虎が死んだ ~虎の威を借る狐たちのその後 | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

からのつづき。

 

旅の途中ですが、ニュースです。

こちらアルメニアの深夜2時に突然目覚めてこれを書いている。

 

 

 

なんかこの出だしも書いたことがある気がする。

ま、美志摩かなのかんながらは、誰かがわたしに「言わせてる」ことを記録しているだけだからね。

 

前回はこれだった。

 

 

 

なんか、アルメニアに陸路で入る途中、なんかギリシャと生月島の旅に似てるなって思っていたところだったので、今まだ記事は読んでないけど、ぎょっとしている。

 

 

そもそも最初は、これだからね。

 

 

 

今年のくくりの日あたりはいよいよ1が始まるってことかもしれないね。

2023年9月11日=9って書いてるからね。

 

 

 

 

虎の威を借る狐たち

 

 

 

記事にも書いたことがあるけど、このところずっとこれがきてた。

 

 

 

 

 
 
虎の威を借るキツネたちがのさばっている。
それを正すには、オオカミの復活しかないってことよ。
 
でも先に虎が死んだ。
 
 
やっぱりこの世は狐たちがはびこって終わるってことかな。
空海さん、約束が違うじゃん。
 
「四国に鉄の橋がかかったら、本土を騙した狐が帰ってくる」
 
あなたはそういったはず。
 
 
それをいつまでもそうしない輩がいるのは知っている。
祈祷という呪詛で。
だからずっとこの世界がいびつなまま続いている。
 
 
島の人たちは、徳田虎雄先生のことが大好きである。
わたしは直接会ったことがないけど、ずっと昔からとても身近な人たちが彼のすざましい行動力に助けられていたのを知っていたし、美志摩かなをはじめてから出会った島関係者は当然彼のことが大好きである。
 
 
でもわたしはこの医療法人の変容に気づいていた。
最近、わたしの周りで2つ象徴的なできごとがあったから。
そのひとつは、わたしの就職活動で、もうひとつはザ・良心って人が職を辞することになったって聞いたこと。
 
 
でもね、わたしは実はもっともっと昔にその予兆を察知していた。
 
 
まだしろくまさんといるころ。
っていうか出会ってそんなに経っていないころだから震災の前かもしれない。
 
某島でわたしたちは地元の人が観光客に教えない隠れ家的名店で飲んでいた。
 
 
そこにここの職員の人たちが飲み会をしていて、そこに「お財布係」みたいな人が現れて社内接待みたいなことをしていた。
〇州会はやりがいだけで集まってるって(実際そんなところがある)思っていたから、なんかおカネのにおいのするその集まりがとても違和感で印象に残っていたのである。
 
 
誤解しないでほしいんだけど、わたし、やりがい搾取って一番嫌いなの。
あの、コロナ禍の、「医療関係者に感謝を」っていうキャンペーン、ほんとにやめてほしいって思ったもん。
 
感謝だけ言われても、身体は養えないのに。
 
 
実際日本の看護師さんとかどれほどの待遇であの仕事をさせられているか。
 
 
何度も何度もここでも書いてるけど、橋やビルを実際に身体を使って建てた人より、涼しい部屋で下請けに丸投げして何もしなかった人たちの方がずっと給料も高くて威張ってるのと同じ構図で、医者はあの世界で誰よりもえらくて、実際に患者さんに寄り添って危険で汚い仕事をしている看護師さんや、介護の人たちをどれだけ見下して安く働かされているのを知ってるからね。
 
楽な仕事の方が給料も待遇もよいという恐るべきアンバランスが日本という国にはある。
 
 
 
そこに「感謝を」ってちょっと待ってよ。
あなたたちも「感謝」だけで給料もらえなかったら困るでしょ??
 
ってわたしは思ってた。
 
それでも、「みんながしあわせなら、わたしはいいの」って思ってしまう瀬織津姫状態の人が多いのも事実で、これも日本の特徴的な共依存の病だなって思っていた。
 
 
虎の威を借る狐たち。
でもね、この国はすでにキツネばっかりよ。
 
 
わたしも自分ひとりでは生きていけなくて、日本という特殊な国のしくみとやさしい人たちの情けによって生かされてるわけだけど、そういう人たちが多くなって、もう狐を養ってくれるやさしい人たちもすでに絶滅寸前だよっていってるじゃん。
 
 
でも、ついに虎は死んだらしい。
キツネは虎(獅子)のような世界はつくれないと思うけど、どうする?
 
 
オオカミに復活してもらう?
そのためには、今の世の継続と安寧をあきらめないとできないよ。
 
 
スサノオとツクヨミは、交互に入れ替わる必要があったんじゃないかな。
そろそろ交代よ。スサノオの時代に。
あとになると、もスサノオの氏子はいないから、スサノオだけ復活させても、スサノオの世は訪れない。
 
 
みんなが「日本人がいなくなる」とか「日本がなくなる」って騒いでいるのはそういうことよ。
 
 
今大事なことは、スサノオの氏子のような純粋な人たちを滅ぼさないことよ。
 
大事なのは虎に集まる狐じゃなくて、虎を影で本当に支えている人たちなのよ。
 
 
虎の代わりを狐がする時代。
キツネの奴隷にはわたし、なるつもりはないよ。
 
 
キツネは虎には成らない。
さて、この物語は、どんなオチにする?
 
 
縄文の世のように、ひとりひとりが自立して平らかに、王を頂かない世界にする?
そのためには、神さまからの自立が必要だけど、できるかな。
 
たぶん、この世の主はそれをイメージしてこの台本を書いてきたようだったけどね。
少なくともコロナまでは。
でも、民度が追いついていなくて、そこからほど遠い。
 
 
次は、このまま狐が人を化かして、虎がいるようにふるまう。
これが「日本人がいなくなる」って呼んでるやつかな。
 
現実的にはこれに移行しそうだね。
長くは続かないだろうけど、最も有力かな。
 
 
 
わたしはそんな美しくない世界のために、働くつもりはないよ。
 
同志のみなさん、お願いだから、神さまから自立して。
そうしないと、縄文の復活なんかないんだからね。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

元衆議院議員で、全国各地で病院などを運営する医療法人「徳洲会」グループを創設した徳田虎雄氏が10日夜、入院先の神奈川県内の病院で亡くなりました。86歳でした。

徳田氏は、鹿児島県の徳之島町出身で、大阪大学医学部を卒業後、1973年から病院経営を始め、その後、医療法人「徳洲会」を創設しました。

徳田氏は医療改革を掲げて衆議院選挙に「鹿児島県旧奄美群島区」から立候補し、2度の落選を経て1990年の衆議院選挙で初当選しました。

徳田氏と当時戦った自民党の保岡興治元法務大臣との選挙戦は、選挙区を二分する激しいもので、2人の名前になぞらえて「保徳戦争」とも呼ばれました。

合わせて4回当選した徳田氏はみずからが設立に携わった「自由連合」で代表を務め、村山内閣では北海道・沖縄開発庁の政務次官を務めました。

徳田氏は2005年に政界から引退し、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病、ALS=筋萎縮性側索硬化症の療養を続けていました。

2010年には、沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐり、当時の鳩山総理大臣から出身地の徳之島に部隊や訓練の一部を移転したい考えを伝えられ、極めて難しいという認識を示していました。

また、2012年の衆議院選挙をめぐる「徳洲会」グループの選挙違反事件では、東京地検特捜部は、徳田氏が選挙運動全体をとりまとめる「総括主宰者」とみて捜査を進めていましたが、難病で回復の見通しも立っていないなどとして、起訴猶予になりました。

家族や関係者によりますと、徳田氏は10日夜、入院先の神奈川県内の病院で亡くなりました。

86歳でした。