朝起きたらネコが退屈そうに庭にいた。
何もかもがかわいいパトモス島。
きてよかった。
やっぱり難易度の高いところを攻略しておくことは大事だ。
なにもかもがかわいい。
これほど気に入った場所は世界中にそうそうない。
わたしかなりギリシャがあうかもしれない。
緊張しないもの。まったく。
全部を写真に撮りたくなってしまう。
この色の組み合わせが好きなのよね。
土産物屋も店ごと買って帰りたいくらいかわいい。
もちろん荷物になるので一つも買えないが。
港に来てみた。
広場の雰囲気にわたしの島を感じる
かわいい。
宿にもどったら宿のおばあちゃんが、「Caveに行った?」ってきくわけ。
まだだよ、って言ったら今行けばミサ(みたいなの)をしているから急いでいっておいで、っていうわけ。
わたしは8時から10時の朝食を6ユーロも出して予約してあるから行かなくてもいいって思ったんだけど、あまりのおしにイエスとこたえて、あとで我に返る。
今このお兄ちゃんがいくから一緒にいきなさい、っていわれて彼について走る走る。
松の木だ!
やっぱりこの場所も私とつながる何かを感じる。
今までも何度か書いてきたけど、松を植えるって意味がある気がする。
仲間が気づくようなサイン。
葵温も安須森に松並木を創っている。
どうもこのあたりも重要なことが書いてあったみたいで途中できえている。
そういえば、この間いったエチオピアのラリベラも、安須森を思い出すなにかがあった。
登呂遺跡って感じもしたけどね。
縄文の好きの人がきらいな弥生遺跡。
教会ではカトリックではない(ギリシャ正教)のミサをやっていた。
ラリベラで体験したのと同じかんじで。
違うのは、参加している人の数がラリベラと違って少ないってことだけで。
仕事あったら2時間以上のミサって無理だよね。
日本でもミサは30分以内が人気があるって聞いたことがある。
何種類ものお香をたいて、ボタフメイロ(香炉)をふってキャンドルセレモニーがあって。
ずっと掛け合いみたいな歌ですすめられていく。
参加してて思った。
ラリベラにも似てるけど、この雰囲気、バルセロナの近くのモンセラットにも、フランス南部のマグダラのマリアの洞窟にも似てるなって。
モンセラットにもたしか古い歌が残ってるってきいた。
スペインのバルセロナ近くにある修道院。
この記事にもちらりと出てくるモンセラットの記憶。
で、なによりふとかんじたわけ。
生月島のオラショ。
隠れキリシタン。
彼らの信仰はこことつながってるんじゃないかって。
もうメモすら書けなく思い出すこともできなくなっているけど、ここにかすかな残骸だけのこっている。
風の禊の記事のころもけっこう大変だったんだな。
それが調おうとしている?
生月島のころだって大変だった。
そもそも伊勢平氏おじさんのストーカー事件によってわたしは自分の落としたマブイ(魂)を探そうと、因縁の伊江島にいき、そこで生月島のことを知り、「オラショ」を知ったのだ。
オラショは、とても古いグレゴリオ聖歌であるらしい。
グレゴリオ聖歌は、モンセラットの修道士も歌う。
ヨハネが黙示録を書いたというエーゲ海の小さな島の洞窟で、司祭と男性が掛け合わせていくように洞窟に響き渡る祈りをきいたとき、生月島を思い出したのであった。
わたしをここに連れてきてくれた青年は、アテネから私と同じ船ではじめてここにきたらしい。
彼は他の信者さんがするようにたくさんあるイコンにキスして、司祭からワインなのかハチミツなのか、カトリックのわたしたちがミサのときにパンをもらうように、スプーンで液体のものをもらって、(みな布でこぼれないようにうけるようにしていた)籠に入ったパンをもらってわからないように私にもくれた。
最後に司祭がわたしにもくるように、っていって「食べなさい」ってもらったけどね。
終わったあと教会の人たちとの茶話会に誘ってくれて、コーヒーやケーキやお菓子をごちそうになった。
わたしの名前は「ゆり」で、マリアの花だよって説明。
どの花か、って聞かれて今は便利よね、スマホで見せられるから。
彼の方はなにか警戒しているのかガラケーで、おじいさんと電話番号交換するのに、おじいさんの方はiphoneでなんか不思議な光景だった。
メンバーのひとりの若者がカレンダーを売りにきてて、彼も5ユーロのそれを購入。
みせてもらって、わたしにとってのちょっと興味のある8月18日が休日になっているのが気になって写真にとっていたら
「あげる」ってくれた。
その席のメンバーが、わたしが初めてのギリシャで飛行機のついたアテネの次に最初に訪れた場所がパトモス島だっていうと驚いて興味をもってくれて、
「世界には本当はひとつの教会しかなくて(1054年?まで)その教会(New testmentって言ったと思う)が世界にひろがっていったって話をしてくれ、彼らの十字の切り方を説明してくれた。
何気なくしていた親指と人差し指と中指でつくる型は、三位一体を示すんだって。
そういえばそんなことを改めて教えてもらったことはなかった。
あと薬指と小指はイエスと自分?
忘れちゃった。
で、神の祝福をへそ(地上)に下ろす、右と左も何か教えてくれたけど、今忘れた。
最後にハートに手を当ててそこに込めてた。
わたしの神父も十字の切り方を説明してすごく大事だっていってたけど不良信徒のわたしはよく聞いていない。
でもわたしは何か大事なものをここで受け取ったみたい。
これを神様が呼んだっていうんでしょ。
わたしの神父はいつもいう。
あなたがここにきたのではない、神があなたをここに呼んだのだって。
洞窟の教会の中にもう一度いって彼らが大事にしているイコンの前で。
どうも、そこには信者さんが手を置く穴があるんだけど、そのイコンには、頭をここにいれるんだっていう穴があった。
ヨハネがそうしていたのかな。
いろいろ型があるもよう。
もう生月島のカクレの信仰(隠れキリシタン)も自分の代で終えるって、みな言っているからね。
今までの神はもうその役割を終えたみたいだから、もう祈りは必要ないと思う。でも祈りが絶える前に、わたしたちは同じなにかをずっと共有してきた、っていうつながりだけは持っていてほしいと願う。
それは、庶民にとっての財産だから。
とくにわたしたち日本人は世界につながる祈りの基礎をもっている。
神道も仏教も。
修験道とかも。
世界のいろんな場所で同じエッセンスをかんじる。
業(わざ)としてなにかを成すことはもう必要ないと思う。
でも残念ながら、わたしたちの民度の低さによって、それぞれの違いを受け入れて強さにすることができていなくて、単なる戦いの種にしてしまっている。
でも、わたちたち日本人には天照大御神の子孫のDNAというのか、すべての人間にX遺伝子があるように太陽神のルーツがもれなくあって、そのエッセンスをいろんな宗教のなかに脈々と今に受け継いでいるとかんじる。
それがクリスマスにはキリスト教徒に、大晦日には仏教徒に、正月や七五三には神社に、って節操がないって笑われるけど、宗教で戦いしない特異な日本人の性質なんじゃないかな。
世界中すべての人間にこのX遺伝子はあるんだけど、みんなY遺伝子の男性性が重要だって考えに偏っちゃって、精子のレベルからやっている争いが絶えない。
わたし、保健体育の時間にあの、精子が競い合ってひとつの精子が受精する瞬間をみせられたとき、男子が、
オレは何万個の精子のなかから選ばれた、奇跡みたいなことを言ってるのをみて
(先生もそれを誘導していたと思う)
いや、同じ男性の精子はまちがいなくすべて同じだと思うけど?
って思ってた。
どれが受精しても一緒でしょ。
競い合う必要ない気がする。
でもなんかすべてのものを特別なことにしたいのかもね。
そういえば、わたしたちの天皇も男系でなければならない、っていう話も、
「天皇の役割は天照大御神のX遺伝子を運ぶこと」っていうやんごとなき方の意見を受け売りして
「最近のニュースの事情では、愛子天皇待望論になっている」って教えてくれたご近所のおじさんに言ってみたら、
「それだとみんな同じになるから、、、」ってたしなめられたけどさ。
でも、わたし日本の最高神が天照大御神という女神なら、世界共通の女性性というX遺伝子を今なお、実際に生きる人間のからだをもつ天皇陛下があのような生き方を示して「国民の象徴」でいてくださってるっていうのが、世界に誇るべきすごいことだって思うのよね。
令和がきてコロナがきたとき、「これからは天皇陛下と国民が協力して魑魅魍魎もともに弥栄」っていう趣旨のことをとある元伊勢の宮司さんが言っていたとき、天皇陛下が私たちの象徴とか、「それは無理やろ」って思ったけど、いよいよそうしないとならなくなるのかもね。
洞窟ってすごい力が秘められる場所なのかもしれないな。
なんといっても外の世界がみえなくて自分の内側に入るしかないからね。
船の時間があるから、彼とはそこで別れてひとりで宿にもどる。
彼はわたしに道覚えてる?って聞いてくれたよ。
彼はスマホもってないけど、わたしはちゃんとeSIMいれてあるスマホ持ってるから大丈夫。
やっぱりすべての景色が、わたしの好みだ。この島は。
下りた瞬間からうれしくてニコニコしてたからね。
世界中でこんなに緊張しない島ははじめてかもしれない。
ギリシャはおおむね嫌な感じまったくない場所だったけど。
ただ人が好きっていうよりは、場所が好きって感じで。
ようやく「カリメラ」っていう言葉がハローなんだなってわかるようになったくらい、人とのかかわりはない。
それでもここが好き。
トルコはもっと人を意識して多少緊張したからね。
港に見える三角の島。
大神島や三輪山を思い出す。
三島の先祖は、三種の神器をもっていて三角の島を拝んでた、っていうのは聞いた数少ない手がかりのひとつ。
五島の三島さんってわたしが呼ぶ三島つながりの人も三種の神器をもってたっていうから、三島チームは三種の神器チームなのかもね。十種神宝ではなくて。
この情景なんか完全にアッシジのデジャブ。
ドイツ語学校で知り合ったスイスイタリアンの友人で日本に旅しに来た人がいたんだけど、
彼がアッシジをすごくすすめたから行ったことがある。
たしかにアッシジは好きな場所だった。
なんなんだろ、この同じ感じ。
彼が何で日本にすごく興味があるのか謎だった。
大金持ちっぽくて、長野に行きたいって言って一緒にいって、中津川あたりですごく高価な漆塗りのテーブルを購入していた。
あれをどうやって持ち帰ったのかとかまったくわからないけど。
そういえば、彼はBMWのバイクできていたものな、ドイツまで。
で、イタリア人って呼ぶと怒るわけ。
僕は、スイスイタリアンであって、イタリア人じゃないって。
ようは自分はスイス人だって言ってたんだな。
なんかそんなことをおもいだしたり。
次の目的地はロドス島。
そこからしかマリアの家の神父さんが勧めてくれていけていないマルマリスに行く方法がないから。
高速船で5時間半の船旅。
このマークなんか、できすぎなんですけど?
鹿だよ。
海人族の印の鹿。
しかも海。
鹿海=志賀海じゃん。
志賀海神社よ。
やんごとなき方と一緒にいった志賀海神社。
なんでエーゲ海に志賀海?やっぱりつながってるのか。
わたしに差し向けられた人たちは、いくつかのキーワードを私に伝えてくれた。
ひとつに、エーゲ海をヨットでイタリアに、っていうのがあって、わたしはもちろんそれを記憶してこうして旅することになったことも知っている。
前回トルコでエーゲ海を目指した理由のひとつはそれだし。
待ってろよ、エーゲ海、って書いたけど、本当にこれたからね。
って回想しているところに、ラリベラで会ったイギリス人の旅人からメッセージ。
どこにいるの?僕は今キプロスにいるよ。
え?このあいだスリランカにいるっていったじゃん?
そして、エフェソスを気に入ると思うよ、って。
ええ、いきましたとも。エフェソス。
聖母マリアが晩年をすごしたマリアの家の教会の神父さんがクルマで連れていってくれたからね。
でもなんで?
この世に偶然はないんでしょ。
ロドス島までけっこうな数の島を経由してロドス島。
城壁のある街。
なんとなく思い出すのはスペインのパンプローナ。
闘牛のある島。
カミーノを歩いているときに行った。
パンプローナ出身の宣教師の神父さんにも会ったことがある。
闘牛といえば、徳之島。
徳之島も同じにおいをかんじる。
王家のにおいというのか。
徳之島の一部の人に大金持ちがいることにも、私に差し向けられた人たちの顔ぶれでなんとなく気づいてる。
そしてその中の何人かはその地位を追われた。
わたしが見る限り善良な思いの持ち主で、現代のキリストかもなってふと思う。
善良で曲がったことが嫌いな人は、いてもらっちゃ困るのよ。この世に。
わたしは自死を選んだ祖父同様そういう人たちが好きだけど、世の中の多くの人はグレーか黒で生きてそれがまかり通っているからね。
夜の世界で月の世界。
でもそろそろ夜も明けないとみんな凍死しちゃいそうだなって。
極夜は寒すぎなのよ。
ヨットがちゃんとあるあたりもできすぎなミシマ劇場。
クリスマスだから?なかなか派手なライトアップ。
くまさんがいてしろくまさんを思い出したり。
彼と一緒だったら楽しかっただろうな。もっと。
おいしいものを食べたりワイン飲んだり。
スーパーで買ったワインをペットボトルに入れて飲んでるけどね。
ホステルのバーで大奮発して4.5ユーロのスプマンテを買って、ギロスサンドの店でポークのそれを買って。
3.5ユーロ。
毎日これで満足。
それでも日本で1個500円以上するファーストフードなんか食べないからわたしにとってはとてつもなく贅沢なんですけど。
ネコの視線を感じながら無視して全部たべた。
ごめんね、わたしにはやさしさないのよね。
この毛並みからしてわたしが上げなくても誰かからもらうでしょ。
そういうのがネコ好きの人はかわいいっていうけど。
わたしはそんなネコ好きの人たちに助けられてめぐんでもらってきたわけで。
犬好きの人が増えてきたけどね。
わたしの周り。
自分が王でいたい人間はイヌが好き、って小ニーニーもいっていたし。