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京の冬の旅 妙心寺壽聖院

妙心寺は花園上皇が、

大徳寺の宗峰妙超に帰依し、

離宮を禅寺にされたことから始まります。

禅宗寺院としては最大の46の塔頭を有し、

全国の禅宗寺院の半分以上は妙心寺派の末寺です。

境内は電線がなく、

 

レジェンド&バタフライの

ロケにも使われたそうです。

境内は広くて、南側から入りましたが、

 

今回公開の壽聖院は北門から入ったほうが近かったです。

 

壽聖院は石田三成が、父正継の菩提寺として創建されました。

三成が関ケ原の戦いで敗れた後、解体されましたが、

その後復興されました。

妙心寺北門は壽聖院の門だったそうで

当初の建物の立派さがしのばれます。

今はこぢんまりした塔頭でした。

 

狩野永徳の設計と伝わるお庭ですが、

秀吉の馬印をかたどった瓢箪池の全貌がよくわかりませんでした。

ここも庭以外撮影禁止でした。

石田三成公の書状や肖像画(模写)、父正嗣像(重文の複製)が

展示されていました。

おもしろいなと思ったのは、細川忠興の書状で

朱印がアルファベットだったことです。

この書状は文鎮が置かれただけで机の上に展示されていました。

 

ここの目玉はやはり「退蔵院襖プロジェクト」の村林由貴氏による

襖絵でしょうか。



退蔵院と京都芸術大学が協力して、無名の画家に襖絵を依頼し、

文化財の保存と若手絵師の育成をするというものです。

ここで村林氏は起居し、11年がかりで完成させました。

 

11年という歳月、

大変な作業だったと思います。

退蔵院の襖絵は見ていないので、機会があれば見たいです。

正直のところ、まだまだこれからかなあと思いますが、

ここを完成した後のステップを見守りたいと思います。

 

 

京の冬の旅 大徳寺三玄院(追記あり)

トルコは私の行きたい国の一つです。

親日国家で食べ物がおいしいそうです。

トルコ、シリアの死者が5万人超えの見通しと、国連の見解です。

トルコには救助隊は行くでしょうけれど、

シリアはどうなんだろう???

もっともトルコでも治安が悪化し、救助隊の活動が

一時休止と報道されていましたね。

震災を経験した日本の支援がいち早く届きますように。。。

 

京の冬の旅 大徳寺三玄院です。

過去に公開された記憶がありません。

京都通の間では「あの三玄院が公開するって!?」と、

話題になりました。

いつも「拝観謝絶」って貼ってあります。

 

境内撮影禁止なので、看板撮ります。

1589年春屋宗園和尚を開祖として、

浅野幸長よしなが、石田三成、森忠政により建立されました。

春屋和尚と沢庵和尚は処刑された石田三成の遺骸を

手厚く葬ったそうです。

image

古田織部のお墓もありますが、お墓は非公開です。

 

大徳寺法堂を借景として枯山水庭園、昨雲庭があります。

上の写真の塀の向こう側がお庭です。

東向きの本堂は珍しいですね。

少し大徳寺大方丈の枯山水と似ていると思いましたが、

いつのものかわかりませんでした。

珍しい石がたくさん使われていて、新しいような気がしましたが、

禅寺らしく、手入れの行き届いたお庭です。

 

襖絵は長谷川等伯。。。


ではなく、

原在中(1750-1837)筆の襖絵が各部屋にあります。

真ん中の部屋にはどこから見ても見られているような

八方にらみの虎と、雲竜図があります。

龍は鱗しか見えませんが。。。

建物もいつのものか、尋ねたのですが、わかりませんでした。

他の塔頭より新しそうでした。

追記)

「明治維新に建築、什器は失われて、

その後旧龍翔寺の敷地と建築を継承し、再興」(集英社 大徳寺)とあるので、おそらくその頃のものかと…襖絵も龍翔寺のものだったんですかね?

 

三玄院の前にある石碑ですが、

 

明治41年に名古屋の子孫の方が建てられたようです。

 

この日は空いていましたが、別の日に芳春院に行くと、

予約のない人は並んでいました。

土日に行かれる方は予約されたほうがいいと思います。

 

 

学生募集中

大徳寺の特別公開に行く前に
面白い張り紙を見つけました。
学生募集


家賃無料の代わりに、お掃除などをするのだと思います。


聚光院を検索していて、面白い記事を見つけました。

直木賞作家で、「利休にたずねよ」の作者

山本兼一氏が表千家のサイトに寄稿したものです。



山本兼一氏のお父様が北陸から京都に進学のため出てこられました。

立派な門のお寺に下宿させてほしいと頼み込んだそうです。

それが千利休の菩提寺 聚光院でした。

学徒出陣で出ても舞い戻り、

結婚されても

聚光院で下宿されたそうです。

さすがに子供ができる時出られたそうですが、

子供の山本氏はよく連れて行かれました。

「ここで利休は切腹したんだ」と、お茶室でお父さんはおっしゃったそうです。

(今は如心斎の寄進となっているが、当時は利休邸の遺構と信じられていた。)

山本謙一氏が小説を書いたのは、こういう関わりがあってのことと、納得したのでした。



お庭クイズの答え

こちらのお庭はただいま国宝障壁画公開中の

 

大徳寺聚光院の表門の前庭です。

image

 

こちらの本によりますと、石作家 和泉正敏作庭とあります。

 

 

ということで、答えは和泉正敏さんでした。

石作家でイサム・ノグチといっしょに活動されていましたが、

コラボが多く、あまり名前が出てきません。

それにしても聚光院であること、

高島屋の石を載せただけで、

和泉正敏さんであることをご存じの方がいらっしゃるのに驚きました。

 

石の庭

 

中央にデンと置かれた石のオブジェは、 かつてイサム・ノグチ氏が活動の拠点とした 香川県高松市の牟礼町にある石のアトリエ (和泉石材)で見つけたものである。 仏手のような形をした珍しい石である。 石の中央部には、満月のレリーフを。 これは浮かぶ庭を照らす月を掬(すく) という意味でありこの石を掬月石 (きくげついし)と名付けてみた。

建築家 安原 三郎

 

残念ながら和泉正敏さんは2021年お亡くなりになりました。

 

 

京都コンサートホールや京都迎賓館の滝を担当。。。

とあるのですが、滝なんてあったっけ?

と思ったら、非公開区域でした。

こちらの動画で見ることができます。

 

意外な場所で和泉氏の作品と出会うことがあるかもしれませんね。

とりあえず一番身近なのは高島屋か?

ここ行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

お庭クイズ

過去の問題は簡単にクリアされたので、

難問をご用意いたしました。

このお庭の作者をお答えください。

非公開寺院ですが、外から見えます。


高島屋の食堂街もこの方の作品が置かれています。


2年ほど前に亡くなられましたが、

新聞はベタ記事扱いでした。