昔の記憶
モヤモヤが晴れてスッキリ・・・
昭和46年(1971年)の夏のこと。49年前のことです。
どこからか聞こえてきたこの曲が何故か耳に残りました。
当時は南沙織の『17才』や小柳ルミ子の『わたしの城下町』、平山みきの『真夏の出来事』などが流行っていました。
旅先でもどこからか聞こえてきました。当時はラジオでよく流れていたのかも知れません。哀愁を帯びた曲調のメロディーが印象的でした。
♪
少年の乗る船は港を離れ 少女は岸壁で(・・・・・いた)
少年の行く先は遠洋漁業 少女は帰る日を(・・・・・いた)
その日朝から無風快晴 沖に鴎が 沖に鴎が 鴎が飛んでいた
という歌詞です。(・・・・・)の部分は不明です。
メロディーはしっかりと覚えているのですが、歌詞の(・・・・・)の部分を含め、曲名も作詞者も作曲者も歌っている人も全然分かりません。
その後、何十年も時々この歌のことを想い出しては何とか確認することはできないものか・・・と思っていました。
パソコンもスマホも無かった当時と違い情報化社会の現代、調べる方法があるのではないかと思いますが、曲名も何も全然分からないので諦めていました。
先日ふと、ダメ元で歌詞をもとにネット検索できないか・・と考え、上の歌詞をダラダラと書き連ねチェックしてみました。
すると、どうでしょう!
10年以上前に私と同じようにネット検索した人がいて、その“回答”にいくつか情報が書いてありました。
その情報を元にさらに検索を進めますと・・・・・
曲名・・『港と少年』
作詞・・阿久悠、作曲・・チャーリー石黒
唄・・まりかとカオル(二人組)
発売・・昭和46年
ということが分かりました。
さらに、「にこ」という歌い手さんがカバーしたものがユーチューブにアップされていることが分かり、早速視聴してみました。
冒頭に、前奏に乗せて男声のナレーションで気象情報が流れ、そのあとで歌声が流れます。
「そうそう、この出だしだったよね」と懐かしく聴きました。
それを聴いて書き取った歌詞が次のようなものです。
画像に歌詞は出ませんでしたので自分の耳が頼りです。
♪
①少年の乗る船は港を離れ 少女は岸壁で何度も呼んだ
少年の行く先は遠洋漁業 少女は帰る日を確かめていた
その日朝から無風快晴 沖に鴎が 沖に鴎が 鴎が飛んでいた
②黒い雲走るのは嵐のしるし 高波は突堤に砕けて散った
恐ろしいヒダのように荒れ狂う海を 少女はただ見つめ祈って泣いた
その日朝から台風10号 雨と風とが 雨と風とが 風とが叩いてた
③少年の乗る船の帰りを待って 少女はきょうもまた浜辺で呼んだ
虫食いの舟板が漂う海は 黄昏のその中で何も言わない
その日朝から南風吹き 浜に花束 浜に花束 花束寄せていた 花束寄せていた
二番の『恐ろしい“ヒダ”のように』の“ヒダ”は、“ヒガ”とも“ヒバ”とも聞こえるのでカタカナ表記しましたが、前後の文面から荒れ狂う海が“襞”のように押し寄せる・・という状況だと解釈しました。
曲名で検索しても分からないし、阿久悠さんの作品で検索しても分かりませんでしたのでこれが限度でした。
それでも、私の記憶の(・・・・・)の部分が明確になりましたし、二番、三番の歌詞も知ることができました。
そしてメロディーは私の記憶どおりであったことが分かり嬉しく思いました。
49年後の確認、把握です。とっても嬉しいです!
それにしてもネット情報恐るべし!・・です。(^-^)
もし、「聴いてみたい」と興味を持っていただいたなら、是非『港と少年 まりかとカオル』で検索してみて下さい。「にこ」さんのカバーも見つけることができると思います。
令和2年10月8日(木)
髭のマスター
白い彼岸花咲く
清楚な佇まい・・・
久しぶりの投稿になりました。
この記事をシェアする形で投稿していた「フェイスブック」において何者かにアカウントを乗っ取られ、お付き合いいただいている多くの皆さまに知らない内に迷惑メッセージを発出することになってしまいご迷惑をおかけしました。
直ぐにすべての迷惑メッセージを削除する対応をとりましたが、なんとなく記事の投稿をする気分が削がれてしまい暫くの間休んでおりました。
さて長く長く続いていた酷暑の夏もようやく終わり秋になってまいりました。
「お彼岸」の頃に咲くことから『彼岸花』と呼ばれているこの花も彼岸明けから数日経って本日やっと花開いてくれました。
9年前、実家をたたんだ時にカリンの木を移植したのですが、その時一緒についてきた白い彼岸花。
可憐で清楚な佇まいが可愛くて、癒されます。
本日咲いて、ブログおよびフェイスブックに投稿しようという気持ちにさせてくれました。
でも不思議ですね。同じ株から咲いていると思うのですが、毎年咲き方といいますか、咲く場所や花の形が違うように思います。
H30.9.19撮影
手元に保管できている画像をアップしましたが、やはり年ごとに微妙に違うように思います。
春の桜もそうですが、一度として同じものはありません。自然の営みとは本当に不思議なものですね。
私たち人間も常ならず、日々、刻々変化していくものでしょう。
移り行く事象、心に湧き上がる感覚を謙虚に受け止めて一日一日を大切に暮らしていきたいと思います。
『 酷暑経て待ち望んだ秋に入り
やっと咲き初むる彼岸花愛し 』
一歩
令和2年9月29日(火)
髭のマスター
この夏の行方は
平穏な日常はいつ・・・
8月7日の「立秋」を過ぎて約二週間。
とてもじゃないけれど“残暑”などとは言えない「酷暑」の毎日です。
日々のTVニュースや新聞などでも報道されているように多くの方が熱中症で亡くなっています。
特に高齢の方の割合が大きく、電気代節約指向などもあってか、エアコンがあるのに室内を冷房していないなど、やりきれない思いにかられます。
新型コロナウイルスの感染拡大に加えてこの酷暑・猛暑日の連続。
命の安全確保が最優先ですので、自分自身が気を付けることはもちろんのこと、周辺の方のことにもお互い気を配ることも大切だと存じます。
ところで、この新型コロナウイルスの感染拡大によりオリンピック・パラリンピックの延期など、世界中であらゆるイベントが中止・延期を余儀なくされています。
私が東京で活動しています『邦楽合奏団 翔(はばたき)』もご多分に漏れず打撃を蒙りました。
9月5日(土)に予定しておりました第42回演奏会も中止せざるを得なくなりました。
春から一旦活動を中止して様子を見守っておりました。6月に自粛要請が解除となったため練習を再開した矢先、第2波ともいえるうねりの襲来、そしてどうやら直ぐには終息しそうもないとの見通しで決断を迫られました。
昭和53年(1978年)5月に結成。
翌年10月に第1回を開催後、一度も途切れることなく毎年9月に開催してまいりました。
何とか欠かさず42年間続けてきた演奏会ですが、ことしのこの状況ではどうしようもありません。
お客さま、ホールのスタッフさん、ステージ設営でお世話になっているお箏屋さん、そして我々団員自身の健康確保が第一ですので止むを得ません。
泣く泣く決断いたしました。
このうえは一日も早く終息し、来年改めて開催できることを願うばかりです。
梅雨明けが遅くていつになく短いと思われたことしの夏。
しかし、なってみると、とんでもない。
命を脅かす新型コロナウイルス禍の蔓延。
そして厳しい熱波に襲われての酷暑の日々。
この厳しい日々はいつまで続き、平穏な日々はいつ戻ってくるのでしょうか・・・。
今はじっと耐えて、平和な日々を取り戻すべくお互い助け合い、公共の福祉のために励んで下さっている方々に感謝しつつ、健康第一で日々過ごしてまいりましょう。
皆さまのご健勝を心よりお祈りいたしております。
ちょっと一息・・を願って・・・・・。
ちょっと分かりづらいのですが、ランタナの花の左、少し離れた日陰の葉に黒い“神様とんぼ”が羽を休めています。
こちらは“ルリマツリ”に止まっているカマキリくん。
令和2年8月20日(木)
髭のマスター
梅雨明け間近?
我が家の周りはすっかり夏・・・
昨夜からの雨も上がり、今朝は早くから周辺のあちこちでジージー、ジージー、ワンワン、ワンワンと蝉時雨が喧しいこと。
空の晴れぐあい、雲の湧き方、気温、湿度、風の流れ・・・どれをとってみても「もう梅雨は明けたんじゃないの・・?」と言いたくなるほどの夏模様です。
蒸し暑いけれどコロナウイルス禍で自粛を余儀なくされている昨今、外に出て大きく伸びをして空気をいっぱい吸いたくなります。
皆さまはいかがですか・・・?
ご近所のおさな児たちが空き地に蒔いたヒマワリの種が成長して花を咲かせました。
(何故か一輪ずつ花開く我が家の朝顔)
(塀の外に伸びた百日紅)
(ことしは実がたくさんついたカリンの木)
我が家と周辺の夏の景です。
令和2年7月25日(土)
髭のマスター