妻と生きた誇り -6ページ目

明日は妻の23回目の月命日です。そして妻に設定してもらったLINE

明日は、妻の23回目の月命日です。今までの月命日をむかえるのとは、大きく異なる気持ちです。


来月の月命日、予定しているのは三回忌法要無事に行えるか、正直心配でたまりません


2週間後に迫った、大腸癌手術無事に乗り切って健康な状態で三回忌法要出来るかどうか定かでありません


手術に絶対はありません。現時点では初期の大腸癌と診断されておりますが、手術して見たら、リンパ節まで浸潤していたとか、細胞診の結果悪性かもしれないかもしれません


今の時期は、いろんなこと考えてしまいます。手術直前になれば、今までの私であれば良い意味で開き直るのですが、今回はわかりません


手術前日入院しますが、病室から弱気な愚痴ブログ書いているかもしれません


もしものことも考えて親しい友人には連絡しました。多くはLINEで連絡しました


実は仕事でパソコンのインターネットの仕事をしているのに、スマートフォンはあまり得意ではありません


その為にLINEの設定は、2年前に天国に旅立った妻がしてくれました。


兄夫婦と私と妻でグループLINE設定もしてくれました。今までよく義理姉には伝わっていても兄に伝わっていないとか、兄に伝えていても兄が忘れてしまうようなことが、ありましたが、妻のお陰でだいぶ解消出来ました


当初は、兄夫婦と私と妻の連絡のみで使っていましたが、妻が天国に旅立つ4日前に担当医から、後1週間生きられませんと説明された夜


私は耐え切れずに複数の友人に電話して大号泣しておりました。それをきっかけに複数の友人ともLINEするようになりました


結局は、LINEまでも妻のお陰で使用出来ています。妻は天国にいても私を支えてくれていると感じております


妻が天国に旅立った時には、喪主として夫として三回忌法要まで行うことが、私の最低限の責任と思っておりました、それ以上のこと考えられませんでした


ところが、先日の3月11日12年前の東日本大震災の当時を思い出して、我々被災地民は生きたくても生きられなかった人の分まで、生きならなければならないと思い起こしました


これは、今回大腸癌になったかもしれませんが、妻がもっと生きたかった分、私は生きならなければならないと感じ始めました


今日は父の命日、そして確定申告終了しました

今日は父の命日です


今まで父のことブログに書いたことありませんでしたが、18年前の2月22日早朝に天国に旅立ちました


当時はまだ仙台に住んでいて、コールセンターに勤務しておりました


早朝、兄から電話で知らせがありました

当時40代前半の私でしたが、肉親を失うことは初めてで、父は入院しており覚悟しなければならないとわかっていたのですが、頭が真っ白になりました




当時妻は、私の傍らで大泣きしておりました

妻と一緒になったばかりの時に、妻が身体が弱いことに父以外の肉親は、あまり良い顔してくれませんでしたが


父だけは

「縁があって一緒になったんだ、大事にしてやれよと言ってくれました」


父の優しさに、妻は号泣したのでしょう


私にとっては、遺言のようなもので、父のこの言葉だけは片時も忘れたことはありませんでした


その後幸いに、妻の誠実な性格から、母達も妻を認めてもらったのは幸いでした


父と息子というものは、歳を重ねると微妙に関係が変わるものです


私は、息子の立場からしかわかりませんが、幼き頃は父の否定に始まり、やがてライバルになり最終的には尊敬に変わるものではないかと思います


重松清さんが書かれた小説で、テレビドラマ化もされた「とんび」というものがありますが、その中と同様で父と息子は微妙なものです


還暦を過ぎた私には、生き方が不器用で周りに誤解受けやすいこともあった父ですが、今の私にはそっくりにも思えております


2年前妻が天国に旅立って間もなく、父は私の夢の中に、妻と3年前に天国に旅立た母と3人で談笑している姿でて参りました


まるで天国では、妻も含めて仲良くやっているから心配するなと言いたげのように感じらました


さて父は天国で、私の来月の大腸癌の手術どのように見守っててくれているでしょうか


「まだこっちに来るのは早いぞ」と言ってくれるかそれとも


「そっちで大変なら、こっちに来てもよい」というか私には、わかりません


最近感じているのは、稼ぎは微々たるものですが、もう少し仕事していたいと感じるようになりました


自宅でのテレワーク、ストレスもあり私に非がなくても非合理に人間性まで否定されるような、ユーザーからのクレーム対応する場合もありますが、何故か仕事続けたいです


手術の結果によりどうなるかわかりませんがこのように感じております


そして手術前の、大きな懸案事項、確定申告終了しました


終わった瞬間、妻の遺影の前で、バンザイしておりました


実は目標は、本日父の命日までに終わらせること目標にしておりましたが、3日前に終了しました


日曜日ですが、e-Taxによる青色確定申告ですので、自宅のパソコンでインターネットで終了させました


これは父からのプレゼントなのかと本日感じております。お陰で11月下旬から長期計画で年末年始も休まずに確定申告準備してきましたが、本日は久しぶりにのんびりしています


もちろん妻が、長年確定申告教えてくれたからというのは言うまでもありません

確定申告が終わるともに妻への感謝が一番初めに感じられます


昨年初めて一人で確定申告をやったことにより、手順がスムーズにできたかもしれません


これで入院の準備、大腸癌手術に集中できるかと思ったら、一難去ってまた一難、仕事上のシステム変更がまたあったり、長年使用していたクレジットカードのサービス終了に伴い各種支払いの変更手続きしないといけなくなりました


まあ確定申告ほどの負担はないと思いたいと思いますので、一つずつ片づけながら、来月の大腸癌手術臨みたいと思います


明日は、妻の22回目の月命日ですが、今でも妻に守られております

明日は、妻の22回目の月命日です


前日ですが、ブログ書かせて頂きます

先月までの月命日とは、全く状況が変わってしまいました


先月の月命日は、後3ヶ月で三回忌法要無事に終われるように確定申告終わらせなければとしか思っていませんでした


大腸ファイバー検査が、あると推測しておりましたが、痔にでもなっていて便検査が陽性になっていたのではないかとの安易な予測は、打ち砕かれました


現在は、今月中に確定申告終わらせて、来月の下旬の大腸癌手術で、無事に大腸癌細胞取り切れること、細胞診が悪性でないこと願うばかりで、特に夜寝る時には、何度も頭を過ぎってしまいます


幸い精神腫瘍科の薬で、就寝出来ております


本日は、その精神腫瘍科の通院日でした


通院している精神腫瘍科は、大腸癌手術する同じがんセンターにあります


今日の通院では、来月下旬消化器内科での手術入院になること担当医に話したところ


担当医は同じがんセンターのカルテですので、消化器内科のカルテも閲覧出来るようで、


「S状結腸にボリープが、あるのね」

「肛門から20センチのところに切除するポリープがあるんだ」と消化器内科の担当医よりより詳しく説明してくれました


以前も定期的に消化器内科で、胃カメラするんですが、


「異常ないね」話してくれたこともありました


精神腫瘍科の担当医は、天国に旅立った妻の担当医でもあり、私のことは何よりもご存知です


その信頼出来る担当医から


「可能性的には、重症でない可能性高いよ」


「手術だから、絶対とは言えないけどね」と言われました


信頼する担当医に、言われると少しだけ気持ち楽になりました


この担当医は、妻が天国に旅立つ8ヶ月程前から担当してもらいましたが


妻は、元々不安神経症を患い障害者認定をされており、別の精神科に通常していたのですが、がんセンターでは、以前精神科が開設されておらずに診てもらえませんでしたが、精神腫瘍科開設とともに、診てもらったところ


「強い薬出され過ぎていると言われ」

薬を変えてもらってから、妻は末期癌でありながら、少しは和らぎました


そんな担当医ですから、臨床心理士さんも含めて、過去に鬱病を患ったことがある私を心配して、妻はもしもの時には、私のことをお願いしますと伝えられていたそうです


この担当医からの少しの安らぎも、妻が与えてくれたのだと感じましたし、


元をたどれば、便検査をしたかかりつけのクリニックも妻が私に紹介してくれたクリニックでした


妻が守っていてくれと感じられる

22回目の月命日前日です

落ち着かないので、手術説明読んで、入院準備始めました

励ましのコメント頂きありがとうございます


正直まだ落ち着きません


2年前に天国に旅立った妻は、7年前に子宮体癌の宣告をどのように受け止めたのだろうかと考えておりました


私の場合、初期の大腸癌の可能性が高いと言われただけで、実際は内視鏡で切除して細胞診して見ないと何もわからないのに動揺しまくりです


7年前の妻は、動揺を隠すと言うか、自分に言い聞かせるように


「癌は、日本人の2人に1人はなるのだから、なんで私が癌になるんだとは思わない」と言っていたの思い出しておりました


私に心配かけまいとの配慮だったかもしれませんが、手術前までは、初期癌で悪性とは思われていなかったからかもしれませんが、7年経って妻の偉大さ痛感してます


それに比べ私は、昨日不安しまくりで、兄夫婦に報告した時には、弱音吐くばかりで情けなくなりました


義姉は、12年前に私と同じような症状だったようで義姉曰く


「初期大腸癌は、必ず完治するから大丈夫、

私はその後何事もなく健康に生きている」と励ましてもらいました


それにもかかわらず、今日は昨日の朝5時からの2リットルの下剤飲んでの大腸ファイバー検査で体力低下は、隠し切れませんでしたが、それ以上に精神的に落ち着かず何も手がつかない状態でした


しょうがないので、今日予定の仕事取りやめて、早すぎるかもしれませんが、入院の準備始め少しでも覚悟を決めて気持ち落ち着かせるように努めました


それが1番気持ち落ち着かせることだと思いました,それに昨日病院で手術や入院の説明ありましたが、落ち着いて聞けていなかったですからよく理解する為に、多量の説明書を読んでいました


来週兄夫婦が、来てくれるので、入院手続きの保証人記載してもらったりとか、入院書類たくさんあります。入院する準備だけでも大変です


妻の入院のときは、2人で準備しましたが、全て1人でやるのは負担大きいと感じてしまいました


ブログを書くのも、自分の気持ち整理する為かもしれません


ほんの少しだけでも、気持ち落ち着いたかもしれません。明日から通常の仕事しながら、少しづつ入院準備継続したいと思います


手術の結果がどうであれ、妻に恥ずかしくない生き方していきたいです


内視鏡手術による入院決定、初期の大腸癌可能性高い

昨日のブログに、応援励ましコメント頂きありがとうございました


大腸ファイバー検査の結果からお伝えしますと、


内視鏡によるポリープ切除手術、3月下旬3日間入院することになりました


私の知識不足が露呈したのですが、担当医曰く


「ポリープも腫瘍の一つなんですよ」とのこと、ただポリープの大きさや種類により気にしなくてもよいものもあるということのようです


私は、毎年胃カメラしているのですが、十二指腸に粘膜性腫瘍がありますが、良性で毎年ポリープありますが、心配いりませんと説明されておりました


その為に、私はポリープを軽んじておりました


私の大腸のポリープは、大きなものらしく切除が必要とのことでした、確率からすると初期の癌の可能性が高いそうです


要するに、初期の大腸癌の可能性が高いそうです。詳しくは内視鏡でポリープ切除後、細胞診検査して見ないとわからないそうです


少なからず、ショックは隠せません。


2年前に天国に旅立った妻は、7年前の今頃子宮体癌発覚して3月に手術しましたが、


手術する前には、初期癌ではないかと言われたのに、手術後の細胞診で悪性と判断されて、昨年4月、再発、再々発を経て、2度の手術19回の抗癌剤試みたにもかかわらず天国に旅立ちました


私の場合は最終的に大腸癌と診断されたわけではありませんが、初期の大腸癌の可能性高いですが、細胞診によっては、その後開腹しての大腸癌の大手術の可能性もあるとの担当医の説明でした


2年前に、妻が天国に旅立った時には、何があっても三回忌法要までは、喪主として行わなければならないと強い決意しましたが、大ピンチの可能性が出てきました


また、その時にエンディングノート作成しなければならないと感じましたが、今だに何もしておりません


今の私には、来月中に終わらせたい確定申告が優先されますが、なんとか確定申告終わらせたら、エンディングノート作成真剣に考えなければならなくなったかもしれません


妻の三回忌法要を大きな目標としており、無事に終わらせれば、後は妻がむかえに来てくれることゆっくり待とう思っていましたが、急ぎたくありませんし、私は自分自身が健康な状態で妻の三回忌法要を終わらせたいです


まだ気持ち的に不安定ですが、良い意味で開き直るしかありません


今日中には、兄夫婦だけには連絡しなければなりません。どんな結果になろうとも、福島に居る兄夫婦に迷惑かけてしまうことでしょう


この後の運命は、妻が早く私に妻のところに来てほしいのか、それとも私に土産話をもっとたくさん蓄積してから来てほしいのか、妻が決めてくれるだろうと考えるようにします




明日、大腸ファイバー検査することになりました

前々回のブログに記載しました、健康診断で異常が見つかり精密検査、必要になっておりましたが、急遽明日検査することになりました


検査内容は、大腸ファイバー検査です


今日がんセンターの消化器内科に、紹介状もらって通院したところ、担当医から


「当院から、お近くにお住まいですし、明日の午前中でも検査可能ですよと言われました」


嫌なことは、先延ばししたくありませんし、たまたま明日通院可能ですので、明日の午前中検査することにしました


この検査は、検査自体に負担がありますが、それ以上に検査するための準備が大変です


検査前日から、指定された食事しか出来ません




そして何よりも大変なのは、検査前日の夜から、検査当日早朝による下剤です




便が透明になるまで何度も下剤を飲み、排泄し続けなければなりません


下剤の説明には、午前中検査の場合、検査当日は朝6時から下剤服用するように説明されておりましたが、


説明をされた看護師さんによると朝5時ぐらいから飲まれたほうが良いかもしれないとのことでした


この病院で、天国に旅立った妻は、私が今夜と明日早朝行うことを行っており負担になったと聞いております


正直、ビビリで小心者の私はおののいておりますが、妻が見守ってていることを信じて大腸ファイバー検査に臨みたいと思います


検査結果が正常であることをひたすら願います


これを乗り切らないと、来月中に終わらせたい、確定申告も4月に無事に終わらせたい、妻の三回忌法要にも進むことに出来ません


大腸ファイバー検査する前の、明日早朝のトイレでの排泄格闘が、初めの関門になりますが、それを乗りきり、多分フラフラになるでしょうが、気合を入れて、がんセンターの検査開始時間9時までには通院するために全力尽くします




起床時室温0℃以下、3時間経っても11℃

全国的な大寒波、皆様大丈夫でしょうか、


我が家は、今から約3時間程前に起床した時に、

石油ファンヒーターにスイッチ入れると室温表示なんと0℃以下でした


現在の室温でも11℃です


こちらの最低気温マイナス7℃、予測最高気温は、マイナス3℃です


北海道の方からすると大したことないと思われるかもしれませんが、宮城県在住福島県出身の私は、宮城と福島では還暦を越した私ですが、初体験です


40年程前学生時代、秋田に在住していた時のことを思い出しました


あの時は、水道凍結止めしても1週間程水道凍結してしまいました。そんな中どうやって生活したかは記憶にありません


多分天国に旅立った妻も味わったことが、ないことでしょう


昨夜は、新しい税制度インボイス制度のインターネット会議が夜9時頃まであり、政府の零細自営業を苛める増税制度だとわかり、ショックを受けて就寝しました


その為か、台所の水道水を少し出し続けた状態にしたほうが良いかなと感じていたのですが、忘れてしまいました


その為か、台所の水道凍結してしまいました

幸い風呂場と洗面そしてトイレの水は凍結していなかったのが不幸中の幸いです


昨夜のインターネット会議があったこともあり、平日ですが午前中のんびりしておりブログ書いているところでした


南東北の太平洋側は、日本海側程の大雪にはなっていませんが積雪はあります。天候を見ながら食料買い出しに出かけようかと思いますが、細心の注意払いたいと思います


妻も天国から、この天候にはさぞ驚いていることでしょう


そんな中寒さ対策で、一昨年姪に女の子が生まれた時のお祝い返しにもらった新品の毛布を開けて初めて使いました


貧乏性なもので、何か機会がないと新しい物使おうとしないのですが、激寒の中姪のお陰で暖かく就寝できました




妻に教えてもらった確定申告

2ヶ月ぶりのブログになってしまいました


おかげさまで、体調はだいぶ回復して鬱状態もかなり改善しております


2ヶ月前から確定申告の準備をしておりました

妻が天国に旅立ってから、一人で確定申告するのは二回目になります。


2年前までは、妻の絶大なる協力をえて確定申告しておりましたから、昨年初めて一人で行う時は、心配で心配で眠れないくらいでした


また今年度もその時期になり憂鬱ではあります


その上今年度は、確定申告に使用していたパソコンが、windows8.1でしたが、サポート終了のために使えなくなってしまいました


その為に、なけなしのお金をはたいて、新しいwindows11を購入して会計ソフトのデータ移行やらインストールをしておりました


まだ鬱状態の倦怠感の後遺症もあり、以前ほどスムーズにできないこともあり、長期計画に基づいて行っておりました


その為に年末年始は、世間に背を向けるように毎日パソコンと格闘してましたから、年末年始休んだのは、1日ぐらいでした


幸いそれにより、今のところ順調です


あと気がかりなのは、昨年の健康診断の異常による精密検査が、今月末から来月にかけてあると思いますので、その結果が腫瘍があっても良性陰性であることを願っております


確定申告は、自宅のパソコンで行うe.-Taxによる青色申告なのですが、10数年前始める時には、会計ソフトの準備から何から何まで妻に教えてもらいました


零細とはいいつつ自営業の為に確定申告は、毎年行わなければなりませんので、現在私が生きてられるのは、妻のおかげなのです


将来は、天国でまた妻と結婚する為にも確定申告を乗りきり、精密検査も正常であることを願っております


妻のことだから、私を見守っててくれていると思いますし、私が早急に天国で再会することは、望んでいないと思います


3ヶ月後に、妻の三回忌法要を行いますので、最大限元気な姿でむかえたいと思います


妻に行かせてもらった日韓W杯




サッカーW杯カタール大会始まりましたね

今日は、日本代表強豪ドイツとの初戦です
決勝トーナメントに進出するのは、厳しい組に入ってしまいましたが、臆する事なく戦ってほしいです

W杯は、何があるかわかりません。それは昨日サウジアラビアが強豪アルゼンチンを破るなどの大番狂わせが起きるからです

W杯は、20年前の日韓W杯から妻と毎回見ておりましたが、今回は妻は天国からの応援になり寂しい限りですが、

20年前の日韓W杯、私は妻のおかげで、日本の最終戦、トルコ戦を生観戦することが出来ました。

当時入場券獲得するのは、マスコミとかスポンサー関連者でもない一般人には限りなく難しいものでした

そこで行ったことですが

当時の入場券の申込みは、郵便局に置いてあった申込み書で応募することでした

妻と一緒に郵便局巡りして申込書50枚程かき集めました

しかし、応募は一人一通ですので、私と妻の親戚知人友人ありとあらゆる方に頼み込みんで、名前を借りて50通程応募しました

申込書は、在住している宮城県民対象の宮城県で開催される試合対象のものと

在住地関係なく、全国で開催される試合の申込書に別れておりました

そして当選したとしても、どの試合の入場券当たるかもわからない指定もできないのです

そんななか軌跡的に、妻の友人で申込みしたものが、宮城県での最終戦、決勝トーナメントベスト16戦が当選しました

その上その段階では、可能性は厳しいかもしれないが、日本戦が見れる可能性がありなんとそれが実現しました

ブログの最初に掲載したレプユニは、その時着用したものです

こんな奇跡が、起きたのも妻が私にW杯を見させてやりたいというもの以外の、何ものでもありません

妻は、当時はまだ子宮体癌も呼吸器喘息も発症しておりませんでしたが、免疫力が弱く身体が弱い為に一緒に観戦に行けないことを承知しているのに

「友達と行ってきなよ、友達のお弁当作るからさ」と言ってくれました

サッカーW杯が、始まるたびに20年前の日韓W杯の妻の言葉、妻の愛情が思いおこされます

そしてそれだけでなく、妻は日韓W杯の決勝戦の表彰式で舞いあがる折鶴も折って送っておりました。

妻は、その模様を見ながら

「私も、日韓W杯に参加出来たね」と笑顔で語っていました

その時のことを思い出すたびに妻は、私の誇りです

ブログ書きながら、涙止まらなくなってきてしまいました

妻が残してくれた緊急告知ラジオ、Jアラート

我が家には、緊急告知ラジオというものがあります


これは緊急災害などがあると警告音とともに、緊急情報がアナウンスされるものです


言うなれば、市役所などから発せられる緊急避難情報の家庭用のものです


5年程前だったと思うのですが、妻が子宮体癌の手術をした翌年ぐらいです。市役所広報に緊急告知ラジオ提供の知らせが入り、


妻がもしもの時には、避難に手間取るかもしれないから準備しようと提案して購入し今も正常に動作しております


今となっては、これも妻が私に残してくれた生活必需品です


実際役立っているのは地震の時ですね


11年経ちましたが、東日本大震災の被災地でありますから、地震は恐いです


今年の3月にも大きな地震がありました。

私が住んでいる宮城県は、東日本大震災ほど被害はありませんでしたが、実家の福島県は東日本大震災より被害が酷かったようです


妻が納骨されている菩提寺でも被害がありました


幸い我が家の墓石は多少のずれですみましたが、我が家の本家の墓石は倒壊してしまいました


我が家の墓石は、多少のずれですみましたから、翌月4月の妻の一周忌法要は無事に行われました


この緊急告知ラジオアラームがなると、まず地震かと身構えるのですが


3日前朝は、明らかに地震アラームとは異なる不気味な音がながれました


そうです北朝鮮ミサイルによるJアラートでした


以前も聞いた記憶もあるのですが、宮城県と都道府県指定されたのは、初めてのJアラートだと思いますので緊張が走りました


後は、テレビをつけて見守るだけですが


「安全なところに避難してください」


といわれても、私の住まいの近くには、地下避難所も鉄筋コンクリート建物もありません


最悪の場合は、妻の位牌、遺影そして分骨した納骨を抱きしめて天に祈るしかありません


幸い被害は、ありませんが北朝鮮にもいい加減にしてもらいたいですね


しかしこれだけ、北朝鮮が頻繁にミサイル発射すると悪い意味での慣れが出てしまうのではないかと心配にもなります


こんなこと言いながら、私からすると北朝鮮のミサイル以上に現実的には、地震のほうが恐いです


そんな日常ですが、妻が残してくれた、緊急告知ラジオに守られながら毎日暮らしているのだとも感じられます