神戸市 山麓リボンの道(西→東) その8  布引のみち | Pokopen Photographic

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写真を中心とした絵日記です。楽しんでいただければ幸いです。なおこのブログで用いられている画像の著作権は私に。また人物画像の肖像権は本人もしくはその所属事務所に帰属します。無断使用及び二次使用は固くお断り致します。

今回は布引の滝に行きます。行ったついでに少し
足の延ばし、布引貯水池まで行きます。

今回紹介のPDFはこちら。
04 布引のみち(PDF:7,775KB)
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/9262/ribon04_nunobiki_1.pdf


今回 東から西へと歩きます。なおこれまでのように
詳しい道順案内の写真は載せずに要所要所の写真にします。
詳しい写真は逆方向ですが、以下のブログを参照ください。
https://ameblo.jp/pokophoto/entry-12699090341.html
https://ameblo.jp/pokophoto/entry-12698862660.html

 

新神戸駅から北に向かって、砂子橋を渡ります。

この橋、布引谷から北野・奥平野浄水場への

8インチ・24インチの導水管を渡すために建設

された石造アーチ橋だそうです。

 

左側の道を行きます。

 

雌滝にやって来ました。今日は水量が少なく

こんな感じでした。

 

雌滝の前にダム(雌滝取水堰堤)があって、その横に

バルブ室?があります。石積の建物で一寸変わった

建物ですね。

 

 

ここに歌碑がありました。

音にのみ聞きしはことの数ならて 

名よりも高き布引の滝

(藤原 良清)

 

さらしけむ甲斐もあるかな山姫の 

たつねて来つる布引の滝

(藤原 師実)

 

さて横の階段を登って、遊歩道へ行きます。

 

鼓滝に来ましたが、水量が少なくて何処が

滝か判らない。

 

夫婦滝です。

 

 

そして雄滝です。晴が続いていて、ダムの放水量

が少ないくてしょぼいなあ。

 

ハーブ園に向かうゴンドラからの見た雄滝はこんな

感じです。この日も水量が少なかったのかな?

 

おんたき茶屋にやって来ました。なんと

営業していました。いいですね~~。

 

茶屋の裏の門をくぐって進みます。この門って

何のため?

 

少し進むと三叉路にやって来ました。ここで

布引貯水池に向かうので、Uターンして、右側の

道に進みます。

 

 

 

 

歌碑がありました。

分入し生田の小野の柄もここに 

くちしやはてむ布曳の滝(賀茂季鷹)

 

路の横に急斜面の石畳が。これなんだろう。

まさかここ昔の道だったのか?

 

また歌碑がありました。

布引のたきのしらいとうちはへ てたれ

山かせにかけてほすらむ(後鳥羽院)

 

暫く行くと、見晴らし展望台に着きました。

 

ここからだとこんな風景です。

 

ここには「未来への手紙」という記念碑がありました。

阪神淡路大震災を忘れない為に、多くの市民

から寄せられたメッセージを収納しているそうです。

 

さて展望台の横の門を通って進みます。

所でこの門みたいなやつ何なんでしょう?

昔はここに水道局の施設なんかがあったのかな?

 

さらに歩いて行くと「猿のかずら橋」がありました。

この橋を行くと滝山城跡碑・再度ドライブウェイ

に行くそうです。

 

 

ゴンドラから見たら、尾根伝いのコースがあったので

多分ここに繋がるのでしょう。この道も行って見たいな。

 

「谷川橋」 鉄筋コンクリートアーチ橋

大正初期に作らてたそうです。

 

 

テクテク歩いてダムの下にやって来ました。

ここは「五本松隠れ滝」と言ってダムの放水が

有る時だけ滝になるそうです。

 

 

こちらがダムです。「布引五本松堰堤」と言うそうです。

今から階段を登って行きます。

 

ゴンドラから見るとこんな感じに見えます。

 

上に登ってこの橋を渡ります。

 

橋から見る貯水池です。晴の日が続いているので

水量は減ってますね。

 

 

 

ダムの反対側です。

 

橋を渡ると鳥居がありました。水天宮ですが、

階段一段当たりの高さが大きく、登るのは断念。

水天宮からさらに上に行く道もあって、多分

ハーブ園の下に続くのでしょうね。

 

野鳥の観察場所に来ました。

 

 

ここからに風景です。

 

 

さらに進むと、広助稲荷大明神がありました。

 

 

お参りしました。さらに少し先まで歩きましたが、この先は

特になにも無かったので引き返しました。

 

来た道を戻って休憩所(展望台)に来ました。

ここをぐるっと回って左側の階段を下ります。

 

 

徳光院に来ました。

 

山門に来ました。ここを下ります。

 

ここをぐるっと回って下ります。

 

 

 

ふと左側を見ると沢山の作業員の皆様が・・。

急傾斜地崩落防止工事だそうです。大変だな~~。

ご安全に・・。

 

 

さてまたまた寄り道。次に十二支天神に行きます。

まずは、すこし下った所でこの階段を登ります。

 

次にこの階段を登ります。

 

この坂を登ります。

 

雷聲寺の麓にたどり着きました。この階段を登ります。

 

雷聲寺にやって来ました。

 

さらに登って行きます。

 

ようやくつきました。ここが十二支天神みたいです。

 

 

 

この扉の先が旧摩耶街道へ通じるハイキング・コース。

猪が入らない様に扉があるそうです。

 

またもとの道に戻ります。

 

ついでにもう一か所寄り道。(笑)今度は

熊内八幡神社に行きます。この道を登ります。

 

さらに鳥居が見えて来ました。鳥居を超えて

左に行くと境内です。

 

そのまままっすぐ行くと、南側の参道になります。

丁度新幹線の線路を跨ぐ跨線橋が見えます。

 

境内には幼稚園も併設されていて、境内には

遊具もありました。

 

ここからの眺めです。天気が良かったらもっと

綺麗に見えていただろうに残念。

 

 

再び元の道に戻って、跨線橋にやって来ました。

 

橋を渡って左折。暫く真っすぐ進みます。

 

暫く行くと先ほど訪問した、熊内八幡神社の南側

からの参道があります。

 

 

ここはトンネル直前の場所です。

 

 

布引中学校の南側を通って、次は熊山公園です。

一寸覗いてみましたが、少し遊具がある感じの

広場っていった所でした。

 

 

さて前回はごちゃごちゃした道を行きましたが、

今回はすっきりと一番南側の道を行きます。

 

道標がありましたのでこの先を右折します。

 

右折して南に少し歩き、この交差点を左折します。

そして広い道(野崎通)をまっすぐ進みます。

 

道を渡った所に道標がありましたね。

ここ前回紹介した物です。

 

 

 

あるいていると、「水島銕也(てつや)先生終焉之地」

の碑がありました。この人は神戸高等商業学校(現・神戸大学)

の設立に尽力した人物だそうです。

神戸高等 商業学校は 1903(明治 36)年に、東京に次ぐ第二

の官立高商として開校(現在の市立葺 合高校の場所)。

その初代校長が水島であり、彼は設立当初から 27 年

在職し、「水島の学 校」とまで言われたとか。

 

熊内5丁目のバス停にやって来ました。今回は

ここまで。アップダウンの激しい道で疲れました。(笑)

コロナで籠っていたせいか体力落ちたな。