で、わたしがナミビアに向かう途中、砂漠のど真ん中に置き去りにされた(というかなった)話の顛末を書いた。
20代にアフリカ縦断の最後にナミビアに行ったとき。
ナミビアの砂漠の高級リゾートでひとりで泊まることになって(しかもタダで)、そこでキッチンの人たちがハッピーバースデーを歌ってくれた。
ってやつ。
なぜかこのタイミングで、「ナミビアの砂漠に置き去りにされた」話を書いたら、
2チャンネルのひろゆきさんが、「ナミビアの砂漠にひろゆきおいてきた」って番組が配信されているという偶然。
世界の果てに、ひろゆき置いてきた - シーズン1 - #0:ひろゆき置き去り!アフリカ・路線バスの旅【プロローグ】 (バラエティ) | 無料動画・見逃し配信を見るなら | ABEMA
「豊川Dは「ご経験人数は?」「初体験は何歳?」とゲスな質問を繰り返しては呆れられ、木の上から湖に豪快ダイブする。演者ではなく、ディレクター自らが出川哲郎のようなポジションを取る。」
— ひろゆき (@hirox246) September 14, 2023
確かに、ディレクターが体を張り、演者が撮影して笑うという今までにない演出。https://t.co/adWRDNuqoX
偶然はないっていうんだけどさ、ある集まりでは罰金500円とか。
もうわたしの人生偶然でないなら、全編スパイに見張られているとしか思えませんが?
♫ Nkosi sikelel' iAfrika ♫
主よ、アフリカに祝福を
南アフリカ国歌
きいたことがある人けっこういるんじゃないかな。
ワールドカップの頃なんかに耳に入ってきたことがあるから。
そういえば、砂漠の途中に置き去りにされてたどり着いた砂漠のリゾートホテルで、キッチンの人たちがこの曲も歌ってくれたのよ。
砂漠の夜空に響いたあの声の感動は忘れられない。
わたしきっと、こうして地を這うミミズを選んだのは、やっぱりアフリカのせいだった。
偶然っていったら罰金500円って会のメンバーの古い友人が、香港から訪ねてくるから飲み会どうぞって声がかかったのでいった。
英語しゃべれないわたしは自己紹介の順番が回ってきたとき、名前と「南アフリカにいたことあるんですよ」ってなぜか言った。
南アフリカにいたのに、英語が不自由な私に向けて、「君はアフリカーンスをしゃべるんだね」って言ってたけど(たぶん皮肉で)、
わたし、アフリカーンスも英語も相手が言ってることはなんとなくわかるのよ。しゃべれないけど。
ドイツにもいたからね。
日本語でもあんまりしゃべんない。
わたしは人の話聞くのが仕事で、自分のことは(こうして書くことはあっても)話すことないから。
第一、わたしの話たぶん多くの人は理解できないと思うよ?
このブログだって「わかんない」ってよく言われる。
それはそうでしょ。だってふつうの人生生きてないんだもの。
ひろゆきがX(Twitter)で、女性がアフリカ行ってくるから家よろしく、みたいに出れば社会が変わるみたいなことを書いてたけど、そんなことを四半世紀前にすでにやっていた。
で、そのときはぼんやり聞いてたけど、
なんで南アフリカの言葉が英語とアフリカーンスなのよ?と一夜明けて思って、流れてきたのが、南アフリカ国歌。
冒頭はコサ語。
♫ ンコシケレリ アフリカ~♫
最初の部分しか聞いたことなかった。
わたしが南アフリカに行ったのは1996年から97年くらいで、もうアパルトヘイトは撤廃されてたんだけど、
まだ日本人が「名誉白人」だったころに移民してきた日本人たちがいた。
実はわたしが、大東亜共栄圏構想ってものを知ったのは、南アフリカにいたからである。
今回南アフリカ国歌を調べてみてなんか日本の未来を重ね合わせてしまう。
琉球vsヤマト 平氏vs 源氏 縄文vs弥生 いろんな氏族の対立。
どんどん明らかになる秘められた過去。
正史とか偽書とか、ほんといろいろ。
これから日本はどんどん「自分たちは違う」であふれかえる。
たくさんの民族が暮らしていた南アフリカ。
黒人同士だって異民族で対立がある。
わたしがアフリカ縦断キャンプを終えて、ケープタウンにたどり着いたのは、それをまとめようって取り組みをまさにしていた97年ごろのことである。
後半は、アパルトヘイト時代の南アフリカ国歌をつなげたんだね。
アフリカーンスと英語。
歌詞もすごくいい。
さすが、牢獄に閉じ込められても希望を失わず、南アフリカ大統領になって希望をみせてくれたネルソンマンデラだけあるね。
まさに、香港からきた紳士は、後半の「南アフリカの呼び声」側の人だったってことだ。
虹の国。
まさに、今日本が直面してるのと同じじゃん?
LGBT問題もケープタウンで目の当たりにした。
ゲイのカップルの家に居候したこともある。
そういう出会いの場のバーだっていっぱいあって日常だった。
渋谷はジェンダーレストイレでも大騒ぎだけど。
表面上は受け入れていた南アフリカの人たちとひとつのことがいちいち問題になって騒ぎになる日本とどちらの方が民度が高いのかわからない。
南アフリカが当時取り組んでいたことは、今まさに日本が取り組んでいくことになる問題と重なる気がする。
で、ふと思う。
わたしが「下駄をはかせてもらってる」って警告している、勝ち組の人たちは、まさに、南アフリカのアパルトヘイト時代の「白人」と同じだなって。
わたしは、彼らがどうなったのか知っている。
治安が悪くなってきて、白人層で、完全な富裕層は、母国や別の国に引っ越した。
イギリスとか、オーストラリアとか。
「下駄をはかせてもらっている」ようは、「白人だから」って威張ってた実力のない人たちは、仕事を失って「プアホワイト」なる人たちがあらわれて、苦労していた。
で、どんどん地域が荒れていった。
だって威張ってるだけで仕事できないんだもの。
で、彼らはお金で何でも買えると思って自立していなかったから、たちどころに生活に困ってた。
仕事がなくなって、お金がなくなるとなんもできないからね。
わたしが、下駄を履かせてもらっている人たちにかさねていた未来は、四半世紀前に南アフリカでみていた現実だったのだ。
わたし、日本が南アフリカみたいになってほしくないって思う。
やっぱりカネを稼ぐためならなんでもありって人より、きれいごとでも知恵があってスジを通してくれる人に社会で舵取りをしてもらいたい。
素直についていくよき羊は、羊飼いにはなれない。
本当の富裕層が国の将来に希望が持てずに国を出て行ってしまって、プアホワイトであふれるようにならないでほしい。
書いてて、けっこうすでにそうなってる、って思うけどね。
江戸時代の身分制度の廃止とか、
財閥の解体とか、
太平洋戦争とか、
郵政民営化とか、
コロナとか、
愚策だったとか陰謀だったとか、いうけど、
そんな犠牲をはらってまで壊さなきゃならないものがあったのよ。
はっきりいって「プアホワイト」になる人たちが自分たちの履かせてもらってる下駄に気づくように、って彼らを救うための親心だったと思うのよ?
結局それぞれのもので一番被害を被っているのは、底辺に生きる庶民なんだもの。
そろそろ目を覚ましてね。
南アフリカ共和国国歌に込められた祈りが、新しい時代に届くといいな。