稲荷の御用を越えていくからのつづき
まず、それに至るまでのいろいろ。
ハッピーバースデーは、アプリで当日みつけた新しい現場のバイトにいって、
家を出てからはじめて何十年ぶりかでひとりで過ごした。
ってことは生まれてはじめてだったのかな。
いや、あった。1回だけ。
20代にアフリカ縦断の最後にナミビアに行ったとき。
ナミビアの砂漠の高級リゾートでひとりで泊まることになって(しかもタダで)、そこでキッチンの人たちがハッピーバースデーを歌ってくれた。
ことの顛末は長くなるからちょっとだけしか書かないけど、南アフリカのケープタウンからナミビアまでレンタカーで旅行しようと思って手配してたら、ちょうど同じルートで旅する人がみつかって一緒にいくことにした。
でもしらない男と一緒の部屋にベットくっつけて寝るの嫌だから、ベットを離したらキレられた。
気に入らないならクルマを降りろっていうから、降りた。
アフリカの砂漠の道のど真ん中で。
砂漠の中に当時泊まるところなんてほとんどないから、彼は心配して探したみたいでどこかで会ったけどね。
わたしがリゾートホテルから出てきたの見てびっくりしてそのまま去っていった。
そこに白人の南アフリカの女社長が車で通りかかって乗せてくれるっていうから彼女の行き先の砂漠の高級リゾートホテルまで乗せてもらって、彼女の口利きで、彼女とは別の部屋に泊まっていいことになった。
彼女に言われた金額を払って。
滞在中に砂漠で夕日を見て帰る途中にドイツ人のカップルが彼らのジープが砂漠でスタックしているのに遭遇して、砂漠から出すのを手伝ってあげた。
何と言っても当時わたしは北アフリカのモロッコから改造トラックでキャンプして縦断してきてて、スタックしては車をみんなで協力して出すっていうことが日常で手慣れていたのだ。
で、彼らはすごく感謝してくれて、じゃあね、って別れた。
そしてホテルのバーでばったり再会したら彼らはそこにバイトにきていた従業員だった。
で、オーナーがお礼にってきてくれて、仲良くなり、話していたら、わたしが女社長の好意で泊めてもらっていた部屋は、実はコトの顛末を聞いて気の毒だと思ってタダにしていたっていうわけ。
つまりわたしが女社長に払っていたお金は、女社長がまるまるガメていたわけよ。
わたしはもう忘れちゃったけど、安いホテルに泊まるくらいの金額を女社長に払っていたわけなんだけど、それを言ったら、「彼女とは縁を切りなさい、あなたは私たちのゲスト。帰りはホテルから街まで送るサービスがあるから」っていってくれてわたしは結局長く滞在させてもらえることになったのだ。
で、わたしは人生ではじめてのぼっち誕生日をナミビアの高級ホテルでゲストとして過ごして祝ってもらったのだった。
rukoちゃんが贈ってくれたけど、食べるって気力がなくて手をつけていなかった冷凍のごちそうとワインで乾杯。
思えば家を出てからはずっと結婚してて、この世界で独立してからもなんだかんだでしろくまさんがいて、しろくまさんが亡くなった年も伊勢平氏おじさんがいた。
そのあと伊勢平氏おじさんに一方的に絶縁されてからも、結局伊勢平氏おじさんが別荘に連れて言ってくれて一緒に過ごしたからね。
昨年からは伊勢平氏おじさんは別の人といたのかそういえば彼の誕生日にはわたしは一緒にいなかったけど。
やっぱり、同じぼっち誕生日でも全然違うじゃん。なんなのこれは。
こんなのわたしの人生じゃない。
たしかに人としての人生を生きていない自覚はあったけど、これはひどすぎる。
20代に体験した人生はじめてのぼっち誕生日と、50代の人生2回目のそれ。
教訓は同じなような気もする。
人間には、わたしを利用するだけの人がいるってことか。
20代のわたしは、今振り返ったらあの女社長のがめつさを見抜けなかった。
腹も立たなかったし、ありがたいくらいに思ってた。
たぶん、ガソリン代も出したし、部屋代払った分は彼女は儲かったし、帰りもケープタウンまで送ってあげるっていってたから、彼女のガソリン代を浮かすつもりだったんだろうって今ならわかる。
でもそうでない人もいる。
もてなす心を持った人たち。
もてなす心を持つ人たちは、今の時代、ただ消費されているようにかんじる。
こんな中でも、神は働いていて、島関係の社長さんの事務所へ。
御用だからちゃんと連れてこられる。
伊勢平氏おじさんの名前を見るのも嫌なのによさそうと思う居酒屋に同じ名前をみつけたりとか。
この世にはひとつの名前しかないのか、ってくらいに。
で、今回の御用は、三崎稲荷神社。
お狐さんはいなくて、社殿には武将が二人。
稲荷に男がいる構図は、箭弓稲荷神社ね(昨日の地震は房総平氏の障り)。
これも不思議なことにお客さんが「箭弓稲荷神社にいってきました」って報告の電話をくれたわけ。
ええ、見知らぬ初めてのお客様がね。
その後因縁の湯島にも発見した。
わたしはどうも「保食神」と縁があるみたいね。振り返ると。
で、箭弓稲荷神社では保食神は男神なのよ。
で、そこから丹後とかあのあたりでは、保食神はヒボコなんじゃないかって話につながっていった。
久美浜ね。久美浜(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その9) 〜 ホンモノの天橋立?久美浜 編)。
あそこにいったときも見事な虹がでたのよ。
そこには熊野神社があるわけ。
しかも和歌山のそれより古いらしい熊野神社が。
このお地場感。
まちがいなく海人族の土地。
だいたいこの界隈も独特なのだ。
べたっとしているというか、貧しいものが集まる感じというか。
で、後で聞くんだけど、水道橋って日大なんだってね。
日大がどういう沿革で作られた大学で、なんで日大相撲部問題があって、今林真理子が立て直しで担がれてるかって話が耳に入らられるわけよ。このタイミングで。
ええ、完璧にこれ、わたし誰かによって書かされてるんでしょ。
お金のしくみ。
世の中ってこうなんだよ、って教えろって。
書かせてる人に告げますけど、わたしいつのまにかえらく貧しい方になれちゃって、本当に貧しい優しき人に誤解されてナメられてるみたいだからこれじゃダメだと思います。
そもそもこの仕組みは奴隷になってくれるやさしき人たちが滅んだら「詰み」。
なのに今改心しないといけない輩は、その暴走を止めようとしてないから。
このままだと、奴隷のコマがなくなって、あなた方の大事なご子息が、その役をやらないといけなくなりそうですよ。
彼らはもうあなた方のように見る目がないので、「偉い人」「お金を持っている人」のいうことしかきけません。
わたしを彼らの教育係にしたいのなら、然るべきステイタスをわたしにください。
仕事をさせてくれるってオファーきたけど、他の仕事は占いもアプリの仕事もみんなやめて欲しいって言われて、それは今すぐは無理って断った。
しかも会社員時代の給料の半分以下で。
「ひとつ籠に卵盛るな」
は伊勢方のウチの家訓。
で、タダでならなんでもするから秘書させて欲しいって頼んでみたけど、
「ただより怖いものはないから」
って断られた。
さすがお金持ちはわかってらっしゃる。
これくらいの島料理はわたしも作れると思う。
やってみるかな。
どちらかというとわたしはイタリア料理とかヨーロッパの料理が得意なんだけどね。
いちおう中華もうまいとしろくまさんには言われていたよ。
美味しい料理を作って出せるっていうのは。丹後の神人がいうように、アカルヒメがついてるからかもしれないね。
月が満ちてきたころ。
賄いに牛丼とかフレンチとか、お寿司とか。
講演会の懇親会に内観研修所で食べている酵素玄米とか。
まかないでしか食べてないけどいいものを食べている。
でも痩せる一方。
星の王子さまが訪ねてくれて久しぶりに笑う。
年イチだけあって、わたしたちも織姫彦星みたいだな。
伊勢平氏おじさんにストーカーにされたことを初めて報告。
2年前の来京のときは、彼と一緒にいるときに伊勢平氏おじさんから「今から飲みに行こう」がきたんだった。
「彼はいっておいで」って言った。
そういえば、同じケースはお友達のご主人が亡くなる前日にもあった(突然の旅立ち)。
あのときは30分待っててっていったら、待てないって怒っていってあげられなかった。
本当に駄々っ子みたいな人だったな。
20年くらいまえ、ここで歌った。
ゴスペルレッスンに行っててその時のメンバーと。
あれは、ハリケーンの被害をアメリカが受けた時で、まさに「ショックドクトリン」で書かれていたことそのままをリアルタイムで目撃していた。
まさか20年後こんなふうに振り返り、この場所に仕事でくることになろうとは。
これもお手伝いで、薬膳中華の南青山エッセンスのシェフ薮崎さんと。
痩せすぎてて、実はこの前に朝崎郁恵さんに八月踊りの稽古をしてもらって一緒に写真撮ったんだけど、載せるのはばかられた。
最近何枚かの写真にコメントきて「しあわせそう」って言われるのつらいんだもの。
わたし自立したくないの。
みんなのために、ふたりでいたいんだよ。
道祖神はひとりじゃだめなんだから。
なぜか畑アカラさんとも知り合って本をもらう。
わたしがやたらいわされているのは、阿波蜂須賀だけど、ハチじゃなくて「や」みたい。重要なのは。
アカラさんによると。
911は朝焼け。
ご近所さんたちはもれなくゴルフ。
またしても日本橋。
そういえば、江原さんも神宮前から日本橋に移動してた。
しろくまさんが亡くなる直前にお店にはじめてはいったら引っ越し準備中で、
「自己犠牲はもう終わりよ」って御用の旅の中で何度も言われたあの言葉をいわれた。
日本橋はお金の街だった。
そういえば。
そして、富山のアンテナショップがあったり、いろんなことを思い出した。