震災後の日本では
原子力と反原子力が
歩み寄る気配すら見せず・・・
連日、あちこちで
物別れ状態が続いている。
客観的に見て、
この論争に終着点を見出すのは
不可能だと感じる。
そもそも、これは、
原子力というエネルギーを
いかにして守り、活用するかという、
科学的な話し合いなのか・・・
あるいは原子力は怖いという
感情的なすり合わせなのか・・・
はたまた、
これだけの事故があったのに
原子力発電を継続するのは
人道に反するという
哲学的な話し合いなのか。
そもそもの目的が
ずれているのだから・・・
話し合いで
答えなど出せるはずが無い。
だが・・・
仮に
目的を統一することが出来たとしても・・・
感情や哲学をベースにした論戦に
終着点は見出せないだろう。
もしも・・・
そんなことが出来るのだとしたら、
つまり、
話し合いで感情をコントロールできるのだとしたら・・・
地球上の争いごとは
とっくに終結してしまっているはずだ。
結局は・・・
力のある側の意見が
押し付けられることになり・・・
押し付けられた側は
水面下での反抗を繰り返す。
今現在の世界情勢と
なんら変わりはない・・・
原子力という
新たな火種が増えたというだけだ。
「たかが発電方法で、
なぜ人間同士が争わねばならないのか・・・」
なんて・・・
意見を言おうものなら
袋たたきにされることは確実で・・・
「たかが発電方法とは何事だ」と
誰もが怒り出すことは目に見えている。
まあ、要するに・・・
論点は発電方法ではなく、
人間の感情なのだ。
悲しんでいるのは
原子力ではなく、
人間だからだ。
実は・・・
こういうズレは
ビジネスのシーンでも
日常的に起こっている。
そして・・・
それは
感情のぶつかり合いではなく、
論点の相違という形で現れる。
たとえば・・・
先ほどの原子力の場合・・・
「可哀そうだ」とか
「非人道的だ」とかいう
感情的な言葉を持ち込むと、
議論の体をなさなくなってしまう。
だから、
あくまでも冷静に
論理的に話を展開しようとする。
その結果、片方は
「なぜ原子力発電はいけないのか?」
原発は十分に守られているではないか?
という質問に行き着き・・・
もう片方は・・・
「なぜ原子力発電じゃなくてはいけないのか?」
他にも発電方法はいくらでもあるじゃないか?
という質問に行き着く。
まったく意味の違う質問を投げ合って・・・
一つの答えを
導き出すことなど不可能である。
では・・・
「原子力」を「売上」に置き換えると
どうなるか考えてみたい。
不況の中、売上が低迷してきたときに、
自社内で、
このような質問が飛び交うことはないだろうか。
「なぜもっと頑張って売ろうとしないのか?」
もう一方は
「なぜもっと売れる商品を作ろうとしないのか?」
これは
冷静に考えれば
原子力の質問と同じである。
お互いが
「もっといい商品を作ろう」
「より効果的な売り方を考えよう」と・・・
努力をすれば
丸く収まる話である。
この2つが
両方とも大事であることは間違いないし・・・
それぞれが
努力する以外に解決する手段もない。
だが・・・
今、そこ此処で起こっている
「原子力」のコンフリクトは
そんな前向きな議論ではない。
誰も、答えなど
出そうとはしていないのだ。
彼らはつまり・・・
「俺は一生懸命頑張っているんだ」
「俺たちだって、やってるんだよ」という
感情をぶつけ合っているだけなのだ。
論点のずれは、
感情を抑えなければ
決して見えては来ない。
だが、それは・・・
人間という動物にとって
一番難しいことなのだろう。

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