(速報メモ)エーゲ海への旅 Day4 ~ロドス島からマルマリス(トルコ)へ | かんながら

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旅の記録です

 

同室だった人はその部屋の散らかしっぷりから若い子だと思っていたら私より年長にみえるオランダ人の女性だった。

彼女は山火事のダメージの影響を調査に来たといっていた。

 

単にオフシーズンで誰も来ないと思っていただけだったみたいで、わたしの姿をみるやすぐ謝ってわたしがごはんを買いに行っている隙にきちんと片付けられていた。

アテネのゲストハウスがあまりにカオスだったので、ギリシャってところがそうなのかと思ったけどどうもそうではないみたい。

 

むしろ私の方が早朝に部屋を出るわ、夜中に時差ボケで起きて日記をかきはじめるわで迷惑だったと思われる。

 

 

この島のことはなにもみていない。

でもこの城壁をみただけで、私にとっては満足。

 

パンプローナだ。スペインの。

闘牛の街。

カミーノデサンチアゴ巡礼の旅で行った場所。

 

その20年ほど前、最初の結婚の結婚講座をしてくれたカトリックの神父さんがパンプローナ出身で、

牛追い祭で有名な街だって教えてくれたことがある。

 

教わったことはほとんど覚えていないが、いくつかの情景を覚えている。

 

そのひとつが、細かいことは忘れたけど

神父さんが示してくれた例題。

 

どうしても橋を渡っていかねばならないのに橋の上で精神病の人が暴れていた。

渡し舟はあったけど、その船頭さんは乗せてくれず、

やむなく橋を渡ったら人は殺された。

 

悪いのは誰か?って質問。

 

 

わたしは何と答えたか忘れた。

たぶん、渡ろうとした自分、って答えたような気がする。

 

元夫は、精神病者だって答えた。

 

神父さんは何度も、「彼は病気なんだよ?」って彼に言ったが、彼は病者の罪だと答えてた。

 

あれが、あの質問がどういう意図だったのかわからない。

正解がなんなのかもわからない。

 

 

けれど、神父さんには私と彼との結婚は前途多難って思ったに違いない。

 

実際式の直前に、元夫は大量の安定剤を飲んで倒れたし。

 

そしてわたしはぐったりしている彼を泣きながら引きずって自分のクルマで救急病院に運んだ。

当時勤めていた病院の同僚のアドバイスに従って。

 

幸いいのちに別条なく、わたしたちは何ごともなかったように結婚式を挙げた。

 

 

 

あのとき、どんなことを考えていたんだろうな。

あのときも、わたしの部屋に居候していたしろくまさんが伊勢平氏おじさんとおなじく逃げ出して、わたしは人といないとどんどんエネルギーが落ちちゃってこのままじゃ死ぬと思って部屋を引き払って旅にでたんだった。

 

思えば「かんながら」の美志摩かなと同じじゃん。

 

伊勢平氏おじさんに一方的に棄てられて、生きるための旅をはじめたっていうのと。

 

 

いや、そもそも一回目の結婚だってその後なんとかやってきたけど、阪神淡路大震災がきて、私は壊れて、離婚したあともすべてをはぎ取られて、アフリカ放浪の旅に出たんじゃん。

いや、全部自分が選択した、って言われればそうだけど。

 

なんなんだ、このデジャヴ。

わたし、いつも自由を持て余して旅に出るんだな。

 

今回はまだ部屋をひきはらっていないし、とりあえず仕事にもどるつもりはあるけどね。

 

 

Googlemapのいうとおり歩いていたつもりがいつのまにか道をはずれて城壁の中へ。

スペインみたいなところだな。ほんとに。

そもそもカミーノはそういうところを結んであるからそうなんだけど。

 

なんか四国のお遍路をしている気分になってきたよ。

本当にあるものから目をそらすっていうのか。

 

彼ら(誰?)の足跡は実は大陸だけでなく、島にもあるのかもしれないよ。

 

海の道。

 

 

それにしてもよくこんな立派なもの島につくったなって思う。

石をかき集めるだけでも結構大変なはず。

感じるのは石工の存在。

 

 

 

当時ここがどんなところだったのか。

なにを守っていたのか。

 

それなりのものを守る意思なくしてこんな壮大なものはつくらないと思われる。

 

みんなピンとこないかもしれないけど、島で何かを建てるって大変なことなのよ。

原材料を調達することからはじめないといけないからね。

 

おカネ出せばすぐ手に入るっていう内地とは違うのよ。

わたしの島の友だちが屋根をつけるのが大変すぎてもう何年もできてないのも同じ理由。

 

もちろん彼だって周りの人に頼めば手伝ってもらえるけど、彼は人に頼むことができない人なのよね。

自分の身内以外には踏み込まないのも島の人の特徴かもね。

逆に一族の結束はやたら固い。

 

わたしが島が苦手なのも、わたしが島が気楽なのもそういう理由。

 

異邦人だから。わたしは。

 

 

大陸にあるのは当たり前のこの城塞が、島にあるっていうことが驚きである。

 

 

ヨットハーバー。

わたしには教育係みたいな人がいるってかんじるけど、その人たちがつぶやいた光景には必ず出会うことになっているし、そこをたどるとわたしが失った何かを取り戻しているとかんじる。

 

今は、落としたマブイ(魂)を探してこの旅をしているけど、そんな感じがすごくする。

 

 

 

誰かがつくった、神という仕組み。

 

神がどんなに悪いものであっても、まだ人間は神を必要としている、とかんじる。

 

全部ひとのせい。

とくに、扱いやすい日本人は、いつも責任を引き受けてくれる「ひと(他人)」を必要としている。

 

 

 

イルカのモニュメント。

しろくまさんが、友だちだって言っていたイルカ。

ちなみにくじらはお父さんだった。

 

 

 

夜明け。

道を間違えそうになったので、スーツケースをひいた人に、マルマリス?って聞いたら、自分も乗るっていうからついていった。

イスタンブールまで港に停めてある車で行くって言われたから、「もしかして乗せてもらえると楽かも」って思ったけど、

わたしの飛行機はイスタンブールでなくイズミルからだった。

 

あとで、悔やむんだけど。

港からバス停までも遠くてふつうはタクシー。

おじさんと仲良くなっていればバス停まで(もしくは途中の街まで)乗せてもらえたのに。

 

ま、そういうのも後の祭り。

 

20代の頃にはそんな危険な真似はできなかったけど、おばさんになれば自由度も増す。

お金持ちのおばあちゃんが、「小銭はあるから」って言ってたことがあるけど、わたし今回もまた両替もできずおカネももってない。

 

 

土産物屋。十字軍もいたってことなのかな。

あとやっぱり性におおらかなのはお土地柄?

30年くらい前ヨーロッパを旅していたらたまにこういうのをみかけたけど、最近めっきりみなくなったもんね。

男根に巻き付いている女性が、倶利伽羅不動の秘仏や、なんとなくこないだタラの丘でみた石棒を思い出すんだけど。

 

 

 

 

 

朝8時の出航に対して1時間前にチェックインするように、って予約票に書いてあるからきたけど、当たり前にオープンしていない。

10分ほど過ぎてからオープンしてボーディングパスをもらう。

 

次にパスポートコントロールに行って、って言われてそのままいっちゃったせいで、港のお土産物屋を見るのを忘れた!!

 

たぶん酒とか免税で買えたのに、、、。

たぶん物価がトルコより安いギリシャ。ワインを買っておきたかった。

 

 

パスポートコントロールに15分くらい並んで、港の免税売店。

 

ワインは売れないのかほこりをかぶってて買う気がしない。

いちおう8のワインをみつけたので写真をとっておく。

 

 

船の名はKing of Rhodes.

 

1時間ほどで到着。

 

ほかにもトルコからエーゲ海への島への船はあるらしかった。

 

 

港に両替所があったので、40ユーロほどを両替。

1234リラ。

ここから先ノープランのわたしはどうするか迷ったけどとりあえず、一応昨年きて2泊したから多少土地勘があるエフェソス遺跡とアルテミス神殿のあるセルチュクに向かうとするか。

 

行き方を聞いたら、バス停までタクシーで行って、だって。

そんな無駄遣いできないでしょ。

今回は時間だけはたっぷりあるから歩くことに。

 

3キロはあるって言われたけど、歩いてみる。

 

 

遊園地。

なぜか長島温泉を思い出したのよね。

 

長島温泉は、あるとき

 

「長島温泉は、彼の学校に毎日給食をもらいにきていた不思議なおじさんが何年もかけて掘り当てた」

 

ということと、

 

 

なぜか

「新興宗教が多いんですよ」

 

って話を聞かせてくれた人がいた。

 

 

 

祖父ともよくいった長島温泉がそういう場所だってことは知らなかった。

 

しろくまさんと2018年に高千穂の眞名井の水を伊勢神宮に届ける神事をさせてもらったとき、伊勢神宮からの帰り、長島温泉の横を通った時ちょうど花火があがって、まるで祝福されているみたいだったのも印象にのこっている。

 

 

新興宗教が多い、ってきくと、「隠れキリシタン」って連想するけどね。今の私は。

 

で、歩いていて思ったわけ。

朝知り合ったおじさんがクルマを持ってるっていうのはサインだったなって。

 

乗せてもらえば楽だったのに。

ま、それも学習。

 

 

 

 

松林が多いのも特徴。

なんかいい気を感じるって思って近づいたら軍用地だった。

宿舎かな。

 

そのあと、ブロガーさんが、トルコ産のまつたけを買ったって話題をあげていて、

トルコにも松茸あるんだ?!て驚いた。

 

たしかに松茸とれるだろうなって思ったのよ。

トルコ人はたべないんだって。松茸。

 

だったら取り放題だ。

 

 

オトガルまで30分ほど歩いて到着。

「セルチュク?イズミル?」って聞いてバスを発見。

セルチュクには直行便はないらしく、のりかえればいいよって教えてくれた。

 

「あなたを乗り換え先まで案内しますから心配しないでください」

これまた完璧な英語でドライバーに言われた。

 

 

途中のAydinまで190リラ。

事務所で買えたからカード利用。

 

途中トイレ休憩。

もう空港みたいに立派。

 

こんな子がいたりとか。

ちなみに奥はレストラン。

トイレは50リラだった。

 

 

 

車窓からの風景。

乗り換えはこっちだよって階下にいくように促されたけど、こんな人気のないところで強盗に襲われるんじゃって一瞬ひるんだ。

でも「セルチュク?」ってきいたら、「あっち」ってみんなが指さしてくれてバスに乗れた。

こちらのバスは外国人がたくさん乗っててひさしぶりに旅行者気分。

 

3本の指をだすから30リラかと思ったら、AydenからSelcukまでは70リラだった。

 

260リラでこの長距離を移動できてストレスなしだったからほんとたすかった。

 

 

宿も決めていなかったけど、bookingcomで26ユーロの宿をみつけたのでそこに。

わたしが前に泊まった宿は前回一番安かったんだけど、彼らは値引きをしてなくて40ユーロで営業中。

本当は値段で決めたくないけど、わたし今ほんとうに貧乏だから申し訳ないけど割引中のところに。

 
前に毎日食べていた店はわからず、ターキッシュピザを近所のレストランで購入。
95リラ。
500円くらいなんだろうけど、わたしにはすでに大金なのよ。
円安なんとかして!!
 
 

 

 

なぜかわたしになにわの審神者がこのイラストを送ってきた。

 

なんで?って聞いたら山火事のニュースのリンク。

 

同じ部屋に山火事の調査している人がいたって話はしていなかったはずなのに。

 

 

 
あと、これ。
 
わたしは彼の夢の中に生かされているんだろうか。