格差論は甘えです
先日の参議院選挙で、何が私をもっとも無気力にさせたかといえば、いうまでもなく東京選挙区で共産党の小池議員が松田公太氏に敗れたことである。いったい松田氏に投票した人々は何者なのか。一人一人の顔が見てみたいものだ。
小池氏は政治討論番組にもよく出ていたから、顔も主張も世間によく知られていたはずである。もちろん最近は政治討論番組など、見る人はごく少数なのかもしれないが、それでも、松田氏よりはよく知られているはずであろう。あんなにテレビに出て、共産党の政策を熱く訴えていた小池氏が、敗れた。ごくごくまっとうに労働者の声を代弁していた小池氏が、敗れた。しかも素性もよくわからぬ日本のタリーズの元社長に…。それとも、私以外、みんな松田氏の日ごろの政治的発言をよく見聞きしていたのだろうか。まさか。どうして東京都民は、こんな見ず知らずの人に投票するのか。知らない人についていってはいけないと親から教わらなかったのか。コーヒー屋の元社長が、自分の明るい未来を保障してくれるなどと期待してしまったのか。都民がこんな愚かな選択をするとは思わなかった。振込め詐欺の被害がなくならないのも無理はない。初対面の人に、身も心も預ける人がこれだけいるのだから。
松田氏に投票した人と同じくらい罪深いのは、谷亮子氏に投票した人々である。谷亮子氏に投票した人が、もし「政治は愚かな政治家より、優秀な官僚に任せたほうがよい」という意見を持っているのなら、その投票行動は理解できなくもない。しかしおそらく谷亮子氏に投票する人々の多くは、「公務員減らせ」「公務員の給料下げろ」「官僚支配政治反対」「国会議員数を削れ」などといった粗雑な考えを持っていることであろう。しかし前にも書いたが、公務員が担う行政事務の数は、今や超膨大である。また、その行政事務に関連して改正される法律の数も膨大で、かつ複雑である。官僚がこっそり自分たちに都合の良いことを法案に忍ばせても、なかなか国会審議などでは気づかれない。いわゆる「官僚主導」を脱して「政治主導」を目指すのであれば、国民は政策に詳しい有能な国会議員を選び、なおかつ国会議員の数も他の先進国並みに増やさなければならないはずである。政策の素人、谷亮子氏に投票した何百万の人々に、その自覚があるのだろうか。
松田氏が所属する「みんなの党」はいうまでもなく、小泉・竹中路線をより強硬に推し進めることを標榜している政党である。新自由主義・市場原理主義者であり、日米問わず、民間に任せれば何事もうまくいくといい、大企業の利益確保を第一とし、労働者はそのおこぼれに預かればよいという立場である。「金も組織もない」とアピールしているが、政党交付金もあれば企業献金も受けているので、それは嘘である。もとより渡辺喜美党首自身が世襲政治家であり、地盤を受け継いでいる。その政策を見ても、大多数の国民・労働者に厳しく、アメリカを含む財界にやさしいものばかりであり、いずれ日本全体の生産力を損なうことであろう。
「みんなの党」や渡辺喜美党首の本当の目論見までは見抜けなくても、「みんなの党」を支持する者が、「みんなの党」は「小さな政府」を志向していることぐらいは、分かっているのだろうか。私にはそこが疑問である。最近の世論調査では、「小泉・竹中路線で規制緩和が行きすぎたから、小さな政府よりそこそこ大きな政府がよい」とする考えが多数のように思われる。しかし投票行動になると、「小さな政府」を目指す「みんなの党」が支持を受ける。最近の人気投票では、渡辺喜美氏が首相にふさわしい人ナンバーワンだそうだ。宮本太郎氏は、どこの本かインタビューだか忘れたが、このような一見矛盾した傾向について、「国民は本当は手厚い福祉を望んでいるが、国民が(官僚)国家を信用していない」と説明していた。なるほど、と思う。国民の矛盾した行動をうまく説明している。しかし、なるほど、で納得してしまっていいのだろうか。この矛盾した投票行動は、国民の論理的思考が退化してしまっていることの証ではないか。学校教育がそもそもなっていないのではないかと、思い至ってしまうほどだ。論理的思考や、政治的素養が、学校教育で欠落しているのではないか。というか、日本にそもそも民主主義があまり根づいていないのではないか。
それほど国民の多くが「みんなの党」、すなわち小さな国家志向を支持するのなら、もうとことん、小さな政府になってしまえばいいのだ。保育園は完全民営化して、面積基準など撤廃してしまえばよい。事故で園児が死亡したら、そのときに園長を厳罰にかければよい。学校も公教育は縮小し、株式会社に任せよう。経営破綻して撤退しても、遠くにある別の私立学校が受け持ってくれるだろう。貧弱な公立学校は教育もままならないから、受講料の高い進学塾が大もうけするだろう。進学塾に通えない貧民の子どもは大人になっても家庭をもつ資格はない。給食や公営施設も、みんな民間に委ねる。そこでの経費がどれだけかかるか、私企業だから明らかにならないが,おそらくは効率的な運営をしてくれるだろうから、民間のいうがままに税金からお支払いすればよい。給食は、コンビニ弁当を作っている会社に任せてもよいではないか。というか、そもそも給食など時代遅れだから廃止すべきだ。国立大学の学費が安いのは不公平だから、私立並みに引き上げよう。公務員は削減して公共サービスを削ろう。でもどうしても削れないものもあるから、それは全国一律最低賃金の600円で非正規職員を雇おう。首を切られた公務員はハローワークで面倒を見てもらえばよい。ただしハローワークも民営化する。派遣会社を入れて、なおかつ求職者からあっせん手数料を取ればよいのだ。技術開発は一部のエリートが行えばよい。アメリカに倣って金融立国を目指そう。過労死寸前まで働くのが美徳。頑張る者が報われる社会の何が悪い。格差社会というが、がんばらなければ格差ができるのは当たり前だ。格差格差という者は結局甘えているのである。自助努力の世界だから、年金も医療保険も撤廃。かわりに民間の保険会社を利用してもらう。生活保護を受給したいからといって容易に申請はさせない。消費税アップで消費も落ち込むし、法人税撤廃でますます税収は落ち込む一方だからだ。犯罪も増え続けるが、狙われやすい富裕層はゲーテッドタウンに住んでセキュリティにお金をかけているから心配いらない…。
「手厚い福祉国家を望む」国民の本当の声を受け止められていない共産党や社民党の責任も重い。社民党(旧社会党)は元来ホネのない政党で、かつて派遣法改悪に賛成したくらい節操のない政党だから、ヨーロッパに根ざしている社民主義を日本で掲げる資格はないだろう。そうすると日本共産党が唯一、本当に労働者の声を代弁しているのだが、悲しいかな、その政党名で損をしている。この政党はいつになったら政党名を変えるのだろうか。「われわれは正しいことを常に主張しているのだから、看板は容易に変えません」といいたいのであろうが、とにかく「共産主義」には旧ソ連・東欧の悪いイメージがくっついて離れないのだから、そこは柔軟になって政党名を変えるべきなのである。たとえ日本共産党自身が悪くないにしても、である。労働者の代表、「労働党」でよいではないか。大企業の正社員だけでなく、労働者全体の声を代弁できるのは日本共産党だけなのだから。党のポリシーや建前にこだわりすぎて、その間に政府批判票をみんなの党にもっていかれ、ますます国民を苦しめるのでは本末転倒である。「いつかわれわれの主張が正しいことを証明する日が来る」ではだめだ。その間にどれだけの人が苦しい思いをして死んでいくことか。政治は今すぐ国民に役立つことをしなければ意味がないのだ。その点では共産党の罪は深く、正しいことを言って自己満足している政党のようにも思われる。「おれたち正しいよね」という仲良しサークルではだめなのだ。
共産・社民党以外の政党は、「法人税を引き下げて国際競争力を高めるべき」と言った。これは嘘で、競争力が高まる根拠は何一つないが、とにかくそう言った。そして国民はそれにだまされた。他方で共産党は、「消費税アップは法人税減税に消えてしまう」と訴えた。この訴えは客観的にも正しいが、実はこれはわかりにくい。国民は2つ以上のことを比較して出されると難しくてわからなくなってしまうのだ。したがって共産党は、単純に「金持ちから税金をしぼり取ろう!」と訴えればよい。世の中の非正規労働者は、仕事をしない正社員がボーナスをもらっているのを見て不満をためている。正社員は正社員で、自分の稼ぎが能無し社長や管理職に流れているのを苦々しく思っている。だから共産党は、単に「金持ちから税金を取れ!」というだけで、そこそこの労働者の支持を得ることができるのだ。「消費税アップ分が法人税減税に…」というのは、ちょっと知恵のついた者には魅力的な論理だが、ふらふらと「みんなの党」や谷亮子に投票してしまう人にとっては難しすぎるというわけである。
私は有権者を馬鹿にしすぎだろうか。やはり国民は一度、徹底して「小さな政府」のもとで苦しまなければ学習しないのだろうか。
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小池氏は政治討論番組にもよく出ていたから、顔も主張も世間によく知られていたはずである。もちろん最近は政治討論番組など、見る人はごく少数なのかもしれないが、それでも、松田氏よりはよく知られているはずであろう。あんなにテレビに出て、共産党の政策を熱く訴えていた小池氏が、敗れた。ごくごくまっとうに労働者の声を代弁していた小池氏が、敗れた。しかも素性もよくわからぬ日本のタリーズの元社長に…。それとも、私以外、みんな松田氏の日ごろの政治的発言をよく見聞きしていたのだろうか。まさか。どうして東京都民は、こんな見ず知らずの人に投票するのか。知らない人についていってはいけないと親から教わらなかったのか。コーヒー屋の元社長が、自分の明るい未来を保障してくれるなどと期待してしまったのか。都民がこんな愚かな選択をするとは思わなかった。振込め詐欺の被害がなくならないのも無理はない。初対面の人に、身も心も預ける人がこれだけいるのだから。
松田氏に投票した人と同じくらい罪深いのは、谷亮子氏に投票した人々である。谷亮子氏に投票した人が、もし「政治は愚かな政治家より、優秀な官僚に任せたほうがよい」という意見を持っているのなら、その投票行動は理解できなくもない。しかしおそらく谷亮子氏に投票する人々の多くは、「公務員減らせ」「公務員の給料下げろ」「官僚支配政治反対」「国会議員数を削れ」などといった粗雑な考えを持っていることであろう。しかし前にも書いたが、公務員が担う行政事務の数は、今や超膨大である。また、その行政事務に関連して改正される法律の数も膨大で、かつ複雑である。官僚がこっそり自分たちに都合の良いことを法案に忍ばせても、なかなか国会審議などでは気づかれない。いわゆる「官僚主導」を脱して「政治主導」を目指すのであれば、国民は政策に詳しい有能な国会議員を選び、なおかつ国会議員の数も他の先進国並みに増やさなければならないはずである。政策の素人、谷亮子氏に投票した何百万の人々に、その自覚があるのだろうか。
松田氏が所属する「みんなの党」はいうまでもなく、小泉・竹中路線をより強硬に推し進めることを標榜している政党である。新自由主義・市場原理主義者であり、日米問わず、民間に任せれば何事もうまくいくといい、大企業の利益確保を第一とし、労働者はそのおこぼれに預かればよいという立場である。「金も組織もない」とアピールしているが、政党交付金もあれば企業献金も受けているので、それは嘘である。もとより渡辺喜美党首自身が世襲政治家であり、地盤を受け継いでいる。その政策を見ても、大多数の国民・労働者に厳しく、アメリカを含む財界にやさしいものばかりであり、いずれ日本全体の生産力を損なうことであろう。
「みんなの党」や渡辺喜美党首の本当の目論見までは見抜けなくても、「みんなの党」を支持する者が、「みんなの党」は「小さな政府」を志向していることぐらいは、分かっているのだろうか。私にはそこが疑問である。最近の世論調査では、「小泉・竹中路線で規制緩和が行きすぎたから、小さな政府よりそこそこ大きな政府がよい」とする考えが多数のように思われる。しかし投票行動になると、「小さな政府」を目指す「みんなの党」が支持を受ける。最近の人気投票では、渡辺喜美氏が首相にふさわしい人ナンバーワンだそうだ。宮本太郎氏は、どこの本かインタビューだか忘れたが、このような一見矛盾した傾向について、「国民は本当は手厚い福祉を望んでいるが、国民が(官僚)国家を信用していない」と説明していた。なるほど、と思う。国民の矛盾した行動をうまく説明している。しかし、なるほど、で納得してしまっていいのだろうか。この矛盾した投票行動は、国民の論理的思考が退化してしまっていることの証ではないか。学校教育がそもそもなっていないのではないかと、思い至ってしまうほどだ。論理的思考や、政治的素養が、学校教育で欠落しているのではないか。というか、日本にそもそも民主主義があまり根づいていないのではないか。
それほど国民の多くが「みんなの党」、すなわち小さな国家志向を支持するのなら、もうとことん、小さな政府になってしまえばいいのだ。保育園は完全民営化して、面積基準など撤廃してしまえばよい。事故で園児が死亡したら、そのときに園長を厳罰にかければよい。学校も公教育は縮小し、株式会社に任せよう。経営破綻して撤退しても、遠くにある別の私立学校が受け持ってくれるだろう。貧弱な公立学校は教育もままならないから、受講料の高い進学塾が大もうけするだろう。進学塾に通えない貧民の子どもは大人になっても家庭をもつ資格はない。給食や公営施設も、みんな民間に委ねる。そこでの経費がどれだけかかるか、私企業だから明らかにならないが,おそらくは効率的な運営をしてくれるだろうから、民間のいうがままに税金からお支払いすればよい。給食は、コンビニ弁当を作っている会社に任せてもよいではないか。というか、そもそも給食など時代遅れだから廃止すべきだ。国立大学の学費が安いのは不公平だから、私立並みに引き上げよう。公務員は削減して公共サービスを削ろう。でもどうしても削れないものもあるから、それは全国一律最低賃金の600円で非正規職員を雇おう。首を切られた公務員はハローワークで面倒を見てもらえばよい。ただしハローワークも民営化する。派遣会社を入れて、なおかつ求職者からあっせん手数料を取ればよいのだ。技術開発は一部のエリートが行えばよい。アメリカに倣って金融立国を目指そう。過労死寸前まで働くのが美徳。頑張る者が報われる社会の何が悪い。格差社会というが、がんばらなければ格差ができるのは当たり前だ。格差格差という者は結局甘えているのである。自助努力の世界だから、年金も医療保険も撤廃。かわりに民間の保険会社を利用してもらう。生活保護を受給したいからといって容易に申請はさせない。消費税アップで消費も落ち込むし、法人税撤廃でますます税収は落ち込む一方だからだ。犯罪も増え続けるが、狙われやすい富裕層はゲーテッドタウンに住んでセキュリティにお金をかけているから心配いらない…。
「手厚い福祉国家を望む」国民の本当の声を受け止められていない共産党や社民党の責任も重い。社民党(旧社会党)は元来ホネのない政党で、かつて派遣法改悪に賛成したくらい節操のない政党だから、ヨーロッパに根ざしている社民主義を日本で掲げる資格はないだろう。そうすると日本共産党が唯一、本当に労働者の声を代弁しているのだが、悲しいかな、その政党名で損をしている。この政党はいつになったら政党名を変えるのだろうか。「われわれは正しいことを常に主張しているのだから、看板は容易に変えません」といいたいのであろうが、とにかく「共産主義」には旧ソ連・東欧の悪いイメージがくっついて離れないのだから、そこは柔軟になって政党名を変えるべきなのである。たとえ日本共産党自身が悪くないにしても、である。労働者の代表、「労働党」でよいではないか。大企業の正社員だけでなく、労働者全体の声を代弁できるのは日本共産党だけなのだから。党のポリシーや建前にこだわりすぎて、その間に政府批判票をみんなの党にもっていかれ、ますます国民を苦しめるのでは本末転倒である。「いつかわれわれの主張が正しいことを証明する日が来る」ではだめだ。その間にどれだけの人が苦しい思いをして死んでいくことか。政治は今すぐ国民に役立つことをしなければ意味がないのだ。その点では共産党の罪は深く、正しいことを言って自己満足している政党のようにも思われる。「おれたち正しいよね」という仲良しサークルではだめなのだ。
共産・社民党以外の政党は、「法人税を引き下げて国際競争力を高めるべき」と言った。これは嘘で、競争力が高まる根拠は何一つないが、とにかくそう言った。そして国民はそれにだまされた。他方で共産党は、「消費税アップは法人税減税に消えてしまう」と訴えた。この訴えは客観的にも正しいが、実はこれはわかりにくい。国民は2つ以上のことを比較して出されると難しくてわからなくなってしまうのだ。したがって共産党は、単純に「金持ちから税金をしぼり取ろう!」と訴えればよい。世の中の非正規労働者は、仕事をしない正社員がボーナスをもらっているのを見て不満をためている。正社員は正社員で、自分の稼ぎが能無し社長や管理職に流れているのを苦々しく思っている。だから共産党は、単に「金持ちから税金を取れ!」というだけで、そこそこの労働者の支持を得ることができるのだ。「消費税アップ分が法人税減税に…」というのは、ちょっと知恵のついた者には魅力的な論理だが、ふらふらと「みんなの党」や谷亮子に投票してしまう人にとっては難しすぎるというわけである。
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