リーマンのゲイの同僚との悩み
このエッセイはおそらく一九〇九年、プルーストがようやく本格的な文学創作に向かおうとしていた時期に書かれた。 もしかして、ネルヴァルを論じながら、プルーストの脳裏に自己の狂気、すなわち同性愛が二重写しになっていたと考えてみてはどうだろうか。 彼にとって心の病気としか思えなかった同性への欲望は、むしろ異常であるがゆえに才能と結びつきうるのだ。 この自覚は、作品を書き進めるうえでも、作品中で同性愛を扱ううえでも、彼を大いに勇気づけたであろうと思われる。 同性への欲望ばかりか、半ユダヤ人で喘息の持病まで背負わされていたのがプルーストである。 周囲と隔てられたなかで、苦しみとともに自分のアイデンティティを問わねばならない条件を、彼は幾重にもそなえていたのだった。 『見出された時』の、ジュピアンのホテルの場面に何気なく差し挟まれた次の一文は、プルーストがシャルリュスにかこつけて自分のありようを述懐しているように読める。
ガリなゲイも意外とイケル
「すげえ、早い」「半端な時間だからかな」起きあがろうとするぼくのこめかみにキスし、今度はちゃんとシャツを羽織って、佐伯さんは出ていった。 思いきり手足を伸ばしてみる。 べ″ドは三回寝返りを打ってもまだ余るくらいだった。 数年まえ家族で香港へ行ったとき、ホテル側の手違いで部屋がとれていなくて逆に最上階のスイートに泊まれたことかあったのだが、あの部屋のべ″ドと同じくらいかもしれない。 姉ちゃんがはしゃいじゃってなんどもタイプしてたっけ。 思いだした瞬間、あさこ、と佐伯さんの声がした。 耳を疑うひまもなく、姉がドアのところに立っていた。 ぼくは飛び起きた。 姉は硬直していた。 どんな顔をしているともいえない、あえて描写するなら無表情90だった。 その背後の佐伯さんも無表情だった。 たぶんぼく自身もだったろう。 「何してるの」自動音声の調子で、姉は云った。 佐伯さんが腕をとろうとすると振り払った。 紙片が床に落ちるのが見えた。 電力会社の領収書だった。 それでぼくは理解した。 前にこの家に来たとき、ポストに入っていたのを佐伯さんはポケ″トにしまっていた。 姉はそれを発見し、知らない住所に疑いを抱いてここまでたしかめにやってきたのだ。 でもどうして?そんな気配ぜんぜんなかった。 今朝だってのんびり平和な顔で、ひまだから誘いに来たとか云っていたのに。
ガチムチパンツレスリングの兄貴
また上層の男にすれば、民衆を相手にするほうが、金と権力にものをいわせて秘密を保ちやすいのであろう。 ハヴェロックーエリスのように、本性上「倒錯者は正常な人に比べて、階級や社会的地位への執着が少ないのだ」との説をなす人もいる。 昔から、同性への愛情は芸術家や上層階級の専有物の観があった。 「美しき罪は、美しき物と同じく金持ちの特権なのだ」と、オスカー・ワイルドは昂然と言い放った。 階級差というタブーを犯すことも彼らの特権の一つであり、下層民の側からすればこれを機会に、一時的であれ、上層者の専有物を享有することができるのであった。 いかにも「倒錯」らしく、階級を無視することで快楽が高まるとも考えられるし、そこにスリルも刺激も働くのであろう。 サン‥ルーは、娼婦上がりの、それ自身としてはさして立派でもない女優ラッシェルとのつきあいを通じて、金銭や地位とは関係のない心情の美と芸術的価値に目を開かれる(H、一三九)。 シャルリュスがブリショに教えていうのに、「今日の最も華々しい精神的構築物」ともいうべき倫理学概論の著作は、作者の大学教授が若い電報配達人から霊感を得て書き上げたものであった(m、八三二)。 階級を異にする人との交わりは、別種の生活原理からの啓示でも、「若返りの泉」でもあることができる。 「精神の階級は出生とは関係がないのだ」(Ⅳ、三一こと話者はいう。 社会的レペルでみたとき、小説『失われた時』の結論の一つは、階級という人間の差異化がいかに虚しいかという点にある。 「差異の王国は地上には存在しない(……)。 ましてや、〈社交界〉においては」(m、七八一)。 実体としては存在しない差異の幻想にとりつかれて、階級的上昇の夢を追いつづける人がこの小説には何人もいる。 こうした階級の相対性は、欲望の問題を加えることによってますます度を高めるであろう。
女装子(じょそこ)のゲイを只今必死に探しています
「かんたんな話じやないっていうのはわかる」「……」「だけど、祐司によって救われたり幸せになれたりするひとは、どっかに必ずいると思う。 もったいなくねえか?俺みたいに仕事がのろいせいで時間ないのと違って、おまえは積極的に避けてるんじゃないかって心配なんだよ」「瞬、おっかねえ」祐司は笑った。 瞬は目をそらして、すっと隣に戻った。 「よけいなお世話だな。 聞き流してくれ」ほんとによけいなお世話だ。 だったらおまえが抱いてくれよと、意地悪を云いたくなる。 云いたかった瞬間が、なんどあったことか。 心が挫けかけると自分より大きなものにすがりたくなる。 腕を広げられたら、きっと倒れこんでしまう。 こういう心理は、さすがの友人にも想像のほかなのだろう。 「だれかできたら、まっさきに瞬に報告するよ」心にもない言葉だったのに、瞬の顔はごきげんな犬のようになった。 別れぎわ、かるく触れた手があたたかかった。 男の身体は面倒だと、つくづく思う。