烏丸ママのブログ -480ページ目

新島襄旧宅

歴史資料館の並びに新島襄旧宅はあります。
よく前を通るのですが、開いていたのは初めてです。
こちらも入場無料
ここは明治初年ごろは堂上華族 高松家の所有でしたが
半分を借りて、生徒8名で同志社英学校を開校しました。
ここに同志社発祥の地です。

関西では同志社大学の創始者として知られる新島襄ですが、

全国的に知られるようになったのは「八重の桜」からでしょうか。

 

中には入れなくて、外から中を見るだけ

もし中に入りたかったら、10月に来てくださいということでした。

見た目は洋館ですが、和洋折衷というかんじ。

和に洋を取り入れた、と、パンフレットにはあります。

 

応接間

 

「寂中庵」

裏千家の茶道をしていた八重夫人は

ここでお茶会もしたそうです。

 

書斎

蔵書の多くは洋書で、生徒たちの図書館にもなっていたそうです。

 

食堂

左手にダクトがみえていますが、セントラルヒーティングです。

新島襄は洋食派だったようで
八重夫人が料理の腕を振るったそうです。
新島襄は1890年46歳の時大磯で永眠しましたが、
八重夫人は1932年87歳で亡くなるまでここですごしました。
ハンサムウーマンと言われていましたが、
資料館で見た書がまさにそんなかんじでした。
潔さが感じられました。
10月1日から5日特別公開

 

京都歴史資料館

京都で初めて開催された博物館会議を
記念して、京都歴史資料館でも展示がありました。
出品数は少ないながら
結構穴場でオススメします。
京都市指定の文化財

今宮神社の吹散ふきちり
お祭りの剣鉾につける幡のことですが
さすが西陣の氏神様に奉納されたのは
きれいな唐子の綴錦

十念寺の曾我蕭白の襖絵

小さいながらも美しい千手観音像や
八幡宮なのに、奉納された懸仏など
展示されていました。
入場無料で、京都の伝統行事の映像も
見られます。

十念寺です。

足利将軍義教や秀吉などの主治医で
当時のスーパードクター曲直瀬道三の墓所です。

京都の寺は奥が深い。

京の夏の旅 湯本家旧宅

観光の閑散期に毎年行われている京の夏の旅
今年は旧宅、町家がテーマ
相国寺と京都御苑の間にその旧宅はあります。
平安京の復元研究などで功績を残した歴史家、湯本文彦(1843~1921年)邸
今は別の方の所有になっているそうです。
ここなら前を通っているところ!

正直、このくらいの町家ならきっと他にもあるはず。。。

ですが、湯本先生を顕彰する。。。といった意味合いもあるのでしょう。

羅城門の場所や平安京の場所を特定された方なのだそうです。

今年の即位の礼は10月22日ですが、

この日は毎年時代祭りが行われます。(今年は10月26日)

桓武天皇が平安京の内裏に入られたのが、10月22日なのだそうです。

それを書物から割り出したのも湯本先生だそうです。

 

一番のみどころは、大徳寺真珠庵の茶室 庭玉軒を模した茶室

(と私は思う。)

内部は撮影禁止で、外のみ撮影OK

玄古庵

 

真珠庵の庭玉軒は庇で覆った内露地が有名ですが、

ここはふつうの躙り口

 

中は確かに窓が多い金森宗和風で、似ていました。

庭玉軒のうつしだとすると、床柱も栗なのだと思います。

金森宗和は侘茶に対して、明るい感じなので 姫宗和と呼ばれ

公家に門人が多かったようです。

金閣寺の夕佳亭が宗和の茶室では有名です。
 

そのお隣の部屋が先生の書斎

墨囚窟

(文人はみんな部屋に名前をつけるんですね。)

襖の引手が墨を作る型に入れて作られています。

床柱は浄瑠璃寺の古材を使ったもので、

太くて存在感がありました。

 

 

今は別の方の所有だそうです。
一部アルミサッシが入っていたりですが、
古い家にそのまま住み続けるのはなかなかむずかしいことですね。
京都では1日に二軒の割合で、町家が解体されているそうです。

 

爪痕

せっかく入力したのに、全然PC反応しなくてアップできませんでした。
千葉の停電が思いのほか長引いて、お見舞い申し上げます。
千葉千葉と言っていますが、東京の離島地域や神奈川県
そのほかにも報道されないで、被害がある地域もあると思います。
みんなが忘れても、あとあとまで大変と思います。
うちは去年8時間停電しただけでも
ストレスでした。
意外と冷蔵庫は保冷性が高く大丈夫でしたが、
何日も停電になると、もう全滅ですね。。。
 
京都御苑も去年倒木で電柱が倒れていました。
今も爪痕が残ります。

折れた枝が落ちてこないよう

いまだに大木の下は立ち入り禁止。

 

松の木かな

倒木のまま放置され、枯れています。

 

倒木がカメの甲羅干しに利用されている九条池



 

御所と、同志社大学は通りをはさんで向かい合わせ

校舎の解体工事現場

穴に人がいました。

京都は掘れば何か出てきますからね、

発掘しているのかもしれません。

 
そして、京の夏の旅の公開場所がこのあたり。。。
え、ここ、いつも通っているところじゃないか!?
つづく

 

故宮博物院

1泊2日だったのに、まだ引っ張っています。
今回最終回の台湾旅行記
最後に訪問したのは故宮博物院
地下鉄(途中から地上)で士林まで行き
バスで博物院まで。。。
台湾のバスはおつりがでません。
駅からすぐのところにresidenceってバス停があり
誰の家かと思っていたら、蒋介石の邸宅でした。
そしてしばらく行くと、この下に着きました。

荷物をロッカーに入れ

一番に目指したのはコレ

ヒスイの白菜

勝手に等身大だと思っていましたが、

意外に小さかった。

そりゃそうですよね。ヒスイだもん。

この中には虫が隠れています。

これ実は写真を撮ったものです。

 

実物はこれ 

虫が見えるように撮っています。

 

虫はみつかりましたか?

 

国民軍が本土から持ってきたので小さいものが多いです。

小さくても香木はとても高価です。

香木にほどこされた彫刻も精巧です。

 

焼き物は清の時代の華やかなものが多かったですが、

なんとなく馴染みがある宋時代のが好きかな

 

これもデジャブ感があります。

 

こちらが去年京都国立博物館で見た像

似ていますよね~


 

日本のものと似ているかと思うと微妙に違う鏡。

横から見ると縁はほぼ直角です。

やはり三角縁というのは日本独特なのですね。

 

大黒様ですって?

大黒様ってもともとインドの神様だった

って、よくわかる雰囲気ですね。

 

彫刻がすごかったです。

 

あまり詳しくないけど

このような観音様の印相は少ないのでは?

 

銅鐸のような鐘があったり、

日本とよく似たものもあるけれど
微妙に違っていて、面白かったです。
メトロポリタンとか大英博物館に比べると
思ったより展示は少なかったのですが、
国民党が中国本土から
よくこれだけ持ってきたともいえます。
 
台湾の話をしていたら、
両親が20年ほど前に台湾旅行に行った際
年配の台湾人ガイドさんがこう言ったそうです。
「私の家は貧しくて、子供のころから家の手伝いをしていました。
だから学校に行けなかった。
でも、日本の統治下になって義務教育となり
学校に行けるようになったのです。
そのおかげで公務員になることができました。
定年退職してからは、このように日本人向けのガイドをしているのです。」
 
行く気になれば3時間で行ける台湾
また行きたいと思います。