本の内容のネタバレ絡みます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062810530/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_We0REb936W5NX
これを読みました。
神田昌典さん著の「成功者の告白」。
これは端的に言えば起業からそれの大成に至るまでの道において、その組織なり個人に様々な問題が降りかかるので、そのパターンを物語形式で紹介し、問題対策をできるようになろう、という本でした。また、物語形式⇒ほとんど小説みたいなものなので、ビジネスに興味のない人でも引き込まれる魅力があったと感じました。
本書で、私はP32の「子供が生まれてから、夫婦中心の生活は子供中心になった」という文章から自分のことを考えて読み進める手と頭が止まりました。
まず、本書の筋の話をすると、これは後々語られる「仕事が生活の中心になる夫」と「家事育児が生活の中心になる妻」や、「会社をより発展させることが中心になる社長」と、「給料という安定性が中心である社員」などとの対比とリンクしているもので、簡単に噛み砕くと、人間が傾倒できるものの数と深度には限界があるということです。
私がこの1文を読んだとき、私は自分の趣味のことが自動的に連想されました。
ポケモンにハマったり、ガンダムにハマったり、ボカロにハマったり、女児アニメにハマったり、いわゆるオタクに片足を突っ込んだときから色々と「一番情熱をかけたもの」が変わっていきました。
一番情熱をかけているものとは不思議なもので、1番の情熱をかけているときには「これが自分の心にとって揺るがない作品だ」と思っていても、数年経てば1番の矛先がなぜか変わってしまいます。
そして矛先が変わって置いてけぼりにされた作品は、私の中で知識と感覚の更新が非常にゆっくりとなり、最後には「好きだったこともあった」という認識になってしまいます。
例えばポケモンのソード、シールドは追いかけ疲れることが怖いという理由で未だに買っていません。そして「ポケモン」という趣味が削られて生まれた時間を使って、今ではクッキー☆の10年の歴史を吸収しています。
ではここで本書の話に戻すと、小説パートでの主人公、タクは自分の会社をより発展させるために家庭の時間を確保できなくなり、家庭と疎遠になってしまいます。
私がポケモンに飽きても、ただ私がポケモンのゲームをプレイしない、というだけで話が終わりますが、これが「自分以外の人間」が関わっている仕事や家庭のこととなると、飽きたからポイで済む話ではないのは明白です。
この避けがたいのに反比例な関係のものを相手にしなくてはいけない、ということが人間の人生の醍醐味なのだろうと私は解釈しましたが、それと同時に、私の技量では現状が限界としか思えない、とも感じました。
仕事が忙しくなれば趣味の活動の規模を小さくする。これは給与と責任から「そうせざるを得ない」と考えることができますが、家庭のために趣味の規模を小さくする、というのは「じゃあ家庭いらんやん」で済んでしまうのが今の私の頭です。
実際、本書の感想として主人公タクが独身だったら家庭内悩みパートが丸ごとなくなってしまうだけなのでは、と考えてしまいます(起業直後に妻に支えられるパートがなくなるので、それを独りで乗り越えたとして)。
つまり、端的に言えば今の私には他人に愛を傾けるだけの余裕があるとは思えない、ということです。それをするには今の趣味の規模を諦めなくてはいけないので。
ですが、本記事の序盤で述べた通り「数年経てば1番の矛先がなぜか変わってしま」う可能性があることももちろん考えています。
ツイッターなどを見ていると、オタクがいつの間にか結婚してることも踏まえて。
以上より、私は「成功者の告白」を読んで、自分の価値観について考えさせられました。
恐らく著者が想定した本書の読み取り方とは微妙にズレているだろうな、とは感じたものの(勝手な予想)、私自身このような感想を自動的に抱いてしまうので、仕方がありません。
とにかく、責任は果たしつつ、自分が歩みたいと思った方向へ人生を歩めたらいいだろうな、と考える結果になりました。