結局、富の再分配に行き着く
昼食どき、とあるそば屋で、隣の4人席の会話を傍受してしまった。スーツ姿の年配の男性上司(役員クラス?)2名と、新入社員、あるいはまだ内定者らしき2名の若い男性。若いほうは就職氷河期を乗り越えて、ようやくここまでこぎ着けたのだろう。
はっきりとは聞き取れないが、なにやら社内の会議(のあり方)について話している様子だった。
若者1「い、いまはスカイプとかあるんですけどどうなんですかね」
上司1「え?」
若者1「いや、あの、インターネットでつないで会話できるというやつです」
上司1「ああ、コンピューターか、まあでもそんなもんあっても使わねえからなあ、うちは」
若者1「は、そうですか」会話に一々頭を下げる。
上司2「うちはもう10年ほど前に買ったんだよ、テレビ会議っていうの。でもだれも使わない(笑)」
上司2「まあよ、『飲みニュケーション』っていうの? そういうのも大事だからよ、話があるならこっちへ来いっていうのよ」
若者1・2(ひたすら何度も頭を下げる)
上司1「あのねえ、うちの会社の人付き合いは夜から始まるっていわれてんの(笑)」
若者2人はひたすら話を聞きながら頭を下げていた。困難を乗り越えて就職し、これから一労働者としてスタートする2人。自己分析もした。企業分析もした。自分がどれだけ会社の役に立とうと思っているかしっかりアピールもした。しかしこれらの上司2人を前に、どのような心持ちだろうか。私の勝手な予想では、この2人、これから先3年くらいは幻滅すること続きであろう。それでイヤになって辞めるか、会社と同質化していくかは本人次第である。
続けて勝手な想像ばかりで申しわけないが、このようななんとも時代錯誤の企業幹部が長らく高給で居座って、生産効率の悪いまま若手従業員に過重労働を押しつけている、という姿が、日本のあちこちにあるという気がしてならない。企業幹部に高給を支払わなければならない結果として新規採用が見送られ、それも就職氷河期や非正規労働者の増加の遠因になっているのだとしたら、ずいぶん悲しいことだ。
さてしかし、これをどう解消すればよいのだろうか。軽薄な経済学者(系)の人々は、「正社員の解雇規制を緩和すれば万事うまくいくのだ」というだろう。高給取りで役に立たない年配正社員のクビを切れば、その分若者の雇用が増える、と。しかし前にも書いたとおり、解雇規制の緩和といっても、法改正によることは現実的に無理であり、空論でしかない。それに解雇規制を緩和したところで、これも以前から述べているとおり弱者がますます弱者になるだけで、それはすなわち生活保護や失業保険受給者が増えるということであり、結局社会にマイナスである。
では、新規採用を企業に義務付けるのか? あるいは、高給社員の給与切下げを強要するのか? 人員整理を制限するのか? 賃金のフラット化を強制するのか? 均等待遇を義務付けるのか?
しかし以上のようなことを法的に強制するのは無理である。なにより、近代社会では「契約自由の原則」があり、日本の憲法も「経済活動の自由」を保障しているのであるから、国が企業の「雇用契約の自由」に干渉することは原則許されないのである。今のところ日本では見られないが、日本の雇用政策も強制に行き過ぎると、将来憲法違反の訴訟が起こされる可能性だってなくはない。現在継続中の派遣法改正法案も、「職業選択の自由」に反する、と構成することも不可能ではないだろう。
もちろん、私は「法的に強制するのは無理」ということを、法的に強制すべきではない、という意味で述べているわけではない。現に、雇用を増やす政策、つまり雇用契約を増やす政策は、罰則を伴わないようなソフトな形では導入されている。補助金を出すやり方もある。公契約条例も、雇用契約を公正にすることを促している。しかしやはり、国は雇用契約に直接介入することはできないのである。「黒字なんだから非正規従業員の雇止めをするのはやめなさい」「今年は新規採用を100人増やしなさい」というような強制は不可能なのである。そもそも、このような国と企業の支配関係を容認すれば、「天下り」「コネ」という臭さも付きまとう。
そうすると結局思い至るところは、「雇用契約の自由」によって利益を上げているところから高い税金を取り、「雇用契約の自由」で不利益を受けている人に分配するという「富の再分配」を期待するしかない。「分配」の中には、社会保障だけでなく、人(公務員)を雇って給与を払うことも含まれる。富の再分配は国の「本分」の一つであり、これを軽く見るような政治家は失格である。
というわけで、そば屋で「結局『富の再分配』しかないよなあ」という結論に行き着いたのであった。隣の席でえらそうにしている時代錯誤オヤジ、あなたもお子さんの学費なんかでお金もかかるでしょうからクビにはしませんし賃金も下げませんが、しっかり税金いただきますよ、と。
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はっきりとは聞き取れないが、なにやら社内の会議(のあり方)について話している様子だった。
若者1「い、いまはスカイプとかあるんですけどどうなんですかね」
上司1「え?」
若者1「いや、あの、インターネットでつないで会話できるというやつです」
上司1「ああ、コンピューターか、まあでもそんなもんあっても使わねえからなあ、うちは」
若者1「は、そうですか」会話に一々頭を下げる。
上司2「うちはもう10年ほど前に買ったんだよ、テレビ会議っていうの。でもだれも使わない(笑)」
上司2「まあよ、『飲みニュケーション』っていうの? そういうのも大事だからよ、話があるならこっちへ来いっていうのよ」
若者1・2(ひたすら何度も頭を下げる)
上司1「あのねえ、うちの会社の人付き合いは夜から始まるっていわれてんの(笑)」
若者2人はひたすら話を聞きながら頭を下げていた。困難を乗り越えて就職し、これから一労働者としてスタートする2人。自己分析もした。企業分析もした。自分がどれだけ会社の役に立とうと思っているかしっかりアピールもした。しかしこれらの上司2人を前に、どのような心持ちだろうか。私の勝手な予想では、この2人、これから先3年くらいは幻滅すること続きであろう。それでイヤになって辞めるか、会社と同質化していくかは本人次第である。
続けて勝手な想像ばかりで申しわけないが、このようななんとも時代錯誤の企業幹部が長らく高給で居座って、生産効率の悪いまま若手従業員に過重労働を押しつけている、という姿が、日本のあちこちにあるという気がしてならない。企業幹部に高給を支払わなければならない結果として新規採用が見送られ、それも就職氷河期や非正規労働者の増加の遠因になっているのだとしたら、ずいぶん悲しいことだ。
さてしかし、これをどう解消すればよいのだろうか。軽薄な経済学者(系)の人々は、「正社員の解雇規制を緩和すれば万事うまくいくのだ」というだろう。高給取りで役に立たない年配正社員のクビを切れば、その分若者の雇用が増える、と。しかし前にも書いたとおり、解雇規制の緩和といっても、法改正によることは現実的に無理であり、空論でしかない。それに解雇規制を緩和したところで、これも以前から述べているとおり弱者がますます弱者になるだけで、それはすなわち生活保護や失業保険受給者が増えるということであり、結局社会にマイナスである。
では、新規採用を企業に義務付けるのか? あるいは、高給社員の給与切下げを強要するのか? 人員整理を制限するのか? 賃金のフラット化を強制するのか? 均等待遇を義務付けるのか?
しかし以上のようなことを法的に強制するのは無理である。なにより、近代社会では「契約自由の原則」があり、日本の憲法も「経済活動の自由」を保障しているのであるから、国が企業の「雇用契約の自由」に干渉することは原則許されないのである。今のところ日本では見られないが、日本の雇用政策も強制に行き過ぎると、将来憲法違反の訴訟が起こされる可能性だってなくはない。現在継続中の派遣法改正法案も、「職業選択の自由」に反する、と構成することも不可能ではないだろう。
もちろん、私は「法的に強制するのは無理」ということを、法的に強制すべきではない、という意味で述べているわけではない。現に、雇用を増やす政策、つまり雇用契約を増やす政策は、罰則を伴わないようなソフトな形では導入されている。補助金を出すやり方もある。公契約条例も、雇用契約を公正にすることを促している。しかしやはり、国は雇用契約に直接介入することはできないのである。「黒字なんだから非正規従業員の雇止めをするのはやめなさい」「今年は新規採用を100人増やしなさい」というような強制は不可能なのである。そもそも、このような国と企業の支配関係を容認すれば、「天下り」「コネ」という臭さも付きまとう。
そうすると結局思い至るところは、「雇用契約の自由」によって利益を上げているところから高い税金を取り、「雇用契約の自由」で不利益を受けている人に分配するという「富の再分配」を期待するしかない。「分配」の中には、社会保障だけでなく、人(公務員)を雇って給与を払うことも含まれる。富の再分配は国の「本分」の一つであり、これを軽く見るような政治家は失格である。
というわけで、そば屋で「結局『富の再分配』しかないよなあ」という結論に行き着いたのであった。隣の席でえらそうにしている時代錯誤オヤジ、あなたもお子さんの学費なんかでお金もかかるでしょうからクビにはしませんし賃金も下げませんが、しっかり税金いただきますよ、と。
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日産の誤解・新聞記者の誤解?
もう3ヶ月ほど前の新聞記事のことで恐縮だが、「日産、事務系派遣社員を直接雇用 でも最長2年11カ月」という報道があった。一般事務系の仕事であるにもかかわらず専門業務と偽装して、派遣の期間制限を免れていたところ、労働局の指導により、直接雇用に切り替えるのだそうである。日産以外でも、このような契約変更は行われているかもしれない。
偽装派遣を正して直接雇用にするのは当然のことだが、だからといって当該の労働者の雇用環境がよくなるというわけではない。日産は、派遣会社に払う手数料(中間搾取分)が減って、むしろうれしいのではないか。他方、労働者のほうは、派遣でも直接雇用でもいつ首切りにあうかわからないのであるから、雇用は不安定なままである。直接雇用といっても有期労働契約だからである。
この新聞記事で気になったのは、「判例などから雇い止めをしづらくなる3年を超えないよう、2年11ヶ月まで更新する」という一文である。たしかに「雇止め法理」は重要だし、よく知られていることであるが、3年を超えると雇止め法理が働き、超えなければ働かないというような話は、私は聞いたことがない。判例は、実質的に無期契約と同じような働き方をしている、あるいは契約更新を何度も繰り返して、労働者に雇用継続の期待を抱かせているような場合に、雇止めの効力を否定しているのであり、継続雇用年数は考慮要素のひとつであるかもしれないが、「3年」が何か重要な基準であるわけではないのである。たしかトヨタの期間工でも、このような3年未満の契約形態をとっていた。労働基準法で有期雇用の期間制限は3年となったので、このことから誤解を生じているのであろうか。労働基準法の期間制限は、労働者の長期拘束を禁止するための制限であり、雇用の安定のための規定ではない。日産の広報担当者が話したことをそのまま書いているこの記事の記者も、誤解しているのではないか。
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偽装派遣を正して直接雇用にするのは当然のことだが、だからといって当該の労働者の雇用環境がよくなるというわけではない。日産は、派遣会社に払う手数料(中間搾取分)が減って、むしろうれしいのではないか。他方、労働者のほうは、派遣でも直接雇用でもいつ首切りにあうかわからないのであるから、雇用は不安定なままである。直接雇用といっても有期労働契約だからである。
この新聞記事で気になったのは、「判例などから雇い止めをしづらくなる3年を超えないよう、2年11ヶ月まで更新する」という一文である。たしかに「雇止め法理」は重要だし、よく知られていることであるが、3年を超えると雇止め法理が働き、超えなければ働かないというような話は、私は聞いたことがない。判例は、実質的に無期契約と同じような働き方をしている、あるいは契約更新を何度も繰り返して、労働者に雇用継続の期待を抱かせているような場合に、雇止めの効力を否定しているのであり、継続雇用年数は考慮要素のひとつであるかもしれないが、「3年」が何か重要な基準であるわけではないのである。たしかトヨタの期間工でも、このような3年未満の契約形態をとっていた。労働基準法で有期雇用の期間制限は3年となったので、このことから誤解を生じているのであろうか。労働基準法の期間制限は、労働者の長期拘束を禁止するための制限であり、雇用の安定のための規定ではない。日産の広報担当者が話したことをそのまま書いているこの記事の記者も、誤解しているのではないか。
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減税日本と取り調べ可視化法案
名古屋市議会の解散請求をめぐって、名古屋市長の河村たかし氏がマスコミで取り上げられることが多い。一連の紛糾のいきさつについて、私は詳しい事情は知らない。ただ、河村氏が住民税減税を掲げ、公務員の給料削減などを打ち出しているところを見ると、大衆迎合で公的サービスをカットするという、福祉国家理念には遠い政策がとられているようである。現に河村氏は保育料の値上げをするなど、福祉政策には冷たいようだ。まさに「小さな政府」志向である。また、議員報酬を下げるというのも問題で、議員報酬が少なければ、もともと選挙活動資金を持っているような地元企業・土建業者などの役員が、利益誘導のために議員になることを後押しするだけである。
ところで河村たかし氏は民主党の衆議院議員時代、刑事訴訟法の改正法案の提出者の筆頭格であった。何会期にもわたり法案を提出し続けたが、民主党は野党時代だったので成立に至らなかった。民主党はその後政権を取ったが、数ある公約違反のひとつとして、現在、この法案を成立させる気はないようである。この改正法案は、まさに今問題となっている「取調べの可視化」を実現するもので、被疑者の取調べ状況等の録音・録画を義務付ける制度などを導入する法案である。
一見、「小さな政府」志向と「取調べの可視化」は何の接点もないばかりか、旧来の日本共産党的な「左翼」的見地からみれば、双方を主張することは矛盾しているようでもある。なぜなら、旧来の左翼的な見方からすれば、前者については福祉国家に反するので反対、後者については民主的コントロールを強めるので賛成、ということになりそうだからである。
しかしこの2つの志向は、実は矛盾しないで説明できる。つまり、いずれも「国家が行うことは常に疑わしい=権力は腐敗する」という考えに基づいている。すなわち、「国家の福祉政策など当てにならない、社会保険庁の有様を見れば明らかではないか、年金も医療保険も民間に解放したほうが効率的でうまくいくのだ」という考え方と、「検察権力はけしからん、録音・録画してみんなで監視しよう」という考え方は矛盾しない。このような考えの持ち主のことを、最近はやりの言葉で言うと「リベサヨ」というらしい。小さな政府志向で国民が豊かに生活できるはずがないことはアメリカや日本の現状を見れば明らかである。リベサヨは日本の一部の「左翼」のなれの果ての姿の象徴である。権力懐疑主義であることは重要だが、アナーキズムから幸せは生まれない。それに、民営化民営化と叫ぶ者ほど、国家権力と癒着している例が多いことは、ここに挙げるまでもないだろう。
実は現在の民主党には、この「リベサヨ」が多く含まれているのである。そのため、自民党と政策の上で何が違うのかよくわからず、政策が右往左往しているのである。一部の政治家は自らリベサヨを意識しているかもしれないが、人気取りに熱心な政治家の多くはそのことを自覚すらしていないであろう。このリベサヨ政治家が、今や大変な人気である。有権者には気の毒なことだ。自民党政権、民主党政権と続き、社会保険庁を代表例として国家・政治への不信を積み上げたあげく、その不信感を利用して公的サービス削減が画策されているのである。
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ところで河村たかし氏は民主党の衆議院議員時代、刑事訴訟法の改正法案の提出者の筆頭格であった。何会期にもわたり法案を提出し続けたが、民主党は野党時代だったので成立に至らなかった。民主党はその後政権を取ったが、数ある公約違反のひとつとして、現在、この法案を成立させる気はないようである。この改正法案は、まさに今問題となっている「取調べの可視化」を実現するもので、被疑者の取調べ状況等の録音・録画を義務付ける制度などを導入する法案である。
一見、「小さな政府」志向と「取調べの可視化」は何の接点もないばかりか、旧来の日本共産党的な「左翼」的見地からみれば、双方を主張することは矛盾しているようでもある。なぜなら、旧来の左翼的な見方からすれば、前者については福祉国家に反するので反対、後者については民主的コントロールを強めるので賛成、ということになりそうだからである。
しかしこの2つの志向は、実は矛盾しないで説明できる。つまり、いずれも「国家が行うことは常に疑わしい=権力は腐敗する」という考えに基づいている。すなわち、「国家の福祉政策など当てにならない、社会保険庁の有様を見れば明らかではないか、年金も医療保険も民間に解放したほうが効率的でうまくいくのだ」という考え方と、「検察権力はけしからん、録音・録画してみんなで監視しよう」という考え方は矛盾しない。このような考えの持ち主のことを、最近はやりの言葉で言うと「リベサヨ」というらしい。小さな政府志向で国民が豊かに生活できるはずがないことはアメリカや日本の現状を見れば明らかである。リベサヨは日本の一部の「左翼」のなれの果ての姿の象徴である。権力懐疑主義であることは重要だが、アナーキズムから幸せは生まれない。それに、民営化民営化と叫ぶ者ほど、国家権力と癒着している例が多いことは、ここに挙げるまでもないだろう。
実は現在の民主党には、この「リベサヨ」が多く含まれているのである。そのため、自民党と政策の上で何が違うのかよくわからず、政策が右往左往しているのである。一部の政治家は自らリベサヨを意識しているかもしれないが、人気取りに熱心な政治家の多くはそのことを自覚すらしていないであろう。このリベサヨ政治家が、今や大変な人気である。有権者には気の毒なことだ。自民党政権、民主党政権と続き、社会保険庁を代表例として国家・政治への不信を積み上げたあげく、その不信感を利用して公的サービス削減が画策されているのである。
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