――「戦後日本の主権構造」再考――

 はじめに

私は高市早苗政権の下で憲法改正を行うことに反対である。 それは単なる政策上の不一致ではなく、日本という国家の主権と歴史的自己認識に関わる問題だからだ。12年前、私は「アメリカの属国としての日本」の中でこう書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466513972.html (文献1)

 

戦後日本は、政治的にも経済的にもアメリカの庇護下で再出発したが、その庇護は保護であると同時に支配でもあった。日本の政治家は、国家を自らの手で統治する主体ではなく、アメリカの戦略の代行者にすぎない。

 

この構造が変わらないまま、憲法改正を論じること自体が、国家の主権を回復するどころか、むしろ従属を法的に固定化する行為になりかねない。

 

 明治国家の継承と「未清算の近代」

高市氏をはじめとする自民党保守層は、しばしば「明治の精神」や「自主憲法の制定」を口にする。
だが彼らは、明治国家がいかにして暴走し、国民を戦争へと導いたかを真正面から検証していない。

 

明治憲法下の政治構造は、立憲体制を装いながら実質的には統帥権の独立によって文民統制が崩壊し、国家の軍事機能があろうことか軍部に吸収された。 その反省を経て戦後の日本国憲法は成立したはずだが、戦後政治はこの過程を学問的にも政治的にも十分に総括してこなかった。


そのままの思考の上に「憲法に自衛軍を持つ」と書き込めば、日本国の軍事運用機能が再び“他者”に吸収される危険を招く。 実際、次のセクションで述べるように、現行の日米安保体制の下で有事の際には、自衛隊の指揮系統が米軍の作戦統制下に入る仕組みが準備されている。

 

 つまり、明治期における「軍部への吸収」が、戦後体制では「米国への吸収」という形で構造的に再現されているのである。高市政権の改憲論は、この危険な回路を自覚することなく制度化しようとしている点で、極めて危うい。


 

 米国戦略の中での日本

私は上記ブログ記事に書いた。(文献1)

 

日本は、冷戦期には対ソ連包囲の最前線として利用され、冷戦後は対中戦略の一翼を担うことを求められている。いずれの場合も、日本が主体的に国際秩序を構想したことは一度もない。

 

この国際政治における米国民主党系の対ロシア包囲の構造は今も続いている。現在のウクライナ戦争は、その延長線上にある。

 

 米国ネオコン勢力は、ソ連崩壊以降、ロシアの再台頭を阻止するためNATOを東方へ拡大してきた。ウクライナのゼレンスキー政権は、その最終局面での代理者として現在戦っているのだ。 それを「民主主義対専制主義」という単純な物語で受け入れているのが、日本の現政権である。

 

そして日米安全保障体制の根底には、ほとんどの国民が知らぬままに「有事の際には米軍が自衛隊を指揮する」という密約が存在する。 この密約は、戦後初期に吉田茂が米国側と口頭で交わした約束であり、限られた外務官僚によって今日まで非公式に継承されてきたとされる。

 

 米国の公文書には、この密約の存在を示唆する記述が残っているという。 日本国民にとって極めて腹立たしいこの事実については、以下の記事が詳しい。出典:現代ビジネス「自衛隊の“指揮権”を米軍に委ねた吉田茂の『密約』──防衛政策の原点を問う」(https://gendai.media/articles/-/118982?imp=0

 

このような実態を前にして、憲法に「自衛軍」を明記すれば、それは自主防衛の確立ではなく、米国の作戦体系の中に完全に組み込まれた“従属的軍事国家”の確立に等しい。
それこそが、改憲の最も危険な帰結である。

 

 主権と憲法の順序を誤るな

国家の根幹は、憲法ではなく主権意識にある。 誰の意思によって憲法を作るのか、その基盤が曖昧なままでは、どのような条文を加えても国民主権の独立国日本が出来上がる訳ではない。 現在の日本では、安保政策も外交方針も実質的に米国の承認なくして成立しない。 この状態で憲法を改正しても、それは「自主憲法」ではなく「管理憲法」に過ぎない。

 

改憲を語る前に、日本はまず「主権を取り戻す」ことの意味を考えなければならない。すなわち、自国の防衛・外交・経済政策を、自国の判断で遂行する構造を取り戻すことである。その基礎を欠いたままの改憲は、戦前の轍を踏むだけだ。その為にも、日本は自国の近代史を総括する必要がある。

 

 結語──「憲法」より先に「自立」を

高市早苗政権が掲げる改憲論は、国家の自立を装いながら、その実、戦後体制の延長線上にある。 戦前の誤りを直視せず、戦後の従属を脱せぬまま、「強い日本」を唱えることほど危険なことはない。12年前に書いた結びの言葉を、いま再び繰り返したい。

 

日本が真に独立国家となるのは、アメリカに守られることでなく、自らの過去の歴史を直視し、世界の中で自らの立場を考えることから始まる。

 

だから私は 高市早苗政権の下での憲法改正には反対する。それは主権を取り戻す道ではなく、従属を永続させる道だからである。

尚、昨年の今頃、米国に従属した日本の実態をブログ記事にしているので引用しておきます。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12871941450.html


 

(この文章は、chatGPTの協力を得て作成しました)

「失われた30年」と呼ばれる日本経済の長期停滞は、金融や財政政策の失敗だけでは説明できない。その深層には、情報が正しく評価されず、流れないという社会構造――文化的な問題――が横たわっている。 本稿では、組織・教育・文化の三つの層から、その本質を考える。

1)情報が滞る日本の組織文化

戦前の陸軍と海軍は共に国家の組織でありながら、情報を共有して国家戦略を立てるどころか、愚かにも互いに対立するという構造的な愚から、無謀な対米戦争に国を引きずり込んだ。

この「分断構造」は戦後の官庁や企業にも引き継がれ、縦割り行政、系列主義、忖度文化が「情報の壁」を作った。

 

そのような社会構造では、情報の正しさよりも、誰が発したかが重視され、評価が人間関係に左右される。その結果、現場の声は上層部に届かず、意思決定は限られた個人の判断に集中する。
これが、日本型組織において失敗が繰り返される意思決定の構造である。

 

2)人間関係優先が生む知的停滞

日本社会では、「和を以て貴しとなす」という価値観が根付いている。その結果、上下左右に構造を持つ組織においても、摩擦を避けるために意見を言わない「沈黙の合意文化」が形成される。この日本の弱点は、元日産社長カルロス・ゴーンの言葉に端的に表れている。


「フランスでは社長が何かの案を出すと、部下の間で議論が始まる。しかし、日本では社長が案を出すと、部下は議論を止める。」

 

対人関係の平穏が、真実を語る勇気よりも優先される社会では、情報が磨かれず、“知の発酵”が起こらない。稟議書は形式化し、会議は報告会と化し、現場の知見は体系化されることがない。日本企業の「慎重さ」はしばしば称賛されるが、その裏には「恐れる文化」とも言うべき停滞がある。

 

3)日本型教育が生み出した「考えない個人」

この情報文化の根底には、教育の問題がある。日本の学校教育では、教師から与えられた知識を暗記し、「自分で考え、意見を持つ訓練」を軽視してきた。子どもは教師の意図を読むことに長けても、自らの考えを形成し、それを論理的に表現する訓練の機会は乏しい。

 

また、社会に出るための訓練は集団への調和を重視するが、集団を率いる教育は行わない。その結果、社会に出ても上司に従うことに慣れているが、自らの意見を発信することを避ける。結果として、組織の中で情報が議論・評価・統合されることがなく、上層部の意向だけが“組織の意見”として流通する。

 

教育の貧困が、社会および組織の情報の貧困を生み出している。一例をあげれば、東芝によるウェスティングハウス買収は、この構造による個人決断型の悲劇の典型である。社内ではリスク情報が共有されず、財務・法務部門の異論は封じられ、最終的にごく少数のトップによる判断で巨額投資が決定した。
 

この失敗は、単なる経営判断ミスではなく、情報が文化的に流れない組織の必然的帰結である。戦前の陸海軍と同じように、組織内部で対話がなく、外部の批判も遮断された。この構造が変わらない限り、同じ種類の失敗は繰り返されるだろう。

 

4)変革への鍵──情報を「対話化」する社会へ

あることに関する情報はしまい込むのではなく、絶えず対話を通じて磨く文化を作ることが、日本再生の鍵である。形式的な稟議や報告ではなく、異なる意見を交わし、相互に検証する制度を作ることが求められる。こうした文化的弱点を克服するため、公用語を英語とする企業も増えている。それは、情報に関する固定化した上下関係を打破し、その流れを水平化しようとする試みである。

 

より根源的な日本文化の改質のためには、教育の再構築を待たなければならない。上に述べた教育の再構築は時間を要するが、本質的な解決策である。ディベート・探究学習・批判的思考などの能力向上を通じて、「考える個人」を学校から社会に新たに送り込むことになるだろう。そして、失敗に寛容で異論を歓迎する文化を育てる。それが、社会そして個々の組織における情報の滞りを解消する唯一の道である。

 

おわりに

日本の経済停滞の根因は、デフレギャップやマネーストックなどの数値ではなく、組織において情報が議論を通して円滑に流れないという日本文化にある。情報が上下左右に流れず、評価もされず、その後の発信も磨かれたものではない――。
 

その結果、国家も企業も「考えない組織」となっている。経済とは、貨幣と財の流れの問題であると同時に、人と人との信頼、そして情報の流れの問題である。その流れを取り戻すためには、まず「考える個人」を取り戻さねばならない。
 

考える個人が増えなければ、考える国家は生まれない。そしてそれこそが、日本が「失われた30年」を超えるための最大の改革である。

 

(本稿はChatGPTの協力を得て作成しました)

責任回避の合意システム──日本を動かしてきた「無責任の構造」

著者:ChatGPTOpenAI GPT-5

初めに

日本はなぜ、重大な局面で「決断が遅れる国」なのか。なぜ、戦争も改革も、誰が決めたのか分からないまま進むのか。その背景には、明治以来一貫して日本社会を貫く“構造”がある。それが──「責任回避の合意システム」である。
この構造は単なる組織の欠陥ではなく、日本の政治文化そのものであり、明治国家の制度設計から現代の官僚制・企業・政治にまで連綿と続いている。本稿では、その歴史的起源、心理的メカニズム、現代社会への影響、そしてこの構造をどう超えていけるのかを考察する。

① 「誰も決めない国家」──無責任の体系とは何か

「責任回避の合意システム」とは、誰も最終責任を取らないまま、全員の“合意”で物事を進める仕組みのことだ。このシステムでは、個人の判断よりも“全体の和”が重んじられ、方針は「反対がないこと」によって決まり、失敗しても「全員で決めた」ため、誰も処罰されない。戦前の政治家・軍人・官僚の意思決定は、まさにこの構造に支配されていた。開戦も、敗戦も、「誰が決めたか分からない」まま進んだ。そしてこの体質は、敗戦後も“平和的形をまとったまま”生き延びたのである。

②制度の起源──明治憲法が生んだ「二重構造」

明治憲法(1889年)において、国家の最高権限である「天皇大権」は二つの系統に分かれて存在した。統治(行政)は内閣が行い、統帥(軍事)は天皇直轄の参謀本部・軍令部が行った。その結果、政治と軍事の指令系統は分離され、「内閣は軍を統制できず、軍も政治の責任を負わない」という構造が生まれた。両者は共に“天皇の名”で行動するため、実際の最高責任者は誰なのか、常に曖昧だった。こうして、日本国家は「責任を分散することで安定する構造」を制度的に内蔵した。

③ 文化の根──「和」と「玉虫色の合意

制度s上に、日本人特有の文化心理が重なった。「和を以て貴しと為す」文化は、対立を避け、個人の意見を引っ込める傾向を生む。合議と根回しの美徳は、全員一致の“反対ゼロ”文化を作り、玉虫色の表現は、どちらにも取れる曖昧な合意を生む。これらは表面上の調和を生むが、決定の遅延と責任不在を同時に生む。つまり「争わないための合意」が「決めないための合意」に変質していった。

④ 太平洋戦争──決めないことで決まる国家

この構造が致命的な結果を生んだのが、1941年の対米開戦である。御前会議では「全員一致」原則が採られ、異論が出ると延期。最終的に「全員一致でやむを得ず開戦」という形が整えられた。東條英機首相は「皆が賛成した以上、私も従う」と発言。近衛文麿は外交の打開を試みながらも、調整不能を理由に総辞職。こうして、誰も望まない戦争が、誰の責任でもなく始まった。

 

⑤ 戦後に生き延びた「無責任の文化」
 

敗戦と占領を経ても、この体質は消えなかった。GHQの統治構造と官僚制の再編によって「平和的無責任体制」として再生した。官僚制では課長会議・局長会議で全員一致が重視され、政治では派閥調整・連立政治が“誰の政策でもない政策”を生み、企業では稟議・根回し文化が徹底された。こうして「責任の所在を曖昧にすることで安定を保つ」統治様式が定着した。

⑥ 利点と代償──“平和”と“停滞”の同居

この構造は日本の「平和の代償」としての無責任体制を形成した。敗戦後の日本は政治的には安定したが、国家としての主体的意志を失っていった。秩序と安定の裏には、改革の遅れと決断の欠如という代償が潜んでいた。

⑦ 打破への条件──責任を取る勇気

この体質を変えるには、制度改革よりも文化改革が必要である。誰かが責任を取る覚悟を持ち、明確に決断を下し、失敗しても説明責任を果たすリーダーシップ文化を再構築することだ。責任とは、罰を受けることではなく、未来を引き受ける意志である。この意志を持つ者が現れたとき、日本は初めて“合意の国”から“決断の国”へと変わるだろう。

⑧ 結語 ──「決めない」という伝統を超えて

明治の制度に根ざし、昭和の戦争を導き、戦後の安定と停滞を同時に支えてきた「責任回避の合意システム」。それは日本の悲劇でもあり、同時に日本の知恵でもあった。だが、世界が激変するいま、この構造のままでは、再び“流される国家”になる。必要なのは、和を破壊することではなく、責任を共有する勇気である。未来を決めるとは、「誰かが決めたことに従う」のではなく、自分たちが決めたことの結果を引き受ける覚悟に他ならない。

 

ブログ管理者から一言 以上は、私の質問に答える中でチャットGPTが用いた表題の文言に共鳴したので、その解説文を書いてもらったものです。