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京の冬の旅 因幡薬師

いよいよ明日で終了となる、京の冬の旅。
四条烏丸にあるので、近くを通るものの、
あまりちゃんとお参りしたことがありませんでした。

今回秘仏のお薬師様(平安時代中期)が公開されているということで、

拝観してきました。

火事になってもお厨子ごと搬出できるよう、緩衝材に頭布が載っています。

左の双子のような観音様は観音堂におられるけれど

中には入れないのでおめにかかれない仏像。

因幡堂平等寺は平安時代の貴族 橘行平の邸宅跡に建てられた寺です。

村上天皇の命により、因幡の国一之宮に詣でた行平は

帰京の折病に倒れました。

夢の中に異形の僧が現れ、「海中に仏の国からやってきた浮木を供養しなさい。

そうすれば病は治り、一切の願いがかなうでしょう」

と、言われます。

人を集めて、網を打つと、浮き木が予言通りみつかりました。

その浮き木はなんと薬師如来でした。

それを本尊として、浦にお堂を建てました

その後行平は無事帰京しましたが、ある夜客人がありました。

それはあのときの薬師如来だったのです。

そこで行平は邸宅内にお堂を建て、お祀りしました。

因幡堂の始まりです。

 

このすぐ右手のお堂に秘仏の薬師如来がおられました。

清凉寺式のお釈迦様と、東寺の帝釈天も真っ青なイケメン如意観音様も

(あれ、私の記憶違いか?画像検索したものはそうでもない。)

おられました。

 

この額は本尊のお前立かなと思います。

薬壺を持っておられます。

ご本尊は平安時代の作なので、薬壺を持っておられるのは珍しいそうです。

 

屋根の上にいた贔屓の瓦

このほか、観音堂と、寺宝展を拝観させていただきました。

高倉天皇の側室小督のものと伝わるお琴や

縁起絵巻、橘行平坐像などが印象に残りました。

観音堂には、こちらが一時聖護院の末寺だった時代があり、

役行者のお像や、弘法大師像も祀られています。

ガン封じとしても広く信仰されているので、しっかりお願いしました。

アフタヌーンティー@千里阪急

EXPO’70の時に開業した千里阪急ホテルが近々閉館ということで、

アフタヌーンティーに行ってきました。

ニンジンポタージュ

ちらし寿司

オープンサンド


イチゴ入りのサラダ、鶏ハム?、ポークの煮物?


デザート

スコーンはビスケットみたい…

アオハタとコラボなので、アオハタのジャムが添えてありました。

とにかくボリュームがあって

リッツカールトンのアフタヌーンティーの半額ぐらいで、倍のボリュームでした!


一緒に行ったのは、学生時代の友人3人。

コロナでしばらく会ってませんでした。

7人グループでいろんな組み合わせで、そのうちの2人とか3人とかで、よく旅行に行ったね〜

と、話しました。

話しているうちに、いろんな記憶が蘇って、

学生時代の友人とは時間が戻りますねー。

それぞれの近況を報告し合い、

息子たちも就職したことを話すと、

「起立性調節障害克服したんだねー」

と、言われました。

気の置けない友人だから、

そんな話もしていたんだね。

しんどくないわけじゃない…

と、言ってたこともありますが、

とりあえず朝起きています。

帰ってきたら昼まで寝てますがね。


平野神社はまだみたいです。

北野天満宮から上七軒に。
京都最古の花街です。

グリル弥兵衛さんに初めて入りました。

 

日替わりランチをおいしくいただきました。

丁寧に作られていて、お店の方も親切でした。

 

平野神社の拝殿です。

台風で倒壊しましたが、再建されました。

 

橘がたわわになっていますが、

桜はまだでした。(3月9日)

だいたい北野天神の梅と、平野神社の桜は重なるのにね。

息子と思われる男性が老親の手を引いてお参りで、その後ろで待ちました。

うちの兄もそうですが、

お嫁さんに任せず息子さんが付き添っているのを

見かけます。

水仙がきれいに咲いてニコニコしているみたい。

 

こちらの彼岸桜はちらほらですが、

 

妙蓮寺はきれいでした。

芙蓉も咲き終わるとパツパツに切られるんですね。

 

前を通った椿寺と、一本うどんのたわらやさんは

先日テレビ「帰れマンデー」で紹介されました。

私が拝観した時は全然並んでいなかったのに、

警備員が出る混雑になっていました。

そこに団体ツアーが到着して、行列をスキップ。

公開終了が近いということもありますが

テレビの影響は大きい。特別公開18日まで。

原爆ドームと記念碑

広島の続きです。
被爆直後の広島には被害を免れた宇品の暁部隊や
救援要請を受けた呉の陸軍船舶部隊が出動しました。
その後9月に枕崎台風が(めったに台風が直撃しない広島に)
上陸し、大きな被害を受けました。
(それが除染したという説もあるそうです。)
 
原爆ドームが保存されています。
1915年竣工。
チェコの建築家 ヤン・レッツエルの設計で
産業奨励館と言いました。
戦争が激しくなってからは、内務省の土木事務所など
公的機関が入っており、多くの職員が殉職しました。

image

保存のため鉄骨で補強されています。

戦後壊すお金がなくて、放置されていたそうです。

1960年代広島の復興が進み、被爆建物がなくなったころ

悲しい記憶を思い起こさせるとして、壊す意見もありました。

震災の遺構と同じですね。

しかし、1歳の時に被爆し、16歳で白血病で亡くなった

楮山 ( かじやま ) ヒロ子さんが、日記の中で

「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか」

と訴え、保存運動が始まったそうです。


手前の支柱がいくつか立っているのは噴水


ベンチのように横たわるこの石柱は

原爆ドームの門の支柱です。

横に門扉をつける穴が空いていますね。

川から引き上げられてここにあるそうです。

向こうにみえる相生橋はT字型をしているから

ここがターゲットになったと言われています。

平和記念公園内にはたくさんの慰霊碑があります。

学徒動員の塔

建物疎開中に被爆死した生徒を含め全国の学徒を慰霊する塔。

裏には戦没学徒出身校名

 

平和の鐘

周囲には池があり、大賀蓮が咲きます。

被爆した人たちが蓮の葉っぱでやけどを冷やしたからだそうです。

お寺の鐘のようですが、この形は宇宙を表しています。

国境のない世界地図が描かれています。

左手に鏡があり、そこに自分を写してからつくそうです。

 

たくさんの外国人も亡くなりました。

韓国人原爆慰霊碑の台座は亀形。

中には朝鮮の王族も被爆し、亡くなられました。

 

一番有名な「原爆の子」の像(千羽鶴の塔)

昭和30年ごろ被爆時に乳幼児だった子が思春期を迎え

白血病などの原爆症で亡くなるケースが増えました。

当時中学1年生の佐々木偵子さんもその一人でした。

「千羽鶴を折れば、幸せがやってくる」と、祈りながら

永眠されました。

この像には今も多くの千羽鶴が寄せられています。

 

広島市内はこれでおしまいです。

お付き合いありがとうございました。

宮島に続きます。


北野天満宮の梅がやっと見ごろ

広島の記事は書いていても、重いので、
京都の記事を交えます。
でも書かないと忘れてしまうので
備忘録代わりです。
広島は数回行っているのに、何も知りませんでした。
 
例年2月25日の梅花祭でみごろを迎えますが、
北野天満宮ではやっと梅が見ごろを迎えました。

 

よく見ると五分咲きもいかないかな。

 

赤い目の牛さんのまわりもきれい。

 

宝物館公開中

 

 

境内のところどころ、源平の梅(一本の梅に紅白)があります。

同じ木でも紅の方が遅くて、まだ蕾です。