矢作川左岸の新田神社シリーズ、最後は南奥田町の神明社です。
東西に長い集落の中ほどに位置しています。
南向き、鳥居はコンクリ製。階段に対して参道がビミョーに斜めになっています。
社標には「新田復旧記■ 昭和二十七年七月建■」(■は剥落)とあります。
昭和27年だと6月の「ダイナ台風」による被害でしょうか。
ちょっと復旧が早い気もしますが…。
この時に限らず、江戸時代からこの辺りの新田は高潮などとの闘いの連続だったようです。
境内を別角度から。がらんとしている。
拝殿向かって右の境内社と灯篭(昭和3年)。
境内社の詳細は不明ですが、秋葉社・稲荷社・津島社あたりかと(適当)。
本殿の屋根に一体だけの跳び狛犬。
ナゾの石柱。
「大み」
「技術の進歩と」
…に続く言葉はなんだろう?
別の面。
「深さ」はともかく「みお巾」ってなんでしょうか。
もう一面には「潮發」と書いてある(これも意味不明)ので、なんとなく災害時の被害を記録しているのかなぁとも思いますが。
考えてもわからないので由緒へ。
明治41年、前回も出てきた開拓者の奥田正香が名古屋の私邸に祀っていた小祠を移したと言われ、それが現在も本殿内にあるという。
祭神は天照大神。
…とにかく石柱のメッセージが気になる!
追記:
Yahoo!ブログ時代にコメントで石柱の文字は「大みお(大澪)」ではないかと教えていただきました。
恥ずかしながら澪という言葉の意味を知らなかったので調べると、水路として利用される川や海の底が溝状に深くなった部分、または航跡のことを指すそうです。
冒頭書いたように一帯は新田開発による埋立でできた土地で、明治初期の地図ではこの辺りは海になっています。
「大みお」と書かれた石柱はその際の澪に当たっていた場所の記憶として建てられたものなのでしょう。