乙訓散歩 ②恵解山古墳
中山修一記念館から少し歩いたところに
恵解山古墳(いげのやまこふん)がありました。
古墳時代中期の乙訓地域最大の前方後円墳です。
こっちが鍵穴の下部分ですが、地上から見るとわかりませんね。
円い部分は江戸時代から、墓地として使われていますが、
天王山から京都側で小高い場所というと、ここになるので、
天王山の戦いの際、陣として、使われたようです。
古墳のまわりには復元された埴輪が並べられていますが、
驚いたのはたくさんの鉄刀、鉄剣、鍬など農具
700点もの鉄器が発掘されたことです。
古墳の右手に竹薮が見えますが、
市の職員の案内で、
地元の小学生がちょうど掘りに来ていました。
たけのこ大きいのを掘っている子もいましたが、
小さいほうがいいのねえ。。。
でもたけのこの根っこってすごい!
恵解山古墳(いげのやまこふん)がありました。
古墳時代中期の乙訓地域最大の前方後円墳です。
こっちが鍵穴の下部分ですが、地上から見るとわかりませんね。
円い部分は江戸時代から、墓地として使われていますが、
天王山から京都側で小高い場所というと、ここになるので、
天王山の戦いの際、陣として、使われたようです。
古墳のまわりには復元された埴輪が並べられていますが、
驚いたのはたくさんの鉄刀、鉄剣、鍬など農具
700点もの鉄器が発掘されたことです。
古墳の右手に竹薮が見えますが、
市の職員の案内で、
地元の小学生がちょうど掘りに来ていました。
たけのこ大きいのを掘っている子もいましたが、
小さいほうがいいのねえ。。。
でもたけのこの根っこってすごい!
乙訓散歩 ①幻の都
長岡京の友人に誘われて、乙訓地区を散歩してきました。
中山修一記念館
中山修一先生の旧宅を記念館にしたものです。
りっぱな日本家屋で
それもそのはず、高槻藩主の旧宅を移築したそうです。
夫の実家に行く通り道にありましたので、
よく前は通っていたのですが、
「中山修一ってだれやねん?」
と、思っていました。
中山修一先生は長岡京を発見した人です。
平城京から平安京に遷る間
長岡京があったらしいということはわかっていましたが、
その存在が実証されておらず
《幻の都》と呼ばれていました。
中山修一先生はちょうと100年前庄屋の家に生まれました。
戦後、農地改革で自作していない農地は没収されていまうので、
自宅から少し離れた農地を耕作しました。
その土地は自宅近くの土地と、区画が違うのです。
もしかしたら、
その違いは条里制と条坊制の違いでは?
(条里制のほうが区画が大きい)
と推測しました。
また付近では大極殿という地名が残っており
「大極殿ではよくごぼうがとれる」などと言われていました。
教師をしていたので、知り合いが多く、
地主からの許可が得やすかったり、
自宅から距離が近いなど
発掘しやすい条件がそろっていました。
昭和29年から発掘し、政庁にあたる朝堂院の会昌門跡を発見しました。
年配の方の教科書には長岡京の記述はなかったと思います。
中山先生がおられなければ、
今も長岡京は幻の都だったかもしれません。
中山修一記念館
中山修一先生の旧宅を記念館にしたものです。
りっぱな日本家屋で
それもそのはず、高槻藩主の旧宅を移築したそうです。
夫の実家に行く通り道にありましたので、
よく前は通っていたのですが、
「中山修一ってだれやねん?」
と、思っていました。
中山修一先生は長岡京を発見した人です。
平城京から平安京に遷る間
長岡京があったらしいということはわかっていましたが、
その存在が実証されておらず
《幻の都》と呼ばれていました。
中山修一先生はちょうと100年前庄屋の家に生まれました。
戦後、農地改革で自作していない農地は没収されていまうので、
自宅から少し離れた農地を耕作しました。
その土地は自宅近くの土地と、区画が違うのです。
もしかしたら、
その違いは条里制と条坊制の違いでは?
(条里制のほうが区画が大きい)
と推測しました。
また付近では大極殿という地名が残っており
「大極殿ではよくごぼうがとれる」などと言われていました。
教師をしていたので、知り合いが多く、
地主からの許可が得やすかったり、
自宅から距離が近いなど
発掘しやすい条件がそろっていました。
昭和29年から発掘し、政庁にあたる朝堂院の会昌門跡を発見しました。
年配の方の教科書には長岡京の記述はなかったと思います。
中山先生がおられなければ、
今も長岡京は幻の都だったかもしれません。
《狩野派永徳の後継者たち》に行きました。
三井寺の勧学院で、狩野光信の代表作を見ました。
京都国立博物館で、その一部が公開されているということで、
パスポート(特別展は6回まで無料)を使って見てきました。
京都に残って活動した狩野派は京狩野と呼ばれますが、
この看板にある唐獅子は、京狩野の山楽によって描かれました。
とても大きく、迫力がありました。

永徳の後を継いだ長男光信ですが、
三井寺の画を見ても、木の枝は細く
鳥もほっそりしていて、繊細なイメージがします。
たくさん狩野派の画家の画が展示されていて、
みなすばらしいのですが、
狩野探幽の二条城障壁画を見た時は、
その迫力に
「あ、この人は違うな~」
と思いました。
あと印象に残ったのは、武将の奥方たちの肖像画でした。
伝淀殿肖像、加藤清忠夫人(清正母)の肖像
中川秀成夫人の肖像
それぞれの衣装が美しく、個性が感じられ、
その人柄さえはかりしれるのでした。
武将の肖像はよく目にしますが、
女性の肖像を見ることができてよかったです。
歴史の中で多くの女性は埋もれ
名前さえ定かではありませんから。
5月3日日曜美術館で紹介されると、混むと聞いたので、
あわてて行きましたが、まだそれほど混んでいませんでした。
京都国立博物館で、その一部が公開されているということで、
パスポート(特別展は6回まで無料)を使って見てきました。
京都に残って活動した狩野派は京狩野と呼ばれますが、
この看板にある唐獅子は、京狩野の山楽によって描かれました。
とても大きく、迫力がありました。

永徳の後を継いだ長男光信ですが、
三井寺の画を見ても、木の枝は細く
鳥もほっそりしていて、繊細なイメージがします。
たくさん狩野派の画家の画が展示されていて、
みなすばらしいのですが、
狩野探幽の二条城障壁画を見た時は、
その迫力に
「あ、この人は違うな~」
と思いました。
あと印象に残ったのは、武将の奥方たちの肖像画でした。
伝淀殿肖像、加藤清忠夫人(清正母)の肖像
中川秀成夫人の肖像
それぞれの衣装が美しく、個性が感じられ、
その人柄さえはかりしれるのでした。
武将の肖像はよく目にしますが、
女性の肖像を見ることができてよかったです。
歴史の中で多くの女性は埋もれ
名前さえ定かではありませんから。
5月3日日曜美術館で紹介されると、混むと聞いたので、
あわてて行きましたが、まだそれほど混んでいませんでした。
ドイツレストラン
なんとなく滋賀県の記事が続きますが、
先週末 以前日本語を教えていた(と言っていいのか疑問)ドイツ人が
来日中に知り合った女の子と結婚することになり、
二人と、中国人留学生、息子たちと、大津までランチに行きました。
日本に来てまで、なぜドイツ料理ヽ(*'0'*)ツ
大津の姉妹都市であるビュルツブルグから
建物もドイツから輸入され、名前も《ビュルツブルグ》
そこに琵琶湖が見えるから~
雨も上がったので、テラス席にしてもらいました。
ブルストプレート
お土産にマジパンのチョコいただきました。
ちょっと洋酒がきいています。
普段は日本語でしゃべっているから、知らなかったけど、
中国人留学生英語うまい~
みんな湖岸で石投げしたけど、
私だけバウンドしなかった(@ ̄Д ̄@;)
帰ってから、ありがとうメール来ました。
「私たちはレストラン《ビュルツブルグ》に行きましたが、
僕のドイツの両親は、この日ホントのビュルツブルグに行っていたらしい。
おもしろい偶然だね」
先週末 以前日本語を教えていた(と言っていいのか疑問)ドイツ人が
来日中に知り合った女の子と結婚することになり、
二人と、中国人留学生、息子たちと、大津までランチに行きました。
日本に来てまで、なぜドイツ料理ヽ(*'0'*)ツ
大津の姉妹都市であるビュルツブルグから
建物もドイツから輸入され、名前も《ビュルツブルグ》
そこに琵琶湖が見えるから~
雨も上がったので、テラス席にしてもらいました。
ブルストプレート
お土産にマジパンのチョコいただきました。
ちょっと洋酒がきいています。
普段は日本語でしゃべっているから、知らなかったけど、
中国人留学生英語うまい~
みんな湖岸で石投げしたけど、
私だけバウンドしなかった(@ ̄Д ̄@;)
帰ってから、ありがとうメール来ました。
「私たちはレストラン《ビュルツブルグ》に行きましたが、
僕のドイツの両親は、この日ホントのビュルツブルグに行っていたらしい。
おもしろい偶然だね」