今回は神戸電鉄長田駅から烏原貯水池を経て諏訪山のふも
とまでで歩きます。
今回紹介のPDFはこちら。
06 烏原へのみち
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/9262/ribon06_karasuhara_1.pdf
今回 東から西へと歩きます。なおこれまでのように
詳しい道順案内の写真は載せずに要所要所の写真にします。
詳しい写真は逆方向ですが、以下のブログを参照ください。
https://ameblo.jp/pokophoto/entry-12701454914.html
神戸電鉄の電車がやって来ました。
まずこの踏切からスタート!
坂を登ると中華義荘があります。ここは凄いですね。
道なりに歩いてここを右折すると夢野白川線に
合流します。
この陸橋を渡って右折します。
ところで陸橋を渡って北側にはひよどり展望公園
への道があります。ちょっと距離がありそうなので
今回はパス。
この道を下って行きます。
ここを右折します。
道なりに歩いていくと旧夢野中学校跡に。
新しい建物が建設中です。
氷室神社の案内がある角を左折して、氷室神社
に向かいます。
山麓リボンの道としては氷室神社の前を右折するのですが、
折角なので寄ってみます。
小さいながらも約千八百年の長い歴史をもつ神社。
縁結びの神様として名高い大国主大神、市杵島比
売命をお祀りしています。
境内には、その名の由来となった氷室が残っており、
氷やウインタースポーツの護り神としても有名だ
そうです。
鎌倉時代末期 湊川合戦時、楠正成公、家来を連れ
て社家を訪れ、会下山に砦を築いた、とか。
さて、山麓リボンの道に戻って、これから烏原貯水池
へ向かいます。
しばらくすると立江寺の下をへたどり着きます。
この坂を登っていきます。
また猫がいました。人間に慣れているのか
逃げないですね。
行守寺への案内がありましたが、この
右側の小道を行きます。
烏原貯水池に着きました。今回は貯水池脇の回遊路
を行くことにします。ここから入ります。
細い道ですが、展望台が2ケ所ありました。
展望台からの眺めです。
この日は人もいなくて本当に「静寂」
という言葉がぴったりでした。
ダム(立ケ畑堰堤)の上を歩きます。
ダムの中ほどには取水塔があります。
(水は汲んでも尽きることなく、人々を養い、
恵みをもたらし続ける)
という意味だそうです。
13代兵庫県知事・服部一三氏の筆。
扉はサビて判りにくいですが、
神戸市水道局のマーク「六剣水」
があります。
扉の左右には工事に功績があったと思われ
る人々の名前が刻まれ(英語)、設計者・
佐野藤次郎の名前もありました。
取水塔の反対側はこうなっています。
ダムの反対側から見るとこんな風景。
湖面に空が写って鏡のようです。美しい。
烏原貯水池には周回路があって程よいハイキング
コースになっています。また先ほど出て来た、
ひよどり展望公園にも繋がっている道が
あるそうで、手軽にハイキングが出来る神戸
はいいですね。
名残り惜しいですが、ここから下って行きます。
前回と同じ道を歩いているのですが、今回は
余裕があるのか、逆方向で歩いていても眺
めが変って新鮮でした。
ようやくハイキング道も終わります。正面に
道標が見えますね。
降りたところ少し右手の岩壁にお地蔵さまが。
新湊川にかかる橋を渡ります。
実は橋の袂から川へ降りる道があるのですが
誰も利用しないのか、草がぼうぼう。
川はこんな感じなんですけどね。
橋を渡って小路を進みます。
大山咋神社に着きました。
聖武天皇の神亀年間(724~)に近江国日吉大社(滋賀県)
より当地に勧請されたとか。こちらも歴史のある神社ですね。
治承年間(1177~)に平清盛が、福原遷都に際し、五条大納言
邦綱に命じて再建造営させたとか。
豊國稲荷神社が合祀されていました。これはびっくり。
豊國稲荷神社の社殿等が老朽化の為、平成28年
この地に遷座したとか。豊國稲荷神社今どうなっている
のかな?
さて大山咋神社の前の道を進むと、三王寺公園
の上にやって来ました。前回はこの階段を行きま
したが、このまま真っすぐ進んでも同じところに
合流するみたいなのでまっすぐ、
進みます。(道は狭いですね)
下の道と合流しました。右側の柵には
「大山咋神社まで100m」の看板があり
ました。ここを右折します。
真っすぐ行くと、道標がありました。左折します。
山麓リボンの道からはほんの少し外れる(南)
ますが、豊國稲荷神社の鳥居があります。
もっともここから豊國稲荷神社までかなり
距離があります。
細い路地道を歩いて(本当にここ判りにくい)
湊山温泉近くの広い道に合流します。
湊山温泉近く「かどや 」さんです。きしめんのお店だそうで。
きざみきしめん、ばらずし(半分) セット 680円と書いた
張り紙がありました。
小腹が空いたので。きしめん頂きました。写真は「きつね」
で450円。柔らかい麺ですね。素朴なかつおだしの味。
お腹いっぱい食べるなら、セットがいいでしょう。
ご馳走様でした。
湊山温泉です。平清盛も湯治したとか、1596(慶長元)年には
豊臣秀吉がこの地の住人・正直屋寿閑に対して湯坪取り立て
の朱印状を与えた、とか・・・。
800年以上続いている歴史のある温泉です。ひっきりなしに
お客さんが来ていました。
湊山温泉の南側、マンションの一角に天王温泉跡
の碑があります。2004年に廃業しましたが、有名な
温泉でした。昔はこの界隈、神戸市電平野線の終着駅
があって、結構栄えていたらしいです。
それでは湊山温泉の横を通って行きます。
川を渡って、川沿いに細い路地を進みます。
国道428号(有馬道)に出ました。道の反対側には祇園神社
があります。
祇園神社に行く前に、平野展望公園に寄って見ます。
国道428号(有馬道)に沿ってすこし登ると、
公園の入り口に着きます。
休憩所があったり、
一寸した庭園?もあったり、
ここからの眺めはこんな感じ。
さらにもう一つ上にも展望広場があるそうですが、
一寸登った感じでは到着しないようなので
今回はパス。(笑)
次は祇園神社。ここからなが~~い階段を登ります。
この神社、京都の疫病や災害を鎮めるために、姫路の
広峰神社にまつられている素盞嗚尊を今の京都・八坂神社
の前身、京都北白川の東光寺におまつりするため、姫路
から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が
出発。その途上で、平野の地に行列が一泊した地に
社殿を建て、分霊を奉ったとか。
ここからの眺めです。階段を登った甲斐がありました。
しかし展望公園と連続して登るのは一寸辛かった。
祇園神社から降りて、再び山麓リボンの道に戻る
のですが、またまた寄り道。祇園神社の横の有馬道
を少し下ります。
すると「塞神(サイノカミ)」の碑があります。
このあたり(奥平野村)を東西に通る古代からの
「古道街道」がありました。この碑は、古道街道
を通る旅人らの道中の安全を守ってくれる神さま
だそうです。
天保の時代(一八三○~一八四四)このあたりに
「塞神」をまつった塚があり、そこに生えていた榎
が倒れたので掘り起こしたところ、大きな石が現れ、
その 下から甲冑、剣、馬具などが出てきました。
しかし、当時の人はたたりがあっては大変と埋め
てしまい、山伏をよんで祈祷させたとの事です。
それでは祇園神社の前の道を東へと進みます。
この道は中道古道といって、今は平野一本松跡までの区間
が残っているそうです。
(平野一本松跡は市バスの西行き時の五宮町バス停東の
四差路を南下した先の変形四差路)
この道は海軍塾時代の海舟や坂本龍馬が頻繁に往来した
道だそうです。
五宮公園にやってきたら、南側の道を左折します。
あとはくねくねと歩いて。(笑)
祥福寺へとやって来ました。
この門の前に広がる木々は「市民の森」に指定
されているようです。
祥福寺の前を進むと、風見鶏が見えました。
さらに進むと、五宮神社に着きます。
天照大御神が、素盞嗚尊と剣玉を交換して、誓約したときに
生まれた五男神の内の一柱で、日本の国土開発のため、
天照大御神のお使いとして努力された神様です。 この地
に創祀された年代は不詳ですが、出雲国能義郡天穂日
神社よりこの地に勧請され、神功皇后が、三韓へ行かれた
帰りに巡拝された一社だそうです。
神戸は一宮神社から八宮神社まであり、2月の節分の時
に行われる八社巡拝では、厄除けなどを祈願する参拝者
が多いそうです。
五宮神社を出て、またまた狭い路地を、クネクネ
と歩いて(笑)いや本当にここら辺、ややこしい。
、
ようやく山麓線に合流。この先を左折します。
あとは山麓線をまっすぐ東へ歩くだけです。
ところで橋のたもとにある赤い祠は楠谷白玉稲荷
と言うそうです。
真っすぐ歩くとこんな横断幕が!良く見ると、
関西国際大学神戸山手キャンパスでした。
もうすぐ今日のゴールです。その手前訪山児童公園
です。
そこには
「明治天皇御小休所旧神戸税関監視部阯及建物」
の碑があります。
諏訪山のふもとまででやって来ました。今回は
ここでおしまい。しかしあちこち寄り道したな。
おまけ・・。
旧豊國稲荷神社跡 訪問。
後日豊國稲荷神社がどうなっているのか見に
行きました。
この大きな鳥居の道を真っすぐ進みます。
この細い道を登って行きます。
「すぐそこ」って書いてますが・・。ほんまかいな。
道が段々狭くなってきます。これから先
かなり狭くて、注意しながら歩きました。
ようやくつきました。これがすぐなのか・・。
階段をあがると廃材が置いてありました。
今はこんな感じ。
かなり昔に来たことがある程度でしたが・・。
この先には砂防ダムがありました。ダムの放水口?
が見えます。
豊國稲荷神社への道まだ奥へ続いている様で
先ほどの砂防ダムまでは行きましたが、
その先はどうなっているのか?
ともかく今回はこれでおしまい。