妻に行かせてもらった日韓W杯 | 妻と生きた誇り

妻に行かせてもらった日韓W杯




サッカーW杯カタール大会始まりましたね

今日は、日本代表強豪ドイツとの初戦です
決勝トーナメントに進出するのは、厳しい組に入ってしまいましたが、臆する事なく戦ってほしいです

W杯は、何があるかわかりません。それは昨日サウジアラビアが強豪アルゼンチンを破るなどの大番狂わせが起きるからです

W杯は、20年前の日韓W杯から妻と毎回見ておりましたが、今回は妻は天国からの応援になり寂しい限りですが、

20年前の日韓W杯、私は妻のおかげで、日本の最終戦、トルコ戦を生観戦することが出来ました。

当時入場券獲得するのは、マスコミとかスポンサー関連者でもない一般人には限りなく難しいものでした

そこで行ったことですが

当時の入場券の申込みは、郵便局に置いてあった申込み書で応募することでした

妻と一緒に郵便局巡りして申込書50枚程かき集めました

しかし、応募は一人一通ですので、私と妻の親戚知人友人ありとあらゆる方に頼み込みんで、名前を借りて50通程応募しました

申込書は、在住している宮城県民対象の宮城県で開催される試合対象のものと

在住地関係なく、全国で開催される試合の申込書に別れておりました

そして当選したとしても、どの試合の入場券当たるかもわからない指定もできないのです

そんななか軌跡的に、妻の友人で申込みしたものが、宮城県での最終戦、決勝トーナメントベスト16戦が当選しました

その上その段階では、可能性は厳しいかもしれないが、日本戦が見れる可能性がありなんとそれが実現しました

ブログの最初に掲載したレプユニは、その時着用したものです

こんな奇跡が、起きたのも妻が私にW杯を見させてやりたいというもの以外の、何ものでもありません

妻は、当時はまだ子宮体癌も呼吸器喘息も発症しておりませんでしたが、免疫力が弱く身体が弱い為に一緒に観戦に行けないことを承知しているのに

「友達と行ってきなよ、友達のお弁当作るからさ」と言ってくれました

サッカーW杯が、始まるたびに20年前の日韓W杯の妻の言葉、妻の愛情が思いおこされます

そしてそれだけでなく、妻は日韓W杯の決勝戦の表彰式で舞いあがる折鶴も折って送っておりました。

妻は、その模様を見ながら

「私も、日韓W杯に参加出来たね」と笑顔で語っていました

その時のことを思い出すたびに妻は、私の誇りです

ブログ書きながら、涙止まらなくなってきてしまいました