経済力を弱める危険があるということを強く言いたい。
まず、これは当然のことながら、いつでも首切りできる空気が会社内を支配すれば、殺伐として、チームワークなど芽生えないであろう。また、社員が短期的成果が出る仕事ばかりを選び、企業全体として生産性は落ちるであろう。また、「おまえらいつでもクビにしてやるぞ」という空気が流れる会社で、労働者は労働条件の交渉はできないし、労働組合活動も萎縮してしまうであろう。ただでさえ組合組織率は低下しているのに、社内の人員構成がころころ変わるようであれば、労働組合は衰退の一途を辿ることになろう。そうすれば労働条件の切下げは容易になり、ひいては国民の購買力も低下し、ますます不況のスパイラルに陥ることになる。
次に、私がより重要視しているのは、必ずしも解雇する側が優秀な人間=生産性のある人間ではないということである。解雇規制の緩和というと、どうしても、有能な経営者が、「使えない社員」を解雇するパターンをイメージしがちである。しかし、コネで採用された社員が人事の責任者になっている場合もあれば、優れた能力もないのに経営者に気に入られて管理職に就いている場合もある。また、かなり崩れてきたとはいえ、今でも日本の多くの企業は良かれ悪しかれ年功序列であり、必ずしも実力で優秀な社員が上に立っているわけではない。例えば、ある企業のある管理職の一人が、リストラ(大量解雇)を目的として解雇対象者をリストアップするときの思惑を考えてみればよい。「こいつは俺の後輩社員で管理職だが、仕事で成果を上げて自分の立場を危うくしそうなので解雇リストに挙げておこう」とか、「高給社員のあいつもこいつも解雇しておけば、会社は傾いたままでも自分が定年を迎えるまではなんとか賞与も出るだろう」というような思惑が働くのは明らかである。こんなことが日本中で起きれば、日本の経済にとってよいはずがない(なお、被解雇者リストアップに経営コンサルを入れても、利害関係上たいがい同じ結果になる)。商法で株主・取締役・監査役という法制が定められているように、雇用主と労働者の関係も、ルールなしの無法状態であってはならない。
また、解雇規制の緩和というのは、「解雇権濫用を認める」という修正ではなく、「整理解雇の要件を緩やかにする」という意味でなければならないところだが、さてはたして、解雇規制の緩和が政策として打ち出されたとき、各企業はその区別をはっきりわきまえて行動するだろうか。今でも、早期退職者募集の名の下に、解雇対象者に多かれ少なかれ圧迫面接をして、あるいは不条理な研修を受けさせるなどして、実質的に整理解雇(会社都合退職)であるにもかかわらず、自己都合退職に持ち込んでいる例が多い。また、解雇権濫用も日常茶飯事である。こんな現状の中で、「さあ、今日から解雇自由です!」というアナウンスが日本中に流れたとき、あちこちの会社で、解雇権を濫用した不当解雇が続出するであろう。解雇規制の緩和を唱える政党や論者は、このような事態が起きることを甘く見積もっているのではないか。
なお、デンマークなどは解雇自由じゃないか、という反論は、次元の違う話である。
以上のようなことで、解雇規制の緩和は百害あって一利なしの政策である。法人税率引下げの件も同様だが、企業を甘やかしすぎると生産性が落ちるということである。業績が悪くなったとき、労働者を解雇して見かけの利益や株価を維持するのは誰でもできることであり、しかも社会全体によくないことだ。政府としては、企業に社会的責任を果たさせ、すなわち労働者を継続雇用させ、「どうしたらこの社員をもっと『使える』ようにできるか」「どんな商品を出せばもっと売れるか、生産性が上がるか」ということを考えさせなければならない。つまり能力開発や技術発展に誘導していくということである。これこそ本当の国際競争力の強化ということだろう。
ところで、解雇規制緩和論者は、いったいどのような具体的方法で解雇規制を緩和せよというのであろうか。解雇規制(注2)の緩和論は、上に述べたとおりそもそも誤っているが、その具体的手法について明らかにしないという点でも不完全である。
いうまでもなく、解雇に関する法律上のルールは、もともと民法にしかなく、整理解雇要件も含めたいわゆる「解雇権濫用法理」は、判例上形成されてきたものであるが、2003年に労働基準法で、次いで2007年に労働契約法で、明文化された。すなわち、労働契約法16条の「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という規定である。
この条文は、「合理性」や「社会通念」を基準としているので、不明確といえば不明確であるが、具体的な要件を挙げるのもかえって難しい。立法過程では、積み重ねられた判例法理に何か足したわけでも引いたわけでもないといわれているので、不明確な点は過去の判例の具体例を参照することで補われるといってよいだろう。
解雇規制の緩和は、上記のような立法化の前であれば、裁判所の判例を動かすのは難しいので、政策として行うことは困難だったであろう。財界等がロビー活動等を行うにしても、業界団体が日本の裁判所を出入りするという話はあまり聞かないので、困難だったであろう。代わりに、派遣法や有期雇用法制の緩和で、実質的に一部の解雇規制を切り崩してきたといってよい。それでも、解雇権濫用法理本体を切り崩すところまでは至ることができなかった。
しかし今は、先に述べたように解雇規制の法律の明文がある。つまり法律を変えてしまえば、解雇権濫用法理も動くということである。ロビー活動の場は完全に国会に移ったともいえるのである。この点は常に監視が必要である。とはいえ、この解雇権濫用法理の明文(労働契約法16条)を、いったいどのように改正すればよいのか、ということになると、これまた難問である。「合理的な理由」要件を削除するのか、「社会通念上相当」要件を削除するのか。あるいは、「解雇は、合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められる場合に認められる」と立証責任を逆転してしまうか。いずれにしても、この条文を直接いじろうとすると、例のホワイトカラー・エグゼンプション問題のときのように、「首切り自由法案」と名付けられ、マスメディアで相当たたかれることであろう。マスメディアの中心にいる者はまさしくその法律の対象者だからである。彼らは逆に、非正規雇用の雇用環境についてはほとんど興味がない。
結局、解雇規制を緩和するには、現実的には従来通り、非正規雇用を増やすしかないであろう。しかし非正規ばかり増やしていては社員のスキルも向上しないし、向上心も芽生えない。そこで最近はやりつつあるのが、「ナントカ限定正社員」のようである。この中で「地域限定正社員」というのは、とある地域に事業所や工場を作り、そこで正社員として採用するが(つまり正社員とほぼ同様の賃金水準とするが)、その地域での事業が必要なくなったり、工場閉鎖するような場合は、そこで働く従業員も解雇(契約終了・雇止め)するという制度のようである。地域限定正社員のほか、「業務限定正社員」というのもある。これも同じく、当初契約に定められた業務が会社にとって必要なくなったら、解雇(契約終了・雇止め)になる制度のようである。これらは実質的には解雇権濫用法理を逃れるための「方策」であり、実際に解雇を無効として争えば、解雇権濫用が認められる可能性は高いと思われるが、しかし現実には訴訟まで発展することは多くないから、経営者が労働者をクビにするとき、「あなた最初『限定正社員』ってことで約束したでしょ」と労働者を説得する手段としては、非常に「使える」やり方である。「正社員」と名付けて労働者に会社への忠誠心を強要しながら(しかも時給労働ではなくなるのでサービス残業もさせながら)、業務上必要でなくなったら解雇できるという、誠に経営者に都合のよい「知恵」である。いくら雇用契約当初、雇用継続のために何らかの限定条件が付いていることを労働者が承知しているからといって、こんな身勝手な契約を認めるわけにはいかないであろう。限定条件の条件部分は公序良俗に反して無効である。「ナントカ限定正社員」がはびこって、裁判所に紛争が持ち込まれてから救済したのでは遅いし、ほとんどが泣き寝入りになることを考えると、労基署や労働局があらかじめ「限定性社員なんて認めませんよ」と周知やチェックをすることが必要である。
結局、いつも書くように労基署や労働局の役割強化の話になってしまうのだが、やはり必要なのはそういうことなのである。小泉政権時代に相当部分、福祉国家の法制は弱められてしまったとはいうものの、しかしそれでも、現行の法制で勤労者の生活向上を目指す=つまり福祉国家を目指すことは、十分可能である。政権交代が行われ、民主党に期待されているのはこういうことではなかったのか。福祉国家に重要な予算と人員体制を組むことは、妙な新法を作らなくても十分にできることである。それがどう狂ったのか、今の民主党は民主主義を破壊する議員定数削減の話をぶち上げたりしてフラフラしている。小さな政府を目指すみんなの党と民主とが連携する話もあるくらいだから、政策目標が何なのかまったくはっきりしない。野党として批判することには長けていても、本当に国民の声を背負っているわけではない政治家の本性を見たような気がする。政党交付金という税金で養ってもらっていることの弊害が徐々に出てきているのではないか。
先日、菅首相が企業が経営する無認可の保育所を訪問したという。さすが一等地にある立派な保育所である。企業に勤める非正規社員も、子を預けることができるのか気になるところである。それにしてもなぜ認可保育所を訪問しないのか。まず第一に行政が責任を持つ認可保育所を訪問すべきであろう。予算が削られ、耐震性もおぼつかない建物の中で、古びた建具や遊具とともに過ごしている園児の様子をまず見に行くべきではないのか。一般市民との感覚のずれは、こういうところに象徴されている。首相もその取り巻き連中も何の違和感も覚えなかったのだろうか。もちろん、行政の責任がある古ぼけた保育所を訪問すれば自分自身の責任が問われるので、それを避けたという意図があるのだろうが、それにしても情けないパフォーマンスである。
実質的には無意味だが、それでも派遣労働者保護のアナウンス効果はある「派遣法改正案」も、今の民主党はほったらかしである。マスコミで取り上げない政策はどうでもよいようである。今の民主党政権下で、福祉国家を目指すのは相当困難であろう。
(注1)それにしても最近の「たちあがれ日本」「みんなの党」「幸福実現党」のように、押し付けがましい政党名が乱立しているのが腹立たしい。そう呼ぶことを強制されている感がある。「じっくりコトコト煮込んだスープ」あたりから始まったのだろうか、過剰な装飾というか、本来こちらが評価すべきようなことを、自ら宣言しているうっとうしさがある。そう呼ばせることで潜在意識に政党名を植えつけようとでもしているのだろうか。「『みんなの党』は…」「『幸福実現党』が…」と言ったり書いたりするたびに、「いや、決してみんなの=我々の党のことじゃないんだけど」「いや、別にあの党が『幸福を実現』しようとしている党とは思わないんだけど」と弁解したくなるような気持ちになる。
(注2)「解雇規制解雇規制」と言っているが、現状でも、実質的に解雇しにくい雇用環境にあるのは一部の業界の正社員だけで、非正規社員はもちろんのこと、正社員でもクビに脅えつつサービス残業しているのが実態であり、「解雇規制」など働いていない。この点でも解雇規制緩和論者の視野は狭いといえよう。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)
「格差」を取り上げている論者には、「正社員ですら雇用不安と長時間労働に苦しんでいるのであるから、なおさら非正規社員の待遇を向上させることを考えるべきだ」と主張するまっとうな思考の人と、城繁幸氏のように、「正社員の待遇を引き下げて相対的な格差を縮小しよう」と主張する、いかがわしい連中がいるので要注意である。しかも後者のほう見解は、非正規社員の間で高まっている「正社員・正規公務員憎し」という感情に支えられることもあるので、なおさらタチが悪い。フリーターが小泉元首相を応援していた構図に似ている。
これまで何度も書いてきたことだが、雇用の流動化というのは表看板であり、実態は労働者を解雇しやすくして、経営者や株主の短期的な利益を図ろうという意図が隠れているから、私は雇用を流動化させる政策には反対である。わざわざ流動化を推し進める政策をとらなくても、衰退産業は衰退していくものであるし、新興産業は芽生えていくものである。むしろ、過去の炭鉱労働者のように、市場の変化や政策変更によってこぼれ落ちた労働者を救済する雇用政策が採られなければならない。政府が気を遣うべきは、そっちのほうである。
私が解雇規制の緩和に反対するのは、もちろん、労働者の継続雇用の期待を保護し、労働意欲を高め、ひいては生活保障を与えるためであるが、そればかりではない。解雇規制を緩和して、企業を甘えさせ、いつでも首切りできる社会にすることは、日本の経済力を弱める危険があるということを強く言いたい。
まず、これは当然のことながら、いつでも首切りできる空気が会社内を支配すれば、殺伐として、チームワークなど芽生えないであろう。また、社員が短期的成果が出る仕事ばかりを選び、企業全体として生産性は落ちるであろう。また、「おまえらいつでもクビにしてやるぞ」という空気が流れる会社で、労働者は労働条件の交渉はできないし、労働組合活動も萎縮してしまうであろう。ただでさえ組合組織率は低下しているのに、社内の人員構成がころころ変わるようであれば、労働組合は衰退の一途を辿ることになろう。そうすれば労働条件の切下げは容易になり、ひいては国民の購買力も低下し、ますます不況のスパイラルに陥ることになる。
次に、私がより重要視しているのは、必ずしも解雇する側が優秀な人間=生産性のある人間ではないということである。解雇規制の緩和というと、どうしても、有能な経営者が、「使えない社員」を解雇するパターンをイメージしがちである。しかし、コネで採用された社員が人事の責任者になっている場合もあれば、優れた能力もないのに経営者に気に入られて管理職に就いている場合もある。また、かなり崩れてきたとはいえ、今でも日本の多くの企業は良かれ悪しかれ年功序列であり、必ずしも実力で優秀な社員が上に立っているわけではない。例えば、ある企業のある管理職の一人が、リストラ(大量解雇)を目的として解雇対象者をリストアップするときの思惑を考えてみればよい。「こいつは俺の後輩社員で管理職だが、仕事で成果を上げて自分の立場を危うくしそうなので解雇リストに挙げておこう」とか、「高給社員のあいつもこいつも解雇しておけば、会社は傾いたままでも自分が定年を迎えるまではなんとか賞与も出るだろう」というような思惑が働くのは明らかである。こんなことが日本中で起きれば、日本の経済にとってよいはずがない(なお、被解雇者リストアップに経営コンサルを入れても、利害関係上たいがい同じ結果になる)。商法で株主・取締役・監査役という法制が定められているように、雇用主と労働者の関係も、ルールなしの無法状態であってはならない。
また、解雇規制の緩和というのは、「解雇権濫用を認める」という修正ではなく、「整理解雇の要件を緩やかにする」という意味でなければならないところだが、さてはたして、解雇規制の緩和が政策として打ち出されたとき、各企業はその区別をはっきりわきまえて行動するだろうか。今でも、早期退職者募集の名の下に、解雇対象者に多かれ少なかれ圧迫面接をして、あるいは不条理な研修を受けさせるなどして、実質的に整理解雇(会社都合退職)であるにもかかわらず、自己都合退職に持ち込んでいる例が多い。また、解雇権濫用も日常茶飯事である。こんな現状の中で、「さあ、今日から解雇自由です!」というアナウンスが日本中に流れたとき、あちこちの会社で、解雇権を濫用した不当解雇が続出するであろう。解雇規制の緩和を唱える政党や論者は、このような事態が起きることを甘く見積もっているのではないか。
なお、デンマークなどは解雇自由じゃないか、という反論は、次元の違う話である。
以上のようなことで、解雇規制の緩和は百害あって一利なしの政策である。法人税率引下げの件も同様だが、企業を甘やかしすぎると生産性が落ちるということである。業績が悪くなったとき、労働者を解雇して見かけの利益や株価を維持するのは誰でもできることであり、しかも社会全体によくないことだ。政府としては、企業に社会的責任を果たさせ、すなわち労働者を継続雇用させ、「どうしたらこの社員をもっと『使える』ようにできるか」「どんな商品を出せばもっと売れるか、生産性が上がるか」ということを考えさせなければならない。つまり能力開発や技術発展に誘導していくということである。これこそ本当の国際競争力の強化ということだろう。
ところで、解雇規制緩和論者は、いったいどのような具体的方法で解雇規制を緩和せよというのであろうか。解雇規制(注2)の緩和論は、上に述べたとおりそもそも誤っているが、その具体的手法について明らかにしないという点でも不完全である。
いうまでもなく、解雇に関する法律上のルールは、もともと民法にしかなく、整理解雇要件も含めたいわゆる「解雇権濫用法理」は、判例上形成されてきたものであるが、2003年に労働基準法で、次いで2007年に労働契約法で、明文化された。すなわち、労働契約法16条の「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という規定である。
この条文は、「合理性」や「社会通念」を基準としているので、不明確といえば不明確であるが、具体的な要件を挙げるのもかえって難しい。立法過程では、積み重ねられた判例法理に何か足したわけでも引いたわけでもないといわれているので、不明確な点は過去の判例の具体例を参照することで補われるといってよいだろう。
解雇規制の緩和は、上記のような立法化の前であれば、裁判所の判例を動かすのは難しいので、政策として行うことは困難だったであろう。財界等がロビー活動等を行うにしても、業界団体が日本の裁判所を出入りするという話はあまり聞かないので、困難だったであろう。代わりに、派遣法や有期雇用法制の緩和で、実質的に一部の解雇規制を切り崩してきたといってよい。それでも、解雇権濫用法理本体を切り崩すところまでは至ることができなかった。
しかし今は、先に述べたように解雇規制の法律の明文がある。つまり法律を変えてしまえば、解雇権濫用法理も動くということである。ロビー活動の場は完全に国会に移ったともいえるのである。この点は常に監視が必要である。とはいえ、この解雇権濫用法理の明文(労働契約法16条)を、いったいどのように改正すればよいのか、ということになると、これまた難問である。「合理的な理由」要件を削除するのか、「社会通念上相当」要件を削除するのか。あるいは、「解雇は、合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められる場合に認められる」と立証責任を逆転してしまうか。いずれにしても、この条文を直接いじろうとすると、例のホワイトカラー・エグゼンプション問題のときのように、「首切り自由法案」と名付けられ、マスメディアで相当たたかれることであろう。マスメディアの中心にいる者はまさしくその法律の対象者だからである。彼らは逆に、非正規雇用の雇用環境についてはほとんど興味がない。
結局、解雇規制を緩和するには、現実的には従来通り、非正規雇用を増やすしかないであろう。しかし非正規ばかり増やしていては社員のスキルも向上しないし、向上心も芽生えない。そこで最近はやりつつあるのが、「ナントカ限定正社員」のようである。この中で「地域限定正社員」というのは、とある地域に事業所や工場を作り、そこで正社員として採用するが(つまり正社員とほぼ同様の賃金水準とするが)、その地域での事業が必要なくなったり、工場閉鎖するような場合は、そこで働く従業員も解雇(契約終了・雇止め)するという制度のようである。地域限定正社員のほか、「業務限定正社員」というのもある。これも同じく、当初契約に定められた業務が会社にとって必要なくなったら、解雇(契約終了・雇止め)になる制度のようである。これらは実質的には解雇権濫用法理を逃れるための「方策」であり、実際に解雇を無効として争えば、解雇権濫用が認められる可能性は高いと思われるが、しかし現実には訴訟まで発展することは多くないから、経営者が労働者をクビにするとき、「あなた最初『限定正社員』ってことで約束したでしょ」と労働者を説得する手段としては、非常に「使える」やり方である。「正社員」と名付けて労働者に会社への忠誠心を強要しながら(しかも時給労働ではなくなるのでサービス残業もさせながら)、業務上必要でなくなったら解雇できるという、誠に経営者に都合のよい「知恵」である。いくら雇用契約当初、雇用継続のために何らかの限定条件が付いていることを労働者が承知しているからといって、こんな身勝手な契約を認めるわけにはいかないであろう。限定条件の条件部分は公序良俗に反して無効である。「ナントカ限定正社員」がはびこって、裁判所に紛争が持ち込まれてから救済したのでは遅いし、ほとんどが泣き寝入りになることを考えると、労基署や労働局があらかじめ「限定性社員なんて認めませんよ」と周知やチェックをすることが必要である。
結局、いつも書くように労基署や労働局の役割強化の話になってしまうのだが、やはり必要なのはそういうことなのである。小泉政権時代に相当部分、福祉国家の法制は弱められてしまったとはいうものの、しかしそれでも、現行の法制で勤労者の生活向上を目指す=つまり福祉国家を目指すことは、十分可能である。政権交代が行われ、民主党に期待されているのはこういうことではなかったのか。福祉国家に重要な予算と人員体制を組むことは、妙な新法を作らなくても十分にできることである。それがどう狂ったのか、今の民主党は民主主義を破壊する議員定数削減の話をぶち上げたりしてフラフラしている。小さな政府を目指すみんなの党と民主とが連携する話もあるくらいだから、政策目標が何なのかまったくはっきりしない。野党として批判することには長けていても、本当に国民の声を背負っているわけではない政治家の本性を見たような気がする。政党交付金という税金で養ってもらっていることの弊害が徐々に出てきているのではないか。
先日、菅首相が企業が経営する無認可の保育所を訪問したという。さすが一等地にある立派な保育所である。企業に勤める非正規社員も、子を預けることができるのか気になるところである。それにしてもなぜ認可保育所を訪問しないのか。まず第一に行政が責任を持つ認可保育所を訪問すべきであろう。予算が削られ、耐震性もおぼつかない建物の中で、古びた建具や遊具とともに過ごしている園児の様子をまず見に行くべきではないのか。一般市民との感覚のずれは、こういうところに象徴されている。首相もその取り巻き連中も何の違和感も覚えなかったのだろうか。もちろん、行政の責任がある古ぼけた保育所を訪問すれば自分自身の責任が問われるので、それを避けたという意図があるのだろうが、それにしても情けないパフォーマンスである。
実質的には無意味だが、それでも派遣労働者保護のアナウンス効果はある「派遣法改正案」も、今の民主党はほったらかしである。マスコミで取り上げない政策はどうでもよいようである。今の民主党政権下で、福祉国家を目指すのは相当困難であろう。
(注1)それにしても最近の「たちあがれ日本」「みんなの党」「幸福実現党」のように、押し付けがましい政党名が乱立しているのが腹立たしい。そう呼ぶことを強制されている感がある。「じっくりコトコト煮込んだスープ」あたりから始まったのだろうか、過剰な装飾というか、本来こちらが評価すべきようなことを、自ら宣言しているうっとうしさがある。そう呼ばせることで潜在意識に政党名を植えつけようとでもしているのだろうか。「『みんなの党』は…」「『幸福実現党』が…」と言ったり書いたりするたびに、「いや、決してみんなの=我々の党のことじゃないんだけど」「いや、別にあの党が『幸福を実現』しようとしている党とは思わないんだけど」と弁解したくなるような気持ちになる。
(注2)「解雇規制解雇規制」と言っているが、現状でも、実質的に解雇しにくい雇用環境にあるのは一部の業界の正社員だけで、非正規社員はもちろんのこと、正社員でもクビに脅えつつサービス残業しているのが実態であり、「解雇規制」など働いていない。この点でも解雇規制緩和論者の視野は狭いといえよう。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)
格差論は甘えです
先日の参議院選挙で、何が私をもっとも無気力にさせたかといえば、いうまでもなく東京選挙区で共産党の小池議員が松田公太氏に敗れたことである。いったい松田氏に投票した人々は何者なのか。一人一人の顔が見てみたいものだ。
小池氏は政治討論番組にもよく出ていたから、顔も主張も世間によく知られていたはずである。もちろん最近は政治討論番組など、見る人はごく少数なのかもしれないが、それでも、松田氏よりはよく知られているはずであろう。あんなにテレビに出て、共産党の政策を熱く訴えていた小池氏が、敗れた。ごくごくまっとうに労働者の声を代弁していた小池氏が、敗れた。しかも素性もよくわからぬ日本のタリーズの元社長に…。それとも、私以外、みんな松田氏の日ごろの政治的発言をよく見聞きしていたのだろうか。まさか。どうして東京都民は、こんな見ず知らずの人に投票するのか。知らない人についていってはいけないと親から教わらなかったのか。コーヒー屋の元社長が、自分の明るい未来を保障してくれるなどと期待してしまったのか。都民がこんな愚かな選択をするとは思わなかった。振込め詐欺の被害がなくならないのも無理はない。初対面の人に、身も心も預ける人がこれだけいるのだから。
松田氏に投票した人と同じくらい罪深いのは、谷亮子氏に投票した人々である。谷亮子氏に投票した人が、もし「政治は愚かな政治家より、優秀な官僚に任せたほうがよい」という意見を持っているのなら、その投票行動は理解できなくもない。しかしおそらく谷亮子氏に投票する人々の多くは、「公務員減らせ」「公務員の給料下げろ」「官僚支配政治反対」「国会議員数を削れ」などといった粗雑な考えを持っていることであろう。しかし前にも書いたが、公務員が担う行政事務の数は、今や超膨大である。また、その行政事務に関連して改正される法律の数も膨大で、かつ複雑である。官僚がこっそり自分たちに都合の良いことを法案に忍ばせても、なかなか国会審議などでは気づかれない。いわゆる「官僚主導」を脱して「政治主導」を目指すのであれば、国民は政策に詳しい有能な国会議員を選び、なおかつ国会議員の数も他の先進国並みに増やさなければならないはずである。政策の素人、谷亮子氏に投票した何百万の人々に、その自覚があるのだろうか。
松田氏が所属する「みんなの党」はいうまでもなく、小泉・竹中路線をより強硬に推し進めることを標榜している政党である。新自由主義・市場原理主義者であり、日米問わず、民間に任せれば何事もうまくいくといい、大企業の利益確保を第一とし、労働者はそのおこぼれに預かればよいという立場である。「金も組織もない」とアピールしているが、政党交付金もあれば企業献金も受けているので、それは嘘である。もとより渡辺喜美党首自身が世襲政治家であり、地盤を受け継いでいる。その政策を見ても、大多数の国民・労働者に厳しく、アメリカを含む財界にやさしいものばかりであり、いずれ日本全体の生産力を損なうことであろう。
「みんなの党」や渡辺喜美党首の本当の目論見までは見抜けなくても、「みんなの党」を支持する者が、「みんなの党」は「小さな政府」を志向していることぐらいは、分かっているのだろうか。私にはそこが疑問である。最近の世論調査では、「小泉・竹中路線で規制緩和が行きすぎたから、小さな政府よりそこそこ大きな政府がよい」とする考えが多数のように思われる。しかし投票行動になると、「小さな政府」を目指す「みんなの党」が支持を受ける。最近の人気投票では、渡辺喜美氏が首相にふさわしい人ナンバーワンだそうだ。宮本太郎氏は、どこの本かインタビューだか忘れたが、このような一見矛盾した傾向について、「国民は本当は手厚い福祉を望んでいるが、国民が(官僚)国家を信用していない」と説明していた。なるほど、と思う。国民の矛盾した行動をうまく説明している。しかし、なるほど、で納得してしまっていいのだろうか。この矛盾した投票行動は、国民の論理的思考が退化してしまっていることの証ではないか。学校教育がそもそもなっていないのではないかと、思い至ってしまうほどだ。論理的思考や、政治的素養が、学校教育で欠落しているのではないか。というか、日本にそもそも民主主義があまり根づいていないのではないか。
それほど国民の多くが「みんなの党」、すなわち小さな国家志向を支持するのなら、もうとことん、小さな政府になってしまえばいいのだ。保育園は完全民営化して、面積基準など撤廃してしまえばよい。事故で園児が死亡したら、そのときに園長を厳罰にかければよい。学校も公教育は縮小し、株式会社に任せよう。経営破綻して撤退しても、遠くにある別の私立学校が受け持ってくれるだろう。貧弱な公立学校は教育もままならないから、受講料の高い進学塾が大もうけするだろう。進学塾に通えない貧民の子どもは大人になっても家庭をもつ資格はない。給食や公営施設も、みんな民間に委ねる。そこでの経費がどれだけかかるか、私企業だから明らかにならないが,おそらくは効率的な運営をしてくれるだろうから、民間のいうがままに税金からお支払いすればよい。給食は、コンビニ弁当を作っている会社に任せてもよいではないか。というか、そもそも給食など時代遅れだから廃止すべきだ。国立大学の学費が安いのは不公平だから、私立並みに引き上げよう。公務員は削減して公共サービスを削ろう。でもどうしても削れないものもあるから、それは全国一律最低賃金の600円で非正規職員を雇おう。首を切られた公務員はハローワークで面倒を見てもらえばよい。ただしハローワークも民営化する。派遣会社を入れて、なおかつ求職者からあっせん手数料を取ればよいのだ。技術開発は一部のエリートが行えばよい。アメリカに倣って金融立国を目指そう。過労死寸前まで働くのが美徳。頑張る者が報われる社会の何が悪い。格差社会というが、がんばらなければ格差ができるのは当たり前だ。格差格差という者は結局甘えているのである。自助努力の世界だから、年金も医療保険も撤廃。かわりに民間の保険会社を利用してもらう。生活保護を受給したいからといって容易に申請はさせない。消費税アップで消費も落ち込むし、法人税撤廃でますます税収は落ち込む一方だからだ。犯罪も増え続けるが、狙われやすい富裕層はゲーテッドタウンに住んでセキュリティにお金をかけているから心配いらない…。
「手厚い福祉国家を望む」国民の本当の声を受け止められていない共産党や社民党の責任も重い。社民党(旧社会党)は元来ホネのない政党で、かつて派遣法改悪に賛成したくらい節操のない政党だから、ヨーロッパに根ざしている社民主義を日本で掲げる資格はないだろう。そうすると日本共産党が唯一、本当に労働者の声を代弁しているのだが、悲しいかな、その政党名で損をしている。この政党はいつになったら政党名を変えるのだろうか。「われわれは正しいことを常に主張しているのだから、看板は容易に変えません」といいたいのであろうが、とにかく「共産主義」には旧ソ連・東欧の悪いイメージがくっついて離れないのだから、そこは柔軟になって政党名を変えるべきなのである。たとえ日本共産党自身が悪くないにしても、である。労働者の代表、「労働党」でよいではないか。大企業の正社員だけでなく、労働者全体の声を代弁できるのは日本共産党だけなのだから。党のポリシーや建前にこだわりすぎて、その間に政府批判票をみんなの党にもっていかれ、ますます国民を苦しめるのでは本末転倒である。「いつかわれわれの主張が正しいことを証明する日が来る」ではだめだ。その間にどれだけの人が苦しい思いをして死んでいくことか。政治は今すぐ国民に役立つことをしなければ意味がないのだ。その点では共産党の罪は深く、正しいことを言って自己満足している政党のようにも思われる。「おれたち正しいよね」という仲良しサークルではだめなのだ。
共産・社民党以外の政党は、「法人税を引き下げて国際競争力を高めるべき」と言った。これは嘘で、競争力が高まる根拠は何一つないが、とにかくそう言った。そして国民はそれにだまされた。他方で共産党は、「消費税アップは法人税減税に消えてしまう」と訴えた。この訴えは客観的にも正しいが、実はこれはわかりにくい。国民は2つ以上のことを比較して出されると難しくてわからなくなってしまうのだ。したがって共産党は、単純に「金持ちから税金をしぼり取ろう!」と訴えればよい。世の中の非正規労働者は、仕事をしない正社員がボーナスをもらっているのを見て不満をためている。正社員は正社員で、自分の稼ぎが能無し社長や管理職に流れているのを苦々しく思っている。だから共産党は、単に「金持ちから税金を取れ!」というだけで、そこそこの労働者の支持を得ることができるのだ。「消費税アップ分が法人税減税に…」というのは、ちょっと知恵のついた者には魅力的な論理だが、ふらふらと「みんなの党」や谷亮子に投票してしまう人にとっては難しすぎるというわけである。
私は有権者を馬鹿にしすぎだろうか。やはり国民は一度、徹底して「小さな政府」のもとで苦しまなければ学習しないのだろうか。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)
小池氏は政治討論番組にもよく出ていたから、顔も主張も世間によく知られていたはずである。もちろん最近は政治討論番組など、見る人はごく少数なのかもしれないが、それでも、松田氏よりはよく知られているはずであろう。あんなにテレビに出て、共産党の政策を熱く訴えていた小池氏が、敗れた。ごくごくまっとうに労働者の声を代弁していた小池氏が、敗れた。しかも素性もよくわからぬ日本のタリーズの元社長に…。それとも、私以外、みんな松田氏の日ごろの政治的発言をよく見聞きしていたのだろうか。まさか。どうして東京都民は、こんな見ず知らずの人に投票するのか。知らない人についていってはいけないと親から教わらなかったのか。コーヒー屋の元社長が、自分の明るい未来を保障してくれるなどと期待してしまったのか。都民がこんな愚かな選択をするとは思わなかった。振込め詐欺の被害がなくならないのも無理はない。初対面の人に、身も心も預ける人がこれだけいるのだから。
松田氏に投票した人と同じくらい罪深いのは、谷亮子氏に投票した人々である。谷亮子氏に投票した人が、もし「政治は愚かな政治家より、優秀な官僚に任せたほうがよい」という意見を持っているのなら、その投票行動は理解できなくもない。しかしおそらく谷亮子氏に投票する人々の多くは、「公務員減らせ」「公務員の給料下げろ」「官僚支配政治反対」「国会議員数を削れ」などといった粗雑な考えを持っていることであろう。しかし前にも書いたが、公務員が担う行政事務の数は、今や超膨大である。また、その行政事務に関連して改正される法律の数も膨大で、かつ複雑である。官僚がこっそり自分たちに都合の良いことを法案に忍ばせても、なかなか国会審議などでは気づかれない。いわゆる「官僚主導」を脱して「政治主導」を目指すのであれば、国民は政策に詳しい有能な国会議員を選び、なおかつ国会議員の数も他の先進国並みに増やさなければならないはずである。政策の素人、谷亮子氏に投票した何百万の人々に、その自覚があるのだろうか。
松田氏が所属する「みんなの党」はいうまでもなく、小泉・竹中路線をより強硬に推し進めることを標榜している政党である。新自由主義・市場原理主義者であり、日米問わず、民間に任せれば何事もうまくいくといい、大企業の利益確保を第一とし、労働者はそのおこぼれに預かればよいという立場である。「金も組織もない」とアピールしているが、政党交付金もあれば企業献金も受けているので、それは嘘である。もとより渡辺喜美党首自身が世襲政治家であり、地盤を受け継いでいる。その政策を見ても、大多数の国民・労働者に厳しく、アメリカを含む財界にやさしいものばかりであり、いずれ日本全体の生産力を損なうことであろう。
「みんなの党」や渡辺喜美党首の本当の目論見までは見抜けなくても、「みんなの党」を支持する者が、「みんなの党」は「小さな政府」を志向していることぐらいは、分かっているのだろうか。私にはそこが疑問である。最近の世論調査では、「小泉・竹中路線で規制緩和が行きすぎたから、小さな政府よりそこそこ大きな政府がよい」とする考えが多数のように思われる。しかし投票行動になると、「小さな政府」を目指す「みんなの党」が支持を受ける。最近の人気投票では、渡辺喜美氏が首相にふさわしい人ナンバーワンだそうだ。宮本太郎氏は、どこの本かインタビューだか忘れたが、このような一見矛盾した傾向について、「国民は本当は手厚い福祉を望んでいるが、国民が(官僚)国家を信用していない」と説明していた。なるほど、と思う。国民の矛盾した行動をうまく説明している。しかし、なるほど、で納得してしまっていいのだろうか。この矛盾した投票行動は、国民の論理的思考が退化してしまっていることの証ではないか。学校教育がそもそもなっていないのではないかと、思い至ってしまうほどだ。論理的思考や、政治的素養が、学校教育で欠落しているのではないか。というか、日本にそもそも民主主義があまり根づいていないのではないか。
それほど国民の多くが「みんなの党」、すなわち小さな国家志向を支持するのなら、もうとことん、小さな政府になってしまえばいいのだ。保育園は完全民営化して、面積基準など撤廃してしまえばよい。事故で園児が死亡したら、そのときに園長を厳罰にかければよい。学校も公教育は縮小し、株式会社に任せよう。経営破綻して撤退しても、遠くにある別の私立学校が受け持ってくれるだろう。貧弱な公立学校は教育もままならないから、受講料の高い進学塾が大もうけするだろう。進学塾に通えない貧民の子どもは大人になっても家庭をもつ資格はない。給食や公営施設も、みんな民間に委ねる。そこでの経費がどれだけかかるか、私企業だから明らかにならないが,おそらくは効率的な運営をしてくれるだろうから、民間のいうがままに税金からお支払いすればよい。給食は、コンビニ弁当を作っている会社に任せてもよいではないか。というか、そもそも給食など時代遅れだから廃止すべきだ。国立大学の学費が安いのは不公平だから、私立並みに引き上げよう。公務員は削減して公共サービスを削ろう。でもどうしても削れないものもあるから、それは全国一律最低賃金の600円で非正規職員を雇おう。首を切られた公務員はハローワークで面倒を見てもらえばよい。ただしハローワークも民営化する。派遣会社を入れて、なおかつ求職者からあっせん手数料を取ればよいのだ。技術開発は一部のエリートが行えばよい。アメリカに倣って金融立国を目指そう。過労死寸前まで働くのが美徳。頑張る者が報われる社会の何が悪い。格差社会というが、がんばらなければ格差ができるのは当たり前だ。格差格差という者は結局甘えているのである。自助努力の世界だから、年金も医療保険も撤廃。かわりに民間の保険会社を利用してもらう。生活保護を受給したいからといって容易に申請はさせない。消費税アップで消費も落ち込むし、法人税撤廃でますます税収は落ち込む一方だからだ。犯罪も増え続けるが、狙われやすい富裕層はゲーテッドタウンに住んでセキュリティにお金をかけているから心配いらない…。
「手厚い福祉国家を望む」国民の本当の声を受け止められていない共産党や社民党の責任も重い。社民党(旧社会党)は元来ホネのない政党で、かつて派遣法改悪に賛成したくらい節操のない政党だから、ヨーロッパに根ざしている社民主義を日本で掲げる資格はないだろう。そうすると日本共産党が唯一、本当に労働者の声を代弁しているのだが、悲しいかな、その政党名で損をしている。この政党はいつになったら政党名を変えるのだろうか。「われわれは正しいことを常に主張しているのだから、看板は容易に変えません」といいたいのであろうが、とにかく「共産主義」には旧ソ連・東欧の悪いイメージがくっついて離れないのだから、そこは柔軟になって政党名を変えるべきなのである。たとえ日本共産党自身が悪くないにしても、である。労働者の代表、「労働党」でよいではないか。大企業の正社員だけでなく、労働者全体の声を代弁できるのは日本共産党だけなのだから。党のポリシーや建前にこだわりすぎて、その間に政府批判票をみんなの党にもっていかれ、ますます国民を苦しめるのでは本末転倒である。「いつかわれわれの主張が正しいことを証明する日が来る」ではだめだ。その間にどれだけの人が苦しい思いをして死んでいくことか。政治は今すぐ国民に役立つことをしなければ意味がないのだ。その点では共産党の罪は深く、正しいことを言って自己満足している政党のようにも思われる。「おれたち正しいよね」という仲良しサークルではだめなのだ。
共産・社民党以外の政党は、「法人税を引き下げて国際競争力を高めるべき」と言った。これは嘘で、競争力が高まる根拠は何一つないが、とにかくそう言った。そして国民はそれにだまされた。他方で共産党は、「消費税アップは法人税減税に消えてしまう」と訴えた。この訴えは客観的にも正しいが、実はこれはわかりにくい。国民は2つ以上のことを比較して出されると難しくてわからなくなってしまうのだ。したがって共産党は、単純に「金持ちから税金をしぼり取ろう!」と訴えればよい。世の中の非正規労働者は、仕事をしない正社員がボーナスをもらっているのを見て不満をためている。正社員は正社員で、自分の稼ぎが能無し社長や管理職に流れているのを苦々しく思っている。だから共産党は、単に「金持ちから税金を取れ!」というだけで、そこそこの労働者の支持を得ることができるのだ。「消費税アップ分が法人税減税に…」というのは、ちょっと知恵のついた者には魅力的な論理だが、ふらふらと「みんなの党」や谷亮子に投票してしまう人にとっては難しすぎるというわけである。
私は有権者を馬鹿にしすぎだろうか。やはり国民は一度、徹底して「小さな政府」のもとで苦しまなければ学習しないのだろうか。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)
自虐的国民
参議院選挙が近い。民主党も自民党も選挙公約で消費税増税を掲げてしまった。二大政党いずれも消費税を増税するというのであるから、国民は選択肢が限られる。「消費税増税は選挙で民意を問う」といったって、二大政党両方が消費税増税を掲げていては争点にならない。これで民主主義国家なのか。消費税増税に反対する共産党が党名を変えて、より広く労働者の利益を代弁してくれればよいのだが、あまりアピールが上手ではないのが残念だ。ほとんどの国民は給与収入を得てその大半を(不動産や有価証券に換えることなく)消費に回す。したがって、仮に消費税が10パーセントになった場合、源泉徴収された給与のさらに10パーセントを税金として取られるということになる。これは大変な負担であり、ますます低所得者~中間層に厳しく、高所得者に優しい逆進税制ということになる。民主党は、消費税を上げても低所得者には手当てをするという。しかし日本経済を支えるのは厚い中間層であるということを忘れてはならない。
もちろん、高福祉国家を目指し、なおかつ応能負担原則で高所得者から所得税をきちんと取る上でなら、消費税増税も理解できなくはない。しかし今政治課題に上がっている消費税増税論は、庶民にとって低福祉高負担、そして法人税減税分の穴埋めでしかない。政治家も財務省もマスコミも、(経済事情がまったく異なる)ギリシャの例を持ち出して財政破綻の恐怖キャンペーンをはり、「消費税増税で痛みを分かち合おう」的なムードを盛り上げ、国民もそれで洗脳されているようだが、なんとも日本人は物わかりのよい、自虐的な国民だろうか。もっと怒らないのだろうか。今なお日本はGDPでEU、アメリカに次ぐ経済大国である。それにもかかわらず多くの国民は、長時間労働と重税と低福祉の下にある。生み出された富が分配されず、偏在していることについて、われわれはもっと怒るべきである。
(追記)
それにしても「みんなの党」の渡辺喜美党首は、つい数ヶ月前まで消費税増税論者だったにもかかわらず、選挙を前にして二大政党と違うことを言いたいためか、消費税増税反対を宣言している。俗な言い方だが、このような節操のない人は、生きていてお天道様に恥ずかしくないのだろうか。私は無宗教であるが、死んだ後に閻魔様にどのように釈明するつもりであろうか。渡辺氏に天罰を、と願わずにいられない。こんな世襲政治屋に議席を与えるわけにはいかぬ。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)
もちろん、高福祉国家を目指し、なおかつ応能負担原則で高所得者から所得税をきちんと取る上でなら、消費税増税も理解できなくはない。しかし今政治課題に上がっている消費税増税論は、庶民にとって低福祉高負担、そして法人税減税分の穴埋めでしかない。政治家も財務省もマスコミも、(経済事情がまったく異なる)ギリシャの例を持ち出して財政破綻の恐怖キャンペーンをはり、「消費税増税で痛みを分かち合おう」的なムードを盛り上げ、国民もそれで洗脳されているようだが、なんとも日本人は物わかりのよい、自虐的な国民だろうか。もっと怒らないのだろうか。今なお日本はGDPでEU、アメリカに次ぐ経済大国である。それにもかかわらず多くの国民は、長時間労働と重税と低福祉の下にある。生み出された富が分配されず、偏在していることについて、われわれはもっと怒るべきである。
(追記)
それにしても「みんなの党」の渡辺喜美党首は、つい数ヶ月前まで消費税増税論者だったにもかかわらず、選挙を前にして二大政党と違うことを言いたいためか、消費税増税反対を宣言している。俗な言い方だが、このような節操のない人は、生きていてお天道様に恥ずかしくないのだろうか。私は無宗教であるが、死んだ後に閻魔様にどのように釈明するつもりであろうか。渡辺氏に天罰を、と願わずにいられない。こんな世襲政治屋に議席を与えるわけにはいかぬ。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします
(ブログ人気投票)