百々貯木場跡 (豊田市百々町) | 手当次第

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矢作川と岩本川の合流点に残る百々貯木場(どうどちょぼくじょう)跡です。
「百々」はやや難読ですが百々目(どどめ)って妖怪もいるし、一応ありな読み方かと思います。
上流には百月と書いて「どうづき」と読む地名もありますね。
トドロキなどと同じく、水の流れる音が由来でしょう。
 

 
貯木場というのは読んで字のごとく、木を貯めておく場所のことです。
トラックも鉄道もない時代、上流の山から切り出した木材を運ぶ手段として「そのまま川流しちゃえばいーじゃん!」という、シンプルかつダイナミックな方法が使われていました。
 
上流から筏に組む方法もありますが、矢作川は流れが急で川幅が狭いため上流部からは一本ずつ流す「管流し」で送り、この百々貯木場で筏に組み直して下流へ運んだとのこと。
 
というわけで看板の立つ貯木場跡。
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貯木場全景。
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以前ここの写真を見て「おお、すげぇ!なんかの遺跡みたいだ!」とワクワクしたことを思い出します。いやこれも遺跡なんだけど。
実際見ても非常にイイですよ。
 
写真2枚目奥のスロープ部分から。
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ここに矢作川の水が入って、水に浮いた状態で木材が保管されていたんですね。
 
スロープを登った所には製材所跡があります。
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貯木場も含めて壁に使われているのは人造石工法、別名「長七たたき」と呼ばれるもの。
もう少し下流に現存する明治用水旧頭首工跡にも使われており、共に土木学会の選奨土木遺産になっています。
 
このように石の間隔がやや広いのが見た目の特徴…らしい。
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南西に残る樋門。
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これもイイよねぇ~。
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この貯木場を建てた地元の材木商、今井家の屋号が入っています。
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全体図と解説板。
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船着き場辺りの現在。階段や杭の穴が残っています。
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1918年に完成した百々貯木場は、すぐ近くの越戸ダムができたことによる水位の低下などにより1930年に使われなくなったようです。
その後土砂によって埋まりかけていたこの場所が再度発掘・補修されて、1997年に豊田市の文化財に指定されました。
欲を言えば埋まりかけの頃もちょっと見てみたかったな…。
 
参考までに、水面ギリギリの石の上に立って撮影。
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現在より水位が3mぐらいは上がらないと水が入らなそうです。
川の姿も大きく変わっているのですね。
 
 
これによると「近年行われた土木学会の調査でも、河川中流域の水中貯木場はこの百々の施設をのぞくと皆無である。」と、激レア認定しています。
 
見た目も歴史も面白いのでぜひ。