灰原のブログ
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人間万事塞翁が馬②

これからどうするのか?と親と口論になり本気で家族の縁を切って

ヤクザにでもなって生活していこうかと思ったこともあった。

実際、あることで知り合った仙台の下っ端ヤクザに何か働き口はないか

聞いて飲み屋の黒服を紹介してもらい、話まで聞きに行った。


悩んだ末、断ったが将来のことで悩む日々が続いた。

こんなに自分の人生を真剣に考えたのは初めてだった。


語学を習って貿易の仕事に就きたいと思ったが、

もう少し現実味のある仕事に就いた方がいいんじゃないか?手に職なら

専門学校なども考えてみろと親に言われた。


貿易に関する仕事以外なら法律か金融に関する仕事に興味があった。


結局、東京の大学に来て一年生から勉強することになった。

大学に入ってからは将来金融の仕事に就きたいと思うようになり

金融業界で働くために必要なことを専門的に学んだ。


そして3年生になり就職活動が始まり、自分が働きたいと思っていた金融業界の

会社に内定をもらうことができた。


同じ大学のやつは受ける会社がことごとく不採用になり、

うつ病になりかけたり、泣いたりしていた。みな口をそろえて不安でたまらない

と言っていた。


自分も何十社も落ちたが、不安になることはなかった。

それは仙台で大学を辞めた後のほうが辛かったからだ。

あのときは、自分の人生が止まっていて、ばく然とした将来の不安の

中にいたが、大学での就職活動では採用に落ちても一歩一歩自分の

やりたいことに向って進んでいると認識できたからだ。


祖父が高校の時によく俺に言っていた言葉がある

「人間万事塞翁が馬」だ

仙台の大学を中退したとき、何てことをしてしまったんだろうと考えた

こともあったが、そのときの経験が東京に来て生きた。

今では大学を辞めて東京に来て良かったと思っている。

そういう大学生活が送れて良かった。


   


                          To Be Continued・・・→

人間万事塞翁が馬①

大学に入ったのは勉強したいからではなく、ただ単に遊びたい、一人暮らしを

したいという理由だったので講義にはあんまり出ず単位も取れなかった。


通っていた大学は3年進級時に一定要件をクリアしていなければ留年しなければ

ならない大学だった。当然単位が要件にひっかかり頑張らないと留年は必至だった


何とか留年は避けようと佐藤と「単位取得計画」を練り、頑張ろうとした。


だけど、時間が経つにつれ、講義も休みがちになり、2年生の後期試験はほとんど

欠席してしまった。これにより留年は決定的になった。


いったい何のために大学に通っているのか理由が分からなかった。それならもう

自分が大学に居る意味は無いと思い中退することにした。


当然、親は引き止めようと必死だったが、当人が大学に居る意味が無いと

思っていたのでどうしようもなかった。


大学を辞め、仙台でのフリーター生活が始まった。

大学の仲間は皆、無事進級できた。毎日やることも無く、

仲間に「どっか行こうぜ!!」、「今日酒でも飲もうぜ!」と連絡すると

研究や実習が忙しくてなかなか遊べないと返事がくる。

一応、工業大学だったので3年時から本格的に実習などが始まる。

それは仲が良かった先輩たちも同じで忙しそうだった。


なので当時付き合っていた彼女と遊ぶことが多くなったが、彼女は美容専門学校

に通っていて、コンテストだ美容師試験だと、しだいに忙しくなってきて

土日以外は一人で過ごすことが多くなってきた。


いつも周りに居た人間としだいに関わりが薄くなってくると、だんだん怖くなってきた。

自分一人だけ時間が止まっている気がした。

就職しようと、求人を見て、面接を受けに行ったとき

「君は一体何ができるの?君を採ってウチは何か良い事ある?」

何ができるのか?と問われ、何も言えなかった


自分が行きたいと思った就職先の面接は落ち、自分が否定されている気が

して、おまけに一人ぼっちで居る時間が多くどんどん将来のことを

否定的に考えるようになっていた。


俺はいったい将来どうなるんだろう?

不安で不安でたまらなかった。夜中、布団にくるまり延々と将来のことを

考え不安で寝れないことがあった。

夜中に突然目が覚め不安で寝れなくなることがあった。




                              To Be Continued・・・→




戒めたい

後期試験も終り春休みに入った

ある日、サークルの先輩、サークルの友達と家で飲んでいた


先輩と友達は24時近くになり早々と寝てしまった

なかなか眠くならない俺は、近くのコンビニに立ち読みをしに行った

20分位立ち読みをし、また自宅に戻った


「は~全然眠くなんないし、皆寝てるから何もできないしな~」

なんて思い寝室に入り自分のベッドに入ろうとすると、膨らんでいる


「え~先輩下の布団嫌で俺のベッドに入ったのかな?もしかして酔っ払ってる?」

しょうがないから下で寝るか~と下を見るとちゃんと2人がいた・・・

・・・えっ?!(´Д`;)

何これ?え?俺のベッドにいるの誰?

マジでビビりながら、そ~っとベッドの布団をめくると


「おう!」


何と鬼塚先輩だった


「ちょっと~鬼塚さんじゃないですか~ビビりましたよ~何やってんすか(笑)」


「いや~暇でよー、灰原んちに来てドア開けて入ったら皆寝ててベッド空いてたか

 ら、俺も寝ようと思ってとりあえず布団入ったんだわ」(・ω・)


「とりあえずじゃないっすよ~まったく」


そんなやり取りの後、みんなが起きてしまうので、外の駐車場で座りながら

話すことになった。

鬼塚さんは急に真面目になり、サークルの話をしだした。

四年生が引退し、次の部長が鬼塚さんになったのはつい最近だ


「灰原、まだ副部長が決まってなかったよな。俺はお前にやってほしいんだ。」

とても以外な言葉だった。鬼塚さんとは仲が良かったが、あんまりサークル

には出てなかったからだ。


「え?それ本気ですか?だって俺サークルとか全然出てないし、まして俺2年生

 ですよ?4年か3年の人がやるんじゃないんですか?」


「大丈夫だ。他の奴には俺が言っといた。」

実はこの段階ではサークルは愛好会だった。後に大学から「部」として認定される

ことになるが、1年の時から鬼塚さんと飲んだ時この先、愛好会じゃなくて

正式な部として活動できたら嬉しいと何回も話を聞いていた。


「前に灰原に話したこと、部として活動できたら良いって話。俺が部長になった

 からには、どんどん部員を増やして部にする!それを灰原にサポートして

 もらいたいんだ。引き受けてくれるか?」


「・・・分かりました。鬼塚さんがそう言うならやってみます!」

こうしてサークルの副部長をやることになった。

本当はサークルの役職になんかつくのは御免だった。行きたいときに顔を出して

気ままにやってたかった。中学の時の野球部でも、キャプテンに指名された

が「そんなガラじゃないっすよ」と断った。そんな性格だ。


でも、鬼塚さんには不思議な力がある。それは周りの人間を感化させる力だ。

バイクのサークルだったけど、バイクに興味の無い人、他大学、専門学校の

人まで巻き込み愛好会は1年もたたないうちに部になった。


鬼塚さんに勧誘されサークルに入った先輩と飲んだときの話は印象的だった。

ある先輩は「鬼塚とは長いことつるんでるけど、あいつはリーダーになるべくして

        生まれてきた奴だよ。そんな奴って本当にいるんだなって思ったよ」


ある先輩は「鬼塚さんと話してると何とかこの人に協力してあげたいって気持ち

        になっちゃうんだよね、あの熱い話を聞くと」



でも俺はそんな鬼塚さんの「頼んだぞ」という期待に応えることができなかった。

当時俺はガキだった。というかバカだった。

自分の意見を通すことばかりで最低な、副部長とは形だけのものだった。


責任を全うすることの大切さを、このことを思い出すたびかみしめる。



                              To Be Continued・・・→

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