あけまして瑞鳳殿2025! | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

2日ぶりです!(風情もへったくれもない)

 

恐竜くん神社2025年!乙巳(きのとみ)!!あけましておめでとうございます富士山ヘビ

 

この写真は瑞鳳殿に向かう途中の石段で撮った写真。神々しすぎる。

 

 

仙台初売りは1月2日から開催なので胃袋をアップしてスタンバっている状態ですが(何故?)、正月である本日はずっと行きたかった瑞鳳殿(ずいほうでん)で初詣をしました。

 

 

瑞鳳殿は伊達政宗の墓所で、仙台観光をする際は必ず見るべきビックリマーク超メジャースポットですが、私は仙台に2年も住んでおきながら今日初めて来ました。

あまりにメジャーなスポットなのでいつかは必ず行くだろうと思い、他のスポットを優先していたら逆に行く機会を失って焦って行ってきた感じです爆弾 ひかペー(光のページェント)とか仙台大観音とかもそんな感じになっている(爆)

 

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アップの写真は、たまたまいい感じに撮れた一枚で結構お気に入りなんですけど、実はこの周囲は人がかなりいて、なんなら写真外になるすぐ右側には某えねっちけーのテレビ局さんもばしばし張り込んでおりました。

 

えねっちけーさんはとにかく初詣客の参拝映像と初詣に来た小学生のインタビュー、そして伊達武将隊の年始御礼を撮りたい、私はとにかく瑞鳳殿のキレイな一枚を収めたい、伊達武将隊を見たい、ということで、行く先立つ位置が被り、なんか気がついたら一緒に移動していました。

 

私としてはえねっちけーさんはけっこう邪魔な存在だったけど(おい)、えねっちけーさんにとっても私は邪魔な存在だったに違いない爆弾

みんな!存在を消されたらごめん・・・・・・(それはない)

 

伊達武将隊の皆さまでへへどうも~~デレデレ

 

年始御礼では伊達家親族のかたと伊達武将隊が御廟の政宗公に向かって一礼し、お酒を供えていたのですが、その時に遠目で見る政宗公の木像が浮き上がって見えて、生きているかのような生々しさを感じました。年始御礼の行事が始まる前に自分でお参りしたときは、間近に見たからか木像にしか見えなかったんですけどねぇ。

 

 

「瑞鳳殿」は政宗の御廟ですが、政宗の子で2代目仙台藩主・忠宗の御廟である「感仙殿」、政宗の孫にあたる3代目藩主・綱宗の御廟「善応殿」の他、9代目藩主・周宗、11代目藩主・齊義とその夫人・芝姫のお墓がある「妙雲界廟」、歴代藩主の夭折した子どもたちのお墓である「御子様御廟」、更には伊達家に殉死した家臣たちの供養塔、戊辰戦争弔魂碑、西南戦争弔魂碑など、同じ敷地には伊達家に連なる人たちの多数のお墓がありました(これらのお墓の総称を「経ヶ峯墓所(きょうがみねぼしょ)というらしい)。

 

有料エリアは「瑞鳳殿」「感仙殿」「善応殿」のようですが、お正月は「瑞鳳殿」は無料開放、「感仙殿」と「善応殿」は非公開(お休み)になるらしく、開いてるときに、また来てくだすゎぁ~いって感じでした。く・・・っ、2代目忠宗のことが気になり始めている私としては、首を洗って出直すことになるのか・・・っ?(coming soon...ドキドキ)

 

 

戊辰戦争弔魂碑の向かいの扉に「見て見てっ!」と主張の激しいプラカードが。仙台はフィギュアスケート発祥の地であり、かつ羽生結弦選手や荒川静香選手などのフィギュアスケート金メダリストを輩出した地でもあるので、とにかくスケート愛とプライドがすごい。なんでも結びつけてくる、靴ひものように(笑)

 

そういえば、日本初のスケートリンクが仙台城の麓にある「五色沼(ごしきぬま)なのだそう。過去に写真を撮っていないか探したのですが、どうやら撮っていないようでした・・・泣

 

 

 

さてさて、初詣のつもりが単なるお墓参りになっていることに気づいたでうく。瑞鳳殿の麓(経ヶ峯墓所の敷地内)には瑞鳳寺(ずいほうじ)というお寺があり、そこでお守り買ったりおみくじ引いたり初詣らしいことをできないか試みました。

 

 

瑞鳳寺は、政宗の子にして2代目仙台藩主・忠宗により寛永14(1637)年に建立された政宗の菩提寺。仙台東照宮愛宕神社を現在地に造立したのも忠宗なので、忠宗の名前はいろんなところで本当によく見ます。

ちなみに、宇和島伊達家を継いだ政宗の長男・秀宗の弟にあたる。

 

山号は「正宗山」。これは、政宗が若い頃「正宗」と名乗っていたことに由来するそう。

 

山門をくぐると、本堂。

 

 

 

 

 

本堂の内部は自由な感じで、特に何も制限されておらず、半面おみくじもお守りもなく。いや、でもとても素敵な空間でしたちゅー

 

伊達騒動を題材とした歌舞伎・仙台萩(伽羅先代萩)の一場面を表した人形。

この場面は、亀千代(のちの4代目藩主・綱村)毒殺の一幕なのだそう。

 

本堂から外を眺める。こちらが、伊達騒動で突如隠居させられた3代目藩主・綱宗ゆかりの高尾門

 

そしてこちらが、伊達騒動で2歳にして突如藩主に指名されてしまった4代目藩主・綱村ゆかりの下馬石(下馬石は山門の前にあります)。

 

恐らく、このお寺で一番古いのはこの梵鐘。2代目藩主・忠宗が工匠に造らせたもので、寛永14(1637)年のものだそうです。県の重要文化財に指定されています。

 

 

実は、岐阜では長良川の河川敷、静岡ではさつま通り、熊本では言うまでもなしと、でうく歩けば薩摩に当たるとでうく界隈で言っているのですが、今回も・・・

 

 

何故かこの仙台の瑞鳳寺に・・・

 

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ありました。

 

 

なんでなん。

 

 

薩摩の風を感じる頻度で熊本の風も感じたいのだが。というか日常にもっと伊達を感じたいんや今は・・・!!!

 

・・・取り乱しましたが、説明を読んでみると、このお墓は宮城に住む鹿児島県人会のかたがお寺に掛け合ったもので、明治10(1877)年の西南戦争で敗北した薩摩兵を弔うために造られたお墓なのだそう。なぜ宮城に?と感じますが、そこには、西南戦争後の薩摩兵のことが書いてありました。

西南戦争で敗北した薩摩兵は、各地の監獄に収監される。

宮城県では306人の薩摩兵が収監された。

その中には、西郷隆盛の叔父・椎原国幹も含まれていた。

収監後、彼らは自ら宮城県の開発を願い出て、

開墾作業や築港工事に従事した。

 

最終的には獄死しているとあるので、釈放されることはなかったのでしょうけど、強みを活かして宮城県にかなり貢献したのですね。

それを弔う人がいないのは、と思う県人会の気持ちもわかる気がします。国を憂いて立ち上がった志士であることに変わりはないし。

 

意外なところで、西南戦争で“敗けた側”のその後を知ることができて良かったです。

 

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そしてこのお墓、かなり日当たりの良いところにあってですね、少し離れるとビュービュー風が吹きすさんで凍えるのに、ここは本当に風が通らなくて温かい!

まさに九州南部の鹿児島の人も大丈夫な気候!グッド!(爆)

 

 

 

そんな感じで始まりました2025年。新年一発目の記事も相変わらずで、この1年も恐らく相変わらずなのではないでしょうか。

こんなでうくですが、引き続きお付き合いいただけると嬉しいですウインク

 

 

ダルマ本年もどうぞよろしくお願いいたしますダルマ

 

 

 

あ、結局お守り買ったりおみくじ引いたりできなかったのでその後は巳年の守護神社・愛宕神社に行きました(そしておみくじは凶だった・・・)