ちょっとその前に。
現在地エチオピア
記事はルワンダですがその後ブルンジ、ウガンダと行き日々激動でその日々の中にもまさかの展開が沢山でログとして残したい事、伝えたい事も沢山ありますが更新がリアルタイムには追いつきません。NET環境が無かったり、あっても繋がらなかったり、超疲れてあの世に行ってみてたりと。まぁボチボチ更新していきますが出来る時は一気にガツガツ更新していきますのでこんなBlogを楽しみにされている読者の方は気長にお待ちください。
本題。
今回は真面目なやつです。
おふざけないカキコです。
ルワンダ
この国名を聞いて何を連想しますか?
オレの連想は
'難民'という言葉です。
当時中学生だったのか?この言葉はニュースなんかで耳にしていたんでしょうね。ルワンダ難民という言葉だけが頭に残っていましたが詳しいことは知りませんでした。
この自分の中の難民という言葉とルワンダ大虐殺や紛争がリンクします。今回、こうやって東アフリカの地に足を運ぶまでちゃんとってか殆ど知らなかった事実であり歴史です。
国内で殺し合い、一方的な虐殺ですが。。。
ルワンダ大虐殺とは?
1994年、ルワンダで発生したジェノサイド。
ジェノサイドとは?
一つの人種、民族、国家、宗教などの構成員に対する抹消行為。
1990年~1993年頃にルワンダ紛争が起きており、1994年4月6日当時のルワンダの大統領とブルンジの大統領が乗った飛行機が何者かによって撃墜され暗殺されたのをきっかけに始まったのがルワンダ大虐殺である。
ルワンダ国内の80%を超えるフツ族が15%程のツチ族を殺害し始めた。
被害者の数は正確には分かっていないようで諸説色々ありますが3ヶ月程で50万人~100万人が虐殺されるというつい20年前に起こった恐ろしい事実。
この歴史を学ぶ為、自分の目で確かめ感じる為に2つの資料館に足を運んできました。
一つ目
二つ目
ムランビ(murambi)虐殺記念館
ここは首都キガリからローカルバスを乗り継ぎ片道4時間弱の道のり。
近隣諸国のように定員以上に乗客を乗せることはせず、新しいバスも多く道も綺麗だし景色は緑多く癒されるし、ルワンダ移動は快適です。
首都にあるキガリ虐殺記念館だけで十分知れ感じれますが、ここには当時の虐殺死体がそのまま残されているとのことであり、この地域での虐殺行為は特に酷かったようで足を伸ばしてみることに。
ここは昔は学校だったようで。
オレが行った時、管理人の人とセキュリティの人以外、誰もいない。
本当にシーンとしていて、外は暑いのに冷え切った空気がここには流れていました。
こちらからどーぞ、と案内されるがまま、ひとりで中の見学をスタートさせた。
薄暗い資料館の中を見て回ってた時、薄暗い中に何か影のような物が動いているのを感じる。ってか見えた。
えっ???
なんだあの黒い影は?
真っ暗な館内に白熱電球のオレンジの灯りに照らされた数々の卑劣な写真が並ぶ静まりかえった冷え切った空気の中である。場所が場所なだけに瞬間的に身体がゾッとしてチキン肌になりました。
誰も居ないはずの場所に黒い影。。。
意識の持ちようだけど、変な風に考えたらキリがないので切り替えて進むことに。
正体判明しました。
なんと
なんと
その影は
コウモリでした。
はぁー良かった。
少し安堵だけど不気味なことに変わりはない。
ここからがここの本場である。
一通り資料館の中を見学して出口に出てきたところで管理人の人にこっちへ来いと裏に連れて行かれる。
もしかして。
もしかして。
一緒に奥に進んで行くと突然鼻を突く異臭がしだす。
その瞬間、目に飛び込んできたものは、
明らかに人。
人間の体だった。。。
絶対写真は撮るなと更に念を押され(言われなくてもレンズを向けようとは絶対に思わない光景で)中へというジェスチャーをされ管理人はその場を離れて行った。
意を決して感情を殺して中に入ってみた。
さっきの異臭。
それは、死臭だった。。。
生まれて初めて死臭というものを嗅いだ。
無造作に並べられた死体の数々。大小様々な死体の数々。女性も男性も大人も子供も。中にはお腹の上に小さな死体を抱えたままの死体も。きっと最後まで子供を守る為に離さなかった母親の死体だろう。
ここの死体は土葬も火葬もしていない死体。
すなわちミイラである。
しかもその数も驚きで、、、
約1000ミイラ。
果てしない死体が山積みされている。
果てしない。
言葉が出ない。
冷静に目の前の現実と向き合う為にも、客観的に見る為にも感情を殺して行った場所。
しかし、ここでは感情コントロールは効かなかった。
ただ呆然とたちすくみ、透明の塩水が鼻筋と頬を伝って流れていくのが分かった。凄まじい物を目の前にして自然に溢れてくる透明の液体。
なんなんだこの光景は。。。
何でこんなことが起きるんだ?
何でこんなことが出来るんだ?
様々な感情。
怒り、悲しみが入り混ざる。
ベトナムのベトナム戦争博物館に行った時と近い感情でその当時の感覚が思い出された。
民族が違うというだけで昨日まで隣人だった人が突如殺人鬼になる。考えられないけど当時の状況はそれが普通に起きていた現実みたいで。
資料館の出口に置いてあったノートに一言残してきました。
2度と忘れてはならない。
2度と起こしてもならない。
ルワンダは14年前くらいに行ったカンボジアに近い匂いがする。
独裁者ポルポトによって国民の1/3くらいが殺された過去を持つ国カンボジア。
似たような過去を持つ国同士。
それを乗り越えたからなのか?
乗り越える事は難しくてもそれを肥やしに未来を見ているのか?
人がとても優しい。
会う人会う人、みな優しい。
そして、少し恥じらいのある、いー笑顔を向けてくれる。
貧しいアフリカの大地やその他の貧しい国では騙してでもお金を稼ごうと(相手も生きる為に必死なので)"ボル"という行為、言い値の世界が普通。"ボル"それ自体がビジネスなのか?と思うほど当たり前の行為。にも関わらず同じアフリカの大地なのに決して裕福な国でもないのに、ルワンダの人達は近隣諸国での当たり前の普通をしてこない。みないー笑顔してくれるし、本当に優しくしてくれる。治安の悪さも感じない。道行く人、すれ違う人の目が違う。
チーノ、チャイナ、ニーハオといったバカにしたような言葉も浴びせてこない。(アフリカや中南米なんかでよくあるアジア人や中国人に対する悪意や差別的な意味合いが時としてある)
街のキレイさ(近隣諸国に比べ道端にゴミが殆ど無い)、人への優しさ温かさ含め道徳心の高い国民性を感じれこのルワンダという国が大好きになりました。
シリアやソマリアなど筆頭に今この瞬間も政治、宗教、民族、歴史、利権絡みの戦争や殺し合いは地球上の様々な場所で起きている。
戦争を経験し沢山の残虐行為も行い敗戦国となった日本。地球上から人々の殺し合いがなくなるようこのルワンダの国の人々と共に歩めたら良いなと、いち人間として、いち日本人として、いち地球人として無力ながらも強く感じた瞬間でした。
関連映画
•ホテルルワンダ
•ルワンダの涙
•愛の叫び - 運命の100日
PS
映画"ホテルルワンダ"
この事実を描いたノンフィクション映画。観てないので帰国したら観たいと思います。この映画に出てくるホテルに足を運んできました。ホテル内見て写真だけ撮って帰るのも淋しいのでプールサイドで昼間からビールなんか飲んだりして。ちょうど何かの撮影もしていて立派な高級ホテルで過去の面影は全くないです。
ということで真面目カキコでした。
人間関係と同じで理解し合うことは難しくても尊重し合える社会世界を願います。
出来てないけど。。。
相手の目線や感覚を大切にすること。
違いを認めること。
心のゆとりと思いやりを持つこと。
一呼吸置いた尊重をすること。
世界を平和に。
世界が平和に。
んーじゃ。