【タイトル】
すべてが変わった日(原題:Let Him Go)
【Podcast】
Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。
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【概要】
2020年のアメリカ映画
上映時間は113分
【あらすじ】
1960年代のアメリカ北西部。ブラックリッジ一家では、マーガレットとジョージ、その息子ジェームズとその妻ローナ、彼らの孫ジミーの5人が平穏に暮らしていた。ところがある日、ジェームズが落馬事故によって亡くなり、嫁いできたローナは別の男ドニーと再婚することになる。マーガレットはドニーがローナとジミーに暴力を振るう現場を目撃する。
【スタッフ】
監督/脚本/製作はトーマス・ベズーチャ
製作総指揮はケヴィン・コスナー
音楽はマイケル・ジアッキーノ
撮影はガイ・ゴッドフリー
【キャスト】
ダイアン・レイン(マーガレット・ブラックリッジ)
ケヴィン・コスナー(ジョージ・ブラックリッジ)
ケイリー・カーター(ローナ)
レスリー・マンヴィル(ブランチ・ウィーボーイ)
ジェフリー・ドノヴァン(ビル・ウィーボーイ)
【感想】
本作で夫婦を演じたダイアン・レインとケヴィン・コスナーは、「マン・オブ・スティール(2013)」に始まるシリーズにおいてクラーク・ケントの両親役として夫婦役を演じている。
定期的に製作される現代版西部劇の2020年最新版。西部劇大好きのケヴィン・コスナーが製作総指揮を務め、かつての西部劇の名作「捜索者(1956)」や「許されざる者(1992)」などを思わせる設定や場面も多い。舞台は西部劇の舞台にはならないモンタナ州とノースダコタ州であるが、先住民の学校を出た青年も登場する。
マーガレットとジョージは1人息子のジェームズを亡くし、義理の娘ローナが別の家に嫁いだことから孫と離れ離れになってしまう。ジェームズが亡くなった後、無人のベッドが映り、スーツに着替えるジョージを見ると、「これから葬儀か」と思いきや、義理の娘ローナとドニーの結婚式になると言うジャンプカットには驚かされた。ここで数年が経過していることになるわけだ。
義理の娘ローナが素性の分からぬドニーと結婚すると、引っ越した先から無言で彼らが立ち去ったことでウィーボーイ一家がヤバい連中であることが徐々にわかってくる。マーガレットとジョージにとって、血の繋がっているのは孫のジミーだけである。ローナは「ウィーボーイ一家に育てられたらジミーも彼らのようになる」と言っている。これぞ、「捜索者(1956)」でネイティブアメリカンに連れ去られた白人が、ネイティブアメリカンに育てられるとネイティブアメリカンになってしまうのと同じプロットである。それはケヴィン・コスナーが監督、主演した「ダンス・ウィズ・ウルヴズ(1990)」でも使われているプロットである。マーガレットとジョージは息子のジェームズを事故で亡くしてしまった。そして、もうこれ以上誰かを失いたくない。ローナももちろんだが、何と言っても血の繋がるジミーを助けたいのだ。
そんなジミーを助け出そうと真っ先に動くのは女性のマーガレットである。乗り気ではないジョージを嗾け、最終的にジョージは自分の判断でマーガレットと共に行動することを選択する。本作における何かの決断は強制ではなくて、相手に委ねている。マーガレットがジミーを取り戻そうとする時も、ラストでジョージがウィーボーイ一の家でローナに付いて来るか聞く場面もそうである。
ただ、車中でジョージは「後始末をするのはいつも俺だ」と言っている。何かを始めるまでは良いが、何かが起こったらその責任を取るのはマーガレットではなくジョージであったのだ。それが顕著なのは回想シーンの場面である。安楽死が必要になったマーガレットの愛馬ストロベリーを殺したのはジョージの役目だった。だからこそ、ラストでマーガレットが銃を手に取るところにつながるわけである。
そのマーガレットはローナやジミーとの接し方を間違えていた。冒頭にジミーをお風呂に入れるローナに「お湯が熱すぎる」と言って、マーガレットはローナからジミーを取り上げていた。マーガレットはローナの母親的な女性になるのではなく、マーガレット自身がジミーの母親になろうとしていたのだ。これぞ、ジミーがウィーボーイ一家に育てられたらウィーボーイ一家の兄妹のように育つように、マーガレットに育てられたらマーガレットのような人間に育つ。ローナには身寄りがないから、息子のジミーを自分色に染めることができないと考えたのだ。ローナはこの環境からいち早く脱したいと考えていたのだろう。それに気付いたマーガレットは間違いを認めて謝った。ジミーにとって母親のマーガレットが必要なように、マーガレットには自分が母親になるべきだった。ローナからすれば程度の差こそあれどっちもどっち。ただ、どっちを選ぶかといえば当然マーガレットになる。
中盤の、田舎町を牛耳るウィーボーイ一家にマーガレットとジョージが出向く場面の恐怖感と居心地の悪さは最高潮である。満を持して登場したブランチを演じたレスリー・マンヴィルの存在感も抜群である。存在感、声の迫力、笑い方。血気盛んな息子たちを従えており、老夫婦2人にとって見れば当然分が悪い。それでもマーガレットは「口」で攻撃し続ける。マーガレットは暴れ馬を手なずける才能を持っていた。ただ、完全アウェイの敵の地で暴れ馬のブランチらを手懐けることなど不可能だと気付かされるのだ。
おそらくドニーは母のブランチなどに何の相談も報告もせずにローナと結婚し、ブランチの元を離れて生活しようとしていた。これが1回目の逃走だろう。ローナが「2回目はない」とマーガレットに言っていたように、ブランチの思い通りにならないととんでもない目に遭わされる。ブランチの話しぶりを聞くに、8人兄弟で何人かは死んで、残りは振り向きもせずにどこかへ行ったらしい。自分の力でこの地を切り開いてやりくりしてきた自負があるのだろう。だからこそ家族であっても厳しく接している。
その後、マーガレットとジョージの企みを知ったウィーボーイ一家は彼らのモーテルに乗り込んでくる。そこでブランチの命令によりドニーがジョージの右手の親指以外の4本の指を手斧で切断することになる。これは西部劇の代表作「続・荒野の用心棒(1966)」で、主人公のジャンゴが敵から「銃を撃てないように」と両手の指をへし折られる場面を思い出す。
ジミーを取り戻そうと最初に本気になったのはマーガレットだが、半ば強引に連れて来たジョージは重傷を負った。すると今度は、ジョージが本気になり敵陣へ出向くことになる。巻き込まれた人間の方が引き返せずに本気になっていくのもこの手の映画の定番を押さえた展開である。
ラストはブランチの家に再び乗り込んでの死闘になる。愛馬ストロベリーの安楽死など事あるごとに後始末をしていたジョージに対し、ついにマーガレットがブランチを銃で撃つ場面はカタルシスが得られるものになっている。マーガレットが撃たれてドアに倒れ掛かり、そのドアが開いた先で火の海になっているという構図は良い。ただ事では済まない事態にまで発展したが、ジミーにとってみれば最悪の事態は免れたと言えよう。一度相手のものになれば二度と取り戻すことができないかもしれない。取り戻すためには死を覚悟する必要がある。
何とか車に逃げ込んで運転するマーガレットは、ローナをちらっと見るが基本的にはジミーを見ている。義理の娘だった女性という微妙な距離感。身寄りのないローラだからこそ、マーガレットはローナに対してもっと親身になるべきだった。そんな彼女の後悔がひしひしと伝わってくるラストカットである。
西部劇を愛するケヴィン・コスナーにとってもこのジョージ役はおいしい役だっただろう。他にも本作の世界観に合うジェフリー・ドノヴァンやレスリー・マンヴィルというキャストの起用も成功の要因だった。現代版西部劇の新たな良作と言える。
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【予告編】
【配信関連】
<Amazon Prime Video>
言語
├オリジナル(英語)
<Amazon Prime Video>
言語
├日本語吹き替え
【ソフト関連】
<DVD>
言語
├オリジナル(英語)
├日本語吹き替え
映像特典
├メイキング
├ブラックリッジ夫妻:ケヴィン・コスナーとダイアン・レイン
├道を照らす:トーマス・ベズーチャ
<BD>
収録内容
├上記DVDと同様