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千葉県浦安市で会員制完全個室のアンチエイジングパーソナルジムProgressoを運営している加藤拓也です。『ボディメイクの先にある未体験の高揚感』を得て頂くための方法を投稿していきます。よろしくお願いします。

先日面白い光景を目の当たりにした

事務所近くのスクランブル交差点での出来事


青が点滅し誰もが渡るのを止める中
一人のお婆ちゃんがスクランブル交差点を渡り始めた

正確にいうと渡り始めた瞬間に点滅し始めた

お婆ちゃんの歩くスピードを見ると明らかにそのペースでは点滅が終わるまでに渡りきれない

カートを押して歩いている
急いでいるのかも分からない
近くにいた全員がその行方を見守っていた

案の定信号は赤になり車側が青になった
しかしスクランブル交差点なので残り2/3は残っている

問題ない車は走り出し
逆側の車はお婆ちゃんが渡りきったのを確認し車を走り出した

僕が気になったのは運転手がクラクションを鳴らさなかった事
普通であれば信号が変わっても交差点を歩いていたら
「早くいけ!」と言わんばかりにクラクションを鳴らされる

僕も今までに何度も鳴らされた(笑)
しかしお婆ちゃんは鳴らされなかった
この違いは?


他の場面で言えばマラソン大会
大人であれ小学生のマラソンであれトップは凄い歓声を浴びる、とてつもない音量で!
※僕は小学生の頃マラソン大会で1位を毎年取っていたので、あの優越感は半端ない、まじ半端ないって!(笑)

その歓声は順位が下がるにつれて少なくなりボリュームも下がっていく

しかし最後のランナーの姿が見えた瞬間
その声援はトップに負けない位のテンションとボリュームになる
この差は?


お婆ちゃんの信号にしろ
マラソン大会の最後のランナーにしろ

クラクションを鳴らされたり、声援がなかったりしてもおかしくはない

これはなんなのか
同情なのか?


日本人だけかもしれないが、人は極端に劣っている(決して貶しているわけではない)人を応援するようになっているのかもしれない

自分の大事な時間が奪われているにも関わらずマラソン大会では拍手がもらえたりする

一生懸命やっていれば、悪さでない限りどんなに遅かろうが文句を言われる事はない

という事は人は一生懸命何かに取り組んでいるという事に意味があり応援したくなるのかもしれない

順位はその後かもしれない

応援してる選手が何かの大会でビリだった場合、その選手を応援するのを止めるかと聞かれたら止めるどころか、ますます応援したくなる気がする

もし練習を適当にやっていたりふざけていたりして本気度が伝わらなければ別だが

何事も中途半端ではなく一生懸命やる事が大事だと改めて思った


 カトタク