一神教と選民思想:

文明の利器を持たない太古の時代、個別にはひ弱な動物でしかない人が他の動物や周辺他民族との生存競争に勝ち残るには、自分たちの神を旗頭にして強力に団結することが必要だった。それが古代の宗教と人間の基本的関係だと私は考えている。

例えば旧約聖書には、神によってこの世界とともに創造され、その支援と指示に従って生存のために異邦人(エイリアン;補足1)たちと戦い移動した人たち、つまりユダヤ民族の歴史が描かれている。戦いに負けて世界に散らばったユダヤの人たちは、自分たちが神に選ばれた正統な民族であり、豊潤なパレスチナの地を神から受け取ることになっているという信仰を持っている。(補足2)

 

これは民族内では信仰の一つであるが、他民族をも含めた社会を想定すると選民思想となる。この神の力を信じてこの土地を奪い取ろうと考える一部のユダヤ人たちはシオニストと呼ばれる。イスラエルーハマス戦争は明らかにシオニズムに基づいた戦争であり、古代の一般的な戦争である。そこには近代的な戦争のルールも思想も介入し得ない。(古代の価値の中で生きる中東の人たち)

 

上の腕章は、イスラエル軍のもので、そこには大イスラエルの地図が描かれている。河添恵子氏の動画から拝借した。https://www.youtube.com/watch?v=qlc79duHfZk

 

ユダヤ教を元にしてキリスト教やイスラム教が生まれ、それぞれの信者が同一の神を信仰することになったので、それぞれが他の宗教の信者を堕落した人或いは異端の人とみることになり、この地域の争いの種、不安定要因の一つとなっている。複数の民族が夫々異なった神を旗頭にして住む中東地域で、民族間に戦争が起こるのは自然である。

私たち日本人のかなりの人たちも、イザナギとイザナミという神が創造した列島の中で、それらの神の系統の中で生まれたアマテラスの子孫として生命を受けていると考えて来たようだ。その直系が天皇家であり、日本人は大きな家族であるという思想である。現在でも所謂保守系の少数はそのような思想を持つようだ。(補足3)


日本人の多くも選民思想を心の奥底に多少とも持っているだろう。また、殆どどの民族にも自分たちは神に選ばれた民族であるという選民思想があり、それが民族の団結の力となって来た。自分たちの神を拝み精神的に高揚することが力となり敵を滅ぼすことが出来、生き延びたのである。

 

これらの多くの物語は古代から中世の物語(歴史)だが、それは過去に限った話ではなく現在進行形で書くべき話であることを知るべきである。この古代に遡っての考え方は、平和の時には無用だが、時代の節目には決して忘れてはならない。(補足4)

以上まとめると、民族の神は戦争における旗頭となる。それが多くの宗教(特に一神教)における基本的役割である。

 

 

農業地帯の形而上学的哲学的宗教:

 

農業に適した土地では、農業技術、治水作業、そして自然現象の予測などでの技術の伝承と協力体制構築が民族の生き残りを決めることになったと思う。そして、早期にこれらの問題を解決できたに地域は政治的に安定し、繁栄しただろう。

 

彼らの脅威となるのは近接する部族よりも自然だった。仏教など形而上学的且つ哲学的な思考を本質とする宗教は、農作地帯で自然現象と対峙する中で発生したのだろう。このタイプの宗教でも人口増加によって必然的に発生する近隣民族との闘いの為に戦闘的なタイプに変形される場合も多いが、一神教とは元々大きく異なる。
 

 

信仰の自由は基本的人権なのか?

 

「宗教は個人が生の意味を発見し死の苦しみを乗り越える為に存在するので、信教の自由は基本的人権の一つである」という思想が現代の先進国憲法に書かれている。しかし、信教の自由に対するその様な意味づけは、形而上学的且つ哲学的な宗教では普遍的に成立し得るが、一神教では同一民族内でしか成立しない。

 

例えば、グローバルな経済とその中での人々の関係において、信教の自由という基本的人権の追求は混乱の種となる。グローバル化と信教の自由を含む基本的人権は共存不可能である。

 

人は幸せな時には柔和であり得るが、多くの場合、生きる限り困難が何時かは訪れる。その時、異なる人格神を奉じる人たちの間に戦いが起こるだろう。従って、パレスチナの地に信教の自由など存在する筈がない

 

この近現代の信教の自由を掲げる人権思想や、それを政治思想化した民主主義の普遍化は、近現代において経済的並びに文化的に支配的となった一部の人たちにより、意図的に為された可能性が高いと思う。そして、かれらが世界支配を企む中で、世界のあらゆる地域で政治的混乱を生じさせるための装置として利用されている。

 

オーム真理教や統一教会などの問題で、信教の自由に関する疑問をもちながら、所謂カルト教団という言葉で解決した気になっているのは非常に愚かだ。


多民族共住は国家を破壊する:

最初のセクションの話を含めて、民族間の戦争において以下のような考え方が成立するだろう。
 民族はそれぞれ特有の宗教を持つのが自然であった。
 強い支配力及び指導力を持つ一神教の神は、戦争の旗頭となった。


このことを念頭におくと、植民地時代の領土拡大の方法が見えてくる。日本においても、信長や秀吉がいなければ、西欧の植民地になっていたかもしれない。彼らは先ず、宗教の布教という形で上陸してきた。その国の宗教の弱体化を目的とする。そしてカトリック信徒となった大名をプロキシとして、その土地の支配者と戦わせる予定だったのだろう。

日本は当時先進国だったので、武士の戦う能力と上記指導者の優れた知的能力が西欧の植民地化を防止できた。この侵略方法をバージョンアップした方法が、20世紀の世界においてグローバリストたちが牛耳る米国により広く採用されている。

 

そこで利用されるのが、上記「信教の自由、基本的人権、そして民主主義」というグローバリストたちの論理と、マスコミを用いたプロパガンダである。その新しい方法は、彼らに従順でない国家の指導者を全て「独裁者」として裁きの対象にした。
 

ニューヨークのタワーの最上階から世界を見るグローバリストたちの視野の中には、フェンタニルにおぼれてホームレスになったダウンタウンの人たちは入っていない。(補足5)遠くウクライナやシリアでの戦況を眺めているからである。米国には棲むものの、米国は彼らの植民地に過ぎないのだ。

 

おわりに(現在世界のマクロな記述):

 

シオニズムとは、ユーフラテス河からナイル河までの土地を彼らの土地(大イスラエル)と考え、現在のシリア領などから奪いとるべきだという考え方である。ただ、米国の元米軍情報将校で作家のマイケルヨン(Michael Yon)氏によると、シオニストと思われる英米のグローバリストたちの戦争は、地球全体を拡大イスラエルと考えての戦いだと言う。(以下の動画の2分ころからhttps://www.youtube.com/watch?v=lICuMX1KwWE )

 

このブログサイトでも同じことを昨年の記事に書いている:「グローバリスト達を指揮或いは支配する世界の大金融資本家たちの多くは、ネタニヤフ政権が目指すと思われる大イスラエルを地球全体に拡大する戦略を持っているのである」と。

 

 

そのように考えると、ここ数年の世界の動きが理解しやすくなる。つまり、英米グローバリストたちのNATOとウクライナを利用したロシア潰しの戦争も、イスラエルのネタニヤフ首相が戦っているガザ戦争もその一環という考え方である。そう考えると、ウクライナ戦争はトランプでも簡単には止められないと言うことになる。



補足:

 

1)エイリアンとは異星人、異邦人、見知らぬ人などが元々の意味である。この言葉から異星人と異邦人が似た感覚であることが分かる。

https://www.etymonline.com/search?q=alien

 

2)ここで正統な民族とは、自分たちが未来への生存と繁栄が神によって保障されているという意味である。

 

3)日本書記などにあるアマテラス神話を信じるのが日本の神道と言われている。 系図:https://kojiki.138shinsekai.com/kamisamakeizu/ ただ、神道の古い形は自然の全てに神が宿るという多神教であり、この一神教的な神道とは異なる。私はアマテラス神話を信じる宗教と区別し、例えば伊勢神道と呼ぶべきだと考えている。この伊勢神道が明治の革命(或いはクーデター)によって変形され、明治2年に靖国神社が建立された。

 

4)問題のレベルによって思考の枠組みを拡大または縮小させる必要がある。現在は時代の節目であり、戦術的な思考の枠組みや専門的な思考の枠組みでは確かな回答が得られない。原点から考える哲学的思考の枠組みが必須である。哲学的思考の枠組みでは、国際法も基本的人権も前提にしてはまともな答えは得られないのだ。これは伊藤貫さんの話から学んだことである。

 

 

5)米国フィラデルフィアのケンジントン通りには、薬物中毒で廃人のようになった人たちが朦朧とした姿で徘徊している。このような光景は米国全土のダウンタウンエリアでみられるようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/55228cb388c265e426c0be88fa69379ad7fed857

 

(1/11早朝編集し最終稿とします。)

 

 

日本は民主主義国家ですか?

民主主義国家とは、国民が国家主権を持つ(主権在民の)国家のことである。この民主主義政治を端的に表した言葉が、アメリカ大統領リンカーンの演説の中の「人民の人民による人民のための政治」である。

 

「人民のため」の政治とは、具体的には、基本的人権の尊重、国民個人の間の平等、そして全ての国民に一定以上の生活を確保することなどを実現する政治である。https://hugkum.sho.jp/261017



この原則の通りに国家が運営されれば、国民一般にとって非常に好ましい政治と言える。

 

ただ、国家運営の原則である「人民による」政治は、なかなか難しい。厳しい国際社会の中において、複雑且つ巨大な国家組織の運営の決定権を、専門的な知識に欠ける国民一般に与えることは非常に危ういからである。

近代の民主政治(補足1)では、間接民主制による場合が殆どである。国民は地区などで区分され、各区分が夫々の代表を選び、その代表たちが国家行政のトップを選出するのである。この制度は、各区の代表には高い見識が期待できるとして、上記民主主義の弱点を克服するために採用された。

 

日本の民主政治の欠陥:

 

日本では国会議員が行政のトップである総理大臣を選ぶので、政治のチェックや立法を行う国会と行政府(総理府)が近い関係にある。このシステムでは、政治そのものはスムースに運ぶが、それが日本のコネ文化とも関係して行政に緊張感を欠き、政治のレベルを低くしている。

その結果、日本の政界は国会議事堂のある永田町の村社会に譬えられる。「永田町、 村社会」でグーグル検索すれば、その実態を描いた記事がたくさん出てくる。

https://mainichi.jp/articles/20240116/dde/012/010/007000c

 

つまり、日本の国会議員は日本国という大きな組織を運営するに十分な見識を期待通りには持たないのである。この村社会では村長の推薦で住人になった一年生議員が村社会の掟を一から教育されるが、国際社会を渡り歩く日本国の政治については無知なままベテランとなるのだ。

 

政治の細部は、帝国大学出身の学校秀才たちの霞が関(というもう一つの村社会)が受け持つ筈だとして、大事な部分を胡麻化しているのだろう。何でも細部まで分からない者は、結局何もわかっていないのだ。

 

また、現実問題として国会議員になる道を考えると、政党から候補者として選ばれない場合当選するのはほとんど不可能である。高額の供託金を没収されて終わりである。

つまり、国会議員は国民に選ばれているのではなく、政党指導者が選んだ候補者の中から選挙という儀式を経て選ばれるのが現実である。(補足2)民主政治の維持の困難について考えているのだが、この時点で日本は民主制国家では無いことになってしまう。

これは、日本の政治がリンカーンの言葉にある「人民の政治」という民主主義の原則を満たしていないからである。明治維新と言われる革命政権を担った薩長土肥の人脈が日本の政治を支配する既得権益層を形成し、日本の政治はそれが出来上がった後はその支配から抜け出せないでいるのである。

 

閉鎖的で停滞した政治村の住民たちは、激動の世界を議論するのには元々無理がある。実際、NHKの国会討論などで、そのような世界レベルの議論を聞いたことがない。

因みに:

 

民主制に似た意味の言葉に共和制がある。これらの違いを論じた文章がネット上にもたくさんあり、それに気をとられると本質が見えなくなる。共和制国家では国民の代表として大統領(補足3)を国民が直接選出するのが本来の姿である。


ただ、ドイツの大統領は議会が選び、しかも儀礼的な権限しかない。一方、米国の大統領は間接的ではあるが国民が選び、行政のトップとして最高の権限を持っている。日本のように政治的実権を持たない王や皇帝の国で、憲法に民主制国家を謳う国も多く存在するが、それでも立憲君主制国家と呼ばれる場合が多い。

 

民主制と共和制を区別する議論はあまり意味がない。大事なのは民主制か専制かの区別である。日本の政治は民主制だと言われるが、永田町と霞が関を包含する明治の薩長土肥人脈の専制のにおいがある。そのことにもっと国民は敏感になるべきだ。


日本における国家の運営と評価:

国家を好ましい方向に向けて運営するには、一定期間毎に過去の運営実績を検証評価しなければならない。通常、一年間の実績の検証評価は次年度の予算等を議論する際に行われるだろう。日本国の場合、国会の予算委員会と予算を最終的に決定する国会がそれを担っている。

この一年間の行政の検証が真面に行われているかどうかだが、日本では殆ど行われていない。例えば、2022年に始まったウクライナ戦争に関連して、2024年2月時点で日本からウクライナに国民の血税から贈られた支援金は1兆2000億円であったが、このウクライナへの支援金が妥当だったかどうかの国会での議論を聞いたことがない。

https://www.fnn.jp/articles/-/662513?display=full


このような愚かな政治の実態は、上記のように明治政府の人脈が作る村社会がこの国の政治を所有しているから起こるのである。

 

日本の村社会政治の歴史:

 

日本の明治は、天皇制を看板にして薩長土肥が政治を支配した。戦後は、マッカーサーが占領軍の統治を安全かつ効率的に行うために、憲法において民主主義の原則を謳いつつも、その統治の系統を立憲君主制という形式で温存した。

 

「人民の政治」というリンカーンの言葉の最初の原則が侵害されたままなのだ。更に、米国の命じるままに動く政府を作るため軍の解体はもとより、政界の要人が追放され、諜報機関が解体されたのである。日本は、国家としての遺伝子をその時点ではく奪され、現在もそのままであり、未だ再生していない。

 

日本では「人民の政治」どころか、国家主権そのものに米国の頚木が架けられたままなのだ。

日本の右派政治家には、この米国の政治支配について指摘する人物が多いが、上記の明治の人脈の政治支配に言及する人物は殆どいない。この種の右派が政権をとったとしても、明治へ回帰するのみであり、もう一度敗戦で荒廃した日本への道を進むことになるだろう。

民意の準備が出来ていない状況下で民主主義の原則に忠実であろうとすれば、韓国のような民主主義国家となる可能性がある。市民革命を経験していない国への民主政治の臓器移植的な導入は、衆愚政治から特定の人たちによる専制政治に堕する可能性が高いのである。

 

人民が自国の真実の歴史を学び、そこを原点としてあるべき政治制度を探すという民族全体の知的な挑戦なくしては、民主政治の導入は難しい。この国民全体による日本の歴史の批判的レビューなくして日本の民主主義政治は出来上がらないと言っているのは、S党のK氏のみである。

 

このような政治家が永田町に増加することが、日本が本当の意味での民主国家になるには必須であると思う。


終わりに:

韓国は額面通りに民主政治を実現しようと頑張ってきた国である。昨年12月20日のブログに書いたように、今回の大統領弾劾の動きに関して、米国国務長官のブリンケン氏が「韓国は民主主義の強靭さを示した」と述べたのはこの額面通りの民主主義の話であり、実質的には完全な間違いである。

 

https://www.yomiuri.co.jp/world/20241215-OYT1T50017/


何故なら、韓国の人民たちが何者かに扇動されて、自ら民主主義の形態を破壊する瀬戸際にあるからである。韓国は現在、北朝鮮の侵略を招いて消滅する危機にある。

日本は、これを対岸の火事ではなく 他山の石として学び、江戸時代の天皇制に滑らかに接続するような日本独自の民主政体を作り上げるべきである。

 

 

補足:

 

1)民主主義の原点は古代ギリシャにあり、そこでは直接民主制が行われていた。ただ、古代ギリシャは都市国家であったことや、参政権は市民が保有しているが、かれらは奴隷を擁する階級であったことなど、社会の規模も文化も近現代の先進国とは全く異なっていた。

 

2)オリンピック選手や俳優など政治と無関係な分野で有名になった人物が時として国会議員になるが、あまり有名でないが会社経営や学問の世界などでしっかりとした実績を残した人物が国会議員になる例は非常に少ない。

 

3)大統領は英語のpresidentの翻訳である。presidentは語源的には「(人民の)前に座る人物」という位の意味であり、共和国の首席行政官(chief executive officer of a republic)を意味する。日本は立憲君主国的形態を残しており、天皇の前に人を座らせる訳にはいかないので大統領と呼ぶ行政官を置けないが、首相公選制は憲法を変えれば取りうる。共和制の国家では大統領が国家元首を兼ねる。

 

(22:30 編集して補足2を追加;翌早朝数か所修正して最終稿)

youtube動画にコメントを書いたとき、時として削除されることがある。非常に都合の悪いコメントがあったときに、そのチャンネルオーナーが削除するのだろう。正月早々、そんな嫌な体験をした。

 

ウクライナ人と思われる方のyoutubeチャンネルU-timesで、モルドバのガス危機に関する動画にたいしてコメントを書いた。真面目そうにウクライナ対ロシアの戦争について報じる内容の動画なのだが、客観性に欠けるとおもった。

 

まるでウクライのゼレンスキー政権のスポークスマンのような感じをうける。日本国から一兆円を超える支援がされているので、そのような配慮をしているのだろうが、決してウクライナ人一般の視点で話しているのではないと思う。そこで以下のようなコメントを書いた。

 

「ゼレンスキーの自分だけが良ければ良いという姿勢が、英米に利用される原因だと思う。この欄ではウクライナに好意的なコメントが多いが、それは日本国や英米のプロパガンダが原因である。」

 

それについて、「今ここでプロパガンダを打ち破るコメントどうぞ」という返信がなされた。そこで、以下のような返信に対する返信を書いたが、何度書いても削除されたので、その記憶のためにここに記載する次第。

 

このサイトがプロパガンダを流しているとは言っていない。ただ、ウクライナ戦争の本質は腐敗するウクライナ政界に取り入りロシアを弱体化する道具として育てた米国とロシアの代理戦争であるので、ウクライナという国家(任期を無視して居座るゼレンスキー政権)はウクライナ国民の創意ではないと思われる。従って、この対ロシアの戦争においてウクライナという言葉を主語に用いるのは、それだけでプロパガンダ的である。

 

 

モルドバでのガス危機だが、モルドバ本国とウクライナに挟まれた沿ドニエステル共和国の住民を凍え殺そうというウクライナの残忍な戦略である。ウクライナを経由してパイプラインで西にガスを送る50年契約が切れ、それをゼレンスキーは延長しなかったのである。

 

それを淡々と報じるこのサイトにプロパガンダ的なにおいを感じて上記のようなコメントを書いたのだが、それが腹立たしくて削除するのだろう。これまで二度削除された。

≒=以上==