(追記あり)森と街と、眠れない夜と泣きながら見る夢 | かんながら

かんながら

旅の記録です

普段は目を閉じて3秒で眠れるのに頭が冴えて眠れない。

 

酒を飲みたくもない。

夜中の1時半を過ぎて、ようやくうとうとして、少し長い夢をみて、全力で泣いて、目が覚めた。

 

わたしのために犠牲になってくれたくまさんを思い出して。

どれくらい時間が経ったか確認したら、まだ1時45分、15分しか経っていなかった。

 

 

 

ふと、この感じは、シャチの夢を見た時と同じ感じだなって気づく。

 

 

 

東京はずっと心配されているが、大した被害はなくて済んでいる。

もちろん都市だから資金も潤沢にあって、対策が万全なのもある。

 

 

でも、なんだか目にはみえない力の存在も感じる。

 

 

それがそれほどの効果を発揮しているのかどうなのかは検証できないが、

太田道灌や土御門家など、あらゆる知恵と技術を結集してお江戸はつくられた。

もちろん京都や大阪、そして奈良などの古都も。

 

 

大阪に住んでいたとき、大阪に地震がくるなんて思いもしなかった。

それくらい、地震のない地域だった。

阪神淡路大震災がくるまでは。

 

 

 

大阪はもともと水の都と呼ばれただけあって、水路の街で、土地も低く浸水しやすい。

下水があまり完備されていなかった昭和のころは洪水もよくあって、地域によっては床下浸水したとか、そういうのは普通にあった。

 

 

でも多くの人たちは、それを知っていた。

あそこは低い土地だから、雨が降ったら浸かる(浸水する)とか、

(埋立地だから)地震になったら危険とか、そんなことは。

 

 

それなのに、いつしかバブルが訪れて、街がきれいになり、

土地はデパートの包装紙で包めば高級品になるマジックでごちゃまぜにして売られた。

 

 

 

新しく移ってきた人たちが、それを理解して住んでいるのだろうかと思うとなんとも切ない気持ちになる。

 

 

それは宮古島に移住者が押し寄せて、今土地バブルに沸いているが、

地元の人たちから「あんなところに住んで大丈夫なのか」と心配されているのとデジャヴである。

 

 

彼らは、海岸線のほとんどを買い占めてしまったときく。

みんなの海が誰かの所有地になる。

 

 

自然を知らない人たちは、自然を所有することはできないというあたりまえのことに気づいていない。

いずれその報いを受ける日がくる。

 

 

 

「熊野祀り方を間違った」なることで、地震が起きるのかは科学的な根拠がないし、

その因果関係についてわたしは興味もないが、

熊野=自然と考えれば、深い部分で納得する。

 

 

あの夢のキーワードは忘れていたけど東北の地震と、熊野信仰だ。

東北はちょうどいったばかりだからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

東北を巡ってから、予想通りいろいろある。

 

っていうか、表参道の路地裏あたりからもう新しいフェーズにはいってて、次なるチャレンジというか戦いというか。

個人的なことだから書かないけど、予告編がきてたのは本編もきた。

 

わたしが破綻してからの30年。

時を同じくして同じ目に遭っていた人にも会った。

 

そういえば、ごちそうしてもらったついでに、デパートの屋上の神社に案内してもらったら、熊鷹社だった。

伏見稲荷。

 

でも、杭全(くまた)の氏子のわたしは、熊野のなにかをキャッチする。

 

そして、調べていくと、熊鷹大神は、九州の羽白熊鷲だって話もでてくる。

高く飛べる白い羽根を持った神。

ククルカン?

 

 

10年ぶりぐらいにあけた、っていう特別な剣をみせられたせいか。

わたしは鏡と勾玉は自分のもの、って思うけど、自分とは縁がうすい刀。

 

 

わたしに今、どどっとのしかかっている見えない世界の魔物を、あの刀と槍に宿ってるもので祓えってお告げなんだとわたしだってわかるけど、どうしたらいいんだろ。

 

 

すでに世界が狭すぎて、この場所から逃げたとしても、もう現実的に地球上には逃げ場がないと絶望している私は、ここを抜け切るしかないってことなんだろうね。

この世には陸軍用地しか存在しないのかって思うくらいにその場所に呼ばれ、出会う人みんながみんな、世捨て人になって長い、名もなき庶民のわたしが出会うはずのない将校さんの子孫っていうのは。

 

陸軍用地しかこの世に存在しないのかって絶望したことは、大阪でも東京でもあったけど、ひとつ消化しきれていない記事を上げておこう。それが羽田。

 

 

緑の石と、飛龍大神の石碑のとなりに、見ざる聞かざる言わざるの三猿がいたって書いてある。

この記事の後ほどにでてくる、熊鷹社はこれか?

そこで連想したものが、ケツァルコアトル=ククルカン。

白い羽根。

 

 

 

 

 

マイルドに書いたつもりだけど、この街はもうカミ様ではなく、カネ様の街だ。

 

明治神宮の森が危ないとか、目に見えることが問題になってること自体がもうすでに「勝負はついた」ってことに気づいていない。

だって、神社は、みえない力が抑えている場所なんだから。

 

 

少し前、コロナの前後にベテランの人たちが定年を迎えていなくなった。

代わりにくるようになった掃き屋さんの多くは、みえるものしか掃いていない人が増えた。

 

古い人たちが掃いたあとは、場所が光ってみえた。

彼らが集めていたのは、葉っぱだけではなかったのだ。

 

 

すでにそれに気づいている関係者も少ない気がする。

 

 

目にみえる世界は、きれいなミュージアムができたり整っているけど、以前のような神域としての張りつめた空気感はなくなって、お隣の代々木公園と変わらず、ジョギングするために入ってくる短パンノースリーブの人たちや、飲み物片手に大声で話す団体客を早朝からみかけるようになった。

以前は、そういうのを許さないくらいの迫力が、衛士さんにも、古い信者さんたちにもあった。

 

神域っていうのは、そこに関わる人たちの思いの表れなのだ。

 

神宮が「おカネがない」なんて言っている時点で、「神さまはいません」って言ってるのと同じである。

 

本来、森がなくても、そこに集う人たちに神をみる力があれば、その場所は整う。

京都の街中でみかけるちいさな祠になにかを感じるように。

 

そんな場所に、のちの人々がわかりやすいようにって木々を植えて、この森を創ったんだから。

 

 

だから、目に見える森自体が問題ってなってしまってるってことが、すでに手遅れだってことなのだ。

勝負はついている。

だから、仮に、森だけ復活させても、かつてのあの張りつめた空気感の神域にはもう戻ることはない。

いいか、悪いかは別にしてね。

 

 

別のものを新しく創るしかないのよ。

 

 

 

コロナの最中、わたしは何度もいった。

 

「事件」が起きたとき「突然」ってみんないうけど、兆候(しるし)は必ずある。

5月に芽吹くケヤキの枝先は、すでに12月には丸みを帯びているように。

 

 

 

もう、すでに、明治神宮もこの街も、何ものかの手に落ちた、と思う。

いち早くそれに気づいたものが、次のこの街をつくることになるだろう。

 

 

ようやく夏の花がさきはじめた。

昨年みつけたひまわり。

一年経って別のところのそれをみる。

 

 

参道のゆり、今年は7月4日が最初の2輪の開花を見た日。

アメリカ独立記念日。

自国で戦争のない安らかな日をかみしめる。

 

もし、戦争がわたしが聞いてきたとおり、経済のため、であるなら、

平和なこの日を迎えながら経済的な豊かさを享受しているわたしたちは、

他の国の人たちの犠牲の上にあるということになる。

 

戦争は犠牲になる人ではなく、犠牲には絶対にならない人たちの利益のために行われるようにかんじる。

特攻隊もそう、兵隊さんもそう、空襲被害にあった名もなき市井に生きる人々もそう。

 

指令を出していた人たちには、白いコメも、食べ物も、安全な住居もあったのだ。

それどころか、戦後、彼らは特別なポジションを得て豊かに暮らしてきた。

 

 

わたしはたくさんの特権階級だった人たちから話を聞いてきたし、宮崎駿作品をみていても想像がつく。

引退宣言後、追加でつくったあの作品は、懺悔なんだと思うもの。

 

「たまたま」だと思っているそれらの幸運は、きっちりと計算された仕組みの中でのあたりまえのできごとだった。

前にも書いたけど、わたしはたくさんの人たちから、何も語らなかった先代がつぶやいた懺悔のかけらをいくつもいくつも託された。

 

 

だから、わかる。

 

何も語らなかった先代たちは、決して語るべきことがなかったから、沈黙していたわけではなかったのだと。

 

 

ええ、それはもちろんわたし自身もまた、「生き残り」の子孫だからね。

終戦の日当日、召集されていて戦地にいくことなく生き延びたわたしの伊勢方の祖父。

戦後何も語ることなく、今美志摩かなのように、自らのルーツを追い求めて旅をして、その最後に、自ら死を選ぶことでその人生を終えた人。

 

 

わたしの祖父の名は、サダオ。

 


わたしの祖父は伊勢は愛していたけど、伊勢神宮に一緒にいった記憶はない。

 

猿田彦神社のご祭神は、サダヒコという。

分かる人にはわかるよね。

 

ある刀と共にみせられた家系図にもあった、その神の名前。

見せた人は、わたしに「このサルでいいだろ」って下品な言葉を口ばしったけど、それはわたしが申年の女だからだって思っているようだったけどね。

 

人は本当に霊止(ひと)だと思う。

だから、わたしは人がいうことにはフォーカスしない。

やっていることは、この世というゲームのルールだから、そこにだけはフォーカスするけど。

 

言葉と行動はリンクすることは認めるけど、口ではなんとでもいえる。

よくも悪くも。

人の評価は、その人の行動だけだなって思う。

だから、今、なにもできない自分がもどかしく、苦しい。

 

 

生きるなら、鏡の世界からでなければ、と強く思う。

 

 

表参道は鏡の世界だ。

わたしは鏡の世界の住人だったのだ。

同じようで見えてまるで違う。

常世という場所。あの世。

 

わたしは欲を持たず、ずっと現世にいなかった。

あの世の住人。

 

つまり、私は人柱。

ここでみなの幸せのために犠牲になってきたたくさんの人たちの思いを慰める御用人。

この街には実はたくさん配置されていることに気づいていた。

 

そして、最近それらの人たちもいよいよ絶滅寸前だということにも気づいていた。

それと同時に森も荒れ始めて、神気を感じなくなった。

 

わたしと同じ、地を這う蚯蚓たちがこの街を豊かにしていた。

 

みんな収穫物だけしかいらない。

そしてそれを札束でビンタするように、地を這う蚯蚓のように生きる人たちを追い出して、ととのった土地を買いあさっていく。

 

どれほどの人柱要員がこの街に配置されていたか。

そして、彼らがひとり、またひとりと去っていることも知っている。

たった十数年のできごとしか知らない、この私でも気づくくらいに。

 

 

 

あなた方があこがれるこの街の空気感は、わたしたちミミズが育んできたのだ。

土を豊かにするようにね。

わたしたちがいなくても、あなた方はおカネの力で、また奴隷たちに作らせればいいと思っているかもしれないけど、もうそんな気のいい奴隷たちも全世界で人手不足だからね。

 

 

 

国破れて山河あり。

 

 

何度も書くけど、これでいいじゃん。

このまったき自然という、美しい世界がわからないんだろうか。

 

 

破壊と再生。

この破綻した世界の維持に利用されるくらいなら、わたしの祖父が、子どもが、それを選択したように、わたしもこの世から消えることを選ぶ。

 

 

 

 

 

青山霊園。

 

人間到る処青山あり(じんかんいたるところせいざんあり)。

青山って墓ってことなんだよね。そもそも。

 

 

 

ビルに映る世界をみていたら何かが話しかけてくる。

で、家に帰れなくなる。

 

 

この街は、GHQの駐留で豊かになった街だ。

スーパーの紀伊國屋は、彼らが食べる生野菜や肉の調達を、

白洋舎は、彼らのリネンを、

キディランドは彼らの子どもたちのおもちゃを調達した。

 

将校さんたちのための慰安所だってあった。

働いたのは、外国人ではない。

 

家政婦紹介所があった場所は、今日本で一番有名な商業施設になっている。

 

 

 

 

オリンピック記念宿舎は、元GHQの将校さんの家だった。

ここは、ふつうの人たちが入れない場所で、ここに住む家族のために、キディランド(おもちゃ屋)ができ、生野菜を供給するために紀伊國屋スーパーができ、パン屋やレストラン、家具屋やカーテン、家政婦の派遣所などができたのが表参道エリアのはじまり。

 

近くには慰安所があって、地方で身寄りを失った女性たちが「盾となるため」として仕事をしていた。

 

慰安婦は日本人にもいたのである。

しかも、日本政府の要請で。

 

 

おそらく何の保証も受けていない。

ひっそりとその事実すらないことになっているくらいだから。

たぶんそれを明るみに出されたくない人も多いと思う。

彼女たちは、日本の國體を支えてきた瀬織津姫。

 

 

古い人達は知っている。ここはいいも悪いもそういう町だったって。

 

 

ついに、ここもなくなるのか。

 

 

ここも。

 

記憶ごとどんどん書き換えられていく。

そして、すべてが新しくなっていく。

 

破壊と再生。

それが、自然。

 

 

表参道に事務所を出して独立したときのそばには天理教の施設があったんだった。

で、久しぶりにとおりがかったら、布留遺跡の展示を天理でやるっていう告知。

 

そういえば、古地図でみたことがあるよ?

勾玉は諏訪でみた糸魚川のそれに似てるし、なんなんだろうね。このシンクロは。

 

 

ここもキリスト教系の施設。

 

 

大山史前学研究所と大山柏邸跡

 

 

 

史前、か。しぜん。

 

大山巌の次男。こんなところにも陸軍関係者。

結局わたし、ずっと陸軍関係者の場所ばっかりにいるんじゃん。

 

 

貝塚の研究をしていたんだね。

 

 

わたしが最初に表参道にきた15年前部屋を借りた場所もまた、ビルごと知らない誰かに売られていた。

駅から5分以内で日当たりがよくて予算内。

当然、そんな部屋ありません、って即答された。

 

けど、「今までご案内された物件でみたことはありませんか」って聞いた。

担当してくださった方はとても誠実な人で、しばらくの沈黙のあと、

「1軒だけあります」って答えた。

「そこ、空いてないか聞いてもらえませんか」

 

そして、その部屋は奇跡的に空いていて、その日に内見して決めた。

 

道路の突き当りにあるルーフバルコニーから松明の明かりに照らされたウエディングレストランの庭を見下ろす部屋。

飛鳥で地球を何周もした料理長を招いてバーベキューパーティをしたり、今思っても不思議な時期だった。

夜中に人の足音が通り抜けていくような明らかな霊道にあったけど。

 

でもこの場所は、わたしみたいなのが何人かいて、成り立つ場所だったんだと思う。

人柱要員として。

 

 

 

 

表参道交差点の景色も大きく変わりつつある。