シイタケのブログ -7ページ目

最高裁「臨時職員へのボーナスは違法」判決

 すでにしばらく前のことになるが、大阪府茨木市で条例の定めのないまま臨時職員に支給したボーナスについて、これを違法とする最高裁判決があった(2010年9月10日)。最近は、国家機関や自治体において雇用不安・低賃金で働く「官製ワーキングプア」が問題となっている。「公務員たたき」が盛んな昨今であるが、われわれが普段接している一見「公務員」が、実は民間企業以下・生活保護並みの低賃金で働いている場合も少なくないのである。このような官製ワーキングプアは通常、「臨時職員」とか「非常勤職員」と呼称されているのであるが、決して「臨時」でも「非常勤」でもなく、財政難を背景にそのような採用形態が恒常化しており、「臨時」や「非常勤」が基幹業務を担っていることもある。このような臨時職員に、正規職員と同水準の業務をしている報酬としてボーナスを支給するのも、均等・均衡待遇の見地から当然ではなかろうか。

 そのような背景から、この最高裁判決は、人情味のない冷酷な判決だと感じたのであった。たしかに個別の自治体の事情はわからない。もしかすると、コネ採用があり、地方議員や市職員幹部の配偶者などの身内が臨時職員となり、大して働いてもいないのにボーナスを支給されているというけしからぬ状況があるのかもしれない。とはいえ、それがすべてでもなかろうから、臨時職員にボーナスを支給することを一律に違法とするとは、なんとも無情なものだと感じたのである。

 ただ、その最高裁判決を読んでみると、もっともな判決であり、根拠法令・条例のない現状では、ボーナス支給を違法と判断されてもやむをえない。そんな最高裁判決に、少しでも救いのメッセージがないか探してみると、以下のような補足意見(千葉勝美裁判官)があった。

 「私は,法廷意見に加え,次の点を補足しておきたい。地方公共団体における臨時的任用職員の制度は,法廷意見が述べるとおり,本来,一般職に属する正規職員を中核とする人的体制を補完し,その時々の行政需要に柔軟に対処するためのものであるが,茨木市においては,本件一時金の支給を受けた者だけでも約800名に及ぶ多数の臨時的任用職員が同市の大半の部署に配置され,その多くが常設的な事務に係る職に従事していたようである。近年,茨木市に限らず,各地の地方公共団体において,各種の行政需要が増大し,それに対応する正規職員の数は,定員の枠に縛られているため,現実の必要性に迫られて,定員制限のない(地方自治法172条3項)臨時的任用職員を採用し,恒常的に,常設的な事務に従事させ,その結果,その数が無視できない規模にまで拡大する傾向が指摘されているところである。そこでは,正規職員とかなり近い形での勤務内容や勤務時間となっている場合も多いため,その処遇に当たっては,法的な可否を十分吟味することなしに,正規職員と同様の手当を支給するという傾向になりがちであり,また,臨時的任用であるということから,給与の額及び支給方法又はこれらに係る基本事項については,条例で具体的に定めることをせず,あるいは具体的な金額の決定を条例により規則や任命権者に丸ごと委任している例も見られるところである。」

 「臨時的任用職員の中には,常勤とまでは評価できないものの,勤務時間や勤務期間が長い者もいるであろうが,これらの職員に対し,生活給的な手当の性格を有する一時金を支給する現実的な必要性があることは理解できないではない。しかしながら,地方自治法204条は,議会の議員以外は常勤職員についてのみ法定の各種手当の支給を認めているのであるから,上記の性格を有する一時金を適法に支給するためには,当該職員の勤務実態を常勤と評価されるようなものに改め,これを恒常的に任用する必要があるときには,正規職員として任命替えを行う方向での法的,行政的手当を執るべきであろう。また,臨時的任用職員であっても,これらの職員に対する給与の額及び支給方法又はそれに係る基本的事項については,条例で定めるべきことが同法204条の2等で要請されているところであるから,その職が文字どおり臨時に生じた事務に係るものであっても,少なくとも給与の額等を定める際の一般的基準等の基本事項は条例に盛り込む必要があろう。そして,これらの対応のためには,当該地方公共団体の人的体制・定員管理の在り方や人件費の額等についての全体的な検討を余儀なくされる場面も生じよう。」

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「拝み屋」撲滅排斥

 少し前までは「霊能師」「占い師」などと呼ばれていた人々が、最近では「スピリチュアルカウンセラー」などとおしゃれな呼ばれ方をしている昨今である。このような言い方を世に広めたのは、テレビ出演などを通じて有名になった江原啓之氏が最初かもしれない。人の弱さにつけ込んで根拠のないことを教え込み、高い相談料を取るというこの商売は、科学技術の発達した現代社会においてもなお、盛んである。「なんでこんなものに引っかかるの?」という素朴な問いは、振り込め詐欺と同様に「スピリチュアルなんとか」にもぶつけたい。とくに最近では「パワースポット」なるものもはやっているようであるから、この手の商売は常に、一定の需要が存在するのであろう。このような商売の被害者にならないよう、学校教育においては、よりいっそう科学的思考・論理的思考を子どもたちに教えなければならないであろう。ここ最近の不況下では、大手マスコミも広告料収入のため、このような商売(「幸福の科学」等の新興宗教を含む)の広告を大きく取り扱わざるを得ないから、マスコミの報道や批判記事も頼りにならないのである。

 「スピリチュアルカウンセラー」は、その昔は、「おがみや(おがみ屋・拝み屋)」と言われていたものである。当のスピリチュアルカウンセラーは否定するかもしれないが、カタカナでおしゃれ感を装っているだけで、商売方法は今も昔も変わらない。ところで拝み屋といえば、かつて、「いくら信教の自由があるといっても、拝み屋が商売行為で人を死なせればフツウに有罪」とした最高裁の判決があり、これは「加持祈祷事件」として有名である。このような「人の生命・身体に対する罪」のみならず、財産に対する罪も、いくら信教の自由があるからといって正当化はされず、スピリチュアルなんとか行為の多くは、詐欺罪や横領罪等が成立する可能性があろう。

 この「加持祈祷事件」は、最高裁判決よりむしろ、第一審の大阪地裁判決がおもしろい。昭和35年の判決であり、この当時は、古い慣習・道徳から解放されることが一番の美学というような「時代の空気」があったのではなかろうか。以下に引用してみる。

 「被告人の判示所為は刑法第二〇五条に該当するのでその犯情について検討する。本件はいわゆる憑きものに対する俗信が一人の年若い女性を死に到らしめたものである。憑きものが迷信であることは今日健全な社会人にとつては自明のことのように思われるが、世上いわゆる狐憑き、狸憑きあるいは生霊憑き等と称する俗信がいま、なおかなり根強く残つて居り、そのため種々の人権侵害、社会的悲劇が発生している事実は憂慮に堪えない。これら一部の人々の無知を啓蒙するのもさることながら、人の無知と弱さにつけこみこれに寄生する市井のいわゆる『おがみ屋』ないし『おがみや』類似の行為は厳に撲滅排斥されなければならない。被告人の心情は兎も角、本件における行為の外形それ自体は、右の『おがみ屋』の夫れに似たものがありこれを法律上からみても不法なものであることは後段説示するとおりであつて、そのためかけ替のない人の命を奪つた被告人の罪責は決して軽いものとは言えない。しかしながら反面、被告人が本件加持祈祷をするにいたつたのは、被害者泉世志子の両親やその身寄りの者等からのたつての願いによるものであること、被告人が宗教教師としての立場上欲得を離れ、一途に右世志子の疾病平癒を希つた上でのことであり、しかも世志子に対する暴行は被告人のみによつてなされたものではなく、被告人の明示もしくは黙示の指図によるものであるとは言え、むしろ同女を最も愛する筈の肉親等の手によつて行われたのであつて、同女を死に致らしめた責任の全部を被告人一人のみに負わしめることは酷であると考えられることその他被告人の経歴、日常の生活態度及び被害者の家族等の被告人に対する感情等諸般の情状を斟酌し、結局、所定刑期範囲内において被告人を懲役二年に処し、同法第二五条第一項に則り三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り全部被告人に負担させる。」

 「おがみや」は厳に撲滅排斥されなければならない、とまで言い切っているのである。今の時代ではさすがに判決文でここまで言い切れないのではなかろうか。誠にすがすがしい一文であり、ここに取り上げた次第である。

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同一労働同一賃金原則をいじめないで

 「同一労働同一賃金」という言葉を最近よく見聞きする。「同一価値労働同一賃金」といういわば派生語もよく見聞きする。ILO条約のひとつであり、日本もこれを批准しているのであるから、日本の労働政策として目指すべき方向であることは明らかである。しかし現実はもちろんそうなってはおらず、例えばひとつの職場で同じような仕事をしているにもかかわらず、男性が正社員でボーナスあり、女性がアルバイトで低賃金時給、というパターンはよく見られることである。「同じような仕事」ではなく女性の仕事が男性の仕事の領域の8割だったとしても、決して賃金格差は10対8ではなく、それ以上の絶対格差があるのである。

 ILO条約を離れても、同一労働同一賃金原則が公平な正義の理念として国民に受け止められていることは間違いないだろう。パート労働法でも最近の改正で、均衡待遇原則」が盛り込まれたところであるし、労働契約法にも同様の理念が盛り込まれている。これはILO条約の直接の反映ではないにしても、広い意味での同一労働同一賃金原則の理念が元になっていることは間違いない。世の中で「同一労働同一賃金」をいうときは、この「均等待遇・均衡待遇」のことを指していることが多い。

 ところが、この同一労働同一賃金原則について、それぞれの専門家からは評判が悪い。「契約社員の賃金を上げれば、正社員の賃金がその分削られることになるぞ」とか「かえって雇用が減ることになるぞ」とか「引き換えに正社員の解雇規制を緩めなければならないことになるぞ」など脅すのである。それらの言い分はもっともであり、同一労働同一賃金原則を政策として実行するためには、経済への影響を考慮したり、正社員の賃金が下がっても社会保障や公的サービスで手当てするといった総合的政策パッケージを考えなければならないことはもちろんである。

 しかし、である。たしかに同一労働同一賃金原則の実行にはいろいろ問題があるにしても、だからといってこの原則を叩きすぎるのはいかがなものか。「おんなじ仕事してるのならおんなじ給料のはずでしょ」というのは、非正規で働く多くの労働者が率直に感じている思いである。正社員労働者は就業時間中におしゃべりに興じ、定時以降に真剣に仕事を始めて残業代をもらう。一方非正規労働者は残業できないため、時間内に仕事を終わらせるために朝から必死で働く。たまたま会社の採用方針で、ある年は正社員を採用し、ある年は契約社員を採用したが、やっている仕事はほとんど同じ。…このような状況は日本のあちこちで見られることであり、日本中の非正規労働者の多くが「あの正社員はぜんぜん働いてないのにどうして自分にはボーナスがないのか」と不満を募らせているのが実態である。いわば、同一労働同一賃金原則は、日本中のパート・アルバイト社員の秘めた思い、といってもよい。

 同一労働同一賃金原則をしたり顔で叩いても、それは財界や大企業に都合のよいことを代弁しているだけということになる。公平な正義の理念の実現のために、どういう政策を積み重ねればよいか、具体的にはまず、有期雇用法制をどうするか、前向きな議論に進んでいくことを期待している。

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