ガザ地区での停戦はトランプ政権前の出来事だが、それは必ずしもバイデン政権の成果とは言えない。トランプ側の働きかけの効果が実を結んだという考え方の方がより正確だろう。イスラエルの現政権とトランプ氏との間には強い信頼関係が存在し、アメリカ大統領となるトランプ氏の圧力をネタニヤフ政権も無視でき無かったと考えられる。https://www.asahi.com/articles/AST1J2FHDT1JOXIE01QM.html
 

停戦後のガザは束の間かもしれないが平和であり、人質交換なども行われている。ただし、ヨルダン川西岸地区での戦闘は、以前からのことだが、時々発生しているようである。https://www.bbc.com/japanese/topics/cw5wn2e9rpnt

 

そんな中、ガザの住民をヨルダンやエジプトに移住させるべきだという先日(125日)のトランプ大統領の発言は、方々で悪意をともなって報じられている。例えばBBCニュースは、以下のように報じている。
 

トランプ氏はガザを「解体現場」と表現。「おそらく150万人ほどの人がいる。私たちはすべて一掃する」と述べた。また、こうした動きは「一時的かもしれない」し「長期的かもしれない」とした。https://www.bbc.com/japanese/articles/cj48ydjjen8o
 

トランプのある記者に対する専用機での発言は、And I’d like Egypt to take people and I’d like Jordan to take people. そして続いて I couldと言いかけ、一拍置いて  I mean, you’re talking about probably a million and a half people、そして And  we just clean out that whole thing. だった。

 

ガーディアンの下のサイトにその時の動画が字幕つきでアップされている。

https://www.theguardian.com/us-news/2025/jan/26/trump-resumes-sending-2000-pound-bombs-to-israel-undoing-biden-pause

 

この発言の全体から、And  we just clean out that whole thingの意味は、「我々は全ての問題を取り合えず無くする」という意味だと分かるだろう。勿論、ガザ地区の民族浄化計画 ethnic cleansing planとは全く無縁であるとは証明でき無いが、トランプ大統領の意図は全くことなると思う。
 

トランプ氏の発言は、ガザ地区はがれきの山と化しているので、差し当たりその地区のパレスチナ人を周辺諸国に受け入れてもらい、その後は自然の成り行き(神の意思)に任せるべきだというくらいの意味だろう。(補足1)

 

更にその記者は、それは一時的にですか? それとも、戻れるのでしょうか?と問うた。その質問にトランプ大統領は、どちらでもあり得る。一時的かもしれないし、長期的かもしれないと答えた。これは、私に出来ることはそこまでであると言う意味を言外に含むのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=DA095Kj6gSo&lc=Ugy094dZsZ8CcvsIiu54AaABAg

 

 

 

2)ガザ地区のパレスチナ人の運命

 

この問題を数歩下がって思考の枠組みを拡大して考えてみる。

 

米国におけるイスラエルロビーの力は巨大である。イスラエルと米国の間は極めて近く、一つと考える人まで存在する位である。(補足2)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241023/k10014617101000.html

 

上の記事の中に引用されている米国カジノ王、ミリアム・アデルソン氏の次の言葉がそれを良く表している。

「私たちは誇り高きユダヤ人であり、誇り高きイスラエル人であり、誇り高きアメリカ人です。私たちを支持する人たちに敬意を表しましょう」

 

在米の金融エリートたちは、米国政権の背後にあって世界の政治と経済を半ば支配している。彼らの一部の勢力はグローバリストとして、世界帝国の実現を企んでいる。そのエリートたちの多くは、等しくイスラエルと非常に親密な関係にある。彼らの計画の中には、イスラエルの人たちが期待する大イスラエルの達成も自然に含まれるだろう。

 

ただ、ユダヤ教正統派の人たちやイスラエルに住むかなりの人たちは、大イスラエルの達成は神によってなされる筈であり、人間の力で達成しようとするのは間違いであると考えている。外国に住むディアスポラのユダヤ人たちのシオニズム運動には反対しているのである。

 

自分たちの国を守ることが大切であると主権国家体制を維持したい反グローバリストたちが、このような経済的にも政治的にも力のあるエリートたちの世界支配の企みを覆すためには、イスラエルの反シオニズムのユダヤ人たちの力を借りる必要がある。その為には、現イスラエル首相のネタニヤフを反グローバリスト側に引き込むことが賢明だろう。

 

そのような背景を考えた場合、現状の廃墟となったガザ地区を再建したのちにパレスチナのアラブ人の方々にプレゼントすることは、理想論として語るとしても現実論として追及すべきとは思えない。

 

上記トランプ大統領の発言は、そのような微妙な意味を表現したのだろう。イスラエルのシオニズム運動に反対する人たちが力を増して、彼ら当事者の考えとして上記理想論が現実となればよい。しかし、そのようにはならない可能性の方が圧倒的に大きい。
 

ガザ地区の住人であるパレスチナ人が、その後どのような未来を迎えるかは神のみぞ知ることであり、トランプ大統領の能力の範囲を超える。エジプトやヨルダンでの移住生活が、「一時的かもしれないし、長期的かもしれない。」

のは、トランプ氏の力の及ぶ範囲には無いと言うことである。

 

トランプ政治の本質を知る為には、トランプ自身の現実的且つ直接的な言葉を良く分析すべきだが、例えばアルゼンチンのミレイ大統領の演説なども非常に参考になる。https://www.youtube.com/watch?v=Yd2Oc5q_Mu0

 

 

 

のダボス会議での演説の最初の方で、グローバリストと戦っている人たちとして、米国のトランプ、ハンガリーのオルバン、イタリアのメローニのほかに、イスラエルのネタニヤフ首相の名もあげている。それは、ハマス対イスラエルの戦争を切っ掛けにトランプ政権がイスラエルの反感を買って潰されてしまうのを怖れるからだろう。(補足2)

 

因みに、アルゼンチンのミレイ大統領は、グローバリストたちの目的は世界の人口削減にあると明確に言っている。我々日本国民や多くの地球人にとっては恐怖のシナリオである彼らの企みを砕くには、近代の価値観に足をすくわれてはならない。

 

上のNHKの記事を読めばわかるように、カマラハリスはグローバリストの端に位置しながら、ハマス・イスラエル戦争でパレスチナ側に立ち過ぎて、大統領選に敗れた。トランプの勝利は、彼のこれまでの姿勢を含めてイスラエルの味方として評価された結果である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12847903412.html

 

 

トランプ大統領の反グローバリストの思想は、現実的な政治空間に投影された結果である。それを反グローバリストだと自認している人たちがイマジナリーな空間の理想論で批判するのは、自分で自分の首を絞める愚挙である。


 

補足:

 

1)clean out は全てを取り除くと言う意味であり、瓦礫の山と化したガザ地区の問題、このままでは生活が出来ない150万人ほどのパレスチナの人たちの今後の問題などを取り合えず解決するという意味だろう。この発言中のjustという単語は、完全で理想的な解決ではないことをあらわしている。 Chat GPTに会話の主を伏せて聞いたところ、「単に/ただ」 (merely, simply) 、「とにかく/とりあえず」 (simply, without hesitation) などの意味がこのjustの意味として考えられるそうである。


 

2)ネタニヤフ首相はイスラエルの防衛のためにハマスと戦っているのは事実である。それは主権国家としてのイスラエルの防衛と言えなくもない。しかし、グローバリストの世界帝国実現が、大イスラエルをはじめユダヤ人の棲み処を世界に拡大する運動だとすれば、反対する筈はないだろう。

 

1)現代日本の蛸壺政治について

 

前回、日本の蛸壺文化と現在の日本政治との関係について以下のように書いた。

 

日本の政党は、労働と富の分配の問題、教育や社会保障の問題、産業振興の問題、政治の制度や資金の問題などに対する姿勢における他党との区別を国民に主張している。それらは重要だが、政権与党の族議員たちがそれら各蛸壺内で議論する対象に過ぎない。国家の骨格を抜きに棲み分けている日本の政党と政治家は、そしてそれを尤もらしく地上波TVで議論する評論家たちは、日本国民にとって背信の輩である。

 

彼らは、2021年の米国バイデン政権の開始時から本格的になった国際政治における世界史的変動の真っ只中、日本の危機が近いと考えられる現在、103万円の壁とか政治資金規正の問題で延々と時間を浪費しているのである。

 

 

 

ここで族議員とは、1970年頃に自民党の政治家と行政の実行部隊である官僚たちとの癒着の一貫として出来たようである。(ウィキペディアの族議員)その後、与党国会議員たちは、”労働と富の分配の問題”以下の幾つかの蛸壺内に棲み別けており、それ以外の議論は日本国の政治には存在しないかのようである。日本の国会には行政の議論しかなく、外交や防衛などは一切、宗主国である米国に完全依存する形になっているのだ。

 

そして日本の野党は、全て観客席から自民党議員たちの演じる蛸壺内の芝居を批評して、国民の前に自分たちの存在感をアピールするという役割で満足する様になった。その一環として、日本共産党も昭和33年に暴力革命を否定し、政権奪取を目的とする本物の野党としての役割を終えている。https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm

 

その結果、戦後30年程して日本国と日本国民は敵を感じなくなり、国家の必要性の第一を感じなくなったのである。現状は上述のようにそれとは正反対であり、四方核武装した仮想敵国に包囲されているにも拘わらずである。つまり、米国による日本の家畜化の完成である。

 

殆どすべての日本人は、日本国が天皇を中心として存在するという残余の感覚を持っているかもしれない。しかしそれは、論理を持たない日本人の「鰯の頭も信心から」の類の信仰のようなものであり、日本にはもはや本物の国家は存在しなくなったことを知るべきである。

 

 

2)日本における国家の成立と劣化

 

日本国が成立したのは、壬申の乱のころだろう。そこで、天武天皇はその正統性を示すために中国の史記をまねて日本書記を編纂させた。全文は漢文で書かれているとのことであり、日本列島が中国文化圏の中に位置していたことがわかる。

 

天武天皇によって統合された日本列島には、国家間の戦争がほぼ無くなった。そこから国家という組織の形骸化が始まったのだろう。ただ、蝦夷と呼ばれる異民族が時として辺境の地を侵略したため、それを征伐する役職が出来た。平安時代から存在する征夷大将軍である。

 

彼らは強力な武力を持つものの、民を統治するための独自の宗教を持たなかったため、伊勢神道を擁する天皇家を滅ぼすことは出来なかった。因みに、宗教には二種類存在するが、そのうちの人格神を崇拝する宗教(一神教)の方が、多くの場合、国家の権威を担う。(補足1)

 

時代が進んで、武家が力を増して、武家と天皇家の二元体制が出来上がった。それは鎌倉時代に始まり江戸末期まで温存された。信長と秀吉の時代、キリスト教が日本の二元体制の唯一の脅威となったが、彼らはそれを退ける選択をした。1587年の伴天連追放令である。

 

日本の婦女子を買い取って南方で売るという悪事を宣教師たちが行ったのが原因だろう。宣教師たちが“俗悪な人物”でなかったのなら、天皇家は亡んで日本はポルトガルか何処か西欧の国の植民地となっていた可能性があると思う。(補足2)

 

日本の政治的権威は天皇家が持ち、その権力は武家が持つという二元体制は、それなりに安定しており、欧米の帝国に破壊されることもなかった。しかし明治になって、この二元体制は消滅することになる。中国侵略を目指したであろう米国の蒸気船が、日本をその為の中継基地にする目的で立ち寄ったことからその政変は始まる。

 

米国は南北戦争の勃発によって、その後日本から遠ざかる。その後、日本の政変に拘わるのは英国やフランスなどである。英国ではユダヤ系のロスチャイルド家が中央銀行のイングランド銀行を手にしており、政権の陰で既に権力を得ていたと思われる。

 

英国の権力者は、その日本を普通の国家として改造し、極東の基地国とすることを考えたのだろう。それが明治維新である。その結果、天皇中心の富国強兵国家となったのが大日本帝国であった。それは見事に(英国の権力者の宿敵)ロシアを破るという功績を上げたのである。

 

ただ、日本は完全には英国の支配下ではなかった。それは、上記国家の軍事的ソフトウエアである宗教には手を付けられなかったからである。それが幸か不幸か、日本が壊滅的敗戦に向かう原因となった。皇国日本の外務大臣小村寿太郎は、ポーツマス条約で米国のSルーズベルト等と会ったにも拘わらず、日本をロシアに勝たせた英米の企みが見えなかったのである。

 

その後、独走を始めてしまった日本が、英米の怒りによって滅ぼされ、日本国民は実質的に国家を無くすことになったのである。

 

 

3)日本での国家の消滅

 

明治維新に対する日本の教科書における誤解については何度か書いているので、これ以上は立ち入らない。ここで思い出してもらいたいことは、大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかったということである。(補足3)

 

その後の大戦で敗戦し50年ほど経過して、日本国に天皇という政治的権威を完全否定された効果が発現定着して、米国の家畜国となったことに今国民が気付きだしたのである。

 

天皇が果たした大日本帝国時代の役割は、昭和憲法第一条により明確に否定された。第一条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(これが昭和憲法のエッセンスである)

 

その結果、日本に存在する政治的権威は、米国が移植した非軍備の民主主義が受け持つことになったのである。こんなものが主権国家の支柱としての役割を果たす筈がない。軍事力を奪った後、民主主義を植え付ける方法は、それ以降も米国に用いられている主権国家破壊の戦略である。

 

軍隊を指揮する旗頭の居ない国に主権などない。更に、軍隊の無い国家に主権など樹立できる筈がない。それが、アマテラスの子孫である筈の天皇を空蝉のように規定し、非武装を謳った平和憲法の効果である。

 

このようにして日本の政治的権威が失われ、政治権力の中心が日本から米国に移った。日米安全保障条約とその後改訂された条約がそのための契約書である。日本の自衛隊と呼ばれる軍隊は、米国の指揮下で動くことが吉田茂により約束されている。

 

 

終わりに:

 

以上が日本の国家としての経緯の概略である。このような考え方は、経糸である時間軸と横軸である地球の広がりの全体を対象にしないと不可能である。そのような広範囲を視野に入れた思考は、短い生命と有限のエネルギーの一人の人間には困難である。

 

そこで必要なのが、数世代にわたる情報の共有と数百人或いはそれ以上のヒトの頭脳の連携である。そこには完成度の高い言葉とそれを用いる論理の伝統が必要だろう。それらは日本の弱点であり、これまで全世界と全時代を視野においた思考が出来なかった理由だろう。

 

日本人の殆ど全てがインターネットにアクセスでき、SNSを有効に利用できるようになれば、これまで不可能だったことも可能となる。そのような努力を始めた人たちが現れだした。そして、将来日本国が新しい姿となる可能性がある。

 

 

補足:

 

1)日本の政治的権威であった天皇はアマテラスの子孫であり、アマテラスを崇める伊勢神道の神主である。伊勢神道は私の独自の用語(外宮神道の意味ではない)であり、自然を崇拝する神道をアマテラスを崇拝する様に一神教化した宗教である。ここで宗教は、善悪を創造して敵を悪とし、民を纏めて戦争するためのソフトウエア的武器である。

 

 

 明治以来の日本に出来た多くの宗教も、政治的思惑で創設されたものであることを知るべきである。信仰の自由とは、世界を政治的に改変する動機で基本的人権に組み込まれたと考えられる。このことに言及しない法律家や社会学者たちは、麻原彰晃より頭が悪い。

 

2)信長は宣教師たちの知識と鉄砲などの技術に関心を示し、彼らに融和的であった。秀吉もポルトガル人たちの悪行やその背後にあったと思われる日本の植民地化の企みを嗅ぎ取るまでは、キリスト教にむしろ融和的だった。(ウィキペディアの伴天連追放令参照)

 

3)国内の政治的矛盾の解消という形で大日本帝国という国民国家が出来たのなら、当時の武士や国民にその封建制から立憲君主制への変化の歴史が共有された筈である。しかし、他国の意図がその政変に深く絡んでいた場合、新しい国家のその後の動きが国民の意図する方向に進まない可能性が高い。

 

(1/25、セクション3の「大日本帝国もまともな主権国家ではなかった」を「大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかった」に改め、この部分の補足を補足3として追加しました。既にお読みいただいた方には、この部分の誤りに対して深くお詫び申し上げます。夕方並びに翌早朝編集。最終稿とします。)

1)日本は蛸壺文化の国である

 

日本の文化が蛸壺的であることは、丸山眞男によって指摘されている。日本の学問や文化や組織は、専門化が進み、それぞれがその中で集団を作り、部門間相互の意思疎通が困難であるというのである。(ウィキペディア参照)

「逆説の日本史」で有名な井沢元彦氏は、日本の歴史学者における蛸壺化について述べている。それによれば、日本史と世界史は全く別学問として存在し、日本史に世界の歴史の中の日本という視点が反映されているように感じないという。

 

更に、時間軸に対応して多くの専門に分断され、学者たちに通史に対する理解が無いというのである。例えば中世が、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代という具合に専門化が進むだけでなく、更に領域毎に鎌倉時代の経済の専門家、政治の専門家、文化の専門家という具合に細分化が進んでいると語っている。

 

歴史家たちは、その狭い領域で意見交換し、その中で安住しているのだというのである。つまり、鎌倉時代全体に対する理解も、群盲象をなでる状態なのである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=f_DVbk-tFT8

 

そのような文化の蛸壺化が進んだ国では、例えば現代政治を専門にする学者は、明治の歴史などは通説をそのまま受け入れる習性がついてしまっている。気候変動などの自然現象も全くCO2原因説を疑うという習性も能力もない。そのため、現代政治の真実が全く見えないだけでなく専門家としての能力さえついていないだろう。

 

全ての分野が複雑に絡まって時代が進行している現代、常に全体を意識する視点のない文化の国では、何事においても本質を理解する力のある専門家がいない。文化の蛸壺化は民族の知性の劣化の原因となっているのである。

 

現代政治において日本独自の問題として深刻なのは、日本の近代史の大きな節目である明治維新について歴史家がまともに研究してこなかったことである。その結果、現代の政治家や政治学者は、日本現代の政治についてまともな考え方をもっていないし、専門家としての能力にも欠けている。

 

誤解の中心にあるのは、その中心にあった人物とその末裔が作り上げた明治維新が日本独自の改革であり外国はその切っ掛けを与えたに過ぎないという誤った解釈である。それを専門外としてそのまま受け入れるので、現在の外交専門家や政治家は、英米の戦略に翻弄され続けた日本の近現代を全く理解しないのである。(補足1)

 

丸山眞男の蛸壺文化の話に戻ると、ウィキペディアの解説文には以下のように書かれている:

「共通の根を切り捨てた形で専門が分かれ、その専門の中で仲間の集団を作っているため、集団の相互間での意思疎通が困難であるとされている」と。

 

壺の中に安住するタコには、いくつもの壺が綱で繋がれ、その先が海上のブイにつながっていることなど全く見えていない。近い将来、そのブイを目印に船でやってきた漁師に捕獲されるという彼らの近い将来を想像する手掛かりが全く見えていないのである。

 

この悲しい現実は、激動の世界の中で危機を迎える可能性の高い日本の将来について全くと言っていいほど沈黙を保ち、政治の改革に関して無力な日本の知識層の姿に相似である。
 

 

2)日本の工業製品と蛸壺文化

 

次に、議論の本筋からずれるが、日本の製造業への蛸壺文化の影響について若干議論する。

 

この蛸壺文化の国では、出来上がった最終的に使用に供される総合的な製品よりも、単純な金属加工の機械であったり、ソケットやパイプなどの材料やチェインやジッパーなどの部品の製造で競争が厳しい世界の中で生き残る企業が多い。

 

例えばパソコンでは、かつて世界の最先端だったNECをはじめとする日本の企業は、もはや非常に小さいシェアしかない。製品の魅力(或いは性能)対価格の比を独断でみれば、後発のアップルや最近パソコン製造を始めたマイクロソフトに追い越されている。(補足2)

 

パソコンという総合的商品で市場を席捲するには、パソコンを理解しパソコンと人間との関係の全体像を考え描く人物が設計から製造の指揮をする必要がある。パソコンいうキャンパスに自分たちはどのような絵を描くのかという思想が具現化したような品物でなければ、個性ある消費者に歓迎されないだろう。アップルなどの製品には自分たちが考えるパソコンが表現されていると思う。

 

しかし日本では、類型的なパソコンに対する理解に安住し、他社との競争に勝てる性能と価格を先ず想定し、それに適合する部品を集めて組み上げるのだろう。その結果、消費者が特定のメーカーを選び、そのパソコンを持った時に所有欲を満たすことなどないだろう。それではレノボにも勝てない。
 

パソコンと同じ顛末をたどるのではないかと心配されるのが、現在の日本経済をけん引している自動車である。自動車は現在、インターネットにつながるスマートカーに進化しつつあり、自動運転車が標準になったとき、日本車はテスラ社(米国)やBYD(中国)の戦略には勝てるのだろうかと心配になる。

 

その他の分野、例えばAIやSNS関連のサービスなど、総合力を必要とする事業の発展は米国や中国で進んでいる。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG108LH0Q4A211C2000000/

 

最初に日本は部品には強いと書いたが、それは日本が職人の国であることと関係している。職人芸とは、工業における蛸壺文化の結果ではないだろうか。確立した技術の製品においては精度や純度が勝負を支配するので、職人技で諸外国を相手に高い競争力が維持できるのだと思う。

 

世界の消費文化は急速に変化する時代にあり、日本の職人芸の通用する範囲は日々狭くなる可能性が高いだろう。ただ、日本国内では古来の蛸壺化した文化を継承し、生活のパターンに変化が乏しいので、伝統工芸的な部分では日本製品が将来も残ることが可能だろう。(補足3)

 

 

3.日本の政治における蛸壺文化
 

日本の政治も蛸壺文化的で非常に発想に乏しい。1945年の敗戦後にマッカーサーの統治となり、日本は吉田茂とその部下らによって米国への隷従政治を採用することになった。1951年の講和条約後も、表向きには独立の体裁をとりながら、その本質に変化はない。

 

一度出来上がった体制が一定期間継続されると、国家のそれぞれの部門の担当者が、その体制に順応する形で専門家する。一旦それらの専門から国家全体が出来上がると、そのパターンを破壊して、そこから抜け出ることが出来ないのである。それが蛸壺文化の特徴である。

 

明治から昭和初期まで強力な求心力の国家であったように見えた日本帝国であったが、その立憲君主制の強固な独立国の姿も、借り物であった可能性が高い。その証拠に、講和条約を経て70年経過しても、日本の数十か所に他国の軍事基地を置き、首都近辺の領空まで他国に支配されたままでも良いと考える政治家たちが政権与党をつくり、それが異常であると感じないのである。

 

勿論、異常であると言う人は幾らでもいる。しかし、かれらは口先だけであり、その異常さが他人には説明できないだろう。何故なら、その異常を本質的には理解していないからである。平然と、「日米の戦略的互恵関係を維持しなければならない」と言うのである。彼らは戦略的という言葉も互恵という言葉も、更に国家という枠組みも理解していないので、そのようなセリフが言えるのである。
 

将にその対米従属政治を続けるため、日本の保守勢力は合併して自由民主党となったのだ。その結党は、国民による政権政党の選択という政治参加の道を封じ、知性に乏しい日本社会党との議論を装うことで対米従属を長期に継続するためである。

 

そのような政治では国民を欺くことになるとして問題視する人物が突然変異のように現れれば、政界から或いはこの世から追い出したのである。(補足4)

 

現在、その問題点に気づいて国政に参加している政党には、数年前に結党された参政党という弱小政党(参政党)が一つあるのみである。亡国の徒と売国の輩が日本の中枢を占領しているのである。(佐藤 健志 (著)「右の売国、左の亡国:2020年、日本は世界の中心で消滅する 」)

 

現在、日本の政治は、日常的な問題を対象として対立を作り出し、それによって政党を形成している。決して日本の骨格そのものの問題を対象にしたことが無かったし、それは自由民主党の結党の意義(対米従属を継続)に反するので避けてきたのだ。

 

それらは、労働と富の分配の問題、教育や社会保障の問題、産業振興の問題、政治資金の問題などであり、それらに対する姿勢で日本の主な政党全てが成立している。それらは重要だが、族議員たちがそれら蛸壺内で議論する対象に過ぎない。国家全体に関係する骨格の問題を抜きにする日本の政治家は、そしてそれを尤もらしく地上波TVで議論する評論家たちは、日本国民の将に背信の輩である。

 

根本的な大問題である日本の政治における独立国としての日本の回復は、この図の蛸つぼに入って、くだらない議論をして既得権益を得ている政治家には成し得ない。日本国の再生には、政治家の総入れ替えしかないと思う。

 

最初に掲載した図のいくつもの蛸壺と、それらを束ねる綱や海上のブイ、をもう一度みてもらいたい。この図は日本国を表している。蛸壺は日本国を構成する諸機関であり、蛸壺を束ねる綱は米国の為に働く輩たちである。今後やってくる漁師のことを問題視する人や政党は殆ど存在しない。

 

因みに、今後やってくる漁師とは、第三次世界大戦が起こす世界の中心的な権力であり、その中心は勿論米国である。

 

憲法を改正して、独立国となるという党是で成立した自由民主党だが、その党是が完全なまやかしであったことが、十分な理解力のある人には中曽根内閣時代には明らかになっている筈である。彼のどこが大勲位に値するのか?

 

例えば、日航機123便墜落の事実が完全解明されておれば、その自由民主党が第一党としての地位を失い米国隷属の政治に終止符を打つ切っ掛けになっていた可能性がある。(補足5)それを政治が問題にしなかったのは、すべての政界の人たちが蛸壺の中に既得権益をもって安住したかったから、その隠ぺいに協力したのである。


 

補足

 

1)最近のニュースだが、日本製鉄のUSスチール買収を批判した米国の鉄鋼会社CEOは、「日本よ、気をつけろ。あんたたちは自分が何者か理解していない。1945年から何も学んでいない。われわれがいかに優れていて、いかに慈悲深く、いかに寛大で寛容か学んでいない」と発言した。米国の本音に配慮してゴンカルベス氏は発言したのである。これが英米に翻弄され続けた日本の近代史における現在の状況である。

https://www.zakzak.co.jp/article/20250118-BWLS7NXXRRMUJHFDWK2J7ZGZTM/ 

 

2)最近、NECVersaPro(インテル12世代CPU)を使ってみたが、マイクロソフトのSurface(若干古いがlaptop3を使っている)とは見た目から中身まで大きな差がある。劣悪なTNディスプレイを採用していたので、即売却した。

 

3)茶碗には取っ手が無い。熱いお茶をいれても茶碗を手に取ることが出来るにもかかわらず、ハンドルを付けないのである。磁器が焼けるようになり、細くても強度の十分なハンドル装着が可能となっても茶碗にハンドルを付けるという発想が出ない。ボタンを見てもジッパーを見ても、それらを取り付けた着物が現れない。両足を個別に収容するズボンのような構造も、まともな形で取り込まないのが日本文化である。


4)中川一朗やその息子の中川昭一がその一例だろう。そのほか、孫崎享著「アメリカに潰された政治家たち」がそのような政治家を取り上げて解説している。
 

5)この事故は、自衛隊のミサイル演習で無人の標的機が日航機に衝突したという説などが、単行本や後にyourube動画などでも多く紹介されている。自衛隊のミスで520人の死者を出したとなれば、当時中曽根内閣が検討していたミサイル防衛構想や米国レーガン政権が進めるSDI(戦略的防衛)構想への参加が、国民の反対で不可能になる。そこで、日本航空とボーイング社の協力で、圧力隔壁破壊説をでっち上げたというのである。

 

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12836247903.html

 

=== 1月20日早朝、分かりやすく文章を追加し、修正を施しました ===