百々貯木場から矢作川左岸を川沿いに下っていくと「流れ橋」の看板が。
場所は大体ですが川沿いを歩いていれば看板はすぐ見つかるかと。
橋脚が残っているというので探してみると、竹やぶの奥に確かにありました(左岸)。
この上の部分に板を載せてたんだと思いますが、…渡ることを想像するとなかなかスリリングな感じです。
もう少し下流には倒れて流されたらしい橋脚も残っています。
下流から。川の中の木の辺りに橋が架かっていたと思われます。
先ほどの場所を右岸から見るとこんな感じ。
右岸にも痕跡がありますが、それこそすぐにでも流されてしまいそうな状態です。
ここで堤防の竹を切っていた地元のおじさんが話しかけてくれました。
流れ橋の看板を見たことを話すと、「(看板の)女の子の方、ありゃ今68(才)~ぐらいか?○○におるよ。ほんで釣りやっとる男の方は越戸の駅前に住んどって~」という、超ローカルな情報を頂きました。
このおじさんです。
んで、百々もそうですがこちらもかつての土場(=船着き場)で、写真の石柱は荷物を通すために堤防に設けた「切れ所」の跡です。
内側に溝が切ってあり(角落とし)、水が増えたときはここに板を差し込んで締め切った…そうなんですが、こんなんでホントに大丈夫だったんでしょうか。
また、現在の水面よりかなり高い位置にあるので、前回も書いたように取水によって矢作川の水量が大きく変わっていることがわかります。
切れ所の解説。
流れ橋っていうと四国が有名だよねー、なんておじさんとも話していたんですが、昔は各地にあったようです。
矢作川だと下流の安城市小川町にも割と近年まで流れ橋が残っていたみたいです。何も残ってなさそうだけど。
ということで橋脚だけとはいえ痕跡が見られるのは中々貴重だし、特に保護もされてないのでいつまでもあるとも限りません。
雨が増える季節の前にどうぞ。