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地球と遊ぼう。世界の果てのあんなとこ!

10年のサラリーマン生活に終止符をうち365連休プー太郎ニート生活をを経て貿易会社起業。人生の振り幅をめーいっぱい使いながら大好きな地球と友達になるべく地球散歩、地球遊びは生涯継続を志す。
遊ばざる者、働くべからず。好きなことを好きなように!

ルワンダ大虐殺(ジェノサイド)


ちょっとその前に。
現在地エチオピア
記事はルワンダですがその後ブルンジ、ウガンダと行き日々激動でその日々の中にもまさかの展開が沢山でログとして残したい事、伝えたい事も沢山ありますが更新がリアルタイムには追いつきません。NET環境が無かったり、あっても繋がらなかったり、超疲れてあの世に行ってみてたりと。まぁボチボチ更新していきますが出来る時は一気にガツガツ更新していきますのでこんなBlogを楽しみにされている読者の方は気長にお待ちください。

本題。
今回は真面目なやつです。
おふざけないカキコです。


ルワンダ

この国名を聞いて何を連想しますか?


オレの連想は
'難民'という言葉です。


当時中学生だったのか?この言葉はニュースなんかで耳にしていたんでしょうね。ルワンダ難民という言葉だけが頭に残っていましたが詳しいことは知りませんでした。

この自分の中の難民という言葉とルワンダ大虐殺や紛争がリンクします。今回、こうやって東アフリカの地に足を運ぶまでちゃんとってか殆ど知らなかった事実であり歴史です。


国内で殺し合い、一方的な虐殺ですが。。。


ルワンダ大虐殺とは?
1994年、ルワンダで発生したジェノサイド。

ジェノサイドとは?
一つの人種、民族、国家、宗教などの構成員に対する抹消行為。

1990年~1993年頃にルワンダ紛争が起きており、1994年4月6日当時のルワンダの大統領とブルンジの大統領が乗った飛行機が何者かによって撃墜され暗殺されたのをきっかけに始まったのがルワンダ大虐殺である。

ルワンダ国内の80%を超えるフツ族が15%程のツチ族を殺害し始めた。

被害者の数は正確には分かっていないようで諸説色々ありますが3ヶ月程で50万人~100万人が虐殺されるというつい20年前に起こった恐ろしい事実。


この歴史を学ぶ為、自分の目で確かめ感じる為に2つの資料館に足を運んできました。


一つ目
キガリ(kigali)虐殺記念館

首都にある立派な記念館でこの当時、何が起きたのか?どんな状況だったのか?がよく分かります。
内部にはリアルな写真(沢山の死体写真含)と共に当時の残虐な現状が展示されていました。


二つ目
ムランビ(murambi)虐殺記念館


ここは首都キガリからローカルバスを乗り継ぎ片道4時間弱の道のり。


近隣諸国のように定員以上に乗客を乗せることはせず、新しいバスも多く道も綺麗だし景色は緑多く癒されるし、ルワンダ移動は快適です。

首都にあるキガリ虐殺記念館だけで十分知れ感じれますが、ここには当時の虐殺死体がそのまま残されているとのことであり、この地域での虐殺行為は特に酷かったようで足を伸ばしてみることに。

ローカルバスを乗り継ぎ、最後に降ろされた場所からは足がないのでバイクタクシーに乗って連れてってもらう。キレイに舗装されているルワンダ国内なのにここへの最終ロードは赤土向きだしのダートロード。



こんな先に進んで資料館なんかあるのか?と思う場所を進んでいくと、シーンとした山あいの奥まったところに突如立派な建物が現れる。



ここは昔は学校だったようで。
この門をくぐり抜けひとりトボトボ歩いて建物の方へ。


オレが行った時、管理人の人とセキュリティの人以外、誰もいない。

本当にシーンとしていて、外は暑いのに冷え切った空気がここには流れていました。


こちらからどーぞ、と案内されるがまま、ひとりで中の見学をスタートさせた。

薄暗い資料館の中を見て回ってた時、薄暗い中に何か影のような物が動いているのを感じる。ってか見えた。

えっ???

なんだあの黒い影は?


真っ暗な館内に白熱電球のオレンジの灯りに照らされた数々の卑劣な写真が並ぶ静まりかえった冷え切った空気の中である。場所が場所なだけに瞬間的に身体がゾッとしてチキン肌になりました。

誰も居ないはずの場所に黒い影。。。


意識の持ちようだけど、変な風に考えたらキリがないので切り替えて進むことに。


正体判明しました。


なんと


なんと


その影は





コウモリでした。


はぁー良かった。
少し安堵だけど不気味なことに変わりはない。


ここからがここの本場である。
一通り資料館の中を見学して出口に出てきたところで管理人の人にこっちへ来いと裏に連れて行かれる。

もしかして。


もしかして。


写真撮影は禁止だったので全く撮ってないけど、外だけならいーよとのことで裏に回るとこんな感じ。



一緒に奥に進んで行くと突然鼻を突く異臭がしだす。


その瞬間、目に飛び込んできたものは、


明らかに人。

人間の体だった。。。


絶対写真は撮るなと更に念を押され(言われなくてもレンズを向けようとは絶対に思わない光景で)中へというジェスチャーをされ管理人はその場を離れて行った。


意を決して感情を殺して中に入ってみた。


さっきの異臭。 

それは、死臭だった。。。

生まれて初めて死臭というものを嗅いだ。


無造作に並べられた死体の数々。大小様々な死体の数々。女性も男性も大人も子供も。中にはお腹の上に小さな死体を抱えたままの死体も。きっと最後まで子供を守る為に離さなかった母親の死体だろう。


ここの死体は土葬も火葬もしていない死体。
すなわちミイラである。

しかもその数も驚きで、、、


約1000ミイラ。
果てしない死体が山積みされている。

果てしない。
言葉が出ない。


冷静に目の前の現実と向き合う為にも、客観的に見る為にも感情を殺して行った場所。


しかし、ここでは感情コントロールは効かなかった。


ただ呆然とたちすくみ、透明の塩水が鼻筋と頬を伝って流れていくのが分かった。凄まじい物を目の前にして自然に溢れてくる透明の液体。


なんなんだこの光景は。。。


何でこんなことが起きるんだ?
何でこんなことが出来るんだ?


様々な感情。
怒り、悲しみが入り混ざる。


ベトナムのベトナム戦争博物館に行った時と近い感情でその当時の感覚が思い出された。



民族が違うというだけで昨日まで隣人だった人が突如殺人鬼になる。考えられないけど当時の状況はそれが普通に起きていた現実みたいで。


資料館の出口に置いてあったノートに一言残してきました。


2度と忘れてはならない。
2度と起こしてもならない。



ルワンダは14年前くらいに行ったカンボジアに近い匂いがする。

独裁者ポルポトによって国民の1/3くらいが殺された過去を持つ国カンボジア。


似たような過去を持つ国同士。

それを乗り越えたからなのか?

乗り越える事は難しくてもそれを肥やしに未来を見ているのか?

人がとても優しい。
会う人会う人、みな優しい。

そして、少し恥じらいのある、いー笑顔を向けてくれる。

貧しいアフリカの大地やその他の貧しい国では騙してでもお金を稼ごうと(相手も生きる為に必死なので)"ボル"という行為、言い値の世界が普通。"ボル"それ自体がビジネスなのか?と思うほど当たり前の行為。にも関わらず同じアフリカの大地なのに決して裕福な国でもないのに、ルワンダの人達は近隣諸国での当たり前の普通をしてこない。みないー笑顔してくれるし、本当に優しくしてくれる。治安の悪さも感じない。道行く人、すれ違う人の目が違う。

チーノ、チャイナ、ニーハオといったバカにしたような言葉も浴びせてこない。(アフリカや中南米なんかでよくあるアジア人や中国人に対する悪意や差別的な意味合いが時としてある)

街のキレイさ(近隣諸国に比べ道端にゴミが殆ど無い)、人への優しさ温かさ含め道徳心の高い国民性を感じれこのルワンダという国が大好きになりました。


シリアやソマリアなど筆頭に今この瞬間も政治、宗教、民族、歴史、利権絡みの戦争や殺し合いは地球上の様々な場所で起きている。


戦争を経験し沢山の残虐行為も行い敗戦国となった日本。地球上から人々の殺し合いがなくなるようこのルワンダの国の人々と共に歩めたら良いなと、いち人間として、いち日本人として、いち地球人として無力ながらも強く感じた瞬間でした。

関連映画
•ホテルルワンダ
•ルワンダの涙
•愛の叫び - 運命の100日

PS
映画"ホテルルワンダ"
この事実を描いたノンフィクション映画。観てないので帰国したら観たいと思います。この映画に出てくるホテルに足を運んできました。ホテル内見て写真だけ撮って帰るのも淋しいのでプールサイドで昼間からビールなんか飲んだりして。ちょうど何かの撮影もしていて立派な高級ホテルで過去の面影は全くないです。

駐車場にはベンツやランクルと高級車揃い。


ケンピンスキー系列ホテルのホテルミルコリンズ。



ということで真面目カキコでした。


人間関係と同じで理解し合うことは難しくても尊重し合える社会世界を願います。


出来てないけど。。。

相手の目線や感覚を大切にすること。
違いを認めること。
心のゆとりと思いやりを持つこと。
一呼吸置いた尊重をすること。

世界を平和に。
世界が平和に。


んーじゃ。

ケニアを後にルワンダ共和国へ。

為替

RwF1≒0.17円 
※(RwF ルワンダフラン)


社会の勉強


四国より一回り大きく中国地方より一回り小さい世界144位の面積の内陸の小国。第1次世界大戦終結まではドイツ領。

この国へきた目的は二つ。

①ルワンダ虐殺の過去を知る
※別途詳細Blogアップ予定。
②ボランティア団体の施設見学

国の印象は街並みやその国の人達によるところが非常に大きい。

ルワンダは緑も多く街並みがキレイで道端にゴミが殆ど無い。掃除もしているんだろうけど汚さない国民性なんだろう。


そして人が優しい。

人が良いってことは今からもっともっとこの国は成長発展することでしょう。

街中でマリオットホテルが建設中でした。外資が参入するといことはそれだけ、今後は伸びしろのある国なんだろうな。


緑に囲まれて丘にある街並み。

道が整備されゴミも無い。
近隣のアフリカ大陸と何が違うのか?不思議だった。


日本のNGO団体が支援する職業訓練施設にお邪魔させて頂きました。

WFWP(国連NGO 世界平和女性連合会)


ここは女性の独立支援の為の職業訓練施設で。
首都キガリ中心部から車で15分程度のところに。



JAPAN


①洋裁コース
②調理コース
③美容コース

と3つのコースが存在。

設立  1998年(WFWP支援の元)
生徒数 100人~120人程度
年齢層 18歳~30歳
授業料 45.000RwF(約7.650円)
※1クール(3~4ヶ月)



日本語の教科書が存在していました。

ミシン台の氏名が日本人です。

美容コースの教室


綺麗に手入れされた中庭


なぜここに来たのか?
この夏に行われたブラジルサッカーワールドカップ用に自主制作したオリジナルTシャツをこのNGO団体を通じて少量ながら寄附させて頂きその繋がりでお邪魔させてもらいました。

日本の援助で沢山の人を支援しその人々がスキルを身につけ成長し社会で活躍する。ルワンダの発展に遠く離れた異国の日本が貢献しており、日本という国を良く思ってもらえており日本人として誇りに思えました。

記念撮影してお別れしました。

校内案内してくれた学校スタッフの方々、WFWPの皆さんありがとうございました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。


ではでは。



けっけっケニア。


タンザニアを離れ人生55ヶ国目ケニアへ突入。



2014年1月より新たに導入された東アフリカビザ。

東アフリカビザ情報に関しては1番最後に記載していますので必用な方はご確認ください。


空港レート(2014/12時点)
Ksh1≒1.35円   Ksh(ケニアシリング)



ちょっと社会の授業。



英語が公用語で発展している国だけあって外国人も多く教育レベルも高いのでしょう。英語が結構普通に通じました。


首都ナイロビですが赤道から南に約140キロ。南緯1.2度と赤道直下にも関わらず涼しい。毎日蒸し暑くて体中ベタベタだったタンザニアの首都から徐々に北上し更に赤道に近付いたのに涼しい。

なんででしょ?


わかりますか?


答え
海抜1.700mなのでとっても過ごしやすい気候です。
四季はなく雨期と乾期があって年間平均気温は17.5度。


東アフリカ諸国では1番発展していて高層ビルや高級外資系ホテルなども立ち並び物価も高い。少しきれいなお店でご飯やお茶すると日本並み。

ファーストフード店で買った以下のチキンサラダ
Ksh400(約520円)←日本と変わらない物価



ハンバーガーも300円~500円。


コーヒー1杯 Ksh130(約170円)

カップがやたらデカいのと後ろの人の目つきがヤバい。
町歩いていたら、ボブサップみたいないかつい人にこんな目つきで至る所でガン見される。こわっ。


首都ナイロビ。
治安状況調べると世界で2番目に治安の悪い都市なんて文言出てくる。勘弁してくれませんかー。市内での銃撃戦や凶悪事件多発中なんだとかで市内を歩き回る事は昼間でも避けましょうなんて文言が沢山出てくる。おいおい何も出来ないじゃんかー。

写真は撮ったら捕まるのでないですが。
街中にいる警官?治安部隊?は軍服着ていて1m以上のごっつい機関銃装備していて肩にかけることもなく普通に手に持ってプラプラ歩いています。おいおい、ランボーきどりか?ってな装いを皆しています。

更に治安状況確認していたら。
11月22日に以下の事件が起きていました。
ケニアとソマリアの国境付近で武装グループがバスを襲撃し、乗客少なくとも28人を殺害。イスラム過激派「シャバブ」の犯行。バスは乗客60人を乗せ、北東端の都市マンデラから首都ナイロビへ向けて出発。30キロ余り走ったところで武装グループに待ち伏せされイスラム教の聖典「コーラン」を暗唱させ、できなかった乗客にその場で銃弾を浴びせたという。その後治安当局は犯行グループを追跡し、拠点への空爆を実施しているようだが、報復の報復の報復と負の連鎖は止まらないでしょうね。。。


ってことで多少ビビってましたがタンザニアの数々のトラブルで免疫がバッチリついていたのは事実でね。せっかくの滞在を引きこもるのも嫌なので最大限の注意を払って2日間ナイロビ街ブラしてみました。さすがに危ないので日が暮れる前には宿に戻りましたが。郊外に足を運ぶと巨大スラムはあるようですが中心部は都会でした。


人ごみの中カメラ構えると襲われる危険性もあるのでこの辺の写真が限界。


ナイロビヒルトンなんかに入って高級コーヒータイム。


外資系ホテルは外国人を狙ったテロの危険性があるので入口で厳重持ち物検査受けます。


外ブラの精神的疲れを癒してもらいほっと一息。


ってことでケニアでは首都ナイロビ散歩だけで終わり。
その他は特に何もしていませーん。

雨の中乗り込んだケニア航空。建物出る際にカッパが配られた。
オモロイおもてなしでこんなの初だわー。



んーじゃまた。


東アフリカビザ情報(2014/12時点)
ケニア、ルワンダ、ウガンダの3ヶ国がこのビザ一つで入国可能な有効期限90日間のマルチプルビザ(有効期限内なら出入国可能)。ナイロビのジョモケニヤッタ国際空港でUS100ドルで取得可能。在日ケニア大使館で申請する場合はシングルビザ申請書類に加えケニア政府機関宛の英文レター必須みたいですが空港取得では要りませんでした。しかし、まだ一般的ではないような気が。最初担当したイミグレ官に東アフリカビザくれ言うたら、なんだそのビザ?みたいな反応で???なってて、他の人にバトンタッチ。バトンタッチしたイミグレ官の手元にもその他のイミグレ官の手元にもビザシールは無く事務所に取りに行き20分程待機させられるは、手書きだし要領悪いわだし手間取っていましたので。陸路での国境超えでこのビザが取得可能か分かりませんので陸路超えの方は事前に大使館に確認ください。因にそれぞれ取得するとUS50ドルずつかかるので3ヶ国に行く予定ある方はこのビザ取得した方が経済的にもお得です。