ヤフーニュースに、ひろゆき(西村博之氏)が5日X上で、参政党の神谷宗幣代表が自党の方針である反グローバリズムを説明しながら、政府にトランプ関税をもっと下げるように交渉すべきと要求するのは、論理的に矛盾しているという批判をしたと報じられている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/70d8e2c9d48c92cf98f80737de747d80fcecd74a

 

神谷氏の国会質問:https://www.youtube.com/watch?v=FChLDlE_4HA (前半)及びhttps://www.youtube.com/watch?v=q1IFYfFZpx8

 

 

上の参政党を応援する動画サイトにも、このヤフーニュースと同じひろゆきの指摘が紹介されている。それを再現すると:

 

神谷氏は「参政党として初の予算委員会での質問でした。参政党の反グローバリズムのスタンスを説明し、トランプ関税との向き合い方を問いました。15%を守るのではなく、0%に近づける交渉をして欲しいと要望しました」とつづり、党のYouTubeチャンネルで国会中継を公開した。

 

ひろゆき氏は「アメリカの関税が下がるとアメリカは輸入が増えるので、グローバリズム推進ですね。用語は正しく使いましょう」と指摘した。

 

これに続いてX上でのコメントが幾つか続き、最後に参政党を応援する幾つかの意見で終わっている。これらの詳細は、動画にてお確かめください。

 

ひろゆきのコメントは一理あるものの、経済のグローバル化と政治・文化のグローバル化の区別をしておらず、これから伸びようとする政党を単に批判するのみであり、日本国に対する愛情を全く感じない。そこで神谷代表の意を汲んでコメントを投稿した。このコメントの内容はブログで何度も指摘したことである。

 

ひろゆきが全く分かっていないのは、一般に反グローバリズムという場合は、政治のグローバリズムに対して反対することを言うということです。政治のグローバリズムとは、国境を廃止する方向、人の出入りを自由にする方向、各国の独自の文化・慣習を無くしてグローバル・スタンダードなものに統一する方向を指します。

 

グローバリズム全体は、先ず経済のグローバル化が進み、次に政治のグローバル化に進みます。トランプ関税は、米国の巨大赤字の解消と産業の空洞化を元に戻すことを目的にしているのでしょうが、不景気と米国の地位の低下で失敗します。経済のグローバル化をどこまで進めるかも各国の裁量のうちです。

 

2)簡単なグローバル化の説明

 

・グローバル化に対する私の考え方(上に用いている):

 

単にグローバル化と言う場合、それには二つの側面がある。経済のグローバル化と政治・文化のグローバル化である。そしてグローバル化は、先ず経済のグローバル化が進み、続いてその中で力を得たグループや民族が自分たちの慣習や文化をグローバルスタンダードとしてこの地球上を統一する方向で、政治・文化のグローバル化を進めようとするのである。

 

・グローバル化の恩恵とその進展のモデル:

 

現在の日本をはじめ世界の経済は、経済のグローバル化、つまり現在のWTO体制の中で発展してきた。各加盟国が、関税はなるべくゼロの方向へ、資本の移動をなるべく自由にするという方向に努力するのである。その体制下で頑張ってきたお陰で、日本は食料もエネルギーもほとんど輸入に頼っていながら、先進国の一員となるまて経済発展してきたのである。

 

ただ、この体制下で資本の力が増すに従って、資本による法人税と高額所得者の所得税を下げることや様々な抜け穴を創る政治干渉が増加してきた。その方法は、資本家が様々な汚い方法で政治家を取り込み、タックスヘイブンを作り出して維持することや、政治献金の自由度を実質的に拡大することなどである。その結果、政治は資本が握り国民に貧富の格差拡大と分断が進んだ。

 

このように大きくなった金融エリートたちには、民族的偏りや思想的偏りがあり、かれらの偏った文化や慣習へ世界を強制したいという欲求が生じたように思われる。その背景には、ローマクラブの「成長の限界」などにより誘発された危機感(人口の爆発的増大、資源枯渇及び環境破壊による)があるだろう。以上が政治のグローバル化が大きく進みだしたプロセスである。

 

・反グローバリズムとは

 

ここで参政党などが反対するのは、政治・文化のグローバリズムであり、それを企む一部エリート(経済のグローバル化で力を持った金融エリートとその支配下にある人物や組織)の政治支配の仕組みと企みである。その運動を反グローバリズムと呼び、多くの国で大きな勢力となりつつある。

 

(翌早朝編集して最終稿とする)

先の参議院選で参政党は大躍進した。国民のかなり多くが、国民を真に代表する政党として参政党を受け入れた結果だろう。しかし、参政党が政権政党を目指す場合、いくつか弱点が存在すると思うので、今回は党首神谷宗幣氏の演説や憲法草案を引用しつつそれらについて考えてみる。

 

参政党が素晴らしいのは、自分たちの国の政治を実現するために自分たちが政党を作り政治活動をするという民主主義的姿勢である。また、正しい歴史認識を獲得し、それを教育に生かすことで日本の再興を計るという目標設定も素晴らしい。

 

日本国を真の独立国とし、豊かな国民経済を作り上げるのが目標なら、既存の教科書にある近代史ではなく、国民のための歴史を構築してもらいたい。それは、国民の生活と感覚を想定した国民の視点からの歴史であり、且つ既存の歴史的事実と整合性を持たなくてはならない。

 

今後大勢の優秀な人材を集めて議論し、21世紀中盤からの日本を担う政党を創生するという難事業に成功して貰いたいと思う。


 

1)反グローバリズム

 

・経済的グローバリズム 

 

先ず、参政党が掲げる反グローバリズムについて考える。日本民族の伝統と慣習を重視する保守思想を掲げ、グローバリストの企みに抵抗する反グローバリズムを旗頭とする唯一の政党であり、新しい生命力をもった政党として高く評価される。

 

ただ、グローバリズムには政治や文化の側面と経済の側面があり、日本を含む世界の経済は経済的グローバリズムには深く依存している。 食料もエネルギーも自給できない日本は、現在の豊かな経済を維持し発展させるため、現在程度の経済のグローバル化は維持しなければならない。

 

つまり、グローバル経済を勝ち抜かなければ、日本経済に未来はない。(補足1)グローバル経済で日本企業が勝ち残るには、世界との開発競争や生産性向上の勝負に勝たなければならない。その方向で政府が出来ることは限られるが、重要なのは既得権益層の排除とそれによる機会均等の保証、実力本位の人事と待遇、労働の流動性の拡大など、日本文化からのミクロな対策である。


日本の与野党が提唱する積極財政論は、既得権益層を甘やかすことになり、日本の国際競争力の増強には有害となる可能性が高い。勿論、有効且つ必要な財政拡大もあり得るが、それにはタイミングが大事だと思う。基本的見方としては、国民が質の高い労働力を提供し、企業がそれを公平に受け入れる、実力本位の社会を作り上げるべきである。また、個人の資質向上のためには大学教育の改革も重要だと思う。 
 

・政治的グローバリズム  

 

現在、世界経済において強い力を持つ者たちが、法と法の精神を無視して、政治的グローバリズムを推進するように主権国家体制に強く干渉している。米国の民主党(ネオコン)政権や欧州の国際機関が先頭にたって、世界の巨大金融資本家たちがその背後から支援(或いは指示)する形で、国境の意味を徐々に薄くし、世界の政治を統一するかのように企んでいる。

 

具体的には、地球環境問題に対する統一的な理解と対策の強要(補足2)、疫病などの予防体制のWHO(世界保健機構)による一括管理、世界の食糧の生産などに関する統一的管理、更には、性的マイノリティーや家族制度などにおいても世界共通のルールを強要しようとしてきた。

 

グローバリズムの先頭を走る米国においては、南米からの難民や移民を無制限に受け入れさせて、国境の意味を低下させてきた。(補足3)それらは、世界帝国を樹立して、政治権力を独占する企みに見えるが、その指摘をする者に対してはマスコミを利用して「陰謀論者」という烙印を押し、反社会分子のように扱い排除してきた。

 

米国ではトランプ大統領が就任し、反グローバリズムの旗頭になった。そのキャッチフレーズが米国ファーストである。参政党は、この世界のグローバリズム政治の流れに抵抗し、日本の長い歴史と伝統を守るべく反グローバリズムの旗を掲げるのは頼もしいと思う。トランプ政権を真似て「日本人ファースト」を掲げたのは正しい。


 

2)国民のための歴史と憲法草案

 

歴史とは、人間社会の過去の出来事を系統づけて整理したものである。通常、歴史書という形で出版され、そこには作成者の政治的動機が存在する。従って、歴史書に記されているのは過去からの真実の整理ではなく、むしろ物語であり文学であると言える。そのように語ったのは、岡田英弘という東洋史の先生である。

 

中国と日本の代表的歴史書である史記や日本書紀は、時の政権を正当化するために用いられた。つまり、日本書記は天武天皇がその政権安定を狙って作り上げた古代日本の物語である。同じ時代を別の国や別の人が書くと、全く異なる歴史書が出来上がるだろう。
 

従って、政治家が歴史を語る場合、それはあくまでも政治目標設定或いは達成のために歴史の流れを記述し、利用するということである。それ故、21世紀の現代において古墳時代から飛鳥時代までの古代の権力が自分たちの政権安定のために作り上げた歴史に縛られる必要などない筈。

 

参政党によって最近提示された憲法草案は、この日本書記的記述が多く、現在の国民の多くが共鳴できない、或いは理解できない部分も多いので改めるべきだと思う。日本の伝統の中には今日的意味を失ったものも多い。それらは適当な場所に移し、現在の日本国のためになるようにすべきだと思う。

 

憲法草案の第一章に天皇を持ってくるのは、大日本帝国のようにこの国が天皇中心の国であることを意味する。それは国民の為の政治を目指す政党の憲法草案には相応しくないと思う。国民の多数が参加する国民主権の国家を創るのなら、それを第一に謳うべきだと思う。

 

天皇には、伊勢神道の主宰者として2000年余の伝統をお守りいただくことで良いではないか。

中でも、憲法草案の第一条の記述、特に第三項「天皇は神聖にして侵すべからず(要約)」は、大日本帝国憲法の受け売りであり、現代の政党に相応しくないと思う。

 

日本を真の独立国とし豊かな経済を作り上げるのが参政党の目標なら、今後日本の生きる方向に考慮し、同時に国民の視点から国民のための憲法草案を作ってもらいたい。池上彰氏らは、この憲法草案に対する意見を動画としてyoutubeにアップしている。それも参考にすべきである。https://www.youtube.com/watch?v=Cpo3QoixXtU


 

3)大東亜共栄圏構想に対する姿勢

 

神谷宗幣氏が二年前に松山で行った街頭演説において、日本が西欧諸国と戦った太平洋戦争(経緯は補足4に示す)は、西欧諸国のアジア植民地化に対抗するためだったので大東亜戦争と呼ぶべきであると語っていた。この歴史認識のままでは今後参政党が国内で大衆化し、国際的にデビューする際に困難を生じると思う。https://www.youtube.com/watch?v=jVojeOBgyr8 

 

確かに、戦後アジアにおいて続々と植民地解放運動が発生し、独立国が出来た。その際、旧日本軍兵士が現地の方々とともに戦った例も存在する。しかし、対英米戦争は、大日本帝国がアジアの一部を植民地化し、アジア全体を覇権圏とするという自国の利益のために行ったのであり、東アジア各国の利益を考えてのことではない。

 

この虚飾の大東亜共栄圏構想は、満州などの植民地化を正当化するためのレトリックに過ぎないので、事実と事実をつなぎ合わせて歴史を語るという本来のあり方に悖ることになる。あの戦争を大東亜戦争と呼び直すことは大東亜共栄圏構想と結びつけることになるので、参政党が大きな勢力を得た時、国際的に不要な摩擦を生じる可能性もありプラスにはならないだろう。

 

ネットで調べると19407月に閣議決定された基本国策要綱 に「大東亜新秩序の建設」が明記され、「大東亜共栄圏」構想の正式な政策化がなされたとある。しかし、歴史の現場を考察すれば、大日本帝国の当時の目的は、欧米が東アジアを植民地化する目的と同種なのは明らかである。

 

従って、戦後アジア諸国が続々と独立したとしても、それは大日本帝国の免罪符にはならない。また、あの痛ましい戦争に国民を巻き込み多数の戦死者と犠牲者を出した戦争を、大東亜戦争というプロパガンダ用語を用いて呼ぶことには賛成できない。

 

戦争に負け多数の国民は殺されたけれど、大東亜共栄圏構想とそれに基づいたアジア諸国への日本の進出は正しかったと評価することになる。それでは国民のための政党とは言えないだろうと思う。


 

4)靖国参拝に対する姿勢

 

参議院選で大勝したあとの記者会見で、参政党党首の神谷氏は党幹部とともに毎年815日に靖国神社に参拝していると語っている。これらのことは日本国民のための日本国を取り戻そうと考える人たちには、相応しいとは言えないと私は思う。https://www.youtube.com/watch?v=dM0sJCLjh08

 

靖国参拝の意味: 

 

明治以降の近代史を冷静に見れば、明治新政府を樹立した者たちは貴族階級であり、支配階級であった。そして現在もその末裔が中心になって日本の政治を担当している。日本国民の大半は、被支配階級であり、当時から今現在も日本国はこれら二つの層に分断されている。
 

戦争を始めた人たちと戦場で送られた人たちが明確に別の層に属していたことは、以下の事実からも分かる。戦死者の大半は敵との戦闘で死んだのではなく、兵站無視の無謀な作戦により飢餓や病気で死亡した。また、敗戦確実の戦況の中で、海軍兵の一部は敵船破壊のために人間魚雷として船腹に衝突した。また、若い飛行士たちは帰還用の燃料を積まずに出発し、敵戦艦に体当たりした。

 

彼ら若き兵士たちは、結婚することも、子供を育てることもなく、その後の予想された人生のすべてを、無意味に放棄させられた。そのような作戦が可能だったのは、支配階級と被支配階級との間に深い分断の谷が存在したからである。それを直視できないように、日本国民は天皇の赤子(せきし)であるいうプロパガンダが用いられたのである。悪質な天皇の政治利用である。

 

天皇は、江戸時代末期まで神道の主宰者として国民の精神的支柱として存在したが、大日本帝国では政治的な絶対権力組織の旗頭となった。天皇の名を利用できる支配者階級は国のためと称して、被支配者階級の人間を消耗品として扱い、自分の優越意識を満足させたのだろう。

 

靖国神社は、この明治以降の軍国主義を支えるために建立され、本来の神道とは関係の薄い国家神道の施設である。被支配層であった大多数の国民を代表する政党なら、靖国神社の参拝には慎重であるべきである。

 

戦争責任者の靖国合祀

 

東京裁判において断罪された大日本帝国の指導者たちを靖国に合祀したのは、彼ら戦争指導者を連合国側の報復行為の被害者とし、彼らの命令で無駄死にした戦死者と同等の被害者側に置くことで、開戦と敗戦の責任、多くの国民を無駄死にさせた犯罪的失政の責任を国民から隠蔽し、天皇の重臣としての彼らの名誉を維持するためだったのだろう。

 

政治家が太平洋戦争の何らかの記念日に靖国に参拝することは、明治以降の大日本帝国の政治を受け入れ、大日本帝国の責任者の責任回避を受け入れる行為である。

 

ついでに言うと、大日本帝国を継承した日本国政府は、以上の戦争時における責任を国民に対して明確にすべきである。その上で、講和条約で大都市空襲や原爆投下の責任を米国には問わないことにしたので、その賠償責任は本来大日本帝国を継承した日本政府が負うべきである。


 

終わりに:
 

日本国民の殆どにとっては、政治への関門は高い。高額の供託金は立候補の壁であり、一票の格差は都市部での当選を難しくする。この先進国には異例の選挙制度は、明治の重臣の末裔たちの政治家という既得権益を守り、新しい価値観を持つ若い人たちの当選数を抑制するためである。

 

つまり、明治政府の末裔や彼らに選ばれた有名人などが優先的或いはほとんど独占的に政治家になっている。日本国は未だに民主主義の国とは言い難い。そんな中で、参政党は国民の政治参加の意思と団結する力で参議院選で14の国会議員を誕生させた。これは高く評価されるべきである。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12915924203.html

 

日本の裁判所は行政に阿り(補足5)、2倍程度の一票の格差は政治参加の平等を謳う日本国憲法に違反しないとか、訳の分からない判決を出す。日本は民主主義から程遠い国である。参政党にはこの壁を破壊してもらいたい。
 

補足:

 

1)食料とエネルギーを自給できる米国やロシアは、経済を閉鎖しても全国民の生活を維持できる。しかし、それら基礎的物資を自給できない日本などの国には貿易に頼るしかない。その為には、こちら側にも何か輸出して金を稼ぐ力が無くてはならない。一言でいうと、日本の通貨に相応の実力が無くてはならないということである。積極財政論の欠点は、円安を殆ど想定していないことである

 

2)二酸化炭素濃度増加による地球温暖化説には説得力がないとする説がいくつもあらわれている。

 

ただ、現在地球温暖化は現実問題としてほとんどの人が感じていることである。この問題は未だ未解決だが、筆者も今後再度チャレンジする予定。

 

3)これには、熱心な民主党支援者でもあるユダヤ人投資家のジョージ・ソロスという人物が深くかかわっていることが確認されている。

 

 

4)米国の協力で日露戦争に勝利した後、日本が満州に本格的に進出した。この時、米国からの満鉄共同経営申し込みを一旦は受け入れたものの、最終的には拒絶したことなどから、日本は米国に敵国と見做されることになった。その後、同じく英仏の敵国となったドイツなどと同盟を結び、第二次世界大戦に参戦し敗戦した。この一連の外交は、大日本帝国政府の国家運営上の大失敗である。
 

5)自衛隊は軍隊ではないなどの仰天判決も最高裁に得意技である。

 

(8月4日早朝編集、補足を追加し最終稿とする)


1)日本の政治は政権交代があっても変わらない

 

1993年細川連立政権は55年体制が始まってから38年ぶりに自民党から政権を奪った、1994年日本社会党党首の村山富市氏が内閣総理大臣になり、その内閣は1年以上続いた。また、20099月民主党代表が総理大臣となり、それから201212月まで民主党内閣が続いた。

 

それらの連立政権や野党政権下でも日本の政治は特に何も変わらなかった。非常に印象的なのは、社会党は現実に合わせるために安保容認と自衛隊合憲に党の路線を変更するに至った。結局、日本社会党は分裂後消滅し、一部は日本社民党と名前を変えて今に至っている。
 

日本社会党や日本社会党から大勢が合流した民主党が政権をとっても、日本を社会主義の国にすべきという議論は全く出なかった。しかし、「不思議だ」とか、「何をしとるんだ」とか、不平不満や疑問の声はあっただろうが、それ以上の行動などは無く、いつの間にか過去の話となった。

 

繰り返しになるが、日本社会党は安保条約に反対し、非武装中立を党是としていたが、政権についた途端に日米安保容認及び自衛隊合憲へと方針を転換した。歴史認識を明確にしたと細川氏が自慢しても「あれは侵略戦争だった」と安物のラベルに張り替えただけで、歴史に学ぶ政治というレベルからは程遠かった。

 

あの戦争は何故起ったのか、何故負けたのか、何故300万人余が死亡したのかなど、国民が期待する議論は皆無だった。国民の意見が政治に反映されないとして、選挙制度をいじくって小選挙区制を導入したが、政治は変わらなかった。そして政権は再び自民党に戻った。
 

野党政権で政治が変わらなかったのは何故か?その重要な議論はマスコミ報道に乗らなかった。これら野党政権の実現の時の回顧記事がNHKによって書かれているが、本質論からほど遠い内容が延々とつづいている。多分意図的にこのような記事を掲載したのだろう。 https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/101472.html
 

政権交代しても、政治家を入れ替えても日本の政治は本質的に不変である。それは日本国を運営しているのは政治家ではなく、霞が関の官僚組織だということを意味している。そして官僚組織に圧力をかけることが出来るのは、日本の政治家ではなく米国である。

 

岸田政権の時、ウクライナへの1.7兆円を超える支援金(補足1)やLGBT法案制定が国会で殆ど何も議論されずに決定された。テレビや新聞は事実だけで、ウクライナ戦争の本質が米国によるロシア解体の企みであるという事実(補足2)を隠した。LGBT法制定の必要性について日本文化との関連で議論した跡はどこにもなかった。
 

「政権交代しても、政治家を入れ替えても日本の政治は本質的に不変である」という重要な事実、つまり国民が与党の政治に不満を持って野党を政権につけても政治が変わらないことが明らかになっても、一時的に議論になったものの直ぐに何もなかったかのように静かになった。

 

その一つの理由は、日本国民に市民革命の記憶が無いからであり、地理的及び言語的に隔絶されている日本では諸外国の政治の実態を知ることがなかったからである。 もう一つは、国民の不満と怒りは与野党議員やマスコミまでを含む緩衝装置によって吸収されてしまうからである。

 

野党政治家は国民の声を聞き、政治の是正を約束し、且つ与党の政治を批判する。政治評論家はそれをマスコミで喋る。国民は、国政選挙で票を野党に入れて与党にお灸をすえた気になる。国民はそれで一定の満足を得るようだ。この政治システム全体が緩衝装置なのだ。

 

野党が政権をとっても何年経っても何も変わらない。忘れっぽい国民は、テレビのスポーツ番組やバラエティショーを見たり、クイズ番組や災害や事件の報道の中でやがて忘れてしまうのである。

 

日本には民主主義政治の欠片も存在しない。国民の不満や怒り、それに基づく政治への圧力は国会議員選挙までであり、選ばれた政治家も実際の政策決定には、無力且つ無関係なのだ。テレビタレントや明治以来の家業を継ぐ政治屋たちは、安心して選挙運動で賃金上昇や物価安定の約束が出来る。

 

そのような政治文化の中で、日本の国会議員の多くは知識や能力を欠く。永田町で政治を演じる役者に過ぎない。彼らは歌舞伎役者と同様、家業として政治家を代々継承する日本の貴族階級である。これまで国政選挙は、国民に政治に参加したつもりになってもらう為の儀式であった。

 

かれら政治役者たちが既得権益層なら、彼らに国会質疑という演劇用台本を書く霞が関の高級官僚たちも既得権益層である。彼らの官僚退職後の優雅な生活は良く知られている。国会議員の他、財団理事とか、会社相談役とかで多額の給与や退職金を貰うことになっている。政治家が本来の能力を持ち、この体制が破壊されれば困るのである。https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-041-09-03-g058

 

日本が経済対策を本気でやるのなら、これら既得権益層をなくすことだ。それは正しい政治改革であるだけでなく非常に大きな経済効果を発揮するだろう。それら財団や会社に与える直接的効果の他に、日本から貴族階級が無くなることで、社会は徐々に実力本位となるだろう。

 

日本社会の古い文化からの脱却は、会社の人間関係も封建的な上下関係から民主的機能体の人間関係になる。機能体の関係では、情報の流れにおいて下流に居る者の身分が下というわけではない。どちらも必要不可欠な部分として機能体を構成するのである。(補足3)

 

その他、労働流動性拡大や大学のレベル向上などが続くだろう。情報伝達が上位下達型から水平型&共有型となりスムーズになる。議論を避ける風潮もやがて無くなるだろう。日本経済の低迷の根本原因は、現在の日本文化にあるのだ。


 

2)米国との比較:
 

日本では、政府の政策やその為の国会での質疑応答と言っても、ほとんどを官僚が立案し作成する。そのため、国会委員会などでの質問は前日までに提出することになっている。そして、国会が始まると答弁書作成のために霞が関の官僚が夜遅くまで仕事をすることになる。
 

政府側委員は官僚が作成した答弁書を読むだけである。そのため議論の往復回数は少ない。自力では質疑を継続できないからである。野党議員の質問には適宜、委員会に参加した官僚が、与党政府委員に代わって答える。

 

首相記者会見なども、短い時間の形式的なもので儀式的に見える。記者たちも、記者クラブをつくり外から一匹オオカミ的に乗り込んでも無視されることが多いようだ。そして、首相が答えるのに困難な質問は避けるようだ。そんな光景を見ても国民は特に不思議には思わないようだ。

 

一方米国では質問を事前通告などしないので、ぶっつけ本番の議論となる。知性や知識がなければ、勤まらない。米国は大統領制であり、行政府高官が議会に出席するのは「証人」としての供述の為であり、日本のような予算員会などで答弁することはない。この場合は、通常供述前に宣誓を行う。
 

そのような言論空間で育つからか、米国の政治家には優秀な人が多い。それでも政治家一人の能力は限られるので、政治家として質を上げるため、連邦議員は少なくとも数人の政策スタッフ(legislative aides)を持っている。その予算は連邦予算から支給される。当然、会計報告は厳格に審査される。(補足4)
 

連邦議員たちは、自分の政治に関する考え方を日々磨き上げているので、そのまま大統領に立候補できるような人物がたくさんいる。彼らの議論は、自分の言葉で進行するので、非常に長くなることもある。大統領記者会見が2時間以上も続くこともしばしばである。(補足5)
 

米国の議論は何かを解決するため、或いは意見の相違を超えるための本音の議論である。従って、日本のように予め言い逃れを工夫する時間的余裕を相手に与えるようなことはしない。日本での議論は、馴れ合い的なものであり、相手を困惑させたりすることはない。

 

その証拠は、長年自民党と反対のことを言ってきた日本社会党の委員長が総理大臣になった途端、公式見解まで変えることになったことである。民主党政権下でも、民主党鳩山党首と重鎮の間に意見の相違があってもそれが議論で解消されていなかったことが、「最低でも県外」発言後の右往左往で分かる。
 

日本の総理記者会見は普通短い時間を割り当てて中途半端に終わる。最後に「スケジュールがありますので、これで終了します」と司会役が言う。総理大臣にも司会役にも、記者の背後に居る筈の1億人あまりの国民など全く目に浮かばないようだ。これ等の光景を不思議に思わないのは、国民が政治に参加したことがなく、「民主主義政治」を見たことがないからである。

 

 

3)参政党に対する期待と危惧

 

参政党は日本で初めての民主主義実現を目指す政党である。党員のかなりの人たちは、政治に参加すべく日常的に関わっているだろう。党首の神谷宗幣氏は、吹田市議時代から国会議員を目指して研鑽を積んだように見えて、日本に本格的な政治改革を訴えている。

 

しかし、党首といえども一人の人間であり、能力は限られる。思想・歴史的問題には熱心だが、マクロ経済、金融、財政、国際通貨制度といった経済的構造への理解が弱い。その為、財政問題については党内の二人に頼ってしまい、安易な積極財政論を採用している。

 

その結果、今回の参議院選では大勝したのだが、大規模財政出動で市場の信認が揺らぐと、国債金利上昇・円安・インフレ誘発のリスクが生じるが、それは参政党崩壊のリスクでもある。テレビの番組でインフレリスクを指摘した橋下徹氏に、神谷氏はM氏とA氏への丸投げを匂わせて逃げるしかなかった。https://www.youtube.com/watch?v=CCxdI522U_Q

 

この二人の積極財政論者は、米国のMMT理論の変形を主張し、お金が降って湧くような話をしている。お金は日々額に汗して稼ぐものだという原点を忘れている。国債を発行しても、それは国民の財産になるのだという類いの一面の真理を全面的真理のように言っている。

 

日本の経済復興は日本の労働文化や経営文化に原因があり、政府の政策が立ち入る予知はあまりない。これは自民党総裁選で河野太郎氏も言っていたことである。なんとか多くの知性を集めて、この初期の壁を乗り越えてもらいたい。
 

その為には、現在の主要スタッフとは反対の意見を持つ人物の参政党への参加を求めるべきである。「日本人ファースト」に難癖を付けない人なら、党員ではなく党友としての参加依頼をしてはどうかと思う。


 

補足:

 

1)令和612月の岩屋外務大臣会見記録による。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaikenw_000001_00112.html

ロシアのウクライナ侵攻がなぜ起こったのか、日本がウクライナ支援をなぜしなければならないのか、どの程度の支援が必要なのか、その使途はどのようなもので、その成果がどの程度だったかなどについての十分な発表・議論がなされていない。
 

2)ウクライナ戦争の動機はロシアの対NATO防衛であった。このことはロシアのウクライナ進攻の一週間以上前に本ブログに投稿している。

 

 

 

3)例えば人の頭の細胞が肝臓の細胞より偉いわけではない。会社の人事部局が製造部局より偉いわけではない。どちらも機能体のいち部分として重要なのである。

 

4)この政治システムをまねたのか、村山政権時代の大失策である政党助成金制度(1994年に法制定)である。 自民党は無知な村山氏を利用して、政党トップが自由に配分できる政党助成金制度を作った。これは、議員個人が自由に意見を述べることを妨害し、自民党幹部である政治貴族の支配力を強めることに貢献した。益々、議員個人の政治能力が育たなくなったのである。

 

5)この政治文化的・制度的な違いについてAIcopilot)が整理してくれた比較を以下に示します。

 

米国:

- 報道の自由と対話文化が根強く、記者が大統領に直接鋭い質問をぶつけることが許容される。

- 会見は「説明責任の場」であり、国民との対話の延長線として位置づけられる。

- ホワイトハウス記者団は多国籍・多様なメディアで構成され、質問の切り口も幅広い。

- 大統領自身が長時間応じることで、健康状態や政策への自信を示す意図もある。

日本:

- 記者会見は「発表の場」としての性格が強く、一方通行的な情報提供になりがち。

- 質問は記者クラブ所属の記者が中心で、事前に質問内容が調整されることもある。

- 総理の発言は慎重で、失言リスクを避ける傾向が強いため、会見時間も短くなる。

- 会見後の「ぶら下がり取材」などで補完されることもあるが、公式性は低い。

 

(明朝、再度校正)