
平和記念公園 大正呉服店
平和記念公園を歩きます。
慰霊碑はもともと丹下健三氏が知己のイサム・ノグチに
依頼していましたが、アメリカ人であることで反対され、
丹下自身が作りました。
記念碑には
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
と、あります。
この過ちが誰の過ちなのかを巡って賛否両論がありました。
考案した広島大学の雑賀忠義教授はアメリカ留学中の長男に
英語訳を相談し、決定しました。
Let all the souls here rest in peace: For we shall not repeat the evil.
このWeは人間すべてということです。
向こう側に見えているのが平和の灯。
産業地帯の火と宗教施設の火が集められて、ともされています。
両手を広げた掌の形です。
そして右手にちらっと見えるベージュの建物は
広島 平和記念資料館
平和記念資料館です。
QRコードの事前購入で入れます。
当日購入の方は並んでいました。
中も混雑して、人が二重三重に展示物を見ました。
過半数は海外からの方のようです。
海外の人は普通声がでかくて、うるさいのですが、
誰も一言も口をきかないのが、印象的でした。
YouTubeで感想を聞かれている外国人が
同じような感想を言ってました。
向こうにみえている東館から入り、頭上の渡り廊下を通って
本館に行きます。
丹下健三氏は被爆後の広島を調査し、
コンペで1等を取ります。
ル・コルビジエの影響を受けたピロティ構造で
戦後の建物としては初の重要文化財に指定されています。
コンクリートに木目
平和記念資料館の中から撮ったものです。
平和の軸線がよくわかります。
当初丹下がコンペで入選したのは資料館だけでしたが、
公園全体を構想に入れていました。
平山郁夫のモザイクタイル「平和のキャラバン」
タイルの一つ一つに寄贈者の名前が書かれています。
平山郁夫画伯も15歳の時学徒動員の最中に被爆されました。
見ていませんが、国際会議場に対になる絵があるそうです。
100m道路と呼ばれる平和大通りは建物疎開と都市計画が結びついて実現。
被爆体験を語る俊ちゃんがこうおっしゃっていました。
(同級生は建物疎開の学徒動員でたくさん亡くなったので)
「100m道路は私の同級生の墓場である。」
支柱のように見えているのは、被爆60年に際し、
2005年フランスから贈られた「平和の門」
資料館の免震工事をするにあたり、
発掘調査が行われました。
たくさん瓦礫が出て来て、
この平和記念公園の下には、被爆直後の広島が横たわっているのだと思うと
愕然としました。
説明会資料が読めます。
https://www.mogurin.or.jp/museum/library/aozora/1015_heiwa.pdf
原爆で犠牲になったアメリカ人捕虜
縮景園から平和記念公園に移動する途中
中国憲兵隊司令部跡の前を通りました。
アメリカの原爆投下の条件は
5㎞平米の平地があり、今まで大きな空襲がないこと
そして
アメリカの捕虜がいないことでした。
アメリカは公式には認めてきませんでしたが、
実はここに捕虜が収容されていて、被爆死したのでした。
戦後憲兵隊はすぐに解散していたので、
消息がはっきりしませんでしたが、広島の歴史研究家
森重昭さんの調査で捕虜10名が亡くなっていたことを
つきとめます。
捕虜のうちの3人が東京に送られて、被爆を逃れました。
被爆を逃れたカートライト氏や遺族と森氏は交流を続け
遺族の代理で、遺影を追悼施設に登録し、ここに銘板を設置しました。
森氏は広島を訪れたオバマ大統領と抱擁を交わしたことで
世界の注目を浴びました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/consumercoopstudies/487/0/487_63/_pdf
そこから平和記念公園に向かいました。
建築家 丹下健三氏により設計された平和記念公園。
原爆死没者慰霊碑、平和の火、原爆ドーム、ピースプロムナードと続き、
ひろしまピースラインと呼ばれています。
平和記念公園続きます。
美しい縮景園にも哀しみが。。。
広島城の東側にある縮景園にやってきました。
東側は守りが手薄なので、その堅めの意味もあったそうです。
(表向きに東(徳川)の守りを強くすることはできない。)
広島城は毛利輝元が築城しましたが、
関ケ原の合戦以降、広島を去り、
そのあとに入った福島正則も改易され、
1619年浅野長晟ながあきらが、入りました。
1620年家老の上田宗箇に造営を指示し
大名庭園のさきがけとなります。
中国の西湖の景観をコンパクトに取り入れたことから、
縮景園と名付けられました。
その後大火で焼失し、天明の大改修で
京都の庭師、清水七郎衛門が現在の形に造営。
原爆で被害を受けるがその後復興。
広島県が管理しています。
西湖の特徴的な蘇堤を模した跨虹橋
こも巻されたソテツ
手前は稲田らしいです。
富士山
超然居からの眺め
キリシタン灯篭
笠の部分が宝篋印塔みたいですね。
寄せ灯篭でしょうか。
夕照庵
お稲荷さん?
所有者が広島県なので、ちゃんとした鳥居とか祠が
設置できないそうです。
あくまでも庭のアクセサリー
池の水は京橋川から引いています。
海に近く、海の魚もいるそうです。
被爆したイチョウ
爆風で傾いたとの説明書き。
きれいなーと、能天気に眺めていてはいけません。
人が写っているあたり、お水がたくさんお供えしてあります。
被爆した人たちがたくさん縮景園に逃げ込んだそうです。
1987年に発掘したところ、たくさん人骨が発見され
慰霊碑が建てられました。
寒牡丹がきれいに咲いていました。
これがヒロシマ。















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