現在、世界は経済的混乱期の入口にあるかもしれない。しかも、これから世界経済は多少不況の方向に動くのではないかと考えている。少ない金融資産を銀行預金のままに置いておくことが自殺行為になる可能性をおそれている。そこで、その防衛手段として優良日本企業の株式に少し投資することを考えた。

 

IMFによれば、世界の公的債務は2025年にGDP93.9%に達し、現在の政策が続けば2029年には100%に達する見通しである。日本は206.5%、米国も100%を超えている。こうした状況を見ると、私はこれからの時代を、現金の実質的な価値がかなり急速に減少する可能性のある時代だと考えている。

 

そして、その傾向は日本で特に強くなるのではないかと思っている。日本では国内市場そのものが大きく成長することは期待しにくい。その一方で、政府は積極的な財政政策を進めているからである。ただ、外国企業の株は、何かと対象としにくいので、「世界で稼げる」企業を重視したい。

 

日本企業だが、実態は世界企業と言える会社

日本には、すでに世界を市場として活動している優良企業がかなりある。例えば、東京エレクトロンは世界の半導体メーカーを顧客とし、信越化学工業は世界の半導体産業に必要な材料を供給している。INPEXは世界のエネルギー市場から利益を得る。

 

三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠などの総合商社は、世界の資源、エネルギー、食料、インフラなどに事業を広げている。ソニーも、ゲーム、音楽、映画、アニメなどを世界に販売している。ファナックは世界の工場を相手にロボットやFA機器を販売し、トヨタも世界各地で自動車を生産・販売している。

 

こうした企業の株は、日本の証券市場で買える世界企業の株と考えられる。日本国内の経済成長が鈍くても、世界経済の中で成長する余地がある。これが、これからの日本株を選ぶうえで重要な条件になると考えている。

 

勿論、どれほど優れた企業でも、株価が将来の利益を先取りして高くなりすぎていれば、投資対象としては魅力が落ちる。特にAIや半導体関連には、非常に優れた企業がある一方で、すでに市場から極めて高い利益率や成長率を期待されている企業が多い。

 

「良い会社だから買う」のではなく、「良い会社を、納得できる価格で買う」ということである。そうしてAIの助けで選んだのが以下の12社である。

INPEX
三菱商事
三井物産
住友商事
伊藤忠商事
信越化学工業
東京エレクトロン
ディスコ
アドバンテスト
ソニーグループ
ファナック
トヨタ自動車

ディフェンシブ株も候補である

ここでは議論をあまりしなかったが、もう一つの考え方もある。これから世界経済が不況の方向に動くと考えるなら、電力、通信、食品、医薬品など、景気変動の影響を受けにくいディフェンシブ株にも一定の投資価値がある。

 

世界で大きく成長する企業を持つ一方で、景気後退に比較的強い企業を組み合わせる。そうした組み合わせも、これからの資産運用では有効だろう。但しここでは、私の学んだ「世界で稼ぐ日本企業の株を買う」という方針について重点的に説明した。
 

おわりに:

現金の価値、しかも特に日本円の価値が低下していく可能性を強く意識すれば、資産運用において「日本株を買うのではなく、日本市場を通じて世界で稼ぐ企業を買う」ことの意味は、これまで以上に大きくなるのではないか。これが、現在の日本株を見るときの一つの有力な視点である。

 

追補:

サイトにアップしたのち、geminiにも聞いてみた。その結果は、上記12社は景気敏感株であり、やはり危険を避けるという意味からは最良の選択からは遠い。私なら、以下のように分散させるということだった。

  • 景気耐性のあるグローバル企業(ディフェンシブ)の組み入れ:

    • 医薬品(武田薬品工業、中外製薬など): 世界市場で高いシェアを持ち、不況下でも医薬品需要は落ちにくい。

    • 通信・インフラ(NTT、KDDIなど): 国内中心だが極めて安定したキャッシュフローを持ち、配当利回りが下値を支える。

    • 消費財(花王、ユニ・チャームなど): 世界市場(特にアジア圏)で消費財を展開しており、生活必需品のため景気後退に強い。

  • 時間分散(積立投資): 「良い会社を納得できる価格で買う」ために、一度に一括購入するのではなく、株価の調整局面を見ながら段階的に買い進める。

特に世界不況や為替変動などを考えた場合には、やはりオルカン(日本株ではないが)の積み立て投資が最高の選択だと思う。積み立て投資で高値つかみは避けられ、景気敏感な個別株のように業績チェックのひつようもない。

 


今回の記事では、世界の政府債務の状況や日本企業の海外収益についてのデータ確認、候補企業の整理、文章の構成などにChatGPTを活用した。特に今回の12社を選ぶ際には、かなりの部分でChatGPTとの対話を利用している。ただし、最終的な投資判断は筆者自身が行うものである。追記は本文中に示したように、geminiの協力による。

――真の再生に必要な教育と史観とは――


 

はじめに

深刻なインフレが国民生活を圧迫し、長期金利が上昇へと転じる中、日本経済は極めて危険な岐路に立たされている。米国からの金融・財政政策に対する圧力が強まり、日銀の利上げ観測が乱高下を呼ぶ中で、我が国はさらなる「円安の崖」へと滑り落ちようとしている。こうした危機的状況の最中、政府のブレーン層に関わる三橋貴明氏と会田卓司氏の対談(動画)を目にする機会があった。今日はこの二人の議論に対する批判と、真に欠けているものは何かという日本の政治・経済の病理について論じたい。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZVG2Sc06Xg4

 

1.会田卓司と三橋貴明両氏の主張

動画の中で会田氏は、米国の財務長官による日本のリフレ政策批判について「高市政権(高市ノミクス)がアベノミクス2.0だと誤解されている」と分析し、本来は「リフレ政策(需要拡大)から投資拡大を通じた成長軌道への移行」や「適切な金利引き上げ(正常化)」を意味していると解説した。

 

一方の三橋氏は、米国の圧力や市場の都合で政策を変革することに「主権国家と言えるのか」と強く疑問を呈し、過去のアベノミクスについても「緊縮財政と金融緩和の偏重に過ぎず無駄であった」と批判。現状の資金過剰や企業投資の不足を踏まえれば利上げなど言語道断であり、円安によって輸出企業が利益を上げている事実こそ評価すべきだと主張した。

 

双方とも一見示唆に富む解説を行っているが、そこで展開されていたのは、マクロ経済モデルの数字や制度論を弄び、自らの理論枠組みを絶対視する教条主義的なやり取りに終始する姿であった。国家の根本的な構造や文化に向き合うことなく、抽象的な理論のみで経済を語る彼らの言葉から、筆者は日本政治の根底にある底知れぬ絶望感を強めざるを得なかった。

 

2.迷走する政府審議会とミクロ派の限界

政策決定の現場である政府の有識者会議や審議会においては、実際にも「マクロ派(財政・金融による需要刺激)」と「ミクロ派(構造改革や現場の効率化)」の双方が主張を戦わせてきた経緯がある。

 

マクロ派は「需要がなければ企業は投資も効率化も行わない」と訴え、ミクロ派は「働き方や職務給への移行といった構造改革なしに持続的な成長はない」と主張の中心を置いてきた。

 

例えば、内閣府の経済財政諮問会議(第9回)における民間議員提出資料では、構造改革の重要性について以下のように明記されている。

「構造的な人手不足の下で、潜在成長率を高め持続的な成長を実現するためには、労働移動の円滑化や職務給の導入等、労働市場改革を加速させることが不可欠である」
(※内閣府『経済財政諮問会議』民間議員提出資料より引用)

また、内閣官房の「新しい資本主義実現会議」が取りまとめた改訂案においても、ミクロ的な生産性向上と構造改革の重要性が次のように強調されている。

「我が国経済の持続的成長のためには、単なる需要刺激にとどまらず、リスキリング支援、職務給の導入、成長分野への労働移動円滑化という『三位一体の労働市場改革』を通じ、現場の労働生産性を飛躍的に高めることが極めて重要である」
(※内閣官房『新しい資本主義のグランデザイン及び実行計画 改訂案』より引用)

しかし、形ばかり審議会で双方の意見を出させはしたものの、現在の政治構造においては現場の変革を促すミクロ側の意見が生かされることはまずないだろう。

 

3.本来の「議論」の不在と形骸化する意見聴取

本来の議論とは、この双方の主張を戦わせる中で互いの限界を自覚し、自らの①思考の枠組み(フレームワーク)を拡大させて、②「止揚(アウフヘーベン)」を目指すプロセスであるはずだ。

 

もし双方が自らの枠組みを超えて思考を深めようとしたならば、経済停滞のさらに奥深くにある、直接的ではないが複雑に絡み合う日本の本質的な問題点に突き当たったはずである。すなわち、「日本はもともと食料やエネルギーなどの資源に恵まれない国であり、個々人が優れた技能や発想を100%発揮して効率的に働かなければ豊かな国になり得ない」という経済の原点である。

 

さらには、「我が国は真実や論理(ロジック)ではなく、人と人との関係性や空気によって動いてきた」という歴史的・心理的風土への気づきである。

 

しかし現実には、西欧的な議論の伝統を持たない日本では、この内閣府の経済財政諮問会議などでの論争は単なる「陣営同士の勝ち負けを決める試合」に過ぎず、深められることはない。しかもジャッジは政府のトップである。

 

形式的に行われるミクロ派の意見聴取も、実態は政府が結局のところマクロ派の方針(大規模な財政出動等)を選択し決定するための「公平に意見を聞いた」というアリバイ工作や言い訳に使われるだけである。

 

4.日本の意思決定構造における病理(「無責任の体系」)

なぜ、日本の集団は議論によって自らを変革することができないのか。その歴史的根源は、我が国特有の意思決定構造にある。政治学者・丸山眞男が看破したように、日本の伝統的な権力構造は、明確な個人的責任を負う主体の不在による「無責任の体系」を特徴とする。

 

合理的・客観的な論理によって合意を形成するのではなく、「人間関係の配慮」や「その場の空気」によって意思決定が流走していく。この病理が最も悲劇的な形で表出されたのが、昭和16年の開戦から昭和20年の終戦に至る「御前会議」をはじめとする最高幹部たちの意思決定プロセスである。

 

昭和16年の対米開戦前夜、陸海軍のトップや閣僚たちは、物資や戦術の客観的データ(論理)においては勝算がないことを自覚しながらも、組織間の面子や勢いという「空気」に呑まれ、誰も「開戦反対」の責任ある一声を上げることができなかった。

 

そして昭和208月、本土は焦土と化し、原爆投下とソ連参戦によって国家滅亡の淵に立たされてなお、最高戦争指導会議や御前会議の重臣たちは自らの議論と合意形成によって「降伏」の決断を下すことができなかった。陸軍と海軍、主戦派と和平派がそれぞれの立場と面子を譲らず、集団としての自浄作用は完全に麻痺していたのである。

 

最終的にこの不全状態を打開したのは、昭和天皇という超然とした存在による二度にわたる「聖断」であった。すなわち日本は、組織や最高幹部たちの合理的論争によって自らの過ちを正したのではなく、集団の外側に位置する「たまたま現れた圧倒的な個」の出現にすがることでしか、自らの態度決定を行うことができなかったのである。

 

この歴史的病理は、現代の経済政策決定の場においても何ら変わっていない。マクロ派とミクロ派が互いの立場に籠城し、勝敗を争うだけの不毛な決闘を繰り返す構造は、昭和の軍部や省庁のセクショナリズムそのものである。

 

集団内部での健全な議論と止揚を放棄した現代日本は、再び国家的な破局を迎えるまで自らを変革できない。 国民も、存在もしない「救世主的な一人」の出現を空しく待ち続けているのだ。

 

おわりに:

――木に竹を継いだ近代の終わりと、教育再生への道はあるのか?――

明治以降の日本は、議論のない日本のままで西欧の表面的な制度や学問を模倣することによってここまで歩んできた。根底にある西欧哲学の精神や伝統的な知識体系を身につけることなく、英国などの協力の俄か普請で、単なる仕組みだけを導入したのである。

 

しかし、結果、現在の日本文化は「木に竹を継いだ」ような歪みを抱え、まともな生命力を失いかけている。そして、未来の日本を支えるべき教育もまた、衆知を集めて統合する市民を育てることに失敗してきた。最高学府の出身者が目立つのはTVのクイズ番組だけではないのか?

 

だからこそ、滅びの淵に立つまで自らを変えられず、国民一般は現れるかどうかもわからない一人の強力な指導者にすがるほかないという、近代日本の悲劇的な特徴が繰り返されているのだ。

 

今、私たちがなすべきは、安易なマクロ経済の処方箋に期待することではない。日本の歴史を真摯に真実に最高の価値を置いて根本から学習し、哲学と史観に裏打ちされた真の教育を充実させ、国民の一人ひとり、日本人全体が、日本の将来の礎を考えるべきである。

 

自ら考え、そして自ら立ち上がる国民を育て、そうした民意を受け止める「歴史と教育の再生」を掲げる新たな政治勢力を育成・擁立していくことこそが、この国が真の生命力を取り直す唯一の道である。


 

追記: 本稿の執筆にあたっては、対談動画の文字起こしデータの要約・分析、および筆者の提示した史観や問題意識に基づく文章の構成・公的資料の引用において、AIアシスタント「Gemini」の協力を得ています。

 

――アジェンダセッティングと「恐怖の培養」に支配される報道の真罪――


 

台風や豪雨の季節を迎えるたび、テレビの画面や防災無線から耳にタコができるほど繰り返される決まり文句がある。「警戒レベル5です。直ちに命を守る最善の行動をとってください」

 

一見すると住民の安全を第一に考えた切迫感のあるアナウンスに聞こえるが、この言葉の持つ空虚さと罪深さに、私たちはもっと自覚的になるべきだ。

 

1.  「命を守る最善の方法を採れ」という空虚な呼びかけ

 ―― 具体的指示の欠落と「自己責任」への丸投げ ―― 

警戒レベル5が発令された段階とは、すでに道路が冠水し、避難所へ移動すること自体が死に直結するような極限状態を指す。そんな土壇場において、行政やメディアが放つメッセージが「命を守る最善の行動を」という極めて抽象的なスローガンであることに強い違和感を禁じ得ない。

 

「今、家の中でどこに退避すべきなのか」「木造なのかRC造なのか」といった、個々の状況に応じた判断材料は何も提示されず、威勢の良い言葉によって判断と責任を市民に丸投げしているだけである。

 

ここにあるのは、市民の個別事情を無視した中途半端なパターナリズム(父権主義的指導)に過ぎない。行政は「最高レベルの警戒を呼びかけた」という免責手続き(ポーズ)として言葉を消費し、現場の混乱を煽っているのである。

 

2. メディアによるアジェンダセッティングと「恐怖の培養」

―― 政府の拙い外交や間違った財政政策の隠蔽 ――


メディア論には「アジェンダセッティング(議題設定)機能」という概念がある。メディアが何を大々的に報じ、何を報じないかによって、社会が「何について考えるべきか」という議題そのものをコントロールする力のことだ。

 

現在、日本のテレビメディアはこのアジェンダセッティング能力を悪用、あるいは安易に行使し、一般市民にとってイメージしやすい事件・犯罪・自然災害といったテーマばかりを連日トップニュースで扱い続けている。そのように私は思う。

 

社会学者ジョージ・ガーブナーが唱えた「培養理論」が示す通り、感情を揺さぶるローカルな事件や災害映像を過剰に視聴させられた視聴者の心には、「社会には日常的な恐怖が満ちている」という極端な認知が植え付けられ、恐怖が「培養」されていく。

 

この過剰に培養された恐怖によって、国民の関心は目先の治安や災害といった「感情的にわかりやすい脅威」だけに縛り付けられる。その結果、目に見えにくく構造的な政府の拙い外交や間違った財政政策の隠蔽という役割を、今のメディアは見事に果たしてしまっているのだ。

 

3. 真の脅威は災害だけではない

 ―― 国家的な複合的リスクの放置 ――

しかし、現代の日本市民が直面している生命・生活の危機は、自然災害や局所的な事件だけに留まらない。

  • 経済的生存の危機(インフレと貧困): どれほど災害対策を完璧に整えたところで、過度な円安やグローバルな金融・資源危機、政府の失政によって「インフレ地獄」に陥れば、市民は日々の食料すら満足に買えず生活が破綻する。


  • 安全保障と地政学的危機: 米国の対中・対露戦略に盲従する政府の外交姿勢により近隣諸国との対立が先鋭化すれば、朝鮮半島や台湾海峡での有事に日本が巻き込まれ、本土へのドローン攻撃やインフラ破壊という未知の恐怖に市民が晒される。


  • 外交の拙劣さが招く市民の不利益: 政治家の過激で軽率な外交パフォーマンスが引き金となり、現地で活動する日本人が不当に拘束された事例のように、政府の歪んだ姿勢が巡り巡って一般市民の生命・身体を直接的な危険に晒すケースも存在する。

社会構造の変動、政治・経済の失政、そして外交の失敗こそが、長期的に何万人、何千万人もの市民の生命と安全を脅かす最大のリスクである。

 

4. マスコミの罪と電波法の形骸化――「個の自律」を取り戻せ

本来、電波法や放送法に基づき、国民共有の財産である電波を独占して事業を行うテレビメディアには、こうした「市民の生存を脅かすあらゆる多層的リスク」をもれなく検証し、多角的な論点を提供することで、視聴者が自ら備えるための「高い思考力」を育てる義務があるはずだ。

 

しかし、実際のテレビ画面に映る言葉は、政権への忖度と商業主義(視聴率至上主義)に裏打ちされた無難な定型文ばかりである。行政が出す「命を守る行動を」というアナウンスをオウム返しに連呼し、恐怖を培養する一方で、国債暴落や地政学的対立の深層といった真の危機からは目を背け続けている。

 

住環境、経済状況、置かれたリスクの質は、一人ひとり全く異なる。危機管理の基本は「自助」、すなわち自ら多角的な情報を集め、リスクを計算し、主体的に判断することだ。

 

テレビや行政が垂れ流す「バカみたいな決まり文句」や、恐怖を煽る偏った報道に惑わされてはならない。私たちは、画面の向こうから降ってくる空疎な言葉を無批判に受け取るのをやめ、自らの生命と生活を守り抜くための「真の観察眼と知性」を取り戻す必要がある。

 


(追記:本論説の執筆にあたり、社会学的概念(アジェンダセッティング機能・培養理論)の整理やメディア構造批判の論旨構築において、対話型AI「Gemini」とのディスカッション成果および文章構成の支援を一部活用・参照している。)