偽装エコを取り締まれ
世の中「エコ」であふれかえっている昨今である。「エコ何とか」という商売がおおはやりだし、個人でもささやかな行為を「エコ」と称して自己満足しているらしい。
「エコ」は大きな商機である。省庁の予算獲得合戦でも、「環境」が絡めば獲得率が高いという。そしてその省庁からばら撒かれる金を狙い、私企業やら怪しげな団体が群がるという構図である。より消費電力の大きい大型テレビのほうが小型テレビよりもエコポイントが高いというのもおかしな話だということぐらい人々はわかっているし、いくらハイブリッドだからといってまだまだ乗れるクルマを廃車にしてハイブリッドカーに買い替えれば、大きな資源とエネルギーが無駄になることぐらいみんなわかっている。それでも「エコ」商売は続く。大きな欺瞞である。トータルで省エネルギーでもないのに「エコ」を名乗るのは偽装ではないか。不当表示として取り締まるべきだ。「絶対やせます!」と喧伝して運動器具を売る商売と同じである。
そもそも本当に人間にとって持続可能なよい環境作りをしようとするなら、人間の諸活動を合理的に足踏みさせる以外にないのである。世界の先進国の大多数は資本主義経済を支持しているのであるから、経済は回り続けなければならず、必然的に環境に負荷がかかることはやむをえない。需要があるからと大量の工業製品を作り、需要を超えてしまって価格暴落、そして大量廃棄、その繰り返しである。人々がエネルギーを消費し、工業製品に取り囲まれれば囲まれるほど、資本主義経済は生きながらえることができる。今回の世界的不況は人々の暮らしを苦しめているが、実は無駄な消費も少なくなり、環境に優しい現象である。本当に環境負荷を減らしたいなら、資本主義経済とは別の道を選択し、人々の真の需要に合わせて計画生産していくしかあるまい。私はなるべくその方向に進むのが望ましいと思っているが、さて、人々はそのような選択肢をとるであろうか。「計画生産」は社会主義の発想である。もちろん、民主的プロセスを欠くソ連型のような社会主義ではない。富の偏在をなくし、利潤を伴わない需要に応じた生産をすることが、本当の「エコ」である。
しかし、企業や商売人が「エコ」「エコ」と騒ぐことによって、省エネルギーのための一定の効果が上がっているのも事実である。これは当該の企業や商売人が意図しない皮肉な効果である。不況によって国内の消費は冷え込んでいるが、「エコのため無駄遣いしない」という心理が、じんわり消費行動を抑えていることは十分考えられる。偽装エコを垂れ流し続けてきた報いである。
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「エコ」は大きな商機である。省庁の予算獲得合戦でも、「環境」が絡めば獲得率が高いという。そしてその省庁からばら撒かれる金を狙い、私企業やら怪しげな団体が群がるという構図である。より消費電力の大きい大型テレビのほうが小型テレビよりもエコポイントが高いというのもおかしな話だということぐらい人々はわかっているし、いくらハイブリッドだからといってまだまだ乗れるクルマを廃車にしてハイブリッドカーに買い替えれば、大きな資源とエネルギーが無駄になることぐらいみんなわかっている。それでも「エコ」商売は続く。大きな欺瞞である。トータルで省エネルギーでもないのに「エコ」を名乗るのは偽装ではないか。不当表示として取り締まるべきだ。「絶対やせます!」と喧伝して運動器具を売る商売と同じである。
そもそも本当に人間にとって持続可能なよい環境作りをしようとするなら、人間の諸活動を合理的に足踏みさせる以外にないのである。世界の先進国の大多数は資本主義経済を支持しているのであるから、経済は回り続けなければならず、必然的に環境に負荷がかかることはやむをえない。需要があるからと大量の工業製品を作り、需要を超えてしまって価格暴落、そして大量廃棄、その繰り返しである。人々がエネルギーを消費し、工業製品に取り囲まれれば囲まれるほど、資本主義経済は生きながらえることができる。今回の世界的不況は人々の暮らしを苦しめているが、実は無駄な消費も少なくなり、環境に優しい現象である。本当に環境負荷を減らしたいなら、資本主義経済とは別の道を選択し、人々の真の需要に合わせて計画生産していくしかあるまい。私はなるべくその方向に進むのが望ましいと思っているが、さて、人々はそのような選択肢をとるであろうか。「計画生産」は社会主義の発想である。もちろん、民主的プロセスを欠くソ連型のような社会主義ではない。富の偏在をなくし、利潤を伴わない需要に応じた生産をすることが、本当の「エコ」である。
しかし、企業や商売人が「エコ」「エコ」と騒ぐことによって、省エネルギーのための一定の効果が上がっているのも事実である。これは当該の企業や商売人が意図しない皮肉な効果である。不況によって国内の消費は冷え込んでいるが、「エコのため無駄遣いしない」という心理が、じんわり消費行動を抑えていることは十分考えられる。偽装エコを垂れ流し続けてきた報いである。
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景気対策が最大の雇用対策?
日ごろの政治献金が功を奏して、自民党政権はエコポイントその他諸々の製造業に対する経済支援に熱心である。生活保護のわずかな母子加算を削ってでも製造業へ莫大な支援をするというのだから、政治献金の賄賂性の疑いがますます強くなったといえるであろう。
自民党政権は、景気がよいときは大企業を儲けさせて労働者には「自己責任」を押し付け、景気が悪くなると国家総力上げて大企業を支援する。小泉政権時代は市場原理主義がはやった時代といわれるが、実はそうではない。富が新たな商売人に少々移ったというだけであり、彼らは勝つときは「自由競争だ」といい、負けるときは国家に助けを求める卑劣な連中である。労働者は好景気のときも賃金を低く抑えられ、かつ労働法制の規制緩和におびえ、不況のときは解雇・賃下げなどもろにその波をかぶり、かつ大企業支援のための重税に苦しむというわけである。企業が儲かっているときになぜもっと課税して不況に備えなかったのか? 企業が人件費を圧縮して生み出した利潤はいったいどこへ消えたのか?
したがって、自民党系の政治家がよく口にする「景気対策が最大の雇用対策」という言葉は信用してはならない。現政権の行う景気対策はすなわち既存の大企業救済であり、大企業経営者の経営責任免責であり、労働者がおこぼれにあずかることは何もない。企業が潤っても労働者が潤わないことは、数年前までの好景気を見ればわかることである。
ついこの前まで、「雇用流動化」の名の下に労働法制の規制緩和がはやっていた。その正当化根拠のひとつは、構造改革により衰退産業と新興産業がはっきりするから、労働者を新産業に移行しなければならない、というものであった。彼らのいうところによれば、市場原理によって衰退すべき産業は必然的に衰退するということであろう。だとすれば今の大企業支援政策は誤っているのではないか? 衰退すべき産業は衰退に任せるべきではないのか。不況を乗り切れない企業は市場から撤退してもらおうではないか。……もちろん、私は日本の製造業を壊滅に追い込めといっているのではない。日本は技術立国であるべきだ。政府がなすべきことは、これまで放棄し続けてきた公教育をしっかりやり直して未来の人材を育てることであり、また生活保障を含めた職業訓練をすることであり、さらに労働法制の規制強化と富の再分配により購買力を高めることである。つまり、底力の強化が私は重要だと考える。このような福祉国家像は、憲法の理念にもかなっている。
「そうか、景気対策が一番の雇用対策か……いつになったら正社員になれるかなあ」と与党政治家の言葉をぼんやり信じていては、いつまでたっても救われない。
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自民党政権は、景気がよいときは大企業を儲けさせて労働者には「自己責任」を押し付け、景気が悪くなると国家総力上げて大企業を支援する。小泉政権時代は市場原理主義がはやった時代といわれるが、実はそうではない。富が新たな商売人に少々移ったというだけであり、彼らは勝つときは「自由競争だ」といい、負けるときは国家に助けを求める卑劣な連中である。労働者は好景気のときも賃金を低く抑えられ、かつ労働法制の規制緩和におびえ、不況のときは解雇・賃下げなどもろにその波をかぶり、かつ大企業支援のための重税に苦しむというわけである。企業が儲かっているときになぜもっと課税して不況に備えなかったのか? 企業が人件費を圧縮して生み出した利潤はいったいどこへ消えたのか?
したがって、自民党系の政治家がよく口にする「景気対策が最大の雇用対策」という言葉は信用してはならない。現政権の行う景気対策はすなわち既存の大企業救済であり、大企業経営者の経営責任免責であり、労働者がおこぼれにあずかることは何もない。企業が潤っても労働者が潤わないことは、数年前までの好景気を見ればわかることである。
ついこの前まで、「雇用流動化」の名の下に労働法制の規制緩和がはやっていた。その正当化根拠のひとつは、構造改革により衰退産業と新興産業がはっきりするから、労働者を新産業に移行しなければならない、というものであった。彼らのいうところによれば、市場原理によって衰退すべき産業は必然的に衰退するということであろう。だとすれば今の大企業支援政策は誤っているのではないか? 衰退すべき産業は衰退に任せるべきではないのか。不況を乗り切れない企業は市場から撤退してもらおうではないか。……もちろん、私は日本の製造業を壊滅に追い込めといっているのではない。日本は技術立国であるべきだ。政府がなすべきことは、これまで放棄し続けてきた公教育をしっかりやり直して未来の人材を育てることであり、また生活保障を含めた職業訓練をすることであり、さらに労働法制の規制強化と富の再分配により購買力を高めることである。つまり、底力の強化が私は重要だと考える。このような福祉国家像は、憲法の理念にもかなっている。
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選択肢のない二大政党時代
鳩山由紀夫氏が民主党代表に選ばれたそうで、世論調査でも麻生太郎首相より鳩山氏のほうがより「首相にふさわしい」という結果が出たようである。この世論調査というものの実態が私にはわからず、毎回首を傾げざるを得ない。ついこの前まで、世論調査において首相にふさわしい政治家の第一位は小泉元首相だったはずだ。いわゆる「格差社会」を築いた小泉元首相が相変わらず人気を集めていることには驚くが、それよりも「麻生か鳩山か」と問われて大勢が「鳩山」と一気に政党支持まで変えてしまうことはさらに驚くべきではないか。「麻生か鳩山か」と質問を二者択一としなければ、やはり小泉氏は一位に輝くのであろうか。いったいどんな人々が世論調査に答えているのか。この世はセレブばっかりか。人々の「政治を見る目」は養われているのであろうか。それとも、世論調査は私の想像もできない優れた「バランス感覚」を反映しているのであろうか。結局「格差社会」といわれても、大半の人々はそこそこの暮らしを維持しているということか。
鳩山氏も元自民党議員であり、政策方針は現在の自民党の一部の議員と今でもまったく変わりはない。自民党飛出し組議員にありがちなことだが、時と場合によって政策方針を都合のよいようにころころ変える、国民にとってはむしろ危険な人物であると私は見ている。インターネットでは「民主党政権になると中国人と朝鮮人に日本が乗っ取られる」というようなデマがいつものようにお目見えしているが、そんなデマを焦って流す必要はない。何しろ民主党の代表は自民党員と変わりないのだから。
民主党は「寄り合い所帯」と揶揄されるが、自民党も同じである。ただ「そこそこのポストにありつけそう」という理由でそれぞれ集まっているに過ぎない。したがって、「格差社会」への批判が出れば、自民党からも民主党からもそれぞれ社会福祉や労働問題に詳しい政治家が出てきて、もっともらしい議論をする。社会福祉や労働法制についてこれまで民主党は自民党より優れた対案を出してきたが、それは法律として通りそうもないから民主党幹部が許してきたのであって、本当に民主党政権になったとき、それまでの対案の内容を維持するか、非常に疑わしい。なぜなら、民主党代表が元自民党議員だからだ。
小沢前代表は結局、土建業者からの献金問題について触れることなく代表を辞めた。なるほど、小沢氏の言うとおり、土建業者からの献金は適法に処理しているのかもしれない。政治資金規正法はザル法であるから、「適法」に処理が可能なのであろう。しかし適法だからといってマスコミが見逃してよいのか。自民党代表も民主党代表も企業献金を受けて政治活動をしているということは、日本の民主主義(国民の選択肢)にとって、大変な問題ではないのか。二大政党のうち、一党は企業献金にまみれた資本家万歳党であってよいものの、もう一党は少なくとも庶民の側に立った労働者代表党であるべきだろう。それが健全な民主主義の形ではないか。鳩山代表になった今でもこの批判は変わらない。鳩山氏の企業献金の実態は私は知らないが、いずれにしても土地や株式の動向で保有資産が変わる富裕層であるには違いなく、結局自民党代表も民主党代表も、労働を提供して賃金を得る労働者の代弁者とはとてもなり得ないのである。これでは真の二大政党時代とはいえない。より多額の企業献金を得ようと争って突き進む最悪の二大政党状態である。民主党の中には労働組合の支援を受けた元社会党(民社党)議員もいるかもしれないが、もはや力のない骨抜き状態となっている。
今の日本は、二大政党のどちらを選択しても富裕層向けの政策をとり続ける悲劇の民主主義社会である。世論調査のように、国民がそれでよしとしているのであればそれもしかたがないことだろう。しかし私は国民の大きな声として、「厚い福祉社会」を望む声が世の中に潜在していると信じたい。言論の力でより民主プロセスが透明化され、庶民(労働者)の声が大きな勢力になることを期待する。
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鳩山氏も元自民党議員であり、政策方針は現在の自民党の一部の議員と今でもまったく変わりはない。自民党飛出し組議員にありがちなことだが、時と場合によって政策方針を都合のよいようにころころ変える、国民にとってはむしろ危険な人物であると私は見ている。インターネットでは「民主党政権になると中国人と朝鮮人に日本が乗っ取られる」というようなデマがいつものようにお目見えしているが、そんなデマを焦って流す必要はない。何しろ民主党の代表は自民党員と変わりないのだから。
民主党は「寄り合い所帯」と揶揄されるが、自民党も同じである。ただ「そこそこのポストにありつけそう」という理由でそれぞれ集まっているに過ぎない。したがって、「格差社会」への批判が出れば、自民党からも民主党からもそれぞれ社会福祉や労働問題に詳しい政治家が出てきて、もっともらしい議論をする。社会福祉や労働法制についてこれまで民主党は自民党より優れた対案を出してきたが、それは法律として通りそうもないから民主党幹部が許してきたのであって、本当に民主党政権になったとき、それまでの対案の内容を維持するか、非常に疑わしい。なぜなら、民主党代表が元自民党議員だからだ。
小沢前代表は結局、土建業者からの献金問題について触れることなく代表を辞めた。なるほど、小沢氏の言うとおり、土建業者からの献金は適法に処理しているのかもしれない。政治資金規正法はザル法であるから、「適法」に処理が可能なのであろう。しかし適法だからといってマスコミが見逃してよいのか。自民党代表も民主党代表も企業献金を受けて政治活動をしているということは、日本の民主主義(国民の選択肢)にとって、大変な問題ではないのか。二大政党のうち、一党は企業献金にまみれた資本家万歳党であってよいものの、もう一党は少なくとも庶民の側に立った労働者代表党であるべきだろう。それが健全な民主主義の形ではないか。鳩山代表になった今でもこの批判は変わらない。鳩山氏の企業献金の実態は私は知らないが、いずれにしても土地や株式の動向で保有資産が変わる富裕層であるには違いなく、結局自民党代表も民主党代表も、労働を提供して賃金を得る労働者の代弁者とはとてもなり得ないのである。これでは真の二大政党時代とはいえない。より多額の企業献金を得ようと争って突き進む最悪の二大政党状態である。民主党の中には労働組合の支援を受けた元社会党(民社党)議員もいるかもしれないが、もはや力のない骨抜き状態となっている。
今の日本は、二大政党のどちらを選択しても富裕層向けの政策をとり続ける悲劇の民主主義社会である。世論調査のように、国民がそれでよしとしているのであればそれもしかたがないことだろう。しかし私は国民の大きな声として、「厚い福祉社会」を望む声が世の中に潜在していると信じたい。言論の力でより民主プロセスが透明化され、庶民(労働者)の声が大きな勢力になることを期待する。
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