(本稿は、OpenAI ChatGPT の協力により作成されたものです)


はじめに

意識とは何か、自己とは何か、意志とは何か。これらの問いは古くから繰り返されてきたが、多くの場合、神秘主義と極端な唯物論のあいだを揺れ動く形で語られてきたように思われる。

 

本稿では、意識や意志を独立した実体として仮定することも、単なる幻想として切り捨てることも避け、構造として捉え直すことを試みる。そのために、人の知覚する世界とその世界での思考や行動を「経験世界(知覚の世界)」と「意識の世界」という二つの側面から整理する。

 

ここで扱うのは、世界そのものの存在論ではない。問題にするのは、人間の意識に世界がどのように現れ、どのような構造を持っているかである。

 

1. 経験世界と意識世界――自己の二重構造

私たちが知覚している世界は、外界そのものではなく、感覚器官から得られた情報をもとに脳が統合して構成した経験としての世界である。本章では、この世界を「経験世界」あるいは「知覚の世界」と呼び、同義として用いる。

 

この経験世界は、単なる感覚の集積ではない。視覚、聴覚、身体感覚、記憶、感情などが統合され、一定の空間と時間を持つ世界として立ち現れている。私たちはこの経験世界の中で、物を見、他者と関わり、行為している。

 

この経験世界の中には、自己も含まれている。自分の身体、その位置や動き、感覚、さらには行為主体としての自己は、いずれも経験世界の一部として現れている。ここでの自己は、経験世界の中に存在する。

 

しかし、この経験世界を成立させている主体としての自己、すなわち意識は、同じ仕方では経験世界の中に現れない。意識を、経験世界の像の中の一つの対象として捉えようとすると、それを見る主体をさらに仮定せざるを得ず、自己の分裂や無限後退を招く。

 

したがって、意識は経験世界の内部に存在するものではない。意識は、経験世界を成立させる特異点として、ちょうど視覚における盲点のように存在している。それは対象としては現れないが、世界が連続した経験として知覚されるために不可欠な位置を占めている。

 

ここで、自己は二つの側面を持つことになる。一つは、身体や行為主体として、経験世界の中に含まれる自己である。もう一つは、その経験世界を成立させている主体としての自己、すなわち意識である。

 

この二つは分離して存在するのではない。私たちが「自分」と呼んでいるものは、経験世界の中にある自己と、世界を成立させる意識とが統合された状態にほかならない。

 

さらに視点を変えると、人間は二つの世界に同時に生きていると捉えることができる。経験世界では、自己は世界の中の一つの存在として現れる。一方、意識の世界では、自己は世界そのものであり、外界としての世界は、意味づけの対象として無限遠に遠ざかる。

 

行為の結果は経験世界に現れ、意味や価値、方向性は意識の世界で形成される。この二重構造こそが、人間の自己の基本的なあり方である。

 

2. 意志とは何か――意識の世界の構造とエネルギー

前章で述べたように、意識の世界は静的な内面ではなく、意味と価値の配置によって張力を持つ世界である。

 

本稿では、意志とは、意識の世界を構成する構造とエネルギーに対する呼称であると考える。ここでいう構造とエネルギーは、物理学で議論する経験世界における構造やエネルギーとは異なるものである。

 

意志は、経験世界の中に対象として存在するものではない。また、行為を引き起こす神秘的な原因でもない。それは、意識の世界において、価値や意味が一定の配置と張力を持った状態を指す言葉である。

 

この構造とエネルギーが、経験世界における行為として現れるとき、私たちはそれを「行動」と呼ぶ。行動の持続や修正もまた、意識の世界における構造とエネルギーの変化として理解できる。

 

自由とは、因果関係からの離脱ではない。自由とは、意識の世界の構造とエネルギーの配置が固定されておらず、再編成可能であることを意味している。

 

3. 価値とは何か――意志を形づくる三層構造

意志の内容を具体的に理解するためには、その構造を形づくる価値について検討する必要がある。

ここでいう価値とは、外界に客観的に存在する対象ではない。価値とは、意識の世界において、意味や重要性に差異を与え、行動の方向性を生み出す評価の構造である。

 

人間の意識の中で機能している価値は、少なくとも三つの層に分けて考えることができる。

 

第一は、生命的価値である。生存、身体の恒常性、快・不快、欲求や衝動といった、生物としての基盤に関わる価値である。

 

第二は、社会的価値である。規範、役割、評価、信用など、他者との関係の中で形成される価値がここに属する。

 

第三は、文明的・宗教的価値である。倫理、宗教、歴史観、国家や文明の物語など、個体の寿命を超えた時間的広がりを持つ価値である。

 

意識の世界において、これら三層の価値は同時に存在し、状況に応じて異なる重みを与えられる。この重み付けの構造が、意志の具体的な内容を形づくっている。

 

4. 悪と責任――価値構造の歪みと社会的要請

この枠組みから見れば、悪とは特別な実体ではない。悪とは、価値の重み付け構造が極端に偏った状態である。

 

第一の悪は、社会的悪である。社会的価値や文明的価値の重みが極端に軽くなり、生命的価値が過度に優先されることで生じる。

 

第二の悪は、文明的・宗教的悪である。文明的あるいは宗教的価値が、歪んだ形で内部化されたり、絶対化されたりすることで生じる。

 

責任は、意識や意志の内部に自然に存在するものではない。責任とは、社会が行為者に対して外部から課す社会的・制度的要請であり、将来の意志形成に影響を与える調整装置である。

 

結び

本稿では、人間の意識、自己、意志を、実体や神秘としてではなく、構造として捉え直してきた。

 

人間は、経験世界と意識の世界という二つの世界に同時に生きている。経験世界では、身体や行為主体としての自己が世界の中に現れ、行為の結果が知覚される。一方、意識の世界では、意味や価値、方向性が形成され、自己は世界そのものとして立ち現れる。

 

人間とは、再編成可能な意識の世界を、そこでの意志が行為となるように、経験世界と特異点において結び付けて生きる存在である。死とは、その特異点を失うことであるが、人と人は経験世界でのみ関係を持ち得るので我々は死の詳細は知らない。

 

(2026年1月16日;1月17日早朝編集あり)

 

――町内会、宗教、そして「食と安全」の政治学

(本稿は、OpenAI ChatGPTとの対話を通じて構築された思考整理をもとに執筆したものである)

はじめに

町内会という組織に対して、多くの日本人が漠然とした違和感を抱いている。法人でもなく、法的強制力を持つわけでもない。しかし現実には、会費を徴収し、行政の下請けのように振る舞い、寄付や協力を半ば当然の義務として求めてくる。

 

この曖昧な存在を理解しようとしたとき、問題は町内会そのものではなく、人はなぜ群れをつくるのかという、より根本的な問いに行き着く。

1. 戦前・戦中の町内会と、GHQによる禁止

戦前日本には、町内会・部落会・隣組といった地縁組織が存在していた。それらは戦時体制の中で、配給、動員、思想監視まで担う国家統制の末端装置へと変質した。この構造をGHQは明確に危険視し、占領初期にこれらの組織を原則禁止・解体した。


民主主義と相容れないと判断したからである。しかし、GHQはその「完全禁止」を維持できなかった。理由は単純だった。日本社会を放置すれば、統治不能に陥る可能性があったからである。民主主義を定着させるために、GHQは民主主義を管理せざるを得なかった。


その結果、「非政治的・任意団体」という条件付きで、地域共同体は黙認される。ここに、戦後日本の町内会の原型がある。

 

2. 現代の町内会は何のために存在しているのか

現代の町内会は、理念的な自治組織ではない。実態は、市町村にとっての低コストな社会インフラである。

  • ゴミ集積所の管理

  • 公園や防災活動

  • 高齢者の見守り

  • 災害時の連絡網

これらを行政が直接担えば、莫大なコストがかかる。町内会は、それを無償または低コストで肩代わりする装置として機能している。同時に、日本社会では地縁・血縁以外の人的ネットワークが極めて弱い。会社という職縁が崩れ、家族も縮小する中で、行政が頼れる「人のつながり」は、もはや地縁しか残っていない。

 

自治体が祭りや地域行事を支援する背景にも、この事情がある。文化保存ではなく、ネットワークの延命である。

3. なぜ日本では地縁・血縁以外のネットワークが育たなかったのか

他国では宗教が、この役割を果たしてきた。教会や宗教共同体は、信仰の場であると同時に、救貧、教育、相互扶助を担う中間集団だった。日本の宗教は違う。仏教は葬送と死者管理に特化し、神道は地縁と一体化した。宗教が地縁を超える人的ネットワークを形成することはなかった。

 

その代替を担ったのが、会社と国家である。日本社会は、宗教なきまま、会社と国家によって統合されてきた特殊な社会だった。そして今、会社も国家も、その役割を十分に果たせなくなっている。

4. そもそも、人は群れをつくる必要があるのか

ここで問いを原点に戻す。人は、本当に群れをつくる必要があるのか。芸術や真理追求、趣味による共同体は存在し得る。しかしそれらは一般的ではなく、社会全体を支えるものではない。

 

生物学的に見れば、

  • 食が安定して供給され

  • 安全が完全に保障されている

ならば、群れる進化的必然性は消える。この前提に立つと、人が群れをつくるジェネラルな必要性は一つに収束する。それは、食の安定供給と安全の確保を実現するための政治的活動である。

 

政治とは、集団として生存条件を決定・配分する行為に他ならない。個人の選好を超えて、全員を巻き込む強制力を持つのは、政治だけである。

 

5. 町内会の正体

この視点から見れば、町内会の正体は明確になる。それは、国家が食と安全の完全保障を引き受けきれなくなったことを、住民側に転嫁するための準政治装置である。

 

だから、任意と言いながら実質的には必須になる。だから、善意と言いながら割当が生じる。だから、誰も正当性を明言できないまま、慣行だけが残る。

おわりに

人は、本来、群れる必要はない。群れが必要になるのは、食と安全を政治的に確保しなければならないときだけである。

 

現在の日本が直面している問題は、その政治的必要性を国家が正面から引き受けず、町内会という曖昧な装置に押し付けている点にある。町内会を残すのか、変えるのか、終わらせるのか。その前に問うべきなのは、もっと単純で、もっと重い問いだ。

 

国家は、何を引き受け、何を引き受けないのか。そしてそれを、国民に正直に語っているのか。

 

(2026/01/14)

 

はじめに

いま世界を揺るがしているのは、トランプ政権によるベネズエラ介入、グリーンランド接収計画、そしてウクライナ戦争の新展開である。それらは断片的な出来事ではない。崩壊しつつある「米国の覇権」を暴力的にでも元に引き戻そうとする戦略に基づいた動きである。

 

最終戦争に発展する可能性のあるこの一連の動きは、2022年のウクライナ戦争で明確になった。それは10年以上かけて、親ロシア政権を潰し、米国の前線基地としてウクライナを育てあげるなどして、ロシアを挑発した結果として勃発したのである。


目的は、ロシアの弱体化にあった。そのウクライナ戦争は、目的を達成できないままに米国グローバリスト(ネオコン)側の敗戦が濃厚である。戦況逆転をめざす米側は、ドローンによる「プーチン大統領公邸への直接攻撃」(昨年12月29日)という禁じ手を使ったが、それにより戦争は極めて危険な様相を呈してきた。

 

これまで代理戦争の奥に控えていた米国が、直接戦争の表に出るだけでなく、近代西欧の築いた政治文化を破壊してまで、自国の覇権維持に動き出した。ウクライナ戦争から、ヨーロッパ全体をそして世界を巻き込む近代文明の終わりとなる戦争に発展する可能性が高くなっているのである。

 

本記事は、ロシア専門家である歴史学者ギルバート・ドクトロー博士とグレン・ディーセン教授(補足1)の2,3日前に行われた議論を中心にして組み上げた。これは、日本が「終末戦争」へ巻き込まれる危険への注意喚起である。(English version: https://www.youtube.com/watch?v=ivuByVoV3gY) https://www.youtube.com/watch?v=UDyZ_43e9dc

 

 

1. トランプ政権の変質とその後の狂気 

トランプは、大統領就任当初ウクライナ戦争を「バイデンの戦争」と呼び、数日以内で終わらせると豪語していた。その軽々しい発言から考えて、この戦争の真相を理解していなかったのだろう。

 

しかし、数か月後、マルコ・ルビオ国務長官が、ウクライナ戦争は「ウクライナを代理にした米露戦争である」との真相を明らかにした時以来、徐々に戦争継続派の意見を取り入れざるを得なくなった様だ。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12904697704.html

 

トランプは、反グローバリズムの旗手のように見なされていたが、その大統領就任直後の雄姿も徐々に陰り、グローバリスト(ネオコン勢力)の協力者となった。その結果、伝統的なマッドマン理論(補足2)を用いて来たトランプだが、ベネズエラ事件においては本物のマッドマンとなった。

 

現在のウクライナ戦争の戦況は、ウクライナも支援する欧州も消耗しており敗戦濃厚だが、かれら欧州勢は戦争継続と米国の本格的参戦に期待している様に見える。そんな中、米国トランプ政権は国際法を完全無視する禁じ手を用い、ロシア攻撃を始めた。

 

トランプ政権の現在の姿勢は、世界核戦争も辞さない狂気をはらんでいるように見える。プーチン政権は、これが交渉術としての『マッドマン理論』ではなく、米国そのものが制御不能な『真の狂人』に変質したという判断を下したのではないだろうか。

 

ここ数日の、米国側によるロシア攻撃とそれに対するロシアの反撃をまとめると:

 

プーチン大統領公邸への直接攻撃:  昨年末から今年初頭、米国側の支援を受けたドローンがプーチン氏公邸を急襲した。一国の指導者の殺害を狙うこの暴挙は、外交関係に関するウィーン条約(1961年)の精神と原則に反し、国際秩序の完全な破壊を意味する。また米国は、公海上でロシア石油タンカーを拿捕するという「海賊行為」を平然と行っている。

 

ロシアの反撃「オレシュニク」:  ロシア側の忍耐が限界に達し、これまでの『抑制的な特別軍事作戦』から『本格的なインフラ破壊戦』へとフェーズを切り替えた。CNNによると202618日深夜、ロシアは新型ミサイル「オレシュニク」(Oreshnik)をリビウ攻撃に投入した。

 

この攻撃がウクライナの電力をささえる巨大ガス貯蔵施設を破壊した可能性がある。もし電源インフラが破壊されれば、電力を欠いた氷点下10度の酷寒の都市は、「居住不能」になり、1000万人規模の難民を欧州へ送り出す「難民の武器化」なのかもしれない。そのようにドクトロー博士は語っている。

 

そして、この米国側への強烈な反撃は、トランプ政権が帝国主義に変質したとロシアが見做したことを意味すると指摘している。なお、マッハ10で飛来する中距離極超音速弾道ミサイルに対して、西側のパトリオット等を配備した防空システムは役立たない様だ。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8c87489d2f7671420315db8793b35ef293e65f23

 

2.  戦争が続く理由:戦争中止で将来を失う指導者たち

国家の命運を賭けて戦い、且つ、大きな犠牲を既に出している戦争では、戦争の帰趨が明らかであるという理由だけで敗戦を認めることは、当事者にとって非常に難しいようだ。ましてや、戦争開始直後に米国側が「ロシアは数か月も経たないうちに白旗を挙げるだろう」と語るのを聞き、それを信じた西欧とウクライナの指導者にとっては、なおさらである。(補足3)

 

ウクライナ戦争において、 ゼレンスキーや欧州の首脳たちが現段階で戦争を止める決断ができな理由として、ドクトロー博士は、指導者たちの「個人的な自己保身」があると喝破している。彼ら戦争指導者たちは、この戦争に自らの政治資本を注ぎ込みすぎたので、引き返すに引き返せない情況なのだ。

 

今さら敗北を認めて戦争から撤退すれば、彼らは即座に失脚、あるいは法的・物理的な破滅を免れない。自国民が経済的に困窮し、戦争に巻き込まれる危険にさらされても、彼らにとっては「自らの権力維持」が最優先なのだと博士は語る。

 

3.  戦争を続ける理由:帝国に変身した米国

戦争を止めたくないのは米国のネオコン・グローバリストたちも、ヨーロッパの首脳たちと同様である。かれらも膨大な資本をウクライナ戦争につぎこんだ。しかし、ウクライナ戦争は元々衰えかけた米国覇権の維持という計画の一つの現場に過ぎないので、かれらは別の角度から計画推進で挽回を考えた。

 

トランプと米国支配層は、敗戦濃厚となったウクライナ戦争の失点を回復すべく、面倒な工作抜きの直接戦争に切り替えて他の方面での覇権維持の戦いを加速したと考えられる。戦いの対象を拡大する方向に舵を切った可能性が高い。

 

ネオコンたちは、トランプの個人的な虚栄心(強さを示したい欲求)を巧みに利用し、彼を万能の世界支配者に仕立て上げたのである。ベネズエラ事件やグリーンランド接収計画は、西半球から中国やロシアの影を消す為の作戦であり、トランプの新モンロー主義政策の一環であると言われている。しかしそれは、米国による世界の一極支配の戦略と矛盾しない。彼らは、戦いを中東イランや東アジアにも拡大する可能性が高い。

 

おそらく米国グローバリスト勢力は、新モンロー主義政策のトランプを抱きこみながら、世界の一極支配の回復を行っているつもりだろう。トランプとグローバリスト・ネオコンとの関係は、私には、米国版の国共合作(補足4)のように思える。

 

4.  日本への警告:東アジアでの「潰し合い」の構図

日本人は、この惨劇を「遠い異国の出来事」として見てはならない。米国グローバリスト層は、一極覇権回復そしてその維持という戦略を東アジアでやがて展開するだろう。ウクライナと同じ惨劇を、東アジアの日本や韓国で再現しようとしている様に思う。

 

日本や他の国々を中国と激突させ、「東アジアの諸国と中国を共倒れにさせる」のが、その構図である。この場合代理国家はクライナのケースよりも更に悲惨な情況になるだろう。何故なら、中国の軍事指導層は、国家の存亡をかけた戦いにおいて核兵器の使用をプーチン・ロシアのようにはためらわない可能性が高いからである。(補足5)

 

中国にも反対があるだろうが、政府に反対するものの厳しい運命は既に実証されているので、有効な力とはならないだろう。尚、もし中国が核兵器を使用すれば、世界で唯一の核兵器によるジェノサイドを行った米国の犯罪行為の相対化が出来て喜ぶ人たちも多い筈である。

 

トランプにとっても、新モンロー主義的には遠い別半球での出来事であり、大したことではないだろう。国際政治では、冷酷無比なことが起こり得る。それは、パレスチナ・ガザ地区での悲劇を見ればわかることである。

 

おわりに:沈みゆく船から降りる勇気を

米国の一極支配という「沈みゆく船」にしがみつき、彼らの覇権維持のために隣国と潰し合いの戦いという未来——。いま日本が歩んでいる道は、その先にしか繋がっていない。重要なことは、米国支配層の「(中国との)共倒れ戦略」を拒絶する勇気だろう。

 

米国の一極支配という傘の下で、平和を享受してきたように見える日本。しかし、その米国は今、世界を道連れに破滅へと突き進もうとしている可能性が高い。「米国についていけば安心」という思考停止の時代は終わったのだ。

 

トランプ政権の傲慢で利己的な外交による被害を真っ先に受けるのは、自律的な外交手段を持たない日本かもしれない。今、私たちはまさに瀬戸際に立たされている。世界戦争の足音が近づく今、私たちはこの狂気から目を逸らしてはならない。

 

補足:

1)ホストのグレン・ディーセン教授はノルウェー人でノルウェーの University of South-Eastern 大学教授で、新現実主義の政治学者。ゲストのギルバート・ドクトロウ博士はベルギー在住の米国人 で、元コロンビア大学客員研究員(コロンビア大学から 歴史学の分野でph.D取得)。二人はともにロシア関係の専門家である。

 

2) マッドマン・セオリー(狂人理論)とは、もともとは冷戦時代にリチャード・ニクソン大統領が用いた戦略。「自分は予測不能で、怒らせたら核のボタンも押しかなねない狂人だ」と敵対国(当時の北ベトナムやソ連)に思わせることで、相手を恐怖させ、有利な譲歩を引き出す手法である。

 

3)例えば、欧米グローバリストたちの楽観的予測を丸のみした筑波学院大の中村逸郎教授はロシア軍は23カ月しかもたないと予想していた。https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/13/kiji/20220513s00041000427000c.html
 

4)国共合作とは、中国の国民党と共産党が、中国の統一と発展という共通の目的のために、前後2回協力関係を結んだ歴史的出来事を指します。

 

5)中国共産党人民解放軍の朱成虎将軍は、嘗て「 世界の人口削減のために日本やインドに核兵器を用いるべきだ」と言ったことがウィキペディアにも掲載されている。

 

(本記事は、一部google AIのgemini の協力を得て作成されました;13日早朝編集あり)