久澄橋 (豊田市挙母町、森町) | 手当次第

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気になる所にいってみる

豊田スタジアムの下流にかかる久澄橋(きゅうちょうはし)です。

 

詳しい地図で見る

 

まずは全体写真。久澄橋は四径間で、中央の二径間が単弦ローゼ橋となっている。

 

単弦ローゼ橋というのは、このように一本のアーチで荷重を支える形式(中央とは限らない)。

 

ぶっちゃけ僕はこの形式にどうにも違和感というか不安を感じてしまい、いまいち好きになれない。

普通の(?)、両側にアーチがあるローゼ橋の方が信用できそうな気がしないだろうか。

 
 

 

両側にアーチのあるローゼ橋の例

 

 

あと好き嫌いには関係ないが、この形式の橋を見ると帆掛け竜ことディメトロドンを思い浮かべる。

 

ああでもこの角度で見るとカッコイイな。

 

吊材の間からは上流の豊田大橋が見える。

 

下流の眺め。左に見えるのが野見山

 

 

その野見山の展望台から見た久澄橋。

 

橋の建設は平成五年十一月、Wikipediaによると

当時まで単弦ローゼ橋の施工例が少なく、また補剛桁の吊材に放射状の斜材を用いてアーチリブと直角に交わるようにしたローゼ橋は史上初のことであった。

とのことで、デザインも含めて土木学会田中賞を受賞している。

どこかに田中賞の銘板があったのかもしれないが、訪問時には見かけなかった。

デザインのテーマは「日の出」だそうだ(そうなると二径間なのが惜しい)。

 

親柱も凝っていて、東西南北それぞれに青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を織り込んだ詩が刻まれている。

 

また親柱というか袖高欄のデザインは四基全て異なっている(二枚目の写真と比べて見てほしい)。

 

橋名の由来が地名でないところも含めて、見られることを意識しているような橋だった。

(次回紹介の豊田大橋ほどではないが…)。

 

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おまけ。

 

久澄橋のたもとにはかつて川船に荷の揚げ降ろしを行う挙母土場があった。

 

以前に上流の越戸の辺りでも土場の跡(問屋土場)を見かけたのを思い出す。

問屋土場

 

土場の石垣は今の久澄橋の工事の際に一度解体され、現在は復元されたものをみることができる。