「失われた30年」と呼ばれる日本経済の長期停滞は、金融や財政政策の失敗だけでは説明できない。その深層には、情報が正しく評価されず、流れないという社会構造――文化的な問題――が横たわっている。 本稿では、組織・教育・文化の三つの層から、その本質を考える。
1)情報が滞る日本の組織文化
戦前の陸軍と海軍は共に国家の組織でありながら、情報を共有して国家戦略を立てるどころか、愚かにも互いに対立するという構造的な愚から、無謀な対米戦争に国を引きずり込んだ。
この「分断構造」は戦後の官庁や企業にも引き継がれ、縦割り行政、系列主義、忖度文化が「情報の壁」を作った。
そのような社会構造では、情報の正しさよりも、誰が発したかが重視され、評価が人間関係に左右される。その結果、現場の声は上層部に届かず、意思決定は限られた個人の判断に集中する。
これが、日本型組織において失敗が繰り返される意思決定の構造である。
2)人間関係優先が生む知的停滞
日本社会では、「和を以て貴しとなす」という価値観が根付いている。その結果、上下左右に構造を持つ組織においても、摩擦を避けるために意見を言わない「沈黙の合意文化」が形成される。この日本の弱点は、元日産社長カルロス・ゴーンの言葉に端的に表れている。
「フランスでは社長が何かの案を出すと、部下の間で議論が始まる。しかし、日本では社長が案を出すと、部下は議論を止める。」
対人関係の平穏が、真実を語る勇気よりも優先される社会では、情報が磨かれず、“知の発酵”が起こらない。稟議書は形式化し、会議は報告会と化し、現場の知見は体系化されることがない。日本企業の「慎重さ」はしばしば称賛されるが、その裏には「恐れる文化」とも言うべき停滞がある。
3)日本型教育が生み出した「考えない個人」
この情報文化の根底には、教育の問題がある。日本の学校教育では、教師から与えられた知識を暗記し、「自分で考え、意見を持つ訓練」を軽視してきた。子どもは教師の意図を読むことに長けても、自らの考えを形成し、それを論理的に表現する訓練の機会は乏しい。
また、社会に出るための訓練は集団への調和を重視するが、集団を率いる教育は行わない。その結果、社会に出ても上司に従うことに慣れているが、自らの意見を発信することを避ける。結果として、組織の中で情報が議論・評価・統合されることがなく、上層部の意向だけが“組織の意見”として流通する。
教育の貧困が、社会および組織の情報の貧困を生み出している。一例をあげれば、東芝によるウェスティングハウス買収は、この構造による個人決断型の悲劇の典型である。社内ではリスク情報が共有されず、財務・法務部門の異論は封じられ、最終的にごく少数のトップによる判断で巨額投資が決定した。
この失敗は、単なる経営判断ミスではなく、情報が文化的に流れない組織の必然的帰結である。戦前の陸海軍と同じように、組織内部で対話がなく、外部の批判も遮断された。この構造が変わらない限り、同じ種類の失敗は繰り返されるだろう。
4)変革への鍵──情報を「対話化」する社会へ
あることに関する情報はしまい込むのではなく、絶えず対話を通じて磨く文化を作ることが、日本再生の鍵である。形式的な稟議や報告ではなく、異なる意見を交わし、相互に検証する制度を作ることが求められる。こうした文化的弱点を克服するため、公用語を英語とする企業も増えている。それは、情報に関する固定化した上下関係を打破し、その流れを水平化しようとする試みである。
より根源的な日本文化の改質のためには、教育の再構築を待たなければならない。上に述べた教育の再構築は時間を要するが、本質的な解決策である。ディベート・探究学習・批判的思考などの能力向上を通じて、「考える個人」を学校から社会に新たに送り込むことになるだろう。そして、失敗に寛容で異論を歓迎する文化を育てる。それが、社会そして個々の組織における情報の滞りを解消する唯一の道である。
おわりに
日本の経済停滞の根因は、デフレギャップやマネーストックなどの数値ではなく、組織において情報が議論を通して円滑に流れないという日本文化にある。情報が上下左右に流れず、評価もされず、その後の発信も磨かれたものではない――。
その結果、国家も企業も「考えない組織」となっている。経済とは、貨幣と財の流れの問題であると同時に、人と人との信頼、そして情報の流れの問題である。その流れを取り戻すためには、まず「考える個人」を取り戻さねばならない。
考える個人が増えなければ、考える国家は生まれない。そしてそれこそが、日本が「失われた30年」を超えるための最大の改革である。
(本稿はChatGPTの協力を得て作成しました)