1)日本の政治は政権交代があっても変わらない

 

1993年細川連立政権は55年体制が始まってから38年ぶりに自民党から政権を奪った、1994年日本社会党党首の村山富市氏が内閣総理大臣になり、その内閣は1年以上続いた。また、20099月民主党代表が総理大臣となり、それから201212月まで民主党内閣が続いた。

 

それらの連立政権や野党政権下でも日本の政治は特に何も変わらなかった。非常に印象的なのは、社会党は現実に合わせるために安保容認と自衛隊合憲に党の路線を変更するに至った。結局、日本社会党は分裂後消滅し、一部は日本社民党と名前を変えて今に至っている。
 

日本社会党や日本社会党から大勢が合流した民主党が政権をとっても、日本を社会主義の国にすべきという議論は全く出なかった。しかし、「不思議だ」とか、「何をしとるんだ」とか、不平不満や疑問の声はあっただろうが、それ以上の行動などは無く、いつの間にか過去の話となった。

 

繰り返しになるが、日本社会党は安保条約に反対し、非武装中立を党是としていたが、政権についた途端に日米安保容認及び自衛隊合憲へと方針を転換した。歴史認識を明確にしたと細川氏が自慢しても「あれは侵略戦争だった」と安物のラベルに張り替えただけで、歴史に学ぶ政治というレベルからは程遠かった。

 

あの戦争は何故起ったのか、何故負けたのか、何故300万人余が死亡したのかなど、国民が期待する議論は皆無だった。国民の意見が政治に反映されないとして、選挙制度をいじくって小選挙区制を導入したが、政治は変わらなかった。そして政権は再び自民党に戻った。
 

野党政権で政治が変わらなかったのは何故か?その重要な議論はマスコミ報道に乗らなかった。これら野党政権の実現の時の回顧記事がNHKによって書かれているが、本質論からほど遠い内容が延々とつづいている。多分意図的にこのような記事を掲載したのだろう。 https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/101472.html
 

政権交代しても、政治家を入れ替えても日本の政治は本質的に不変である。それは日本国を運営しているのは政治家ではなく、霞が関の官僚組織だということを意味している。そして官僚組織に圧力をかけることが出来るのは、日本の政治家ではなく米国である。

 

岸田政権の時、ウクライナへの1.7兆円を超える支援金(補足1)やLGBT法案制定が国会で殆ど何も議論されずに決定された。テレビや新聞は事実だけで、ウクライナ戦争の本質が米国によるロシア解体の企みであるという事実(補足2)を隠した。LGBT法制定の必要性について日本文化との関連で議論した跡はどこにもなかった。
 

「政権交代しても、政治家を入れ替えても日本の政治は本質的に不変である」という重要な事実、つまり国民が与党の政治に不満を持って野党を政権につけても政治が変わらないことが明らかになっても、一時的に議論になったものの直ぐに何もなかったかのように静かになった。

 

その一つの理由は、日本国民に市民革命の記憶が無いからであり、地理的及び言語的に隔絶されている日本では諸外国の政治の実態を知ることがなかったからである。 もう一つは、国民の不満と怒りは与野党議員やマスコミまでを含む緩衝装置によって吸収されてしまうからである。

 

野党政治家は国民の声を聞き、政治の是正を約束し、且つ与党の政治を批判する。政治評論家はそれをマスコミで喋る。国民は、国政選挙で票を野党に入れて与党にお灸をすえた気になる。国民はそれで一定の満足を得るようだ。この政治システム全体が緩衝装置なのだ。

 

野党が政権をとっても何年経っても何も変わらない。忘れっぽい国民は、テレビのスポーツ番組やバラエティショーを見たり、クイズ番組や災害や事件の報道の中でやがて忘れてしまうのである。

 

日本には民主主義政治の欠片も存在しない。国民の不満や怒り、それに基づく政治への圧力は国会議員選挙までであり、選ばれた政治家も実際の政策決定には、無力且つ無関係なのだ。テレビタレントや明治以来の家業を継ぐ政治屋たちは、安心して選挙運動で賃金上昇や物価安定の約束が出来る。

 

そのような政治文化の中で、日本の国会議員の多くは知識や能力を欠く。永田町で政治を演じる役者に過ぎない。彼らは歌舞伎役者と同様、家業として政治家を代々継承する日本の貴族階級である。これまで国政選挙は、国民に政治に参加したつもりになってもらう為の儀式であった。

 

かれら政治役者たちが既得権益層なら、彼らに国会質疑という演劇用台本を書く霞が関の高級官僚たちも既得権益層である。彼らの官僚退職後の優雅な生活は良く知られている。国会議員の他、財団理事とか、会社相談役とかで多額の給与や退職金を貰うことになっている。政治家が本来の能力を持ち、この体制が破壊されれば困るのである。https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-041-09-03-g058

 

日本が経済対策を本気でやるのなら、これら既得権益層をなくすことだ。それは正しい政治改革であるだけでなく非常に大きな経済効果を発揮するだろう。それら財団や会社に与える直接的効果の他に、日本から貴族階級が無くなることで、社会は徐々に実力本位となるだろう。

 

日本社会の古い文化からの脱却は、会社の人間関係も封建的な上下関係から民主的機能体の人間関係になる。機能体の関係では、情報の流れにおいて下流に居る者の身分が下というわけではない。どちらも必要不可欠な部分として機能体を構成するのである。(補足3)

 

その他、労働流動性拡大や大学のレベル向上などが続くだろう。情報伝達が上位下達型から水平型&共有型となりスムーズになる。議論を避ける風潮もやがて無くなるだろう。日本経済の低迷の根本原因は、現在の日本文化にあるのだ。


 

2)米国との比較:
 

日本では、政府の政策やその為の国会での質疑応答と言っても、ほとんどを官僚が立案し作成する。そのため、国会委員会などでの質問は前日までに提出することになっている。そして、国会が始まると答弁書作成のために霞が関の官僚が夜遅くまで仕事をすることになる。
 

政府側委員は官僚が作成した答弁書を読むだけである。そのため議論の往復回数は少ない。自力では質疑を継続できないからである。野党議員の質問には適宜、委員会に参加した官僚が、与党政府委員に代わって答える。

 

首相記者会見なども、短い時間の形式的なもので儀式的に見える。記者たちも、記者クラブをつくり外から一匹オオカミ的に乗り込んでも無視されることが多いようだ。そして、首相が答えるのに困難な質問は避けるようだ。そんな光景を見ても国民は特に不思議には思わないようだ。

 

一方米国では質問を事前通告などしないので、ぶっつけ本番の議論となる。知性や知識がなければ、勤まらない。米国は大統領制であり、行政府高官が議会に出席するのは「証人」としての供述の為であり、日本のような予算員会などで答弁することはない。この場合は、通常供述前に宣誓を行う。
 

そのような言論空間で育つからか、米国の政治家には優秀な人が多い。それでも政治家一人の能力は限られるので、政治家として質を上げるため、連邦議員は少なくとも数人の政策スタッフ(legislative aides)を持っている。その予算は連邦予算から支給される。当然、会計報告は厳格に審査される。(補足4)
 

連邦議員たちは、自分の政治に関する考え方を日々磨き上げているので、そのまま大統領に立候補できるような人物がたくさんいる。彼らの議論は、自分の言葉で進行するので、非常に長くなることもある。大統領記者会見が2時間以上も続くこともしばしばである。(補足5)
 

米国の議論は何かを解決するため、或いは意見の相違を超えるための本音の議論である。従って、日本のように予め言い逃れを工夫する時間的余裕を相手に与えるようなことはしない。日本での議論は、馴れ合い的なものであり、相手を困惑させたりすることはない。

 

その証拠は、長年自民党と反対のことを言ってきた日本社会党の委員長が総理大臣になった途端、公式見解まで変えることになったことである。民主党政権下でも、民主党鳩山党首と重鎮の間に意見の相違があってもそれが議論で解消されていなかったことが、「最低でも県外」発言後の右往左往で分かる。
 

日本の総理記者会見は普通短い時間を割り当てて中途半端に終わる。最後に「スケジュールがありますので、これで終了します」と司会役が言う。総理大臣にも司会役にも、記者の背後に居る筈の1億人あまりの国民など全く目に浮かばないようだ。これ等の光景を不思議に思わないのは、国民が政治に参加したことがなく、「民主主義政治」を見たことがないからである。

 

 

3)参政党に対する期待と危惧

 

参政党は日本で初めての民主主義実現を目指す政党である。党員のかなりの人たちは、政治に参加すべく日常的に関わっているだろう。党首の神谷宗幣氏は、吹田市議時代から国会議員を目指して研鑽を積んだように見えて、日本に本格的な政治改革を訴えている。

 

しかし、党首といえども一人の人間であり、能力は限られる。思想・歴史的問題には熱心だが、マクロ経済、金融、財政、国際通貨制度といった経済的構造への理解が弱い。その為、財政問題については党内の二人に頼ってしまい、安易な積極財政論を採用している。

 

その結果、今回の参議院選では大勝したのだが、大規模財政出動で市場の信認が揺らぐと、国債金利上昇・円安・インフレ誘発のリスクが生じるが、それは参政党崩壊のリスクでもある。テレビの番組でインフレリスクを指摘した橋下徹氏に、神谷氏はM氏とA氏への丸投げを匂わせて逃げるしかなかった。https://www.youtube.com/watch?v=CCxdI522U_Q

 

この二人の積極財政論者は、米国のMMT理論の変形を主張し、お金が降って湧くような話をしている。お金は日々額に汗して稼ぐものだという原点を忘れている。国債を発行しても、それは国民の財産になるのだという類いの一面の真理を全面的真理のように言っている。

 

日本の経済復興は日本の労働文化や経営文化に原因があり、政府の政策が立ち入る予知はあまりない。これは自民党総裁選で河野太郎氏も言っていたことである。なんとか多くの知性を集めて、この初期の壁を乗り越えてもらいたい。
 

その為には、現在の主要スタッフとは反対の意見を持つ人物の参政党への参加を求めるべきである。「日本人ファースト」に難癖を付けない人なら、党員ではなく党友としての参加依頼をしてはどうかと思う。


 

補足:

 

1)令和612月の岩屋外務大臣会見記録による。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaikenw_000001_00112.html

ロシアのウクライナ侵攻がなぜ起こったのか、日本がウクライナ支援をなぜしなければならないのか、どの程度の支援が必要なのか、その使途はどのようなもので、その成果がどの程度だったかなどについての十分な発表・議論がなされていない。
 

2)ウクライナ戦争の動機はロシアの対NATO防衛であった。このことはロシアのウクライナ進攻の一週間以上前に本ブログに投稿している。

 

 

 

3)例えば人の頭の細胞が肝臓の細胞より偉いわけではない。会社の人事部局が製造部局より偉いわけではない。どちらも機能体のいち部分として重要なのである。

 

4)この政治システムをまねたのか、村山政権時代の大失策である政党助成金制度(1994年に法制定)である。 自民党は無知な村山氏を利用して、政党トップが自由に配分できる政党助成金制度を作った。これは、議員個人が自由に意見を述べることを妨害し、自民党幹部である政治貴族の支配力を強めることに貢献した。益々、議員個人の政治能力が育たなくなったのである。

 

5)この政治文化的・制度的な違いについてAIcopilot)が整理してくれた比較を以下に示します。

 

米国:

- 報道の自由と対話文化が根強く、記者が大統領に直接鋭い質問をぶつけることが許容される。

- 会見は「説明責任の場」であり、国民との対話の延長線として位置づけられる。

- ホワイトハウス記者団は多国籍・多様なメディアで構成され、質問の切り口も幅広い。

- 大統領自身が長時間応じることで、健康状態や政策への自信を示す意図もある。

日本:

- 記者会見は「発表の場」としての性格が強く、一方通行的な情報提供になりがち。

- 質問は記者クラブ所属の記者が中心で、事前に質問内容が調整されることもある。

- 総理の発言は慎重で、失言リスクを避ける傾向が強いため、会見時間も短くなる。

- 会見後の「ぶら下がり取材」などで補完されることもあるが、公式性は低い。

 

(明朝、再度校正)

 


参政党は今回の参議院選挙で大きく伸びた。それは国民の戦後80年間の自民党政治に対する不満と、自民党に置き換わる能力を持っていなかった野党既存政党に対する不信、そしてこの停滞する日本で参政党が唯一何か新しい流れを起こして呉れそうなに感じた結果だろう。

 

世界政治の激動と混乱の中で、日本はそれまでの国際的慣行や価値観に縛られ、近い将来消滅する可能性もあると一部で議論されている。そんな昨今、消滅寸前のウクライナやパレスチナなどの国々とその悲劇を見ながら、既存政党はそれらから学ぶ姿勢も知恵も示せそうにない。
 

そんな中で参政党は、ドイツのAFDやイタリアのメローニ政権などと同様に、世界の混乱の本質を探し出し、伝統ある日本を守る方針を明確に打ち出した唯一の国政政党である。日本国を外国人スパイなどから守るとか、外国人の受け入れを慎重に行うなどと共に、歴史に学び近代の国際法体系を重視する保守主義を謳い、明確に反グローバリスト政党としての旗を掲げている。

 

ここでグローバリストとは、国際金融エリートたちとその周辺が、自分たちとその仲間が支配する世界帝国を目指す勢力のことである。このモデルは彼らが支配するマスコミやシンクタンクなどにより「陰謀論」として排除されて来たが、徐々に真実に近いと認められつつある。この問題は複雑なので、補足に少しふれるがこれ以上は立ち入らない。(補足1)


参政党の神谷宗幣氏は、これまでの日本と西欧の近代史を再検証することで、激動・混乱の世界の背後に迫ることが出来ると考えた。そして、国民の多くがそのような努力をして情報を集積し議論で確かな知識とした上で、政治を動かすことが大事だと、気付いたのだろう。https://www.youtube.com/watch?v=jVojeOBgyr8

 

 

近代史を学びなおし、日本の伝統を大切にすることで、日本の進むべき道を探すことを結党の精神とし、それを芯に参政党を立ち上げたと理解する。その結党のコンセプトを揺ぎ無く持ち、党内をまとめる統率力を持つ実力者は今でも神谷党首のみかもしれない。

 

勿論、そうでないという人が党員の中には居るだろうが、その思想が国政政党となった今、現実問題との対峙で徐々に薄れる危険性も考えて、当分神谷氏中心に参政党を育てるべきだと思う。

 

日本政治の現状と参政党の参加

 

これまでの日本の実力のある政治家と見なされる人たちの多くは、明治以来の家業を継承する形で政治に携わる人が多い。そのような人たちが牛耳る政界においては、単に現在の国民の不満解消を政治課題と考える人が多い。彼らには、戦後80年間の対米従属の政治を再考するとか、有史以来の激動の世界で日本国をどう維持するか等の問題に対処する能力など期待出来る筈がない。

 

また、有権者の多くも、政治参加は投票だけという人がほとんどだろう。このような情況では日本の政治は良くならないし、良い芽も育たない。日本の政治の成熟は、国民が政治に直接的に且つ積極的に参加することによってのみ可能となる。

 

欧州では、行政に不満があれば直ぐに一般市民は何らかの行動をとる。それは、西欧民主主義国家は市民革命を経ていることと深く関係していると思う。(補足2)つまり、生死を掛けて政治に参加した結果として現在の政治体制を獲得したという歴史の記憶が、現代に生きているのだろう。(補足3)

 

繰り返しになるが、世界政治の大変革の今、日本でもようやく本物の民主主義が訪れようとしている。有史以来初めて、自分たち一般市民が政治に参加していくのだという考えに基づく参政党が誕生し、今回の参議院選で躍進したのである。

 

参政党への参加者たちが集まった切っ掛けは、グローバリストたちによる望ましくない世界の大変革という陰謀に、世界の一般市民は反対するべきであるというSNSを用いた警告によって、その激動の世界の真実を危機感とともにネットで共有したことである。(補足4)

 

参政党のキャッチフレーズ「日本人ファースト」は、主権国家体制護持を明確にする反グローバリスト政党では当たり前の宣言であるが、それに対して、既存マスメディアの論調の受け売りで、参政党は外国人差別をする極右政権だとか、参政党の党首である神谷氏は独裁であると言った批判が多い。

 

今後、出来るだけ短い時間で参政党が政権政党に成長しなければ、日本はこの世界政治の荒波の中で消滅する可能性があると思う。参政党は神谷党首の指揮下で様々な分野から広い視野を持つ専門家を集め、且つそれを理解する優秀な政治家を育てなければならない。

 

尚、参政党は日本人ファーストを旗頭にする本来の保守政党のトップランナーであるが、それを追いかける政党も今後生まれる可能性がある。上の話は同様の保守政党も対象にする一般的な議論として、受け取ってもらいたい。

 

また、参政党の党勢拡大の中で神谷氏以外の発言力が増せば、経済復興などの短期目標に過剰に拘り、日本人の歴史感を補強し、日本の伝統を取り戻すという長期目標が薄れていく危険性がある。

 

大災害をも生き残る大樹になるには、根は広く深く伸ばし、一本だけの幹をまっすぐ上を目指し、太い枝に育った多数の葉から太陽のエネルギーを得ることが大事である。以下、多少くどくなるがそのことについて記す。

 

2)参政党が孕む自壊の芽
 

もし参政党から自分たちが政治参加するのだという“草根精神”(補足5)が消滅して、従来型の貴族支配適合型の政党に戻れば、日本の将来はないだろう。そのようなことが起こり得る可能性がかなり大きくなったのが、皮肉なことに今回の参議院選挙の結果である。

 

神谷氏による「歴史を学びそこから自分たち一般市民が集合しで政党の育成を目指す」参政党の遺伝子が消失する危険性は、今回の参議院選で神谷氏自身の判断でこれまでの経済政策に不満を持つ広範な国民の票を積極財政論を採用して集め大勝利したことにある。

 

今回の勝利により、積極財政論を提唱した者たちの発言権が増加し、彼らが党の結党の遺伝子を忘れ無視して、最終的に従来型の貴族型政党に堕するする可能性が大きくなったことである。単純な積極財政論はフェンタニルのようなもので、短期間は経済的に困窮した層の苦痛を取り除くかもしれないが、根本的問題解決には役立たないばかりか有害である。

 

日本人の多くは戦後から20世紀に成し遂げた豊かな経済は、日本人の能力と勤勉さが築いたのであり、そこからの経済低迷の30年は米国の圧力と自民党の緊縮財政が原因だと考える人が多い。しかしそれは真実ではなく、積極財政論で乗り越えようとすれば、日本経済は途上国タイプに戻る。

 

日本が奇跡の経済発展を遂げたのは、日本人の資質もあるが、グローバル化経済の流れと米国などの市場開放の恩恵を受けたからであることを熟知すべきである。つまり、20年ほど遅れて発展した中国の経済と同じように、これまでの発展は途上国型の発展である。そして低迷の30年を経て、今ようやく必死の努力で優良企業も生まれてきた。
 

ライバルとなった中国には、共産党支配とそれによる政治腐敗などによる弱点を持つが、末端の企業には途上国型から先進国型に発展する能力が存在する。それは人事における能力主義が定着しており、大学など教育機関のレベルも日本よりも高いからだと思う。
 

日本は、既存の機械など製品の信頼性を高くしつつ安価に製造するというモデルだけに頼っていては、今や有史以来持つデメリットである狭い国土と限られた資源という条件の壁を克服できない。従って、先進国型の経済発展モデルを獲得するためには、新規産業創生と既存産業の労働生産性を高める競争においても先進国以上の力を育てる必要がある。

 

現在諸政党が提言している積極財政策では、弱者を救い上げるのには有効であっても、強者をもっと強くすべきであるという国際競争での戦いにはプラスにならない。日本らしく弱者救済は続けるのは良いのだが、強者が国際的に勝利する企業とならなければ日本は低迷から抜け出せない。

 

それには経済活動における諸問題、労働の流動性を高めること、能力本位の人事が当たり前の企業文化の成立、高校の大学予備校化の廃止、大学では学生に実戦力となるレベルの教育をする、大学教員の資質向上、無駄な無償化などは廃止するなど、労働と教育における文化を改める。

 

日本の政治と教育は、未だに中国隋の時代に始まった科挙制度とそれための大学教育のように見える。その結果、日本の大学で必要なのは官僚を輩出する東京大学のみであり、そこに向けて高校までの教育がなされているように見える。脳力をすり減らした秀才のみでは、日本の経済は発展しない。

 

このような改革を行うには、過去の歴史を詳細に再評価し、そこに学ぶ姿勢、それを教育するシステムの改良が不可欠である。そのような日本の姿勢を作り上げる遺伝子は参政党の幹部では、神谷氏以外にはないだろう。
 

 

3)松田プランの愚
 

筆者は参政党員ではなく、単に参政党を党外から応援する一人である。そこで遠慮なく参政党を外から眺めて参政党の弱点を指摘できると思う。参政党を潰す勢力のプロパガンダ的発言の中で有力なのは、神谷党首の独裁であり、みんなで作る政党という看板に偽りがあるのではないかという批判である。それについては、補足に一つの反論を示す(補足6)。

 

私が危惧するのは、このような議論が参政党の内紛に発展することである。最初の内紛は、結党当初の5人のメンバーのうち3人が参政党を離党したときの内紛である。例えば、武田邦彦氏の離党までのケースが分かりやすい。上記のような参政党の精神を理解しない武田氏が、減税日本や日本保守党との共闘に動き、神谷氏と対立してしまったのである。 

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12829991577.html

 

彼らは新しく伸びる参政党に魅力を感じて参加し、そして参政党のためと考えて様々な提案をしたものの、神谷氏だけが持つ参政党の中心概念(その遺伝子)について十分理解していなかったために、深刻な対立に発展したのである。ほとんどの日本人は議論が非常に下手である。議論はすぐに口論に発展するのは、日本人の文化的弱点である。

 

そのような困難が今後も考えられる。例えば、石破氏が首相を退陣し、高市早苗氏が次期首相となったとき、積極財政論の高市氏が元自民党の安藤裕氏や同じく元自民党の松田学氏に協力を求めたとすると、元自民党の二人はその方向で動くかもしれない。その場合、参政党は積極財政を掲げて参議院選を勝利した以上、神谷氏も拒否できない可能性がある。
 

参政党の党内での実権も徐々に松田学氏に移行していく可能性がある。そこで松田氏は、中央銀行デジタル通貨(CBDC)を発行する松田プランを斬新なアイデアであり、低迷する日本経済を救うと彼らの積極財政論を宣伝するだろう。

 

しかし、松田プランの本質は、既存のMMT理論とほとんど変わらず、単にCBDCの発行を同時に行うことを売り物にしているだけである。松田氏の言うとおりに財政拡大策を実行すれば、日本経済は通貨安とインフレでつぶれるだろう。
 

私は金融の素人なので、この考え方は間違っているかどうかをチャットGPTとの議論で確認した。途中にCBDCに関する解説もチャットGPTに依頼したので、その分長くなっているが参照されたい。以下に、その議論が掲載されているアドレスを示す。この件も批判いただきたい。

https://chatgpt.com/share/68829c59-9a28-8010-9591-ee1d961f558e

 

 

補足:

 

1)グローバリストと呼ばれる人たちは、ユダヤ系資本と彼らに育てられた人たち世界の金融エリートであり、米国を中心に世界の政治と経済に深く係わる複数の系統を持つ勢力だろう。これにイスラエルロビーと呼ばれる団体が、米国の政治に強力に干渉する。これらも金融エリートたちと深く関係するので複雑である。ただ、日本と異なり表舞台の政治も民衆の力を背景にして相当の力をもっている。今回のトランプ政権は「ディープステートとの闘い」としてこれらの圧力を跳ねのけると期待されたが、イスラエルに従属してイランを爆撃したり、ウクライナに兵器を送り続け、看板に偽りがある様に見える。

 

2)日本では市民革命の歴史がなく、それゆえ日本の政治は基本的に大日本帝国の延長上にある。ドイツとは違って、第二次大戦後も明治政府の体制下で憲法を改正して現在に至っている。それ故、日本は唯一、国連の敵国条項の対象となっているのである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12652435193.html

 

3)生死を掛けた政治参加の体験又はその継承に由来する、国民の政治における自信と自覚が民主主義政治には必要だと思う。昔のyoutube動画で西部邁氏が「敗戦の時、あと100万人死んでいれば、日本人もしっかりしていただろうに」と発言していたのを思い出す。西部さんもこのような意味で発言されたのだろう。このように知性ある人で思ったことをストレートに発言できる著名人は日本に少ない。それは日本人の殆どがその種の厳しい意見を忌避するからであり、それが日本政治の弱点であると思う。

 

4)米国等の一流のジャーナリストや学者などによるSNSを用いた解説で、グローバリストたちの陰に隠れた企みも徐々に明らかにされつつある。米国の元フォックスニュースのタッカーカールソン氏、コロンビア大教授のジェフリー・サックス教授、シカゴ大のミアシャイマー教授などにより、分析結果が衆知されている。それらの分析が可能となったのは、命を賭して不正行為を暴いた元CIA職員のエドワード・スノーデン氏や、プロジェクト・ベリタスを運営するジェームズ・オキーフ氏らの貢献は大きい。

 

5)草根と似た言葉に草莽(そうもう)があるが、意味が異なる。草莽は民間にあって地位を求めず、国家的危機の際に国家への忠誠心に基づく行動に出る人(草莽之臣)を指す。予め国家の存在を前提として草莽の臣に期待するのではなく、草の根運動で国家を作り上げるという本格的な民主主義を党是にしていると思う。そうでなければグローバリストには勝てないだろう。

 

6)神谷宗幣氏は独裁なのではないかという題で小崎壮平という在米の方のyoutube動画があったので、それを視聴しコメントを残した。https://www.youtube.com/watch?v=FmA_W2ryhvY&lc=UgwGtMv3LAOXl-mXODx4AaABAg この小崎氏の議論を聞いてもらいたい。そしてそこに書いたコメントは以下の通りである。

 

民主主義は、国民が国会議員などを選ぶ投票の段階であり、政党運営まで民主主義という訳にはいかない。政党も組織なので会社と同様トップのリーダーシップが重要。ゴレンジャーと言っても参政党の遺伝子と発芽までは神谷氏のものであり、参政党が成長し次の世代になるまで神谷氏がトップであるべき。その意味で、4名は神谷氏に同調し支援するための存在だった筈。武田氏は自己主張が特別に強く、政治家には向かない。

もう一つコメントします。「科学と政治は矛盾する」とおっしゃっていますが、それは間違いだと思います。政治は自分たち(例えば政治家が国民の代表なら国民一般)のトータルな幸せを目的に立法と行政に関わることですので、優秀な政治家はこの目的を最優先しつつ環境などの他条件を想定したうえでその方法を科学的(つまり論理的)に追及します。ただ人間ですので、自分たちや国民一般よりも自分が一番大事なのは誰も同じですので、客観的な視点で最良を選択できないことも多いと思います。従って、自分の利益や名誉にこだわる人物は、優秀な政治家になれませんし、優秀な科学者にもなり得ません。

(以上)

7月20日の参議院選挙で参政党は大きく伸びた。それは、気ままな大衆の人気の波が参政党に押し寄せた結果であり、それをそのまま自党の評価と思って喜んではならない。出来るだけ早期に各専門に能力のある者を割りあて、責任政党としての体裁を整える必要がある。

 

今後、新聞の取材やテレビの討論番組への招待が増えるだろうが、政権政党レベルの政策を組み上げるまでは、揚げ足を取られないように慎重に参加すべきである。現在の憲法草案や景気対策などを理論武装なしに話せば、参政党潰しの材料にされる危険性があると思う。

 

例えば、昨日の関西テレビでの「旬感LIVEとれたてっ!」で、神谷氏が橋下徹氏との議論の中で経済政策について“その場しのぎ”的に話したのは、良くなかったと思う。海千山千の策略家と話をするのだから、そして練り上げる前の政策についての話だから、もっと慎重に答えるべきだったと思う。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=CCxdI522U_Q


上の動画の概説欄にはその内容について以下のように解説がなされている:

 

参院選で注目された「日本人ファースト」を巡り、橋下氏が日本の人口維持のためには外国人を受け入れることも必要だと指摘すると、神谷代表は「少子化止まらない前提で、外国人で穴埋めしようと言う構成はおかしいんじゃないかと言っている」と話しました。

また大規模な財政出動を中心とした経済政策を提案している参政党は、国債の発行を案として挙げていますが、橋下氏が金利上昇などリスクがあることを指摘しました。

 

上記二段目の文章は、0~15歳までの子供に月額10万円を支給するとか、一次産業に従事する人に所得補償をするとかの政策に対する指摘である。橋下氏は、それをそのまま実行すれば、物価上昇と金利上昇で大変な事態となるだろうと思うというもの。その点は橋下氏の指摘が正しいと思う。

 

本ブログの筆者は、以前から参政党に注目をしてきた一人である。神谷氏が主宰する参政党こそ日本を救う政党になる可能性があると考えてきた。私が疑問に思ったのは、自民党から参政党に加わった安藤裕氏の積極財政論を、何故無批判に取り入れたのかということだった。橋下氏の上記後半の質問も、その積極財政に関係するものであった。

 

昨年10月7日の本ブログサイトで、安藤氏らの積極財政論に対する批判をアップロードしているので、是非お読みいただきたい。自民党には高市早苗氏など積極財政を主張する政治家が多いので、橋下徹氏ら評論家はその弱点或いは突っ込みどころを探し当てていた可能性が高い。

 

 

私は、その時以来、安藤氏は参政党を混乱させるために参政党に派遣されたのか、税理士の資格があるものの経済については無知なのかどちらかだろうと思っていた。

 

上の動画には、以下のようなコメントを書いた。

 

自民党から参政党に入った安藤裕氏や元財務官僚の松田学氏が間違った経済的知識を神谷氏に吹き込んだ可能性が高い。それに最近三橋貴明氏らも加わって、MMT(補足1)的なインチキ経済策を吹き込んでいるようだ。それらの策を公約にするのは間違いで、そのまま実行すればインフレと超円安で日本経済がつぶれる可能性が高い。橋下は、そのような掘り下げた質問をして参政党潰しに走るのは卑怯だ。

 

なお、日本経済低迷の30年間の原因は日本文化にある。労働の流動性、評価と賃金、実力と人事など、日本社会の文化の改善なくして景気復活は無い。経済浮揚には、日本が高い労働生産性と豊富なオリジナリティー創出を実現するしかない。積極財政は間違いである。

 

 

おわりに:

 

経済政策そのほかの危うさが非常に多い参政党だが、知識ある人の参加で是非日本の政治を本当の意味で担当するレベルの政党に成長してもらいたい。現在の日本の政治は、議員を家業とする政治屋たちが、政治を演じている状況にある。

 

神谷氏には、各界から人材を吸収して、真に政権を担当する政党になるように参政党を育ててもらいたい。神谷氏は、日本再生には歴史に学ぶ姿勢と教育を重点策とする等の政策が必須だと見抜く慧眼の持ち主であるので、その方向で参政党を育ててもらいたいと思う。

 

参政党の現状の政策提案力は、未だ中学生レベルであると思う。一人前の大卒からph.D保持者レベルの政党になれば、米国からの真の独立も可能となると思う。その為には何よりも優秀な人材確保が必要であると思う。現在の人材では、橋下氏の突っ込みに答えるのは難しいと思う。

 

補足:

 

1)MMTとはmodern monetary theory(近代貨幣理論 )の短縮形で、自国通貨建て国債であればいくらでも発行可能であるという理論。中央銀行が政府支配下になければ、この考え方は成立しない。ただ、通貨発行量の増加から為替レート(円/ドル比)が円安になり、輸入物価の上昇から物価全体も上昇するだろう。厳密ではないが、国債発行分だけ通貨の価値が希薄化されるとも考えられる。20世紀後半から21世紀初めのように、途上国の経済発展により通貨の需要が高まる情況下では、基軸通貨発行国(米国)の国債発行量が増加しても物価上昇は起こりにくい。

       (以上)