シイタケのブログ -13ページ目

育児介護休業法の世界はハッピーワールド

 子ども手当て法案が話題になっていることに関連して、去年行われた育児介護休業法の改正にも触れておきたい。その改正はまもなく、6月末に施行されるものである。

 育児介護休業法の改正によって、夫婦とも育児休業を取れるようになったり、休業期間を延長できるようになったり、職場復帰後も残業免除が認められるようになった。いわゆるワーク・ライフ・バランスの理念に基づいて、夫婦いずれも安心して子育てに専念できる社会を目指そうとでもいうのであろう。法改正で描かれている社会はきわめて理想的で、非の打ち所もないほどである。法の定めるとおり育児休業が十分取れれば幸せだ。ワーク・ライフ・バランスとは程遠いといわれる厚生労働省の官僚が編み出したユートピアといってもよい。

 しかしそれは、やはり理想像=絵に描いたモチでしかないのである。そもそも、改正前の制度でも十分であり、改正は不要だったと言い切ってもよいくらいである。法制度を上積みして磨き上げるよりも、その制度がすべての職場で浸透するよう施策を打つことが先決である。財力のある企業の正社員の中には、育児休業を自由に取得できる者もいるであろう。そのような企業は、たいてい、法定の育児休業制度より進んだ、期間や待遇の面で法定より有利な就業規則や労働協約を持っているものである。したがって、育児休業制度の法律による充実は無用ともいってよい。重要なのは、どれほどの労働者が育児休業を取得できているのか、あるいはそもそも、妊娠・出産して職場復帰できる環境にあるかということであり、この点で恵まれない労働者を底上げすることが、何よりも大事なのである。

 具体的にいえば、実質青天井になっている労働時間規制を強化することが重要である。もっと重要なのは、非正規労働者の保護である。非正規社員はまさに、子を生み育てにくい人々といってよい。妊娠を会社に告げただけで雇止めという会社はいくらでもあるし、育児休業の申し出などもってのほかであろう。また、たとえ職場復帰が保障されるとしても、産休中や育児休業中の賃金保障がゼロでは生活が厳しい。シングルマザーが雇用保険のみで生活を自立させることは困難である。

 「働き方の多様化」を名目にして、実態は低賃金労働者=モノを言えない労働者を増やす政策を採りながら、育児介護休業法の制度だけをパラダイスにすることは矛盾している。ニュースで「パパも育児休業しやすくなりました!」などと報道されても、実態を考えるとむなしく響くばかりである。

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「外人」を排除して得られるものは一体?

 いわゆる「子ども手当て法案」が国会で審議入りしたそうで、自民党の丸川珠代議員が質問に立っているのをテレビで見た。彼女のホームページを興味本位でのぞいてみると「日本人でよかった。」とい文字がトップに出ていて、ますます国粋主義的傾向を表に出してきているようだ。国会の質問でも、「あくどい中国人がこども手当ての不正受給をするおそれがある」みたいなことを言っていた。外国人に限らず、どんな制度でも、それを悪用しようと考える者は必ず出てくるわけで、そんな極めて少数派の問題のために制度そのものをつぶそうとする議論の立て方はおかしい。脱税者が多くなるから所得税を廃止しましょうといっているようなものである。不正受給が多いから生活保護を廃止しましょうといっているのと同じ。

 もちろん私は、子ども手当てに賛成しているわけではない。富裕層に現金を与える必要はないし、そもそも本当に救済しなければならないのは、生活が不安定なために子どもすらもてない人々であるはずだからだ。現金をばらまく余裕があるのなら、公立保育園を増やすべきだし、そもそも教育予算をうんと増額して、大学進学費用の軽減などに当てるべきである。私立学校や進学塾がはびこるような社会=一部の人しか自己の能力を高めることができない社会はよろしくないのである。

 丸川議員のように、最近の自民党は民主党を攻撃するネタに困っているのか、「外国人排斥」を訴えて有権者の心をくすぐりたいかのようである。外国人参政権の話が出れば「朝鮮人が日本を支配するようになったらどうする」と恐怖キャンペーンをはり、高校無償化の話が出れば、「朝鮮学校は除外せよ」という。もともと財界の意向に沿って外国人労働者を受け入れ、賃金ダンピングを生じさせようとしていたのは自民党なのであるが、最近では外国人を排斥するポーズを見せることで、日本人の有権者にアピールしたいようである。とりわけ朝鮮学校に対する無償化の除外は、罪が大きい。朝鮮学校に通っている学生も普段は日本人と同じように暮らしているわけで、将来日本社会を支える一員なのである。無償化を除外されることで前途有望な若い心に「日本人を恨む気持ち」が小さく根付くことであろう。この小さな気持ちは、今後何十年と続くわけである。いわゆる対テロ戦争と同じ。無償化除外は、無用な恨みの連鎖をもたらすだけ。百害あって一利なしである。

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経営者のたくらみ

 もうしばらく前のことになるが、いわゆる「名ばかり管理職問題」について、興味深い判決が出た。これはすでにマスコミでも取り上げられ、有名になった判決である。東和システム事件東京地裁判決。年末には会社側の控訴がたしか棄却されたかと記憶している。労働基準法上の労働時間規制が適用されない…簡単に言えば残業代を支払わなくてよい「管理監督者」とはどんな部類の人々か、わりとはっきり示されたのである。それを引用すると…

「管理監督者とは、労働条件の決定その他労務管理につき、経営者と一体的な立場にあるものをいい、名称にとらわれず、実態に即して判断すべきであると解される(昭和22年9月13日発基第17号等)。具体的には、〔1〕職務内容が、少なくともある部門全体の統括的な立場にあること、〔2〕部下に対する労務管理上の決定権等につき、一定の裁量権を有しており、部下に対する人事考課、機密事項に接していること、〔3〕管理職手当等の特別手当が支給され、待遇において、時間外手当が支給されないことを十分に補っていること、〔4〕自己の出退勤について、自ら決定し得る権限があること、以上の要件を満たすことを要すると解すべきである」。

 東和システム事件では、この基準にしたがって、管理監督者であることを否定し、従業員の訴え(残業代の請求)を認めた。まことにもっともで妥当な判決だと思う。

 しかし、このように「名ばかり管理職問題」が有名になるにしたがって、ちょっと危険な方向性が生まれつつあるように感じるのは私だけであろうか。つまり経営側は、上記の基準を一応形式だけでも満たしておけば、管理監督者性は否定されないとして、就業規則等をいじり始めているのではないかと危惧するのである。例えば一応課長と肩書きのつく者は、グループを統括でき、部下の人事考課権があり、出退勤の制約がないように、社内規定を形式的に整えておくのである。しかし実際のところは、より上の管理職や経営者が実験を掌握しており、課長に圧力をかけることができ、課長の実質的権限はどこにもないと…。もちろん、裁判にでもなれば実態に即して判断されるのであるが、それは証明しだいであるし、そもそも社内規定を整えておけば、訴えるモチベーションを削ぐ効果は十分であろう。

 否、上記のように社内規定を形式的に整えることより、もっと危険なのは、経営者や、実質的な管理監督者が、課長クラスに仕事を押し付ける傾向になりはしないかということである。例えば課長に、平社員の仕事の管理、人事考課など面倒な仕事を押し付けて、最終的な判断だけ、経営者や実質的管理監督者が行う、というように。名ばかり管理職としては、実質的権限はないのに面倒な手続き上の仕事を負わされて、しかもそれを根拠に管理監督者性が認められやすい方向に傾くのであるから、まさに踏んだり蹴ったりである。手当のない残業が増えるばかりである。

 裁判所が一企業の業務の流れを把握し、その業務の中の「管理監督」とはどういうことか、あるいはその業務の中で実質的な管理監督者は「何人」いれば適正なのかということにまで踏み込むことは、なかなか難しいであろう。しかしそこまで踏み込んで実態に即した判断をしないと、平社員50人、管理監督者49人というような会社も認められかねない。急に仕事の増えた名ばかり管理職が過労にならないよう願うばかりである。

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