みんな幸せに生きて幸せに死ねばいい。世界平和なんてただそれだけのことなのに、巻き込みたい人間と、巻き込まれたい人間がいて、巻き込む人間に対抗して巻き込みたい人間と、どうせならそっちに巻き込まれたい人間たちとが一定数いて、また新たな争いごとの種を蒔き続ける。単に幸せになりたきゃ、みんなが健康的に四六時中ラリってられる薬品を開発してそれに頼ってしまえばいいんだけど、それはそれで「そうじゃない…」ってどうじゃないのか分からない理屈とともに誰も平和を望まないから、世界平和はもう何千年も埒があかない。多分これからも僕らはそれを本心から望まないからずっと来ない。ようするにみんな幸福を感じるためには、そうではない出来事とのバランスが必要なんだってことを知っていて、その絶妙のラインを模索する人生をそれぞれが望んで、望んだとおりに生きている。だから実際には、生きたいように生きて死んでいくだけの自分たちを受容してしまえる心を育むことで、最期の呼吸を吐き終わった後に続く永久的な幸福に終着する。その最期の一瞬を迎えられる心を育もうとその道に立つ今この一瞬こそが、矛盾だらけの世の中から生きながらにして解放される全貌なんだってことを、死ぬまでに体感したいよね。あーしたいしたい。あーしたいしたい。めっちゃその境地体感したい。そーしたい。生きてるうちにそーしましょったらそーしましょ。般若心経ぉ〜。


#般若心経って多分こんな感じ🙏 

#新幹線寝るタイミングしくじって今ごろ超眠い💤

コーチングを学びはじめて数ヶ月で、

「俺はコーチでは食っていけない」

と思った。



だから、コーチの認定を

取得するコースには進まず、

そのスクールを途中で辞めた。



その後、

日本初のプロフィールライターを名乗り、

イベントや出版プロデュースを幾度も手掛け、



小さな出版社を立ち上げ、

旅に出て1万4千冊を路上で手売りし、

180人を超える人の自殺を止め、

自分でも本を書き、



トランプゲームを開発し世界に広め、

幾つかのコンテンツビジネスの

プロデュースも手掛けてきた。





僕の職業の遍歴は様々だが、

そのすべてに

コーチングのスキルを使っている。



つまり、

僕はコーチでは食えなかったが、

コーチングのスキルで

ずっとメシを食ってきた。



コーチングのスクールを

辞めたその日からの10年間ずっと。



そしてこれからの10年間も、

さらにその先の10年間も、



コーチングのスキルを高めながら、

コーチではない様々な職業で

メシを食っていくのだろう。





おそらく、

コーチとして食えずに

悩んでいる君に必要なのは、



「コーチ」という職業で

メシを食う方法論ではなく、



「コーチング」という

スキルを活かして誰かの役に立ち、



役に立った対価でメシを食う、

というシンプルな発想の転換だ。





職業名という単なるカテゴリーに

君の可能性を閉じ込めてはいけない。



職業名で語られるネーミングなんて、

相手に「私が解決できる悩み」を

簡潔に伝えやすくするためだけにある

ツールに過ぎないのだから。





ツールは使いこなしてこそ役に立つ。

そうでなければ、

ツールに君のアイデアを奪われて窮屈だ。



君の可能性を閉じ込めている

職業名という楔から解放されることだ。





君は本当の意味で自由になって、

君のスキルやコンテンツを

必要としているまだ見ぬ誰かのために、



職業名というカテゴリーを

適切に使い分けてやると良い。





いつの日か、



「職業、自分。」



と胸を張って言える自分を、

コツコツと積み上げていくと良い。





生き方を決めよう。

それ以外の残りはすべてツールだ。





#あきらめなければ人生は必ず好転する

#ImOnYourSide

#売れるコンテンツ創造塾




嘘つきとつるむと嘘つきの方じゃなくてこっちの信用だけが地に落ちる。



嘘つきは嘘の達人だから、言葉巧みに責任を他人に被せて被害者ヅラして保身し実利を囲い込もうとする。



根回ししたり、被害者ぶったり、人のせいにしたり、そういう習慣を長年染み付けてるから、治らないし気づきもしない。



昨日参加したセミナーで「戦(いくさ)を略す(はぶく)」のが『戦略』だと教わって、なるほど。



世の中の現実は古今東西、正義が勝つんじゃなくて、勝った者が『正義』を掲げて声高らかに歌うだけ。

関わると面倒くさいから「戦略」としてサッサと撤収するに限る。




「自分の身も時間も自分で守る」



これだけが真実。

セコイのと争って感染ったら大変だから、わざわざ自ら突っ込まない。そんなことで人生の一部の貴重な時間を無駄にしない。



いずれにせよ、俺らは自分も他人も騙さずおとしめず、後ろめたくなく、カッコ良いと思える人生を堂々と潔く大手振って歩みたいね。



それはそうと、、、




ジェイソンの写真にコツコツとタグ付けしてきたお陰で、Facebookがようやく俺の顔だと認識し始めたw



でも、同時に「隆光先生じゃねぇか?」ともFacebookは疑っているらしい。。。確かに、ヘアースタイルと骨格はクリソツだ。



かさこさんは、ジェイソンに似てる似てない関係なく、俺と隆光先生がいるところには、Facebook上でもとりあえず必ず顔を出すwww マメかっ😂





「どうせ良くしかならない説。」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

まだ自分に自信がなかった頃に
聴きに行っていた成功者たちの
著書やセミナー内容が素晴らしくて、


彼らは昔から
行為や思考が善人で賢人で、
ことごとく崇高な人間力を併せ持つ
生まれつきの人格者であったことを
知れば知るほど、


その条件に当てはまらない僕は
自分の恵まれていなかった
生まれつきの境遇を妬むしかなかった。


例えば、嘘をつかないとか、
どんなことも正直に言う、
人のせいにしない、
物事はポジティブにしかに考えない、
やると決めたら必ずやり切る、
などなど。。。


「あぁ、俺は嘘もつくし、
 人のせいにもするし、
 基本ネガティヴだし、
 やると決めても何一つ続かないし、
 俺にはそもそも成功者としての
 生まれ持った資質がないんだ、
 人間力がそもそも劣ってるんだ、、、」


…って思って、
本を読んだり
セミナーを受けるたびに
凹んでたんだけど、


いざそういう人たち(成功者)の
人生インタビューをしてみると、


嘘つきではないけど
“自己正当化能力”が
バリ高いだけだし、
(むしろ嘘つきよりタチ悪い)


言行不一致時の
“解釈変更能力(ヘリクツ)”の高さは
もはや芸術のレベルだし、


“人のせい”がフルスイング過ぎて
そのことにすら気づいてない
すげー迷惑な人たちだったり、


繊細なまでのネガティヴが故に
リスクヘッジったら半端ないし、


やると決めたことは
夕方には忘れてるとか
平気で変更してくるとか、


そもそも
“なかったことにする能力”
が極めて高い、とか、


実態は本やセミナーでの
内容と真逆すぎて、
「俺、この人たちよりは
 人としてマトモだし人間力あるわ」
と逆に自信がついたw


でも、俺はそういう人たち嫌だから、
ちゃんとしようと思えば思うほど
ドツボにハマっていって、


自分のことは棚に上げて
他人をジャッジメントする眼
ばかり養われて、


他人を否定してたことを
自分もやってるって気づいた時は、
ボディブローみたいに
ジワジワ効いてくる罪悪感に苛まれた。


そんなタイミングに限って
みんながこぞって
「お前が間違ってる」
「あなたは最低な人間だ」
って言ってくるんだけど、


最初こそ「そんなことはない」って
突っぱねられるんだけど、
あまりにもそんな声が多すぎて


「本当に俺は最低で
 最悪の人間なのかも…?」


と自己不信に陥るほかにない。


「意識せずにそうだってことは、
 俺ってもしかして存在そのものが
 悪なのかもしれない…」


そうなってくると
すべてが負のサイクルで回り始める。


そんな自分をリセットするかのように、
3年に亘ってリヤカー引いてみたり、
1年間新潟に引きこもって
僧侶生活してみたり、
いろんな体験や経験を通して、


「結局、どう足掻こうが、
 俺は俺でしかないんだな…」


ってことがやっとわかった。
となると人は開き直る。


SUSHI,  FUJIYAMA,  SAMURAI,  HARAKIRI,

“HIRAKINAORI” is Power !!


それで近頃はかなり適当になった。
“いいかげん”が“良い加減”ってやつ。


適当になると人生は極めて楽になる。


どんな自分であろうと、
「人として」の基準は
経験の質と数によって
どんどん変化するもんだから、


今のレベルの自分ごときの行為に
ビクビクする必要はないし、
生まれ持った資質とか才能とか
ぶっちゃけ何でも良い。
あってもなくてもどっちでもいい。


多勢に批判されたとしても
結局のところどうにかなるし、


世界中が敵に回ったら
さすがにヤバいかもしれないけど、
仮にそうなったら
俺は余程の大物だし、


今のところそれほどの
影響力はまだないし、
そこまでいくには程遠そう。。


世界中どころか日本中とか、
東京都民とか、中央区民の全員を
敵に回すことすら困難な実力で
ビクビクしてても仕方ない。


万が一そうなれてしまったら
板橋区に引っ越せばいいし、
東京都民がみんな敵に回ったら
また新潟県民になればいいし、
そこでもダメなら長崎に帰れば
味方はかなり多勢いる。


百万が一、日本中が敵に回ったら
外国に引っ越しちゃえばいいだけ。


「こうでなくちゃならない」
って自分の中の規制を緩和すれば
『楽に楽しく生きる』って
実はすげーシンプル。


俺が持ち合わせてる
嫌われ者の実力を
全力で出し切ったところで、
世界中は敵に回せないだろうから


「人生はどうせ良くなる」


…しかない。


それは超進化論でも説明できるんだし、
俺らは“どうせ良くなる”しかないんだから、
何が善いとか悪いとかじゃなく、
全力で楽しんだ方が絶対に上手くいく。


善悪のジャッジメントを
なくしたって、
どうせやりたくない犯罪とか
やらないしやれないわけだし、


どうしてもやりたいことが
犯罪だったら、
法で裁かれることと天秤にかけて
それでもやりたかったらやったらいいし、


法で裁かれてまで
やりたいことじゃなきゃ
やらなきゃいい。
すごいシンプルじゃん。


“こうでなければならない”
ことなんて本当は何一つなくて、
自分を取り巻く全体を鑑みて、
やりたいことをやり、
やりたくないことをやらなきゃいいだけ。


やりたいけど
後回しにしたほうが良さそうなら
そうすればいいし、
後回しにしたほうがいいけど
今すぐやりたいならやれば良い。


どの選択肢を選んでも、
その結果に身の回りで巻き起こることは
良いことも悪いことも
自分の責任の範疇だって自覚があれば、


それをやったあとの影響も、
やらなかったときの影響も
死活問題だから
誰だってある程度は
予測できるようになる。


猿でも反省と改善を繰り返して
成長するぐらいなんだから、
俺らは猿以上に間違いなく成長する。


だから、どうせ良くなる。


だから、もっとガサツでいいし、
理想の自分があるなら
今日から近づくようにやってみよう。
出来なくてもいいから。


むしろ出来ないことだらけだろうけど、
今日できなくても明日、
明日できなくても明後日、
ずっと出来なくても
いつか必ず出来るって自分を信じよう。


今どうしても出来ないんなら
未来の自分に託してしまえばいい。


「今出来ないことは一生できない」
…なんて言葉は、どっかの誰かが
カッコつけたかっただけの
クソ迷言で嘘っぱちだから、
微塵も気にすることはない。


これまでの人生がひどかったとか、
今がダメだからとか、
出来る見込みがないからとか、
自分には才能がないからとか、


そんなどっちでもいい理由で
自分の存在価値とステキな未来を
あきらめる必要はどこにもない。


だってきみが
世界中を敵に回せちゃうぐらいの
凄まじく特異な存在でもない限り、
未来は良くしかならないんだから。


俺らは凡人だからこそ
どうせ良くしかならないっていう
とってもラッキーな境遇にいるんだから。


だから、きみの実力や才能に関係なく、
あきらめなければ必ず人生は好転するよ
ってな話でした。


そんな、
「どうせ良くしかならない説。」



2018.7.4 田中克成

超自己中心主義で行こう

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『超自己中心主義で行こう』

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


誰かの為に頑張りすぎる人は、

「超自己中心主義」になるといい。



「人の為、人の為」と

自分がおざなりになってしまうと、

文字通り「人」の「為」と書いて



『偽者』の私になってしまう。



その偽者の私が善を行なうと

「偽善者」になる。



「してあげたのに…」

「こんなにやってあげてるのに…」



という感情が日々の中に増えてきたら、

偽者の私が行なう善かもしれない。



相手にとっても

有難迷惑になっているかもしれない。



だから、

先ずは自分を誰より大切にすること。



自分の幸せを中途半端じゃなく

徹底的にトコトン考え抜くこと。



そうすると自分が幸せでいる為には

自分だけじゃなくて、



自分の半径5Mの人たちも

ハッピーじゃないと、

自分もハッピーになれない

…ってことに気付く。



じゃあ、何がどうなれば

自分もその人たちもハッピーなのか、

むちゃくちゃ考える。



自分だけの力じゃ無理そうだから、

その人たちの半径5Mの人々も

ハッピーになってもらわないといけない。



またその方法をウルトラ考える。



そうやって自分を中心にした

半径5Mの輪が広がっていく。



「私」と同じくらいに

自分事として真剣に考えられる

「私たち」と呼べる輪の大きさが

その人の器のサイズ。



そのサイズ感に応じて

心の豊かさも商売の規模も決まる。



これ、

インサイドアウトの考え方。



自分が抜け落ちた幸せは、

中心がないから絶対に広がらない。



商売も自社の利益が抜け落ちた

ボランティアでは、

中心がないから広がらないし続かない。



自己中心を自己で完結しない領域まで

徹底的に極め倒して超越させると、

強力な幸せの連鎖が始まる。




「超自己中心主義」で行こう。