岩倉というところ
岩倉実相院から、駅のほうに山住神社を探しながら向かいました。
大住と間違って入力したために、携帯には該当なしとでましたが、
街道沿いに行くとあるだろうと、適当に歩きました。
実相院のまわりにはたくさん精神科の病院があります。
先日京都新聞にもちらっと載っていましたが、
岩倉というところは、精神病の患者を古くから
受け入れてきたそうです。
石座神社の東隣にある大雲寺はもとは天台宗の単立寺院ですが、
もとは大寺院だったそうです。
971年に創建され、源氏物語で光源氏が加持祈祷を受けに行って、
若紫に出会う《北山になむなにがし寺》は
大雲寺だという説があります。
本尊は十一面観音で、難病、脳病、心の病に霊験あらたかだと
信仰を集めてきました。
江戸時代には心の平癒を願う人たちを受けれてきたそうです。
周辺の茶屋では病人を受け入れ、
そのお世話をする強力もいたそうです。
日本の精神医療はこの地に始まったとことになります。
病院のHPより
後三条天皇(位1068~1072年:第71代天皇)の第三皇女がこころの病に陥った時、岩倉の大雲寺境内にある不増不滅の霊泉を毎日飲ませたところ、病気が治ったという伝説があります。
このことが伝承され、各地から多数の精神病者と家族が参集されるようになり、周辺では宿泊施設(旅籠・茶屋・保養所)が営まれるようになりました。
石座神社の由緒がきの後ろに見えているのが、
病院で、大雲寺の旧境内にあります。
今は認知症や物忘れの方などが多いようです。
テクテク歩いていくと、お散歩中の老人に会います。
街道筋に歩いていけば、
いずれ山住神社の前を通るだろうと思っていましたが、
駅の近くまで来てしまいました。
街道沿いではなかったようです。
神社めぐりをしている人は皆そうだと思いますが、
神社をめぐっているうちに、
鎮守の森を見ると、なんとなくわかります。
山のほうを見てみると、
このへんがそうではないかと、見当をつけました。(矢印)
はたしてそうでした。
ロープが張ってあって、境内には入れません。
この正面に石座いわくらがあります。
背後の山が神奈備山になります。
携帯の画像なので、アップができなくて残念です。
磐の上の木が湾曲して伸びているのが興味深かったです。
石座神社の元社ですが、こちらが今はお旅所です。
岩倉具視など貴族の子供たちが
岩倉に預けられていたことは知っていましたが、、
精神療養発祥の地とは知りませんでした。
いろいろ勉強になりました。
大住と間違って入力したために、携帯には該当なしとでましたが、
街道沿いに行くとあるだろうと、適当に歩きました。
実相院のまわりにはたくさん精神科の病院があります。
先日京都新聞にもちらっと載っていましたが、
岩倉というところは、精神病の患者を古くから
受け入れてきたそうです。
石座神社の東隣にある大雲寺はもとは天台宗の単立寺院ですが、
もとは大寺院だったそうです。
971年に創建され、源氏物語で光源氏が加持祈祷を受けに行って、
若紫に出会う《北山になむなにがし寺》は
大雲寺だという説があります。
本尊は十一面観音で、難病、脳病、心の病に霊験あらたかだと
信仰を集めてきました。
江戸時代には心の平癒を願う人たちを受けれてきたそうです。
周辺の茶屋では病人を受け入れ、
そのお世話をする強力もいたそうです。
日本の精神医療はこの地に始まったとことになります。
病院のHPより
後三条天皇(位1068~1072年:第71代天皇)の第三皇女がこころの病に陥った時、岩倉の大雲寺境内にある不増不滅の霊泉を毎日飲ませたところ、病気が治ったという伝説があります。
このことが伝承され、各地から多数の精神病者と家族が参集されるようになり、周辺では宿泊施設(旅籠・茶屋・保養所)が営まれるようになりました。
石座神社の由緒がきの後ろに見えているのが、
病院で、大雲寺の旧境内にあります。
今は認知症や物忘れの方などが多いようです。
テクテク歩いていくと、お散歩中の老人に会います。
街道筋に歩いていけば、
いずれ山住神社の前を通るだろうと思っていましたが、
駅の近くまで来てしまいました。
街道沿いではなかったようです。
神社めぐりをしている人は皆そうだと思いますが、
神社をめぐっているうちに、
鎮守の森を見ると、なんとなくわかります。
山のほうを見てみると、
このへんがそうではないかと、見当をつけました。(矢印)
はたしてそうでした。
ロープが張ってあって、境内には入れません。
この正面に石座いわくらがあります。
背後の山が神奈備山になります。
携帯の画像なので、アップができなくて残念です。
磐の上の木が湾曲して伸びているのが興味深かったです。
石座神社の元社ですが、こちらが今はお旅所です。
岩倉具視など貴族の子供たちが
岩倉に預けられていたことは知っていましたが、、
精神療養発祥の地とは知りませんでした。
いろいろ勉強になりました。
石座神社
岩倉実相院のすぐそばにある石座いわくら神社です。
岩倉という地名はここから来ているのですね。
起源は不詳ながらも、880年の文書にすでに登場していたそうです。
971年に大雲寺が創建された際は鎮守社として、
八神が勧請され、さらにお伊勢さんなども勧請されて十二所明神とされ
ここはお旅所だったそうです。
磐坐のある石坐神社は今は山住神社と呼ばれています。
磐坐はここにあるのだと思っていました。
後から山住神社も訪ねてみることにします。
本殿
お社の中の狛犬さんが焼き物で、とても愛嬌がありました。
稲荷神社、鹿島神社 香取神社
右手に見えるのが比叡山
出雲神社、貴船神社、熊野神社
本殿から見た拝殿
傾斜を生かした配置で、
建物は新しいが、市内でも珍しい宮座の建物が残っているそうです。
宮座というのは、専門の神職をおかずに、
氏子が中心となって祭祀を行う共同体のことだそうです。
10月23日前後には勇壮な火祭りがおこなわれます。
ただ未明に行われるため、見たことはありません。
興味のある方は動画がアップされています。https://www.youtube.com/watch?v=zG_dx7bJ_jw
(祝詞の最中も撮るのもどうよ?と、思いますが。。。)
では山住神社を探し方々、
天気がよいので、駅まで歩きます。
岩倉という地名はここから来ているのですね。
起源は不詳ながらも、880年の文書にすでに登場していたそうです。
971年に大雲寺が創建された際は鎮守社として、
八神が勧請され、さらにお伊勢さんなども勧請されて十二所明神とされ
ここはお旅所だったそうです。
磐坐のある石坐神社は今は山住神社と呼ばれています。
磐坐はここにあるのだと思っていました。
後から山住神社も訪ねてみることにします。
本殿
お社の中の狛犬さんが焼き物で、とても愛嬌がありました。
稲荷神社、鹿島神社 香取神社
右手に見えるのが比叡山
出雲神社、貴船神社、熊野神社
本殿から見た拝殿
傾斜を生かした配置で、
建物は新しいが、市内でも珍しい宮座の建物が残っているそうです。
宮座というのは、専門の神職をおかずに、
氏子が中心となって祭祀を行う共同体のことだそうです。
10月23日前後には勇壮な火祭りがおこなわれます。
ただ未明に行われるため、見たことはありません。
興味のある方は動画がアップされています。https://www.youtube.com/watch?v=zG_dx7bJ_jw
(祝詞の最中も撮るのもどうよ?と、思いますが。。。)
では山住神社を探し方々、
天気がよいので、駅まで歩きます。
岩倉具視隠棲の地
岩倉実相院を出まして、
そばにある岩倉具視が隠棲していた家を見学しました。
貸切です。
岩倉具視は孝明天皇の侍従でしたが、
皇女和宮の降嫁をすすめたため、
佐幕派とみなされ、失脚しました。
命すら危ぶまれた具視は、岩倉に身を隠すようにしてこの地にくらしました。
茅葺です。
1864年から3年間住みました。
昭和初期の写真を見ると、ぼろぼろでしたが、
昭和7年に国の史跡となりました。
いい枝ぶりの赤松。
私一人きりなので、ゆっくりできました。
昭和3年に建てられた対岳文庫
岩倉具視の資料が展示されています。
京都市役所を建てた武田五一の設計です。
こちらも有形登録文化財に指定されています。
具視もこの3年間があったから、後の時代につながったのかもしれません。
家系図がありましたが、現在の当主は1933年生まれの方のようです。
近くまで来られましたら、どうぞのぞいてみてください。
そばにある岩倉具視が隠棲していた家を見学しました。
貸切です。
岩倉具視は孝明天皇の侍従でしたが、
皇女和宮の降嫁をすすめたため、
佐幕派とみなされ、失脚しました。
命すら危ぶまれた具視は、岩倉に身を隠すようにしてこの地にくらしました。
茅葺です。
1864年から3年間住みました。
昭和初期の写真を見ると、ぼろぼろでしたが、
昭和7年に国の史跡となりました。
いい枝ぶりの赤松。
私一人きりなので、ゆっくりできました。
昭和3年に建てられた対岳文庫
岩倉具視の資料が展示されています。
京都市役所を建てた武田五一の設計です。
こちらも有形登録文化財に指定されています。
具視もこの3年間があったから、後の時代につながったのかもしれません。
家系図がありましたが、現在の当主は1933年生まれの方のようです。
近くまで来られましたら、どうぞのぞいてみてください。
青蓮院門跡
将軍塚の青不動をお参りしてから、
シャトルバスの発着所になっている青蓮院まで戻ってきました。
青蓮院は皇族が住職を勤める門跡寺院ですが、
今も旧皇族が門跡を勤めるのは、ここだけです。
(現在の門主さんは天皇陛下の従兄弟にあたられます。
元は銀行員だったそうです。)
こちらの門前には樹齢800年ともいわれるクスノキが複数本あります。
親鸞聖人お手植えとも言われ、京都市の天然記念物に指定されています。
すごいです。
長屋門は明正天皇(徳川家の血をひく唯一の天皇)の旧殿の門を移築
お寺の歴史は、最澄が創られた比叡山延暦寺の僧坊に始まるそうですが、
平安末期に、鳥羽法皇第七王子が行玄大僧正の弟子となったのが
門跡寺院としての始まりだそうです。
小御所
天明の大火で御所が焼けた際、天皇の御座所となったそうです。
相阿弥が作ったといわれる龍心池
手前の跨龍橋は二枚の花崗岩からできています。
赤松の枝ぶりがりっぱ
豊臣秀吉公寄進 一文字手水鉢
お金入れんといてほしいわあ。なんか不潔感がある。
空に露出があって、まっくろになりましたが、宸殿
東福門院(後水尾天皇皇后 徳川秀忠の娘)の御所を移築したものでしたが
明治時代に焼失。再建されたもの。
襖絵が重文ということは焼失をまぬかれたのですね。
黒くなっていますが、左近の桜と右近の橘が植えられています。
宸殿では青不動の模写が公開されていました。
また元三大師(おみくじを考案した方)坐像もありました。
国立博物館でも元三大師像が公開されていて
「こわい顔をしている像が多い。これは温和な顔の像」みたいな説明がありましたが、
ここの元三大師もとてもやさしいお顔でした。
伝小堀遠州 霧島の庭
11月7日でしたが、もうそろそろ紅葉も色づいたころでしょう。
シャトルバスの発着所になっている青蓮院まで戻ってきました。
青蓮院は皇族が住職を勤める門跡寺院ですが、
今も旧皇族が門跡を勤めるのは、ここだけです。
(現在の門主さんは天皇陛下の従兄弟にあたられます。
元は銀行員だったそうです。)
こちらの門前には樹齢800年ともいわれるクスノキが複数本あります。
親鸞聖人お手植えとも言われ、京都市の天然記念物に指定されています。
すごいです。
長屋門は明正天皇(徳川家の血をひく唯一の天皇)の旧殿の門を移築
お寺の歴史は、最澄が創られた比叡山延暦寺の僧坊に始まるそうですが、
平安末期に、鳥羽法皇第七王子が行玄大僧正の弟子となったのが
門跡寺院としての始まりだそうです。
小御所
天明の大火で御所が焼けた際、天皇の御座所となったそうです。
相阿弥が作ったといわれる龍心池
手前の跨龍橋は二枚の花崗岩からできています。
赤松の枝ぶりがりっぱ
豊臣秀吉公寄進 一文字手水鉢
お金入れんといてほしいわあ。なんか不潔感がある。
空に露出があって、まっくろになりましたが、宸殿
東福門院(後水尾天皇皇后 徳川秀忠の娘)の御所を移築したものでしたが
明治時代に焼失。再建されたもの。
襖絵が重文ということは焼失をまぬかれたのですね。
黒くなっていますが、左近の桜と右近の橘が植えられています。
宸殿では青不動の模写が公開されていました。
また元三大師(おみくじを考案した方)坐像もありました。
国立博物館でも元三大師像が公開されていて
「こわい顔をしている像が多い。これは温和な顔の像」みたいな説明がありましたが、
ここの元三大師もとてもやさしいお顔でした。
伝小堀遠州 霧島の庭
11月7日でしたが、もうそろそろ紅葉も色づいたころでしょう。

